腹部を刺された神門四季。
刃物が内蔵にまで達しており、緊急手術を終えた後も予断を許さない状況が続いていた。
一晩明け、学校を休んで悟堂夏海は四季の見舞いに来ていた。
四季は未だに目を覚ます気配はない。
しかし付けられた呼吸器で呼吸を繰り返す四季が無事な証拠として安堵を覚える。
夏海は昨日冬雪に叩かれた頬に触れる。
今はもう叩かれた痕は残ってないが、こうして触れるとジン、とした痛み甦るようだった。
「……どうして、四季はアタシを庇ったの?」
開いた四季の手を軽く握る。
「四季を守るのは、アタシの役目なのに。これじゃああべこべだよ」
その為に夏海は育てられた。
運動が得意な夏海は神門の人間を守る為に。
それが長女である姫乃から四季に替わっても変わらない役目の筈で。
「言いたい事がたくさんあるんだよ。だから、早く────」
ふわふわと浮いているのに、自分の体を支えている何かを感じる。
雲の上に乗っている感覚というのはこうなのかもしれない、と四季は思った。
目を開けると真っ暗闇。
本当に開けているのか自身が持てない。
どれくらいの間そうしていたのか。数分かもしれないし数日かもしれない。
時間の感覚が麻痺してどうすれば良いのか分からないでいると、誰かが優しい手付きで四季に触れてきた。
(だれ?)
上手く声が出ない。
触れているのは四季の腹部。
撫でられていると気付くのに少し時間がかかった。
「かわいそうに……痛かったであろう……」
女の声が届く。
哀しみと慈しみを乗せた声で、四季の名を呼ぶ。
「あぁ……妾が傍に居れば、このような傷など与えなかったものを……」
後悔を吐露する女の声。
撫でられていた傷の上から舌が這うのを感じて、ゾクッと背筋に冷たい感覚が走る。
「赦しておくれ、愛しい子や……」
優しく抱き締められてる筈なのに、大蛇に肉体を絞めつけられてるように感じる。
なのに、耳元で囁かれる声を聞くとどこか安心するチグハグさ。
「お主の
「だ、れ……?」
ようやく声を搾り出すと声の主は嬉しそうに話す。
「今はゆっくりとお眠り……」
そう言って目を手で覆われると途端に意識が落ちた。
「どこだよ? ここは……」
気が付けば見覚えのない日本屋敷だった。
縁側の通路に一人立っている。
訳が分からず、不安を誤魔化す為に適当に脚を動かした。
すると鼓膜を破るような大きな声が響いた。
馬鹿野郎っ!! と。
一瞬自分の事かと萎縮したが、周りには誰も居らず、声も遠い。
意を決してその方向へと足を歩を進めた。
その場に集まっていたのは四季だけではなく、ぞろぞろと人が集まってくる。
皆一様に着ている物が古く、時代劇の撮影現場に来たみたいだった。
思い切って近くにいた女の子に話しかけるが気付く様子もない。
「なんで……」
答え察しながらも、歯痒さでそう口に出る。
人が集まっている騒ぎの中心には男女の四人が居た。
声を荒らげたのはおそらく、部屋の中心に立つ中年の男性。
殴られたのだと思われる青年が自分に暴力を振るった男を睨んでいる。
「俺が海を渡っている間になにしてんだお前はっ!!」
怒鳴りつける中年男性に殴られた青年ではなく、周囲がおろおろしていた。
「夏織さんの事を放ったらかしで、他の女と子供なんて────恥にも程がある……!」
吐き捨てる中年に我慢できなくなったのか、尻餅をついていた青年が立ち上がり、怒り任せに反論する。
「御言葉ですが父上。僕はどうしても子供が欲しかったのです。この五年……どんなに頑張っても夏織は僕の子を宿してくれなかった」
「ふざけんな。お前は何様のつもりだっ!!」
中年男性がもう一度拳を振り上げると、彼の後ろに居た女性が腕にしがみつく形で止めに入る。
「やめてください。旦那様!!」
「夏織さん……」
夏織、と呼ばれた女性は俯きつつも目線だけ青年に。そして彼に寄り添うような位置に居る少女を一瞥する。
しかしすぐに視線から外して"旦那様"に頭を下げる。
「全部、私が悪いんです……私が……空との子をさずかれなかったから……」
「それとこれは別問題だ! 君がコイツを庇う必要は────」
そこで成り行きを見守っていた初老の男性がまぁまぁ、と割って入ってきた。
「旦那様も怒るお気持ちは分かりますが、ここは落ち着いて。それに、おめでたい話ではないですか。坊っちゃんにようやく子宝に恵まれたのですから」
「なにを言って────」
旦那様が否定しようとするが、周囲の人間達も初老の男性に賛同する。
「これで商会の跡取りの心配もなくなりましたな!」
「そうです! 旦那様もいつまでも現役、という訳にもいきますまい。旦那様の血縁が続いて皆も安心する事でしょう」
「そもそも五年も夫婦を続けて子を成せないのは如何なものかと」
そんな、夏織の事を考えてない心無い言葉が多く吐き出された。
「父上。僕は夏織と別れて遊子と一緒になります。母上もそれを望んでいる」
「お前……」
旦那様がギリッと奥歯を鳴らす。
空と呼ばれた青年の後ろにいる少女が勝ち誇ったいやらしい笑みを夏織という女性に向けていて────。
「……」
目を覚ますと同時に大きく息を吐く。
自分にたくさんの医療機器が取り付けられていると気付くのに数分の時間を有した。
(そっか……僕、
実際にどれくらい眠っていたのかは定かではないが、四季の感覚では元母に刺されたのが二時間くらい前のように感じていた。
なのに、身体が硬直して動かすのが辛い。
「四……き……?」
か細い声で自分を呼ぶ夏海。
彼女は信じられないモノを見ているような表情で四季を見ていた。
しかし、四季の方は夏海に意識が向いていなかった。
夢の中で話しかけてきた女性。
その後に見た騒動。
特に青年の容姿が自分に似ているような気がした。
四季の予想が正しければアレはおそらく────。
「さ、い……あく……」
意識を取り戻した四季に、神門夫婦はすぐにやって来てくれた。
と言っても、子供の頃の事を殆ど覚えてない四季にとっては初対面の相手。妻の方も刺される直前に少し話をしただけなのだ。
夫妻同伴の下、四季の診察が行われる。
長い診察を終え、結果を話す医師の表情は険しかった。
その様子に父親である神門倫也が問う。
「どうですか、先生」
「あ〜はい。お身体は問題ありません。というより、問題が無さ過ぎると言いますかぁ……」
「それは、どういう……」
倫也の質問に医者がパソコンの画面を操作する。
「これが、搬送された当初と先程レントゲンで写した腹部です。刺された傷が腸まで達しているのが分かるでしょう? ですが先程撮ったレントゲン写真では腹部内の傷が完全に消えているのです。三日間眠っていたので筋肉の硬直はありますが、概ね刺されたのが嘘のように健康体です」
そこで医師が四季の入院着を捲る。
「傷口もほら。小さく痕が残っているだけですし。念の為に様子見でもう一日入院してもらいますが、異常が無いなら退院、という形になりますね」
傷が治っている。
本来喜ばしい筈のそれに薄気味悪さを感じながら四季はまだ小さく残っている傷口を撫でた。
「それじゃあ。明日迎えにくるから。その時に、色々と話をしよう」
「はい……」
突如現れた父親にぎこちない態度で返事する。
もっとも、それはお互い様だが。
神門夫婦が病室から出た少し後に入れ替わるように別の人物が病室に入ってきた。
「四季君。元気〜」
「美季さん……」
やって来たのは悟堂美季だった。
彼女は四季に断りもなく病室に入り、備え付けられている椅子に座る。
「失礼」
そして、遠慮なく四季が着ている入院着を捲った。
「わっ。本当に傷が塞がってるのね。刃物が小腸まで達してたって聞いたけど」
「はい。なんか、傷はもう治ってるみたいで……自分でもよく分かりませんけど……」
「……」
小さな傷痕を眺めていた美季だが、すぐに手を放して別の話題に切り替える。
「取り敢えず、育実のバカは警察のお世話になってるわ。実刑はこれからの裁判次第だけど……まぁ、神門としてはあの子を全力で叩き潰すつもりだから。四季君の親権も含めて心配する事ないわよ。貴方も
「そう、ですか……そうですよね……」
本当にこれ以上、あの母親に色々と煩わされずに済むのかと心から安堵する。
「そういえば、美季さんってあの人と知り合いだったんですか?」
確か、実母は美季を先輩と呼んでいたし、美季も仕事を紹介したような話をしていたような気がする。
「ん〜。高校の部活での先輩後輩ってところね。高校の頃にやたら私に懐いてたから。卒業後もたま〜に連絡を取り合ってたんだけど。大学卒業後に就職活動に難航してたみたいで、それでちょ〜どの神門の屋敷も人手不足だったから口を聞いてあげたの。まぁ、それでまさか倫────旦那様を誘惑するとは思わなかったけど……」
当時の事を思い出してか珍しく疲れた息を吐く。
「貴方を妊娠した時も、自慢気に報告しに来たのよ。名前も
たはは、と苦い笑みを浮かべる美季。
実母の行動全てが夢に見た光景と重なって気持ち悪い。
眉間にしわを寄せている四季に美季が手を軽く叩いて話の内容を変える。
「それより、夏海を庇ってくれてありがとう。母親として礼を言うわ」
「あぁ、いえ。今思うと夏海ならあの人くらい簡単に取り押さえられた気がしますし。余計なことしたかなって」
「まぁそうね」
四季の言葉に特にフォローもなく肯定する。
はっきり言って四季の怪我は必要のない怪我だった。
「夏海もその事でちょっと気にしてるみたいだし。退院したら話しかけてあげてちょうだい」
「それはもちろん」
勝手な事をしたのを謝った方が良いかもしれないと思っていた。
それで用事が終わったのか椅子から立ち上がる。
しかしその前に肩に提げているバッグから古めかしい本を取り出した。
「これ。暇なら貸してあげる」
「何の本ですか? これ」
「本じゃなくて日記ね。読めば分かるわ。興味が無いなら退院してから返してくれればいいから」
押し付けるように四季の膝に日記を置いて、じゃあね、と退出する美季。
その強引さと自由さに唖然としながらも日記を開く。
日記の著作者は、神門夏織となっていた。
「どうしよう……」
自分の部屋に戻り、夏海は机に突っ伏していた。
宿題をやる為に開いているノートはまったく進んでいない。
彼女を悩ませているのは目を覚ました同い年の主人である少年の事だ。
「きっと、怒ってるよね……」
自分が彼から離れたから、会いたくない母親と二人きりになる羽目になったのだ。
その結果、刃物で刺されるという事態に陥った。
きっと自分を庇った事も後悔してるに違いない。
その証拠に彼は目が覚めて自分を見た時にこう言ったのだ。
────さいあく、と。
嫌われたと思うと胸が痛い。呼吸も上手く出来なくなる。
あの時の視線を向けられると思うとこんなにも辛い。
「四季……し、き……」
何も書いてないノートに、ポタポタと水滴が落ちた。
次回は続きじゃなくて、本編と関係ない、メインの登場人物とエッチするだけの番外編書くかもです。
あくまで"かも"ですが。本編を進めたい気持ちもありますし。
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