次話で必ず過去編を終わらせます。
今回はエロ無しです。
「夏織ちゃん。洗濯物を畳んじゃってくれる?」
「はい!」
悟堂夏織は干されている服を洗濯籠に入れていく。
八歳を迎えた日から香織も神門の屋敷の使用人として働いている。
そして今は十三歳。
元から明るい性格で手際も良く、小さい頃から屋敷に住んでいる事もあり、大人達からも可愛がられつつ仕事に精を出していた。
「夏は洗濯物が早く乾くから助かるなぁ」
そんな事を呟きつつ、取り込んだ洗濯物を中に入れる。
屋敷の中に入る間に小さく咳が出た。
「やだなぁ。風邪かな? 熱は無さそうだけど……」
縁側に洗濯籠を置くと、陸が近付いてくる。
「香織姉!」
「陸坊ちゃま。お勉強は終わりましたか?」
そう返すと陸は複雑そうな表情をした。
「……その呼び方、やめてくれよ」
「そういう訳にはいきません」
小さな子供の頃ならいざ知らず、もう夏織はそうした分別がつく年齢だ。
幼馴染とはいえ、雇われの身である自分がその子供である兄弟と対等な態度で接するのは良くない。
上下関係は明確にしないと周囲から礼儀のなってない娘だと思われるし、当然それは母の責任になってしまう。
つまり、兄弟に対して態度を改めるのは夏織なりの処世術なのである。
しかし陸は以前の姉弟のような気安い関係を望んでいた。
「夏織さん。陸」
すると兄の空が二人呼んだ。
この状況を見て肩を竦める。
「ゴメンね、夏織さん。行くよ陸。僕達もやる事があるんだから!」
「う! 分かってるよ。ちょっと休んでただけだろ!」
そんな兄弟のやり取りを見ながら、夏織はふと思う。
(空は旦那様に似てきたかな)
顔立ちはほぼ同じでも、兄の空は父親譲りの朱い眼を持っている。
しかし似ていると思ったのはむしろその雰囲気だ。
ヤンチャな面のある陸と違い、空の物腰や周囲に対する態度は父親である神門朱季に似てきていた。
尤も、その父親の方は似てるのは弟の陸の方だと思っているのだが。
「そういえば陸坊ちゃま。何か私に用事が有ったのでは?」
その言葉に陸は兄に引っ張られていた手を力づくで外して夏織の方を向く。
「今年の祭りだけどさ、夏織姉も一緒に回ろうぜ! 去年は風邪引いて行けなかっただろ?」
この町に誰も住んでいなかった神社も、今は正式な神主を呼んで運営されていた。
四年前からお祭りも開催されており、この時期の市民の楽しみでもある。
神門朱季も今日は祭りの打ち合わせに出かけているのだ。
「はい。時間が取れれば」
夏織の返答に陸はよし、と拳を握った。
現在神社の敷地内では次々と屋台やら何やらが組み上がっている。
祭りの出資者の一人として朱季も顔を出していた。
すると、朱季の恩人が話しかけてきた。
「よう、朱季」
「源治郎さん」
それは、かつての神門朱季の雇い主だった源治郎だった。
「お久しぶりです」
「よせよ。町の名士になったお前さんに頭下げられちゃあ、周囲になんて思われるか」
「はは……」
源治郎は、商会が大きくなるにつれて自分の手には負えないとその権利を丸々朱季に譲渡したのが子供が生まれる一年前の話だ。
今は古巣である自身の質屋で細々と暮らしている。
「ガキ共は元気にしてるか?」
「えぇ。二人共、元気にしてますよ。今度連れて行きますね」
「あぁ、楽しみにしてる。なんせ、年寄りの楽しみなんざ、それくらいなもんだからな」
空と陸は実の祖父母ではなく、源治郎の事をじーじと呼んで懐いていた。
というか、朱季が実の両親に用がない限り会ってない。
弟も既に結婚し、それなりに大きな仕事を任せられるようになっていたり、妹はつい先日嫁いで行った。
「まったく。お前さんはこっちが見合いを持ってきたら断るくせに、いつの間にガキなんて拵えてたんだ? えぇ?」
「ははは。まぁ、その話は追々に」
真実を話すつもりがない朱季は視線を逸して誤魔化す。
「祭りにはわしもリンゴ飴売ってるから買いに来いよ」
「はい。必ず」
源治郎が離れていくと、入れ替わるようにこの神社の神主である郷田宗輔が話しかけてくる。
「神門様」
「郷田さん。どうしましたか?」
「実は、折り入ってお話がありまして。少々お時間を頂けませんか?」
日が落ちて来て、そろそろ祭り準備も中断する時間だ。
「別に、構いませんが……」
何の話だろうと首を傾げる。
建物の中に入ると、かつて暮らしていた懐かしさを覚える。
(勝手に住んでただけだけどな……)
店に近い小さな借家に引っ越してからはこの神社に来るのも少なくなった。
(そういえば、縁種が家を移る際に残念がってたか。確か理由は……)
──―お主との閨に使うのに丁度良かったんじゃがのう。
などという理由だったか。
お前は神社を何だと思ってんだ、と訊くと、心底不思議そうに、妾を祀る神社じゃぞ? と返された。
朱季としては肌を重ねるだけの理由でこの神社の石段を登るなど御免だが。
郷田が妻に茶を出させた後に下がらせると彼はどう話を切り出すべきか考えている様子だ。
話が纏まってないなら、後日にしてくれないだろうか、と思いつつ声をかける。
「あの……」
「神門様。失礼を承知でご質問させてください。この部屋に居るのは我々だけですか?」
何を言っているのだろう、この神主は?
この部屋には自分達しか居ないのは見れば分かるだろうに。
彼が盲目という話は聞かないのだが。
戸惑いと苛立ちを覚えていると額に手を当てて驚くべき事を口にした。
「桜色の長い髪をした額に角を生やした女性に覚えはございませんか?」
郷田の質問に朱季は一瞬だけ息を止めった。
彼の瞳を見るが、
「もしもその御方がこの場にいらっしゃるのなら、どうかこの場を引くように、と」
お願いしますと頭を下げてくる。
縁種は最初からこの場には居ない。
最近では、空にベッタリとなったからだ。
今では屋敷を出る事も稀になってしまった。
「
「そうでございますか」
ホッとした様子の彼に朱季は話を訊く。
「何故、彼女の事を知っているのか、お訊きしても?」
朱季の質問に郷田は勿論です、と返す。
「元々、私がこの神社の神主になる話を引き受けたのは、神門様。貴方のお噂を聞いたからなのです。朱い眼を持つ貴方様の」
子供の頃は不吉だと言われ続けたこの眼も、朱季が商売で成功を収める度に払拭され、今では幸運をもたらす物として見られている。
「私の先祖は貴方と同じように、朱い眼を持つ女性でした」
百年以上前の話ですがね、と前置きし、話を続ける。
「先祖はただの平民でしたが、その頭の良さを見込まれて武家へと嫁いで行ったそうです。実際しばらくはその頭の良さで、その家の繁栄に尽力したと聞きます」
それは分かる。
おそらくその女性は縁種の知恵を借りて数々の問題を解決していったのだろう。
朱季も縁種が時折語る過去から、関係が上手く行ってなかったのを察していた。
「ですが、あの時を境に全てが上手くいかなくなったそうです」
「それは、どういう……」
「突然下の者が裏切りだしたり、流通で事故が多発。大きな病が頻繁に流行りだしたり、まるでその家を潰そうとするかのように、天災人災が重なったのです」
「……あの、言っては何ですが、ただの偶然では?」
朱季からすれば自分達に起こった不幸を縁種のせいにしているようにしか聞こえない。
そうかもしれません、と郷田が苦笑する。
「ですが、先祖はそう考えなかったようで。その女性を探したようですが、見つからず、その後なんやかんやと嫁ぎ先は没落しました」
朱眼の人間以外に見えないのなら、縁種を探すのは難しかっただろう。
朱季は気になった事を質問する。
「その方の子供も、朱い眼を持っていたのですか?」
「……いいえ。調べたところ、私の家系を含めて朱い眼が子に受け継がれたという話は聞いた事がありません。つい最近までは、でしたが」
ここら辺で空が朱季同様に朱い眼を持っているのは有名な話だ。
朱季は本題に入らせる。
「それで、貴方は私に何を求めているのですか?」
郷田の御先祖が縁種と関わりがあるのは理解した。
しかし、それも百年以上前の話だという。今更どうしろと言うのか。
御先祖の仇討ちに付き合えとでも?
警戒する朱季に郷田は横に置いていた木箱を開ける。
布に巻かれたそれを解くと、中には人の顔くらいの大きさの鏡が姿を現した。
「私の御先祖が用意した鏡です。どうかこれをお受け取りください。私が望むのはそれだけです」
ここまで大仰な話を聞かせて鏡を渡すだけとはいったい? と疑問に思っていると郷田が質問する前に答えた。
「その鏡は件の方を封じる為に用意された物でございます。もしも、朱い眼の者を見つけたら、渡すようにとずっと探しておりました」
「私に、彼女を排除しろと?」
縁種の事を何も知らないくせに、勝手な事を言う郷田に憤りを覚えるが、本人は首を横に振った。
「私はね、神門様。ただ楽になりたいだけなのですよ」
郷田は遠くを見つめて心の内を明かす。
「私も子供の頃から父から今の話を聞かされておりました。ですがね、時代はもう明治。私は先祖の執着になど振り回されたくないし、自分の子にその使命を押し付けるのも真っ平御免です。ですが、受け継がれてきた御役目を放棄する勇気もない」
たとえそれが妄執でも、と彼は言う。
「本当にそのような方が存在するのか。その鏡が本当にそのような力が有るのか。それも私にはどうでも良いのです。ただ受け取ってくだされば。何なら、ここで鏡を叩き割っても構いません。私が神門様に鏡を渡した。その事実が大事なのです」
ただ楽になりたいと言う神主に朱季は息を吐き、鏡を持ち上げる。
「分かりました。この鏡は我が家で保管させていただきます。ですが、私がこの鏡を使う日は来ないと思いますが」
「それで構いません。ありがとうございます、神門様。あぁ、それとですが。鏡の部分は御先祖の眼球が練り込まれており、装飾の部分には遺骨が使われておりますので」
「ほぉ、っ!?」
思わず手を滑らせて、鏡を床に落としそうだった。
「どうするかな、これ」
渡された鏡を木箱に戻して朱季は面倒そうに不機嫌な顔をした。
あの神主が言うように叩き割ろうかとも考えたが、使われている素材からしてそんな事をしたら呪われそうである。
「縁種の奴が、俺達を裏切る訳ないんだよ……」
自分に言い聞かせるように呟く。
ただ、少しだけ気になる事はあった。
縁種は陸の乳母である悟堂咲子を良くは思っていない。
数年前に咲子に暇を出し、母娘共々屋敷から追い出すように言ってきた事がある。
あれこれと理由を付けていたが、要するに子供達が咲子に懐いてるのが気に入らないというモノだった。
特に陸は彼女の事を母親のように慕っている。
それが縁種には大層気に食わないらしい。
だが朱季はそれは仕方ないと思っている。
その件で珍しく喧嘩一歩手前の口論なり、渋々だが納得してもらった。
(尤も、それで余計に空に執着するようになっちまったが)
屋敷に戻ると何人かの使用人に帰宅の挨拶をされる。
その中には咲子もいた。
「旦那様、その箱は?」
「えぇ。神主から預かって欲しいと言われまして。まぁ、厄除けになるだろう、と。咲子さん。これを蔵の奥にでも仕舞って置いて貰えますか?」
「あ、はい。分かりました」
木箱を受け取って蔵へと向かう咲子を見送る。
あの鏡の事は忘れよう、と心に決めた。
神門の双子の兄弟と夏織は夜の庭で話をしていた。
「やっぱり、御二人は家業を継ぐのですか?」
「僕は出来るならそうしたいなぁ。父上は自分のやりたい事をやりなさいって言うけど。商会の事は気にしなくて良いって」
空は商人である父の背中を見て育った。その姿に憧れるし、母の縁種もそれを望んでいる。
他の将来を考えた事はなかった。
「俺はさ! 警官になりたいんだ!」
意外な陸の言葉に二人は目を丸くした。
兄の空も初めて聞いたのだ。
「なんで? 危ないよ」
「だってカッコいいだろ。悪い奴をバシバシ捕まえて! この街やこの家! それに──―」
そこで陸の視線が夏織に向けられる。
心なしか、その頬は少しだけ赤くなっているように空には見えた。
「か、夏織姉はやっぱりこの家で働くのか?」
「そう、ですね……そうなると思います。でも……」
口ごもる夏織に空が促す。
「別に他にやりたい事があったって良いんだよ、夏織さん」
「そうだよ! 俺達だけ話して夏織姉だけだんまりりなんて不公平じゃん!」
兄弟に言われて夏織は、はい、と自分の夢を口にする。
「この屋敷での仕事に不満がある訳じゃないんです。だけど出来るなら、洋菓子を作る仕事をやってみたいです」
神門の下働きの給金はかなり良い。破格と言っても良いくらいに。
ここでずっと働けるなら、きっと将来は安泰だろう。
「たまに食べる洋菓子に自分でも作ってみたいなって。あはは。我儘ですよね。忘れてください」
自信の無さそうな夏織に、空が首を横に振る。
「そんな事はないよ。夏織さんが本気なら、父上もきっと応援してくれる。何なら、僕がこの家を継いでから出資しても良いし」
「そうだよ! 諦める事ないって! 夏織姉が店出すなら、俺毎日通うからさ!」
「あ、ありがとうございます」
兄弟に押しに夏織は、戸惑いつつも礼を言う。
そこで夏織が小さく咳をして空の肩に持たれかかる。
「大丈夫? 夏織さん」
「はい……最近少し風邪気味みたいで」
「なら早く休まないと! 去年みたいに熱出して祭りに行けなかったらダメだからな!」
「そうですね。今日はもう休みます」
お休みなさい、と夏織はペコリと頭を下げて部屋に戻って行く。
「じゃあ、俺達ももう寝ようぜ。空?」
少し様子のおかしい空に陸が問う。
「もしかして。空も風邪気味なのか?」
「ううん、違うよ。ごめん、僕も部屋に戻るね」
空は何処か辛そうな様子で部屋に戻って行った。
「ハァ……ハァ、なん、で……」
一人部屋に戻った空は、自分の肉棒に手でシゴいていた。
さっき夏織が持たれかかった時、言葉に出来ない暴力的な衝動に襲われた。
あの瞬間に嗅いだ異性の香り。
柔らかな感触の肌に形の良い唇。
咳をして少し苦しそうな表情。
それを見て、空は沸き上がってくる嫌な衝動を必死に抑えていた。
夏織の事を押し倒し、その唇を奪って、衣服を剥ぎ取りたい。
育ってきたその胸に吸い付き、そして──―。
「だ、め……」
子供の頃から一緒で姉弟のように一緒に育ってきた少女。
それを相手にこんな最低な妄想をする自分を空は恥じている。
「陸は……夏織さんが好きなのに……」
弟が夏織を好いているのは察していた。
二人が大好きだから、幸せになって欲しいと空は願っている。
なのに、不埒な妄想で肉棒を擦る手は止まらなかった。
「あっ……!?」
突如肉棒から白い液体が飛び出し、畳に落ちる
初めての射精だった。
「……」
それに驚きつつも、もし。もしも夏織にこの液体をかけたら気持ち良いだろうか? とそんな考えが頭を支配した。
ここ数日、咳ガ止まらない事を知った朱季が医者を呼んで、屋敷に住む人間全員に健康診断を受けるように指示を出す。
今は先ず、神門の御子息である二人の診断が行われていた。
「はい。大変結構です。兄弟揃って健康そのものですね」
「やった!」
医者からお墨付きを貰って陸が飛び跳ねる。
それを朱季が軽く叱る。
「暴れるな。お医者さんの道具を壊したらどうするんだ!」
「はーい」
父に叱られて陸が肩を落とす。
「それじゃあ、父上。僕達は先に出てますね」
「あぁ。今日は久々に一緒に昼を食べようか」
「はい!」
久しぶりに父親と一緒に昼食が食べられる事に喜ぶ息子達を見て朱季は微笑んだ。
神門親子や屋敷の使用人。朱季の側近として住み込みで働く商会の従業員の全員の診察が終わったのは日が沈み始めた時間だった。
「急な申し出を受けて頂き、ありがとうございます」
「いえ。仕事ですから。お気遣いは不要です」
そう言っての五十代の男性は優しく微笑んだ。
しかしその表情はすぐに険しいものへと変わる。
「この屋敷に住む者の殆どは問題ありません。ですが一人、このまま働かせるのは無理だと思う方がいます。その者に暇を出すか、二次被害の発生を抑える為に他者との接触を避けて、早急に隔離してください」
「それは、誰が……?」
そこまで重い病の者が居るのかと、朱季は姿勢を正す。
医者の口から出た名前は朱季にとって認めたくない事実だった。
「悟堂夏織さん。彼女は結核です」
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