「ん、うーん……。あれ?」
目が覚めたヴァイオレットアーク―――本名・市田いちたほみかは、寝ぼけ眼で部屋を見渡す。
いつの間にか私服で寝ていたのはいつものことだからいいとして、家に帰ってからの記憶がない。
いや、よくよく遡れば、昨夜ガルマディオと戦いを終えた後からのことがすっぽりと抜け落ちていた。
「……あれ。あたし、なにしてたんだっけ?」
首をひねるが、思い出せない。ただ、ぼんやりと、楽しい夢をみていたような気がするのだが。
そこでふと床に落ちた袋に気づく。大手ファッションセンターのロゴが刻まれたビニール袋だ。中には真新しい服と下着。サイズはほみかが使っているものよりだいぶ小さい。
「……こんなの買ったっけ? んん?」
その後一時間にわたってほみかは頭をひねり続けたが、結局答えが出ることはなかった。
◆
明朝。半ば転げ込むようにして自宅に入った宗次は、覚束ない足取りで数歩歩くと玄関先に突っ伏した。
全力で走ったせいで息は上がり、長く伸びた前髪が額に張り付く。
走ったせい―――そう走ったせいだ。宗次は自分にそう言い聞かせるが、火照った体が覚醒時の記憶をよみがえらせる。
誘拐同然に連れ込まれたヴァイオレットアークの部屋で凌辱を受け、気絶していた宗次は、目を覚ますなり認めがたい現実に直面する羽目になった。
裸に剥かれ、甲高い声で鳴かされ、満足して眠ったらしいヴァイオレットアークの抱き枕として一夜を過ごす。その事実は宗次に噴火寸前の火山にも等しい激情を沸き立たせ、ともすればヴァイオレットアークの顔面が変形するまで殴るという選択肢を取らせかけた。
だがほんの僅かに残った冷静さが、もうこれ以上はかかわるべきではないと主張し、果たして宗次はそちらに従うことになったのだ。
ヴァイオレットアークを起こさないようにベッドを抜け出し、奪われた服を見つけ出して着替え、逃げるように脱出した。―――その時点でもまだ、ほんの少し濡れていた秘部は見ないようにして。
「くそ、くそぉっ……!」
奥歯を砕けそうなほどにかみしめ、熱を持ち始めた目をつぶる。自分が惨めで情けなかった。
これじゃあまるで、強姦されて泣き寝入りする女みたいじゃないか。そんな考えを床に頭突きして無理やり追い出し、這いずるようにしてベッドへ向かう。今日は全てを忘れて寝ることにした。
こんな姿じゃ大学にも行けやしない。着る服すらないから外出もままならない。女嫌いが高じて見せた悪い夢だと信じたかった。しかし首に嵌まったリングの感触が無情にもそれを否定する。
「ふざけやがって……殺してやる。絶対に、殺してやる……!」
シーツを握りしめ、枕を噛みながら怨嗟の言葉を口にする。臓腑が沸騰するような感覚が先ほどまで胸に宿っていた感情を押し流した。
こんな首輪をつけたくらいだ、すぐにまた奴らは侵略してくる。その時こそ、決着をつけるときだ。そう決意して、宗次は力をためるように頭から布団をかぶって丸くなった。
だが……それ以降、毎日のように続いていたガルマディオの侵攻は、ぴたりと止まってしまった。
一週間、二週間経っても下級戦闘員のひとりも現れず、民衆たちは束の間の平穏を喜び始める。しかしガルマディオと戦う立場の者たちはというと、相手の目的がわからずに手を出しあぐねていた。
「……と、まあそういうわけでね……宗次、聞いてる?」
「聞いてるよ」
支倉からの電話に、自分でも驚くぐらい不機嫌な声が出る。
あの夜以来、宗次は一度も支倉と顔を合わせていない。向こうからは何度も首輪を調べさせてほしいとの打診があったが、全て突っぱねている。理由は当然、女になった自分を見られたくないから。そして、また無理やりキスされることへの恐怖があるからだ。
恐怖―――そう、恐怖だ。認めたくないが、男からキスされることを恐れている。宗次自身、それを男同士でキスされるのが嫌だからだということで思考をせき止めている。深く考えるのはまずい気がした。
「聞いてるならいいんだけど……いやね、君にそんなことがあったばっかりだろ? だからどう考えても、連中は君に何かしてそれが芽吹くのを待ってるって考えるのが自然なわけでさ。実際男に戻れなくなってるわけだし……」
「だから首輪調べさせろ、だろ。聞き飽きた」
つい刺々しく言い放ってしまう。その言葉の裏には、『それは口実で、自分に対して不埒なことをしようとしているんじゃないか』という不安が隠れているが、宗次自身も気づいていない。
「とにかく、首輪がろくでもないのはわかってる。俺はしばらくおとなしくしてるから、そっちはそっちで仕事してろ」
返事を待たずに一方的に電話を切り、ふと視線を逸らすと姿見が目に入った。
着ているTシャツもジーンズも無地でシンプルなものだが、サイズは男の時よりずいぶんと小さい。買い出しの必要に迫られてネットで購入したものだ。幸い、胸は小さいので、下着は男物で十分だった。
「はぁ……どうすっかな」
大学にはあの日以来行けていない。行けるわけがない。女の姿なんて引っ提げていって、自分だと気づいてもらえるはずもないのだ。しかしだからと言って、家の中でやる用事などあるはずもない。
宗次はしばし考え、ひとつのアイデアを思い付いた。
いっそ、パトロールでもして自分を餌にしてみるのはどうだろう。ガルマディオの狙いが何かは知らないが、こんな首輪までつけて女の姿でしばりつけたのだ、何かコンタクトを試みてくるかもしれない。
ヴァイオレットアークとばったり出くわさないかだけが不安要素ではあるが、あれにいつまでもびくびくしているのも癪だ。
「出て……みるか」
宗次は意を決すると、首元を隠せる上着を羽織って外へと向かう。
それが大きな間違いであるともしらずに……。
―――二時間後。
あてどなく街を歩いていた宗次は、何度目かのナンパを睨みつけて追い返すと、深いため息を吐いた。
客引き、ナンパ、自称スカウト。たった二時間で下心を顔に張り付けて隠さない男どもが、真夏のハエのように寄ってくる。ガルマディオと関係があるようには思えない分、徒労感が強かった。それとも、やはりこんな格好で出るのが間違いだったか?
「平和、だしな」
近くの自販機で買った缶コーラを飲みながら雑踏を眺める。
騒ぎらしい騒ぎはなく、誰も彼もが週末を楽しんでいるように見える。何かトラブルがあるようにも思えない。なんなら、ガルマディオが毎日のようにどこかを襲撃していることさえ嘘のようだ。
デートしているカップルや、家族連れ。スケートボードを小脇に抱えた青年たち。暖かく平和な光景を見ていると、宗次はなぜだか胸にもやもやとしたものが溜まっていくのを感じるのだった。嫉妬でもしているのだろうか。
「くだらねえ」
空き缶を投げ捨て、くさくさした気分で歩き始める。大通りは一通り見て回った。問題らしい問題はなさそうだし、仮にガルマディオの連中が紛れていたとしても表立って問題を起こす気はないようだ。
となれば、次は裏路地。少しいかがわしい場所を当たってみるのがいいか。
そう思ってしばらく歩くと、ピンクの看板を掲げた雑居ビルが乱立するエリアに迷い込む。見てわかる通り、風俗店の多い場所だ。まだ日が高いため、どこも営業はしていない。目に付くのは、軒先を掃く店員らしき女性ぐらいのもので―――。
ふと、箒を手にして黙々と清掃をしていた女性が顔を上げ、宗次を見た。宗次の方は何事もなくスルーしていこうとしたのだが。
「あの、そこのあなた?」
「ああ?」
不機嫌全開で振り返った宗次は、思わず後ずさった。さっきまでそこで箒を持っていたはずの女がすぐ目の前にいて、肩を力強くつかんできたからだ。その眼つきは妙に熱っぽく、宗次の顔を凝視している。
ぞっと嫌な予感が背筋を駆けあがった。
「は、離せ!」
反射的に距離を取ろうとするが、女は宗次を逃がそうとしない。力が強い―――いや、宗次が弱くなっているのか?
女は万力のような力で宗次の肩を捕らえたまま、顔を近づけてくる。その眼に上着のガードをすり抜けた首輪のパルスが注がれているのは、女自身ですらあずかり知らぬことだ。
「可愛いわね。どこから来たのかしら。歳は?」
「なんでもいいだろっ! 離れろ!」
「背はかなり低いけど、二十歳くらいよね。よし」
抵抗などないかのように、女は力尽くで宗次を店へと引きずり込んでいく。この流れはヴァイオレットアークの時と同じ。そう察した宗次は必死に逃げ出そうとするが、非力な体はあえなく連れ込まれてしまった。
わけも分からぬまま引きずり込まれたのは、ラブホテルの一室に似た豪奢な部屋だった。壁紙や絨毯は桃色で、不思議と甘い匂いがする。壁際に置かれたベッドはやけに広い。そういう事情に疎い宗次であっても、ここが何をする場所なのか―――これから何をされるのか、容易に想像がついた。
そして、嫌な予感はすぐに現実となる。激しく暴れる宗次をものともせず、女は手際よく服をはぎ取ったのだ。
「ってあなた、ブラもつけてないじゃない! 下着も男物だし、なに考えてるの!?」
「うる、せえ! 服返せ!」
真っ赤になりながら手を伸ばすが、ぽいと後ろに放り投げられては届かない。空振った勢いのまま女の腕に飛び込む形になった宗次は、首輪以外何も纏わない姿のままバスルームへと連れ込まれた。
肩を押さえつけられて風呂場の椅子に座らされ、髪やうなじの匂いを嗅がれる。鏡に映ったサンダーソニアの顔が真っ赤に染まっているのを見て、急激にいたたまれなくなった。これではヴァイオレットアークのときと同じだ。
「少し汗の匂いがするわね。お風呂入ってないでしょう」
「なんでっ……お前にそんなこと……!」
「はい、その言葉遣いもだーめ。これはみっちり調教してあげないといけないわね」
そういう女の目は妙に怪しく、理性的とは思えない輝きを帯びていた。
宗次は改めて怖気を感じる。先のヴァイオレットアークといい、この女といい……まさか、ガルマディオに操られているのか?
だがそんなことを考える暇もあればこそ。いつの間にか服を脱ぎ捨てていた女はシャワーヘッドを手に取り、宗次に心地よい温度の湯を被せた。
「ぶっ……!」
「こーら、暴れないの」
長い髪を丁寧に洗われ、頭皮をもみ込むように撫でられる。口にシャンプーが入るため、子供扱いに文句を言うこともできない。
目をつぶり、じっと耐えていると、女の手はボディソープを手に取り柔らかで平坦な体に塗り始めた。
「んっ!?」
宗次の体がびくっと跳ねる。腹、脇腹、背中……ヴァイオレットアークに触られたのとは別の場所から、びりっとした甘いしびれが噴き出してくる。ただ撫でられているだけなのに、この感覚は―――。
本能的がまずい、と警鐘を鳴らすよりも早く、女の手が脇をくすぐる。宗次の体は縮こまり、軽く硬直した。
「この辺、まだ慣れてないのかしら? 大丈夫、すぐに開発してあげるから」
「かい、はつ……? ふぅっ! や、やめろ……! もういいだろっ……!?」
「ま・あ・だ❤」
楽しげに弾んだ声が耳元で聞こえ、生暖かい息を吹きかけられる。首を動かして逃れようとすると、両乳首をきゅっとつねり上げられた。
「んんんんんんんっ!」
喉奥からほとばしる自分の声が甘ったるい。その事実を受け入れたくなくて、折り曲げた人差し指をくわえて強く噛む。堪えようと目をつぶると、獣のような鼻息が聞こえてきた。さらに、股間を優しく愛撫される感触。
ぎゅっと内股になって女の手の温度に耐えようとすると、下腹部の奥がきゅんと縮まり、股間に熱いものがこみあげてくる。その感覚は覚えのある、しかし忘れようと努めていたもので―――。
「んっ……ん――――――――――っ!」
びくっ、ぷしゅっ。股間からシャワーとは別に熱い水気が噴き出す感触がした。何か大切なものが絞り出され、霧散していくような感覚が。
前かがみになって身を震わせる宗次に、女は少しやりすぎてしまったかというような顔をしながらシャワーの温水を優しく振りかけていく。
宗次はバスタオルで体を拭かれ、ドライヤーで髪を乾かし終えるまで、その姿勢のまま打ちひしがれて動けなかった。