「ほんと大掃除で疲れたわ~!」
甘露寺がふぅっと息をつきながら、赤い和柄の膝掛けを羽織る。居間の座卓にはみかんが山積みで、テレビからは年末特番の賑やかな声が流れていた。
俺は湯気の立つお茶を運びながら苦笑した。
「君が張り切りすぎるからだよ。俺、ほとんど見てただけだし……」
「だって初めてだもの! 好きな人と一緒に年越すの!」
そう言って彼女が肩をすくめた瞬間、ピンクの後れ毛が首筋を滑る。冬の陽射しが照らした白い肌に目が吸い寄せられてしまう。
午後九時過ぎ、窓の外は完全に暗闇。除夜の鐘を待つ静けさの中、甘露寺がこたつから身を乗り出した。
「あのね明義くん……このあとどこ行く? 神社?」
「いや、どうせ混むだろうし家でまったりしよう。君こそ初詣行きたいんじゃないのか?」
「ううん。私は……ここがいい」
テーブルの上で重なった手。彼女の指先がかすかに震えている。
「……年越しそばだけ食べて、早く眠くならないようにしようぜ」
「ふふっ、それじゃまるで子供みたいじゃない」
二人で並んでキッチンへ向かう。蕎麦のゆで汁の立ち上る蒸気が頬をぬくめて心地いい。
背後から伸びた腕が腰に絡んだ。
「ねえ……今夜は私が作ってあげる。だから味噌汁だけ任せちゃダメ?」
「君の方が料理上手いだろ。俺なんてせいぜい玉子焼きくらいしか——」
「だーめっ」
甘露寺が背中で小さく揺れた拍子に耳朶が触れ合った。熱が伝播して首筋まで火照る。
「今日は夫婦らしいことしてみたいの」
低く落とされた声にドキッとした瞬間だった。コンロの火がパチッと跳ねてガス臭さが鼻をつく。
「……わかった。じゃあ一緒に作ろう」
振り返ると甘露寺の大きな瞳が潤んでいる。
「ありがとう。わたし嬉しい」
台所の蛍光灯が二人の影を床に長く引いた。
そばが出来上がり、小さな丸盆に盛ったつゆ椀を二人で持ち上げて乾杯代わりにする。
「あけましておめでとう」
「まだ十二時前だぞ」
「もうすぐよ。カウントダウンまで十分しかないじゃない」
箸をすすめる音だけが響く室内。カーテンの隙間から雪のような冷気が忍び込み、甘露寺の吐息が白く広がった。
俺は内心の焦燥を隠しながら言った。
「あのさ……本当にいいのか?」
意識を取り戻したのは朝方のことだった。窓辺から差し込んだ朱金色の曙光が目に刺さる。気づけば私達はベッドから抜け出し素裸のままリビングに佇んでいた。
「きれい……」
甘露寺の唇からこぼれた言葉が空中で結晶化する。雪化粧を施された庭園を染める暁の輝きはあまりにも眩しく──昨晩暴れた獣性など夢だったのではないかと思わせるほど清浄な風景だった。
しかし記憶は確実に刻まれている。彼女の腿についた鬱血の印。僕の腕には彼女が強く掴んだ痕。全てが昨夜の饗宴の証拠品だ。
「初日の出っていうより……初勝利だな」
冗談半分に言うと甘露寺は破顔一笑する。頬に残る紅潮は日の光だけでなく快楽の名残だと悟った途端、下半身に血液が集まるのを感じた。
「また……しましょう?」
甘露寺が腰を押しつけてくる。昨日あれほど放精したはずなのに肉体は即座に反応してしまう。淫靡な誘蛾灯のような存在。
「まだ足りないのか?」
「うん……もっと欲しい。あなたのこと全部ちょうだい」
抱擁すると甘い蜜柑の香りと共にアルカリ汗の匂いも混ざる。
三ヶ月が過ぎた頃だろうか。夕暮れの病院街路樹の下で医師から宣告を受けた甘露寺の姿が忘れられない。
「おめでとうございます。およそ五週ですね」
診察室から出てきた彼女の表情には喜びと不安が渦巻いていた。エコー写真の紙片を大切そうに握りしめる指先が小刻みに震えている。
「本当に……できたの?」
「ああ、よくやった」
思わず口走ってしまった。呪いからの解放という打算的な動機があってこそ成し遂げられた奇跡だと知っていながら。
帰り道の公園ベンチで彼女が突然泣き崩れた。
「この子のために生きていけるんだって思うと怖い……もし何かあったら……」
産科医院独特の消毒薬臭が漂う中で聞こえる嗚咽。僕は黙ってその背中をさすることしかできなかった。これが親になるということか。