神門夫妻が帰ってきて数日が経過した。
その間、四季は新しい母親である神門姫子から次期当主としての教育を受けていた。
「貴方はこの数ヶ月、いったい何を学んでいたのですか?」
「す、すみません……」
現在テーブルマナーの作法を姫子から学んでいる最中だが、評価は芳しくない。
元々一般家庭で育った四季だ。
細かな礼儀作法など必要とする生活は送ってなかった。
もちろん悟堂姉妹から学んでいたが、これまである程度大目に見られていたのだと実感する。
「四季。こうしたマナーを今から学ぶには遅過ぎるくらいなのです。ですが、この家に戻ってきた以上、そんな甘えは私が許しません。貴方には少しでも早くこちらのやり方を覚えて、馴染んでもらいます」
「はい!」
ビシッと背筋を伸ばす四季。
ここ数日、食事はもちろん。歩き方から始まりお客への接し方。
頭の下げ方なども含めて徹底的に教育し直されていた。
今まで教育を任されていた冬雪が少し詰め込み過ぎではないかと意見をしたが。
「貴女がこれまで甘やかしていたせいでしょう。それともこのまま必要な時に半端なマナーを披露してこの子と神門という家に恥を掻かせたいのかしら?」
「差し出がましい事を口にして申し訳ございません」
そう睨まれれば冬雪としても口を噤むしかないらしい。
横を通る時に四季にだけ聞こえるよう"頑張ってください"とだけ口にして後ろに下がった。
「さ。お見合いまで時間もありません。この後は伴侶となる女性のエスコートに必要なマナーを予習しますよ。昨日教えた事は覚えてますね?」
いいえ、と言う選択肢は無く、四季は大丈夫です、と口にする。
この日も僅かなミスや物忘れを叱咤され続けて一日が終わった。
「疲れた……」
部屋に着くとベッドに倒れるように体を沈める。
これまでは四季のペースに合わせて行なわれた教育も急にハイスピードになり、ついていくのがやっとの状況だ。
頭と体の両方で覚える事が多過ぎてパンク寸前だった。
それでも、別の事が頭を過る。
"四季様……好き、です……あなたが……"
春花が口にした好きという言葉。
おそらくは春花なりに勇気を出して口にした言葉の意味。
「予習……しないと……」
考えなければいけないと思いつつも別の事に没頭して逃避している。
書き留めたメモや、借りたマナー本に目を通す。こうでもしないととても覚えきれない。
動作や会話する時の受け答えの仕方などを頭に叩き込もうとしていると、ノック音がした。
「どうぞ」
扉の向こうの人物にそう告げると、冬雪が入ってきた。
「お休みのところ申し訳ありません、四季様。旦那様がお呼びです」
「……分かりました」
疲れた声が前面に出てしまった。
姫子に知られたらまた叱られるだろう。
「四季様……いえ。では書斎へ」
冬雪はなにか言おうとしたがやめて、四季の案内をした。
書斎に着くと神門倫也は机に肘をついて待っていた。
「夜遅くに悪いね。私も、日本に戻って来てやらなければならない仕事がようやく一段落したところだ。あぁ。冬雪は下がってくれ」
「はい。では失礼します」
一礼してから部屋を出て行く冬雪。
「その椅子に座りなさい」
「はい」
親子の対面というより、どこかの面接みたいだな、と思いつつ四季は椅子に座って父と向かい合う。
予め用意してあった飲み物と菓子に目を向けるが、手を付けて良いのか分からず視線を外した。
「姫子から聞いてるよ。頑張っているようだね。教育しがいがあると楽しそうだった」
「怒られてばかりですよ」
「それは仕方ない。彼女は自分にも他人にも厳しい人だからね。姫乃────四季の姉が小さい頃は、もっと厳しかったと思う」
あれより厳しいとは、幼い姉は一体どんな教育を受けてきたのかと四季は亡き姉に同情を抱く。
間を置いた後に、倫也は本題に入った。
「四季。お前は神門の成り立ちや悟堂との関係。そして御先祖様についてどれくらい知っている?」
「……悟堂の実家で秋葉さんから大まかな事は聞きました」
誤魔化すかどうか一瞬考えたが、また同じ話を聞くメリットは感じられなかったので、素直に答える事にした。
「そう。あの子が」
「正直、信じられない部分もあります。でも……」
「声が、聴こえるだろう?」
真剣な表情で倫也は四季を見る。
それはどこか諦めの混じった表情だった。
「私もそうだった。この眼が朱く染まると徐々にハッキリと彼女の声が聴こえるようになる。姫乃もそうだった」
机に置いてある古い本────日記帳だろうか? を捲りながら話す。
「儀式については、どれくらい聞いた?」
「えっと、そういうのがある、という事だけは。内容については何も」
「だろうな。アレは親から子へと口で伝えてきた事だ。葉にはそれ以上伝えようがない。実際はそんな儀式なんて呼ぶほど大仰なモノでもないんだが……」
どう話すべきか悩んているようだったが、大きく息を吐いてから儀式について語り始める。
「アレは言ってしまえば御先祖様────縁種へのご機嫌取りだ。それ以上の事はない」
「ご機嫌取り?」
「そうだ。悟堂の屋敷で封じられているあの人に会い、機嫌を損ねないように話し相手になる。それだけなんだ」
理由が分からない。何故そんな事をする必要があるのか。
四季の表情を見て倫也は小さく笑う。
「私も父からこの話を聞かされた時は、似たような顔をしたよ。だが、これは神門の存続に必要な儀式だ」
「……」
困惑の表情をしている四季に父が話を続ける。
「人ならざる御先祖様には、なんと説明すればいいのか……運勢を操る力がある」
「運勢?」
そうだ、と答える倫也の手にはいつの間にかサイコロが握られていた。
それを机の上に転がすと、四の目が出た。
「彼女の機嫌を損なうと、忽ち神門の運が悪くなり、会社の商売に影響が出る。サイコロの出目が悪くなる。逆にご機嫌が取れれば、商売が上手くいく」
自分でも変な事を言っている自覚はあるのか、いまいち語り方の歯切れが悪い。
「以前、ウチの傘下のファミレスチェーン店でバイトテロが起きたのを知っているか?」
「えっと……七年前のニュースと、最近冬雪さんから説明を受けました。確か、美季さんが経営を立て直したんですよね?」
「そうだ。それだけならそういう事もあると対策を立てて今後に活かせば良い。だが、それを皮切りに神門関係の経営に不運が立て続けに起こった」
優秀な人材が突如辞めたり、不幸に見舞われたり。
仕事上の大きなミスや事故が重なったりと。
「思い出すと頭が痛くなるくらい問題が続出したんだ」
「その時に父さんは……その縁種さんを怒らせたんですか?」
「いや。私は当時仕事の都合で海外に居てね。年にニ、三回会わなければならない彼女に数年間会わなかった。それでヘソを曲げられたらしい。今は落ち着いたが、それでも緩やかに経営の規模は縮小している」
仕事の都合。
経営悪化の憂き目にも遭って、その対処で更に帰るのが遅れたと言う。
神様のご機嫌一つで神門に関わるサイコロの目が一にも六にも変化するのだと。
「今は精々ニか三と言ったところだな」
「……その後に会おうとは思わなかったのですか?」
「弁明しようとしたが、会ってくれなかった。どうやら一度見放されると二度目はないらしい。だからこそ、姫乃には期待していたんだが」
「姉さん?」
どうしてそこで姉の名前が出るのか。
「あの子は正義感が強かった。神門と悟堂の関係。そして実質家の存続を握っている御先祖様の存在が大層気に要らなかったらしい。神様に突っかかっていった結果……」
そこから先は言葉にしなかった。
亡くなって姉の真相を察して四季は柄にもなくカッとなる。
唇を噛んで父を睨むが、倫也は気付かないふりをして話を続ける。
「神門は大きくなり過ぎた。ウチが崩れれば、お前が思っている以上に大勢の人間の生活に支障をきたす」
「だから、姉を手に掛けた人に媚を売れって言うんですか?」
「あの人は神門の子に会うのを楽しみにしている。普通に接していれば問題ない。だが、蔑ろにされたり敵対されれば、災禍を降らせてくる。裏切られたと感じれば二度とお目通りも叶わない。上手くやってくれ。その為にお前を呼び戻した。また子を作り、相応の年齢まで育つのを待つ余裕はないからな」
倫也からしても、四季の眼が朱くなるのか賭けの部分はあったが、無事染まり出したと聞いた時は安堵したと言う。
「姫乃の事は忘れなさい。子供の頃に会ったきりの姉だ。怒る程の思い出も無いだろう?」
確かに姉の事など大して覚えてない。
その御先祖様に怒りを感じているのは本当だ。
だけど、一番怒りを感じるのは────。
「父さんは……姉さんが殺されてもなんとも思わないの?」
自分と違い、ずっと育ててきた娘が亡き者にされて、どうして平静で居られるのか。
しかし、父はその質問に答えなかった。
「話は終わりだ。詳しい事はお前の眼の染まり具合を見て話そう」
「父さん……!」
「部屋に戻りなさい」
もう話す気も聞く気もないと続きを拒絶する父に、四季は納得出来ない顔のまま、乱暴に退出していった。
息子が部屋を去った後、倫也は大きく息を吐くと、握っていた拳を机に叩きつけた。
「なんとも思わないわけ、ないだろうが……っ!」
部屋にもどると、自室の前で春花が持つように立っていた。
「どうしたの? 春花ちゃん」
「あ……今、ノックしたら返事がなくて。もぅお休みになられたのかなって」
「そうなんだ。ごめんね。ちょっと父さんに呼ばれて」
「旦那様に?」
「取り敢えず中に入って。少し話を────」
そう言って春花の手に触れると、異様に冷たい事に気付く。
季節も寒くなったが、五分かそこらで感じる冷たさじゃない。
屋敷の中全体に暖房がかかってる訳でもない。
「……どれくらい待ってたの?」
「えっと……三十分くらい?」
つまり春花は四季が父と話してる間ずっとここで立ち往生してたのだ。
その事に少し苛立ちながら四季は春花の手を引く。
「入って」
相手の返答を聞かずに春花を部屋に招き入れた。
「寒かったでしょう? どうして部屋に戻らなかったの?」
「実は、四季様が冬雪お姉ちゃんと一緒に部屋を出るのを見て。待ってればすぐに戻るかなって……」
視線を泳がせながら答える春花。
取り敢えずベッドに並ぶ形で座ると、春花は躊躇い気味に質問をしてくる。
「あの……それで、婚約者ってどんな方なんですか?」
「え? なんで?」
どうしてこの流れで婚約者の話になるのか分からず四季は首を傾げた。
「だって、婚約のお話をしに呼ばれたんでしょう?」
「へ? 違うよ! 全然別のこと!」
ここまでその婚約者の事を頭からすっぽ抜けていた四季は慌てて否定した。
(だってまだ顔すら知らないし)
と、内心で言い訳する。
四季からすればどうしても婚約者という存在に現実感が持てないのだ。
「なら、なんのお話だったんですか?」
「うん。それは……」
御先祖との儀式や姉の事。
一度に入ってきた情報量が多過ぎて上手く言葉出来ない。
そもそも話して良いのかも分からない。
ただ、急に疲れを感じで春花の肩に頭を置く。
「すこし、さ……疲れちゃったかも……」
質問に答えずに寄りかかってくる四季に春花は黙っている。
すると、四季は春花を抱いて押し倒した。
「あ……四季さま……」
求められている事を察して、春花はパジャマのボタンに手をかける。
しかしそれは、四季によって止められた。
「今は、いい……本当に疲れてるから、このまま寝かせて……」
春花の身体を抱き寄せてから力を抜く四季。
肌を重ねる時とは違う温もりに春花も眠くなる。
(こういうのも……いいな……)
そう感じながら、眠りへと落ちていった。
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