(1)
カラン………………
土曜の晩。俺は行き付けのバーのカウンター席で一人、物思いに耽りながら細々と酒をあおる。
無論俺みたいな奴がこんなオサレな所に一人で通ったりはしない。普段はもう一人同じ酒の席を共にする人物が居るのだが、今日は来るのが少し遅れるとの連絡が入っている。
まぁ別に一人なら一人で身の置き様はいくらでもある。店の広さはそれなりだし、週末ということもあってか客の出入りは激しい。だから俺がここにどれだけ長居していようとも誰もこちらを気に留めたりしない。
…………一人で居ることにも、もうすっかり慣れたモンだ。
「おかわりの方、どうなさいますか」
カウンターに立つマスターが洗浄したグラスを布巾で拭きながら静かな声音で問うてくる。彼の言葉にハッとなって自身の手に持つグラスに目やると酒が底をつきそうだった。
「……貰います」
そんなことすら気が付けない程に惚けきっていたのかと自分自身恥じると共に、接客業とはいえ彼の然り気無い気遣いに感謝の意を覚えた俺は僅かな笑みを表情にのせながら返答する。
「かしこまりました」
マスターは朗らかな笑みを顔に浮かべると傍らに置かれたボトルを手に取って俺の持つグラスに酒を注いだ。
俺は注いでもらった酒を礼とばかりにちょいと一口飲むと、先程頭の中に巡った考えを振り返って密やかに苦笑いする。
何故、今になってそんなことを意識しているのだろうか。
俺は元々そうだっただろ。こんな何度も何度も、記憶が磨り減ってカタチが歪になってしまう程に思い返してはいけない。
そう………夢現のままで居られる現実なんて、何処にも在りはしないのだから。
「あのーすみません。………いまイイですか?」
不意に背後から声がかかる。はてな、と思い目先のマスターの様子を伺うも、彼の意識は其方へは向いていない。偶然にも今俺の両隣の席は空席の状態。となるとこの声は俺へのアプローチなのかもしれない。
仮にそれが勘違いだったとしても、身体のコリを解す動きであるかの様に振る舞えば良いだけのこと。
俺は後ろを振り返る。すると今にも俺の肩に手を置かんとする女性の姿が間近にあった。
「わぁっ! ....ビックリした」
明るい髪色の女性はそう言って軽く後退りしてみせた後パッと表情を変えて照れくさそうに笑った。年の頃は俺と同じくらいだろうか。初めて見る顔ではあるが、彼女の反応には何処か懐かしさを覚える。
「……どうかしましたか」
「ああいえ、こっちから声をかけておいてビックリしただなんて失礼ですよね。ごめんなさい」
「はぁ……まあ、そういうのには慣れてますので」
大学に入って周囲の人間の年齢層が高まったおかげか最近はそういった声を聞く機会は減ったが、俺の耳には未だに他者から受けた蔑みの声がべっとりと染み付いている。
まあ目の前のこの女性に関して言えば、単に相手側の過剰な反応と見て取れるから気にならない。
「そうですか? よかったぁ」
女性は俺の言葉にほっと胸を撫で下ろす。陰気じみた俺の応答に物怖じする様子のない彼女の態度に俺は何だか肩透かしをくらった気持ちになる。
「ところで、今日はお一人ですか?」
んんっ、と軽く咳払いしてから女性は話を切り出す。何気ない会話の移り変わりの様に思えたが、俺はここで僅かな違和感を覚える。
「?………そうですけど」
「よくココに飲みに来られてますよね? もう一人、お連れの方と一緒に」
「えっ、あぁ……月に何度かはこうして飲みに来てますね。……ツレと一緒に」
………成る程そういうこと。突然話しかけて来られたから何か思えば、元から目を付けられてたって訳ね。
彼と一緒にいる機会が増えたせいか度々こういった手合いが俺に対して接触を仕掛けてくるようになった。何を考えているかは知らないが、そんな回りくどいやり方をして当の本人が良い顔をする筈がない。
それを分かっていながら斡旋まがいの行為をするのはまっぴら御免だ。ここは無難に対応してお引き取り願おう。
そう考えて口を開こうとした時、目の前の彼女がパチンと手を叩いて一層その表情を明るくした。俺はそんな彼女の振る舞いに思わず呆気に取られる。
「あーやっぱり! いやぁ、あたしは最初気が付かなかったんですけど、彼女があなたの姿を見かけたって言うから……」
そう話す彼女の眼差しはいつの間にやら他所の方へと流れており、間を空けず彼女は自身が視線を送る先に向かって手招きしてみせた。彼女の思惑が読み取れず、依然として呆気に取られたままの俺は何気無しに彼女が手招きした方へと顔を向ける。
するとそこには一人の女性が佇んでおり、女性の手招きを合図にゆっくりとこちらの方に歩み寄って来た。それから俺たちの側に立つと彼女は長い黒髪を手でサッとかきあげて伏し目にこちらを見つめると小さく口を開いた。
「………こんばんは」
こちらの女性も初めて見る顔ではあったが、俺は彼女の姿に目を奪われる。
艶やかな長髪、服の上からでも見て取れるくらいに豊満なバスト、スカートの丈の下から覗くスラッとした脚。チラチラとこちらの様子を伺い、ふと目が合うと顔を赤らめ俯く可愛いらしい姿。
「どうです? 可愛くないですか? この子」
明るい髪色の女性が黒髪の女性と隣り合って彼女の肩を抱く。距離感からしてこの二人は友人同士なのだろう。黒髪の女性も特にそれを払い除けたりする様子もなく口元をもにゅもにゅと動かすだけでなすがままの状態だ。
「はぁ……まあ、そうですね」
内心をズバリと言い当てられてばつが悪かった俺は飲みかけの酒の入ったグラスを手にとって口に運ぶ。
こういった時の女性の目敏さには都度驚かされる。常日頃男どものスケベ心を受けてきて耐性でも付いているのだろうか。
「でしょう? 実はこの子、ミスコンの候補に挙がったこともあるんですよー」
「ちょっと……恥ずかしいから止めて」
「えぇ? だって事実じゃん? アピらなきゃ勿体ないよー?」
「んー……それは……まあ……そうなんだけど」
黒髪の女性は満更でもない様子で口角を上げる。
ふむ……言われてみれば、確かに綺麗な顔つきをしている。ミスコンの候補に名を挙げたっていう話も与太話でないように思えるくらいには。
………あれ、さっき俺この人のどこに見惚れてたんだろ。普通は顔からだろ。何で今それに気が付いたんだ。
「そんなだから彼氏の一人も出来ないんだよ! もっと自分らしさをさらけ出していかないと。……ねぇ?」
明るい髪色の女性が黒髪の女性にそう耳打ちしつつもこちらに向けて眼差しを送る。気付けば黒髪の女性の視線もこちらを向いていた。
これだけアピールされれば流石の俺でも解る。要は男漁りが目的なんだろ。
この状況を作り出したのは彼女たちだ。これが怪しい誘いである可能性は大いにありえる。本来であれば誘いに乗る道理はない。
しかし……今の俺には背負う物がない。何がどうなろうとも最終的に痛い思いをするのは俺一人だけだ。
初対面の俺たちの間には信頼も真贋の概念もない。建前やしがらみも介さない。見えているものがあるとすれば、それは損得勘定という名の欲望のみ。
………そう考えると随分気が楽に感じる。これなら俺も自分の気持ちに正直になってみるのも悪くないかもしれない。
「そう……ですね」
チリリンッ
先に繋がる言葉を模索し、開口しようとしたその時、店のドアが開いてドアベルの軽やかな音色が店内に響いた。
客の来訪を知らせる為のベルの音に反応し、店内で酒を嗜み、仲間内で話題に花を咲かせていた客たちの意識が幾らかそちらの方に流れる。それは俺と目の前の彼女たちも同じだった。
店の出入り口に立ち、軽く辺りを見回して誰かを探す様な素振りを見せるその人物のことを俺は知っている。その人はまさに今日、俺がここで待ち合わせをしていた人物だったからだ。
彼は少しの間辺りを見渡した後、こちらの方を見定めると一瞬目を見開いて驚いた表情を見せたが、すぐにまた元の甘いマスクに戻してこちらの方に近寄って来た。
「待たせたね」
周りからの注目も、女性連中から浴びせられる好意的な眼差しもまるで気に留めず、俺のことを真っ直ぐ見つめて一言そう告げた彼の名は、葉山隼人。
「ああっ……実にいいタイミングだこと」