翌朝、珍しくやまやんよりも早く起きて無意味に彼女の顔を眺めていると、目を覚ました彼女が寝ぼけ眼から覚醒した証として顔を真っ赤に染めて布団の中に潜り込んでしまった。
そこから僅かに顔を出して目だけで俺を睨みつけてきたのでからかってやったらまた閉じ篭ってしまった。
暫くそんな遊びをしていると時間に気づいたのか布団を飛ばして立ち上がったやまやんが慌てて着替え始め、俺の存在に気づかないらしく下着姿になったところで声をかけると悲鳴を上げてしゃがみ込む。
とりあえず一枚その姿をわざと音を聞こえさせる様に写真を撮ると凄い勢いで飛びかかってきたので組んず解れつの展開に発展、思わず胸を堪能しとうとう遅刻となったやまやんが泣きながら部屋を飛び出した姿を見送った俺は悪くない。
今日はどうやら職員会議があるらしく普段よりも早く行かなければならなかったらしい。
可哀想なやまやん、夜に帰ってきたら俺が慰めてあげよう。
時計に目を向ければ生徒が登校するにはまだ早く、かと言って先程のプチ情事で眠気なんてものも吹っ飛んでしまった。
なのでこの時間を有効に使う為に、今日行うべき行動をシミュレーションすることにしよう。
セシリア・オルコットと交流を持つ為の算段を。
昨晩思い浮かんだ作戦を更に練り込む。
一夏、友人として君を存分に使ってあげようじゃないか。
教室に入る。
少し時間が早かった様でクラスメートの姿はちらほら。
そんな中目立つ金髪が一つの机に見えた。
セシリア・オルコット、彼女だ。
早めに登校してきたのは何も暇だったからじゃない。
お嬢様な彼女のこと、遅刻は元より始業時間ギリギリに来る事も無い。
そんな根拠を胸に登校すれば案の定発見出来、廊下側の席から立ち上がり教室から出て行く時すれ違い様に挨拶してくるクラスメートに返しながら自分の席に鞄を置き、そして椅子には座らず再び歩き出す。
目指すは彼女の席。
「おはよう、セシリア・オルコット」
声をかけると、彼女は俺の存在にようやく気付いた様で顔をこちらに向けた。
「あら、御機嫌よう。こんな朝早くから私の席に来て挨拶だなんて、日本のお猿さんは早速媚を売りにでも来ましたの?」
対外用の綺麗な笑み、だがその瞳は完全な蔑みを孕んでいた。
直情的な一夏なんかはすぐさま激昂するだろうが、彼女の生い立ちだけは知っているだけに怒りというのは不思議と沸かない。
それに、こんな感情をぶつけてくる相手をいずれ組み敷くなんて考えると興奮すら覚える。
セシリアに対し笑みを返した。
「ああ、そんなもんだ」
そう言った瞬間、セシリアの視線の温度が一気に下がった。
それはもう相手に対して出してはいけないほど露骨に。
「……では、そんな人間としてのプライドすら無い貴方は一体どんな媚を売りに来たのかしら?」
ごめんなさい人間ではなくお猿さんでしたわね、そう言葉を締めて笑みを浮かべた。
嘲笑、それが彼女の浮かべた笑み。
ある種誘って浮かべさせた表情だから気にはならないが、早い所話を進めないと他のクラスメートにセシリアとの雰囲気を悟られては今後の展開に不備が生じる可能性がある。
「休み時間、ちょっとこの猿に時間をくれないか?」
場所はどこでもいいから、と頭を下げる。
頭を上げずに反応を待っているがすぐには返ってこなかった。
すぐ否定か嘲り等の返事が来ると思い下げた頭だが完全にタイミングを外し上げるに上げられない。
「……そこまで言うのなら一回だけ、チャンスを上げますわ」
少しして返ってきた返事は予想外の肯定。
思わず顔を上げるとそこには腕を組みやや目を細めた彼女の姿。
もう少し手こずると思っていただけに些か拍子抜けした様な感じはあるが、望んだ答えのため話を進めようと口を開く。
その時、教室の扉が開く音が聞こえた。
顔を向ければ恐らくクラスメートだろう女子生徒の姿。
二人しか居なかった教室、人が増えて来てしまったためこれ以上の話は無理か。
「ありがとう、休み時間にまた声かけるわ」
そうとだけ伝えて自分の席に戻る。
それからすぐに他のクラスメートが続々と登校し、その中に一緒に登校してきた一夏と篠ノ之の姿を見つけた。
特に挨拶しようとは思わなかったが生憎と一夏がこちらの存在に気づいてしまい、席に鞄すら置かずそのまま一直線に俺へと向かってきた。
その後ろには不機嫌全開といった篠ノ之の姿。
「早いな、ハチ」
片手を上げながら笑顔で話しかけてくる一夏はあまりにも爽やかで流石イケメン、腹立たしいことこの上ないぜ。
「おはよう一夏」
そうとだけ返し、僅かに視線を篠ノ之へと向けた。
見計らったかの様に目が合う篠ノ之。
眼力が増した。
「おはよう、篠ノ之」
彼女にも挨拶。
「……一夏、先に席に戻ってる」
何となく想像はしていたが案の定のスルー。
「箒! なんだよ、挨拶くらいちゃんとしろよな」
去る篠ノ之に不満の様に零した一夏の言葉に彼女は一度肩を震わせて立ち止まったが、すぐに再び歩き出した。
「悪いなハチ、なんか箒のやつ昨日からあんな調子なんだよ」
頭をかきながら、席に座った篠ノ之を見ていた一夏だが予鈴のチャイムが鳴り慌てて自分の席へと戻って行った。
一時限目の終了を告げるチャイムが鳴り響く。
やまやんの声で教室の雰囲気は一気に休み時間モードに早変わり。
一言たりとも分からない言葉の羅列に暇疲れし机に突っ伏したい衝動に駆られるが、今だけは休む訳にはいかない。
席から立ち上がり歩き出す。
向かうは朝と同じ場所。
「セシリア・オルコット、いいか?」
告げるは単語。
彼女もその内容を理解しており、小さく息を吐いてから立ち上がる。
それ以上は何も話さず踵を返し目指すは廊下。
「おいハチ! そいつとどこに行くんだよ!」
そこに聞こえた厄介な声。
流石は主人公ボイス、それまでこちらに気づいていなかったクラスメート達も皆、一同に顔を向けてきた。
「ちょっと彼女と話があってさ、少し席を外すよ」
仕方なしに足を止めて一夏に返す。
俺の言葉に一夏は答えず黙って俺を見てくる。
「……もしかして蜂谷くん、セシリアさんに降参するんじゃない?」
静寂とした教室に響いた小さな声。
それは直接話しかけられた声ではなく、まるで近くにいる者にだけ聴こえる様に言ったかの様な言葉。
その声が起爆剤になりあちらこちらから直接話しかけられない声が上がり始める。
「ひょっとして土下座でもしたいけどここじゃ恥ずかしいから二人きりになりたいのかも」
「うわっ何それ、ちょーかっこ悪くない?」
「昨日のあれもハンデとか言ったのって皆の前だからって強がっただけじゃない?」
「これだから男って見栄だけは張りたがるから嫌よねー」
直接は言われずとも聞こえてくる辛辣な言葉の数々。
目の前にいる一夏の顔しか見ていないが、彼の表情は時間が経つほど明確に歪んでいった。
「……どうなんだよ」
かけられた声は言葉足らず、非常に抽象的なもの。
しかしその意味ははっきりと認識できる。
好き勝手言っているクラスメート達の言葉の真意。
嘘は、冗談は許さない。
そんな真剣な顔の彼に返す言葉は、今の俺には一つしかない。
「想像にお任せするよ」
昨日の篠ノ之の様に返し、再び静まり返った教室内を出るために歩き出す。
目的の彼女、セシリア・オルコットだけは何も言わずただ俺に続いて歩いてきてくれた事に感謝しながら。