※この作品はR-18です。

継母の連れ子が元カノだった、いまは僕の父親とヤってる   作:大中小太郎

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十八夜目・前編(非エロ)

 

 

 

中国の故事で夢といったら『胡蝶の夢』が有名だが、もう一つ夢にまつわるものに『邯鄲の枕』というものがある。

 

とある若者が貧しさを嘆いて、道士に相談した。

道士は夢が叶うという枕を差し出し、若者は早速それを使ってみた。

すると若者は出世して妻をもらい、時に挫折を味わいながらも、一国一城の王にまで上り詰めて、老いて死んだ。

そうしてふと目覚めると、道士にもらった枕で目が覚めていた。

全ては夢だったのだ。

若者はこれにより栄枯盛衰の必定を学んで欲を捨て、道士に枕を返したという。

 

大昔の夢オチだ。

芥川龍之介あたりはこの故事における若者の殊勝さが気に入らなかったのか、

一部を書き換えた『黄粱夢』という話を書いているけど……僕は別の意味で疑義を呈したい。

 

――そもそも若者は、なぜ怒らなかったんだろうか?

 

人生を丸ごと一つ、老いて死ぬまで体験させられて、はい夢でした栄枯盛衰だね。

道士様は人をなんだと思ってるんだと、胸ぐらを掴んで問い詰めるべきではないか。

だってそうだろう?

たとえ夢だったとしても、そうと知らなかった若者にとって、その人生は本物だった。

奥さんや子供や孫ができたことも、苦労して出世したことも、その仕事ぶりも。

それら全部、一炊の夢だったと言われたら?

妻子へ抱いた愛は? 流した汗と涙は? 一生に費やした精神力は? どこへ行くというのか。

 

そう考えると、これはちょっとしたホラーだと思うのだ。

もし、僕らの人生が『それ』だとネタばらしされたら。

僕らは、残りの生涯をどう生きればいいのだろう。

勤勉でいられるだろうか。人を人として尊重できるだろうか。

現実でないならと欲望を追求しても、それが結局夢に終わるなら、追及する価値はあるのか。

一炊の夢で終わると分かっている夢に、何を見出せというのだろうか。

 

 

○

 

 

父を殴った。

殴った感触で、これが夢の中であることを悟った。

握った拳に痛みがないし、感触も鈍い。

しかし父はソファーの上で仰け反り、倒れかける。

荒い息をついた僕は、もう一度拳を振りかぶった。

こいつがこれまでしてきたことを思えば、一発で満足なんてするものか。

 

「――っ!?」

 

しかし、その腕は止まった。

父を殴ることをためらったわけじゃない。

 

「……なんだよ、男らしいこともできるじゃないか」

 

こちらを向いた父の顔が……ひび割れていたからだ。

割れかけた卵のように、陶器人形であったかのように、顔に亀裂が走っている。

亀裂からは黒い靄のようなものが生じており、僕は幽霊を前にした気分で後退した。

 

「な……なんだよ、お前……」

 

改めて考えれば夢の中なのだから、このくらいの怪奇現象は起こりうる。

でも、これまで見てきた夢に、そういう露骨な不条理はあまりなかった。

あまりに異質だ。

僕が夢で見てきた人物の中で、まるで父だけが、人間ですらなかったかのような光景だ。

 

「なんだと来たか……いい加減、その曇った目を何とかしてくれないか?」

 

父がうんざりしたような顔をすると、僕に殴られた片頬からひび割れが広がっていく。

 

「お前はいまだに、僕が『父さん』に見えてるんだろ?」

 

声がおかしい。よく知る父の声が、誰か別のものに変わっている。

誰の声なのかは分からないけど、聞き覚えがある気もした。

 

由仁さんの言葉が思い出される。

 

『あの人は――峰くんじゃないと思う』

 

由仁さんは確かに、そう言っていた。

てっきり何かの錯乱かと思っていた。

思えば僕は、なぜか、その可能性を真剣に検討しなかった。

その先に推測される答えから――目を逸らそうとするように。

 

(こいつ……父さんじゃ、ない……!?)

 

僕の気付きを肯定するように、ひび割れが顔の中心を越えて、逆側の耳まで達する。

亀裂から立ち上る黒煙めいたもの。霧状になった『影』が漏れ出ている。

 

(待て……こいついま『父さん』のことを……『父さん』って……)

 

いまの『父さん』は、他人の父親を『お父さん』と呼ぶニュアンスじゃなかった。

僕の父、伊里戸峰秋を、『父さん』と呼んだのだ。

そんな呼び方をする人間……それこそ父さんに隠し子でもいない限り、一人しかいない。

 

(嘘だろ……だって、そんな、まさか……っ)

 

バキバキッ! と、僕が思い至るのと同時に、父さんの亀裂が喉を越えて全身に広がる。

服の上にまで蜘蛛の巣状に広がった亀裂は、臨界点を超えたように――破裂した。

被っていた父の皮が砕け散り、黒い靄に包まれた人影が、僕を見据える。

 

「…………っ!!」

 

黒い影の中に垣間見えた顔付きに、僕は声を失った。

 

「なに驚いてるんだ? ここは夢だし、漫画とかでよくあるだろ? こういう展開」

 

中肉中背で、長くも短くもない髪型。

目立つ特徴を避けているかのような、僕と同い年くらいの少年。

顔立ちを目にしたときの感想は、あれだ……証明写真などを撮ったときの感想に近い。

それが、自分の前で動いて喋っているというのは……ひどく、脳の混乱を招く光景だ。

 

「『精神世界で自分自身と対面する』なんて、すっかり手垢のついたイベントじゃないか」

 

声に妙な聞き覚えがあるのも納得だ。

人が自分の声を耳で聞くときは骨導音が混じるため、録音などで気道音だけを聞くと、まるで別人の声に聞こえる。

夢の中だというのに、そんなところを現実的に再現するとは思わなかった。

ああ、つまり……認めたくない光景を、頑張って言葉にすると……

 

「喜べよ、伊里戸水斗――今夜のお前は、そういうお話の主人公だ」

 

僕が。

鏡で見る顔が。

伊里戸水斗が――ソファーに腰掛けて、性格の悪そうな笑みを浮かべていた。

 

「あ……あぁ……っ」

 

僕は大事なことを忘れていた。

 

――夢には、意思がある。

――時に『悪意』としか受け取れないような、意思があるのだと。

 

 

○

 

 

「嘘だ……っ」

 

衝撃のあまり後退した。

取り返しのつかない失敗をしたように、両手で頭を抱える。

 

「やめろよ。冗談は止めろ。漫画じゃないんだぞ……」

 

対面席で、底意地の悪い笑みをした『僕』が、足を組んでいる。

 

「おいおい、その『フィクションあるある』のシーンだって、ちゃんと心理学に基づいた描写なんだぞ?」

 

小馬鹿にしたような口調が腹立たしい。

ああ、でも、そういう捻くれた態度やものの言い方は、いかにも僕らしい。

人を小馬鹿にするとき、僕はああいう顔をしているのか。現実で結女がよく怒るわけだ。

 

「ユング心理学の元型論で言うところの『影(シャドウ)』だよ」

 

『僕』が語り出す。

 

「人間誰しも表裏がある。

 明るい奴の裏に繊細さがあったり、大人しい奴が激情を隠していたりするあれだ。

 表には『ペルソナ』があって、裏に溜め込んでるものを『影』と呼ぶ――あのゲーム、面白かったよな」

 

いかにもオタク系の僕が披露したがりそうな、心理学のワードだ。

創作で広く知られた概念だが、人間には誰しも、目を背けてきた自分の『裏面』がある。

それは、その人が許容できなかった感情や欲求の塊だ。

僕ら人間には清濁を問わぬ感情や欲求があり、それらのうち、どれを許容して表に出すのか取捨選択することを『性格』や『人格』と呼ぶ。

ほぼ必然のこととして、ひとつの性格が全ての感情を汲み上げることはない。

その人なりの好悪や倫理によって、これはダメだと追い払っている感情が多数ある。

ユング心理学ではそういうものを『影』と呼ぶ。

人の心にはそういった、臓器と同じような『構造』があるのだ。

 

「表人格から排除された『影』は、夢の中に表われやすい。

 夢に出てきた同性は、大抵その人の『影』だ」

 

そう、ユング心理学の基本理念は自己との対話、そして自己との接点に『夢』を挙げる。

例えば、夢の中に同性が現れて、かつ自分とは違う行動や欲求を示していたとき――

それは大抵、自分が抑圧してきた感情の具現化だと解釈される。

『自分』から排除された感情だから、自分以外の姿を取って表われるのだと。

 

そういう、二重人格のような『もう一人の自分』が、夢の中には垣間見えるのだ。

 

「だ……だとしても! お前がそうだっていう保証はない!」

 

そう、そうだ。

それが『ありうる』としても、目の前にいる僕がそれだとは言い切れない。

 

「なんだ? どこかからやってきた悪魔か何かだとでも言うつもりか?」

 

面倒臭そうに溜息をついて、『僕』はこう続けた。

 

「台風の日、結女と同じベッドで寝た。

 父さんの帰省先で、結女に『シベリアの舞姫』を読ませた。

 中学の頃、部屋に呼んだ結女と『君の膵臓を食べたい』を二人で読んだ」

「……もういい」

 

僕と結女しか知らないはずで、かつ結女が吹聴するとも思えないことだった。

認めざるを得ない。

少なくともこいつは、僕と記憶を共有する、僕と密接な存在なのだと。

 

「お利口さんで結構だよ」

 

喉の奥で鳴るような笑い声が、異様なほど不愉快だった。

僕がこいつを嫌悪しているように、こいつも僕を嫌悪しているのかもしれない。

それがかえって、こいつが『僕』であることの信憑性を高めている気がした。

もう認めるしかない。この不愉快な少年は――

 

「人生でこういう台詞を使う日が来るとは思わなかったよ――君は僕で、僕は君だ」

 

紛れもなく、もう一人の僕だった。

 

愕然とした。

だとしたら、いままで僕は、なにを見てきた?

僕の目には、自分の父親が、元カノや親友を手籠めにしているように見えた。

 

でも、実際に起きていたことは?

父さんだと思っていた男が、もう一人の僕なのだとしたら……

 

寝取られてなどいなかった、奪われてなどいなかった。

僕は傍観者でもなく、ましてや被害者でもなかった。

 

いままでのこと、全部……

全部……『僕がしていたこと』ということになるじゃないか……っ!!

 

「な……なら……父さんは……」

 

僕がいままで見てきた父が、こいつの化けた姿だとしたら……

本物の伊里戸峰秋は、どこに居たのだろうか?

 

「父さんは、この夢を見ていない」

「っ!」

 

失念していた可能性を口にされて唖然とする。

 

「そもそも、伊里戸家の全員が『こっち』に来るって決まりもなかっただろ?」

「それ、は……」

 

そうだ。南さんの行った『おまじない』による、夢の共有だ。

伊里戸家の全員に対して、等しく同じ影響を及ぼすとは限らない。

なら、最初から夢の世界に来ていないなんてことも、充分にありうる。

 

思えば、この夢を見る条件が『伊里戸家に来たこと』だとすれば、それこそ宅配業者やご近所さんにだって、条件を満たす者はいる。

つまり、伊里戸家に関わる人間が全てこの夢を見るわけじゃないのだ。

 

「考えてもみろ。もし父さんだとしたら、おかしい振る舞いは沢山あっただろ?」

 

『僕』に促されて、これまで見てきた『父』を思い出す。

 

そう……思い出してみれば、父の結女に対する執着は異常だった。

あれが本当に父で、夢の中で本性を発露させていたのだとしても、不自然だった。

 

例えば――もし父だったとすれば、最初に手を出す女は『由仁さん』ではないだろうか?

だって由仁さんは父の妻、父にとって『俺の女』だ。

現実で妻として獲得しているから、夢の中でまで執着する必要はなかったとしても、密接さを考えれば由仁さんに関する感情から先に垣間見えるはずなのだ。

 

いさなに手出ししたのもおかしい。

父にとっていさなは、いさなが家に来たとき、たった一度話しただけの『息子の同級生』だ。夢に見るほどの執着心を抱くには薄い接点だろう。

南さんに至っては、現実世界でも出会ったこともないのではないか。

 

そして……心情的にはこれが一番の決定打なのだけど……

 

(母さんのことに、一度も触れてない)

 

伊里戸河奈――僕の産みの母親、父の前妻。

 

僕を産んですぐ他界したから、僕は遺影でしか知らない。

でも父さんにとっては死に別れた妻、心に深く残っているはずの存在だ。

夢だから死人が現れるとは限らないが、父の口から何の言及もないのは不自然だ。

現実ではおくびに出さないことが表に出るのが夢だとすれば、なおのこと、父は亡き妻への思いを吐き出すはず。息子である僕の前では弱音を吐けなかっただろうし、再婚した由仁さんにだって前妻への感情は吐露しにくいだろうから。

 

でも……父ではなく『僕』だったというなら、納得できる。

だって『僕』は、母さんのことを知らないのだから。

夢に見るほどの情報や心証すら、この心の内にはないのだから。

 

『その人が知っているはずのことを知らず、その人が知らないはずのことを知っている』

 

漫画などで偽物を見抜く際に根拠となるような違和感が、『父』にはたくさんあった。

それもそのはずだ――父さんではなかったのだから。

父さんの皮を被っていた、もう一人の僕だったのだから。

 

「だとしても……だとしてもっ!」

 

頭を抱えていた手を離して、『僕』を睨み付ける。

 

「なんで、あんなことをしたんだ!

 仮に、お前が僕だとしても! なんで結女をっ、由仁さんやいさなをっ!」

 

僕の糾弾に、『僕』は呆れたような顔をした。

 

「やっと『理解してきた』と思ったら、まだそんな段階なのかよ」

 

僕を見据える『僕』は、僕の無知とは別のものを咎めているように見えた。

分かっている答えを認めたがらない、そんな姿を恨んでいるように。

 

「みっともないもんだよな。目の前の答えから目を逸らしてぴーぴー喚く自分の姿って」

 

ソファーの背もたれに片腕を乗せて、『僕』がうんざりした様子で言葉を続ける。

 

「なんで結女を押し倒したのか? なんでいさなの胸を貪ったのかって?

 それ『なんでか』なんて聞く意味あるか? 男なら当たり前のことだろ」

 

もう一発ぶん殴ってやろうと腰を浮かせると、

 

「『僕たち』が、そうしたいと思っていたからだ。

 つまり、お前が、心の奥底で望んでいたことだったからだ」

「っ、違う!」

 

思わず叫ぶ。

頭の中では分かっている。でも否定せずにはいられない。

父が……いやこいつが、結女やいさなに何をしてきたのか、ずっと見てきた。

あんなおぞましい性欲を、僕が彼女らに向けていただなんて、認められるはずがない。

 

「あのなぁ、そもそも人の心ってなんだと思う?」

「…………」

「なんか妖精さんが神様のところから運んできた神聖なものだと思ってるのか?

 性欲は汚いもので、人間のハートはそれとは別区分のエレガントな何かだって、

 それこそ思春期の女子中学生みたいなことを本気で思ってるのかよ?」

 

そんなわけが……ない。

だって、人の心は……

 

「心はバグった本能だ。動物的な本能が複雑化したものだ。

 種を保存するための性欲、群れで生きるための愛や友情、どれも基本は本能だよ。

 身近な女の子にそれを刺激されて何がおかしい?

 夢の中でそれが剥き出しになって何がおかしい?」

 

『僕』が顎を動かすと、居間のテレビが点灯した。

 

そこに映し出されたのは――中学生時代の結女だった。

僕と初めてデートしたときの、ちょっと目のやり場に困るミニのスカートを着ていた結女だ。

 

「最初に結女を女として強く意識したのは、やっぱりこの頃だったよな」

 

どうやらこれは、僕の記憶を映像化したものらしい。

ここが夢の中で、こいつが『僕』だというなら、納得できる現象だ。

 

「結女とセックスしたい、裸を見て、ナニぶち込んで、アンアン言わせたい。

 中学生のお前がそう思ったのは当前のことだし、実際その気で部屋に呼んだよな」

 

やめろ……

僕の昔のことを、思い出さないように隠していたものを、勝手に持ち出すな。

 

「でもお前は臆病風に吹かれて、その本懐を果たそうとしていた性欲を抑圧した。

 結女との距離も遠のいて、色恋の面倒臭さもあって、リビドーは押さえ込まれる一方。

 結局は別れて、人生初の恋人に燃えた本能は、閉じ込められたまま忘れられましたとさ」

 

僕が結女と別れるまでの光景がダイジェストで流れた。

全て現実での光景だ。僕の現実での体験をデータとして、精神解剖が行われていく。

 

「なのに結女はまた現れた。前より綺麗になって、僕の家に、義理のきょうだいとして。

 客観的に見て、抑圧されていた情熱が噴き出すには充分な展開だろ?」

 

結女との生活が始まり、とあるシーンに辿り着く。

 

「決定的だったのは、この場面だ」

 

バスタオル姿の結女がいた。

結女が何を考えたのか、バスタオル姿で僕の気を惹いて困らせた場面だ。

 

「自称クールな『僕』も、これには流石にムラムラしたよな?」

 

たしかに、あればかりは、かなり男の本能を刺激されてしまった。

 

「さて、ここで思い出してみよう――この夢で『僕』が最初に結女を抱いた状況は?」

 

どんなってそれは、忘れもしない。

あのときは父に見えていたこいつの前に、結女が――『バスタオル姿』で――

 

「っ!」

「そう、色っぽいバスタオル姿だったよな? 『夢に見るくらい魅力的だった』もんな?」

 

夢は、現実に影響を受けていた。

この淫らな夢の、最初の夜――父がバスタオル姿の夢を襲ったあの出来事。

あれは、思い起こせば……僕が現実でその状況を体験してすぐの夢だった。

そのときの父がこいつだったというなら……

あれは正しく、僕が、伊里戸水斗が、結女にしたがっていたことだ。

つまり僕は、現実で果たせなかった欲望を、夢の中で……

 

「迫ればよかったって思ったよな? 押し倒したかったよな? 抱きたかったよな?

 あのバスタオルを剥ぎ取って、結女の肌を感じたかっただろ?

 客観的に見て、年頃の男の子がそんな風に思わなかったら、それこそおかしいよな?」

 

理解は……できる。

例えばそれが僕のことではなく、赤の他人の同年代男子の話だったら、実に納得できる。

そういう夢を見てしまったと吐露されたら、それが普通だ気に病むなと助言するだろう。

 

「結女の制服姿は魅力的だったよな? 水族館デートしたときもドキドキしたよな?」

 

ああ、していた。

そして結女でも、その現実の体験をなぞるように、父が結女を抱いていた。

説明がつく。あまりにも説明がつく。

僕の見てきた父は、伊里戸峰秋というより、伊里戸水斗の体験と欲求に従っていた。

 

「でも! だからといって……っ!」

 

それでも、受け入れがたい。

頭で理解していても、心が、感情が、『僕』の語る真相を拒絶している。

 

「だからといって? なんだよ? 言ってみろよ」

 

『僕』が弄ぶように続きを促す。

 

「結女は、そうかもしれない……でも、由仁さんは……僕は由仁さんに劣情なんて……」

「どの口が言ってるんだ? 押し倒したのは『お前』だっただろ?」

「あれは! 夢の中だったからだ! 現実では、そんな感情なんて一欠片もっ!」

 

この夢で由仁さんを押し倒したときは、正気じゃなかった。

きっとこの夢のせいで、女なら誰でもというくらいに、性獣にされていたのだ。

由仁さんには土下座すべきだが、あれをもって僕の願望だというのは強引だろう。

 

「僕たちは『お母さん』を知らない」

 

どこか寂しげな顔を口調が、僕の激昂に冷や水を浴びせた。

 

「母親を知らずに育った僕たちは、そのあたりが未成熟だ」

 

マザーコンプレックス。

母親をサンプルとして心に構築される女性像。

人生で女性との関係を構築するために必要な、人の心のパーツのひとつ。

現代では言葉そのものが恥ずかしいことのように語られがちだけど、片親家庭でその生育が不足していたり、虐待被害で歪んでしまっている人間はいるものだ。

 

「子供みたいに甘えたい、我が儘を聞いてほしい、心の波風を遠慮無くぶつけて受け止めてほしい――そういう、母親的な機能を満たしてくれる女性が急に現れた」

 

そう、父の再婚はそういう意味でも、僕にとって劇的な変化だった。

僕の意識は元カノの結女に向いていたが、無意識には由仁さんへの感情もあったのだろう。

 

「でも現実の僕らは子供じゃない。だから由仁さんにべたべたと甘えたりはできない。

 恥ずかしいし、結女から白い目で見られそうだもんな。

 でも、どこかで母親に飢えてきた心が、由仁さん何かを期待をしないはずないだろう?」

「っ! そ、それは……そうかもしれないけど……抱きたいなんて、一度も……」

「近親者とセックスする夢を見るのは珍しくない。

 未成熟な人間が性欲に駆られる時期は特にだ。

 由仁さんは、母性に飢えていた僕らの前に突如として現れた『大人の女性』だ。

 母親と女を同時に求めたところで、無意識下でのことなら不可解でもないだろ」

 

恋人に母性を見てしまう男。

なるほど、大なり小なりあるものだろう。

ああ、そうだよ、僕のことではなく誰かのこととして見れば、理解できる心理だ。

 

実際、僕の中で由仁さんという女性は、『父の再婚相手』『母親』『年上の女性』と、カテゴライズが上手く行かないところがあった。

現実では理性を尽くして『義理の母』として誠実に向き合おうとしているし、それも徐々に馴染んできているけど、深層心理でどうなっているかなんて、僕自身にも断言できない。

だから、ほんの一時、官能小説のような関係になることを思い描いたとしても、仕方の無いことなのかもしれない。

 

でも、なんだ……この、恥ずかしさは!

自分の中の幼稚さを暴き立てられたような羞恥心は。

セックスの最中に恋人のことをママと呼んでしまったかのような、凄まじい慚愧の念は!

 

「いさなに手出しした理由は説明するまでもないよな。南さんだって魅力的だ」

 

その二人については、いまさら異論はない。

いさなの無防備なスキンシップに興奮しなかったとは言えない。

南さんにしても、地味系少女にコスプレしてきたときは、正直好みだった。

 

「お前には、父さんが自分の周りの女を寝取って好き放題してるように見えてたんだろうな。

 とんだ勘違いだ。改めて言うぞ? あれは全部、僕やお前が、本当はしたかったことだ」

 

改めて明言されると、肌が粟立つようだった。

自分に性欲があることくらい、男なら誰でも知っている。

でも、例えば自分が自慰している姿を録画して大画面で再生されたら、ただのストレスだ。

たぶん、いま僕の心に起きているストレスは、そういう類のものだった。

 

「だったら……っ!」

 

僕は詰め寄って、『僕』の胸ぐらを掴み上げる。

 

「なんで父さんのふりをしてたんだ!?」

 

怒りのままに追及する。

 

「お前が僕の影や半身なのは分かったよ! 僕が結女たちに性欲を向けてたのも否定しないさ!

 でも! なら僕の姿でやれよ! 父さんの姿になる必要がどこにあったって言うんだっ!」

 

そう、あれは侮辱だ。

僕に対してはもちろん、父さんに対しても、とんだ侮辱だ。

つい最近まで父を仇のように憎んでいた自分も棚に上げて、僕は『僕』を糾弾する。

それを受けた『僕』は、心底から侮蔑したような顔をして、ソファーから立ち上がった。

 

「――望んでそうなってたと思うのかよ」

 

逆に胸ぐらを掴み上げられる。

同じ『僕』だというのに、僕よりも強い力で、爪先が浮かぶほどに。

この腕力差は、こいつが僕の中で『男性的』な側面であることが理由だろうか。

 

「二律背反だ」

 

意味が分からずにいると、『僕』は不愉快そうに続ける。

 

「お前が自分の劣情に拒否反応を示しているのと同じ理由だよ。

 否定しないと言っておきながら、お前は『僕』を自分の一部だと認めきっていない。

 結女やいさなを女として見る自分を、徹底して抑圧しようとしている――違うか?」

 

……違わない。

結女は元恋人だけど義理のきょうだいで、いさなは告白されたけど振ってしまった。

いまさら、彼女たちとセックスしたいだなんて、恥を知らないにも程があるだろう。

 

「そう、それだ。お前は、身近にいる魅力的な異性に欲情するなんて当たり前のことを『恥』だと思ってる。少しでもムラムラするたび奥底に追いやって、圧力鍋みたいに欲求不満を募らせてたんだよ。そういう過度な抑圧をかけられた感情は不健康だってこと、お前も知ってるだろう?」

 

知っている。

義兄への思慕を、倫理に背くからと抑圧した、エリザーベト・フォン・Rのように。

受け入れがたい、認めがたい。そんな願望や感情を、僕らの心は無意識下に追放する。

そして、溜めに溜め込まれれば、何とかして『処理』しようとする。

 

「本能的には『ヤりたい』、でも倫理的には『ヤっちゃいけない』、その二律背反の解消策として、『僕ら』の心はこうしたんだよ」

 

『僕』が顔を撫でると――その顔が、父さんになった。

 

同時に、テレビに映像が映し出される。

父が結女を始めとする女たちとセックスしている光景のダイジェストだった。

 

「ヤってる人間が自分じゃなければセーフ――ってことらしい」

「っ!」

 

息を呑んだ。

その、卑しいにも程があるロジックに、理解が及んでしまった。

 

「なん、なんだよ、それ……」

「夢に出てくる同性は、大抵自分の心の一部が形を帯びたもの。

 認めがたい感情ほど『化けて出る』ものなんだよ、夢の中では」

 

つまり、こういうことか?

僕は周囲の女性に劣情を抱いていた。

しかしその女性は結女といい由仁さんといい『手出しできない女性』だった。

理性ではそれで納得していても、我慢させられた本能は何とか表に出たがった。

理性と本能の対立への解決策として、僕の心は『別の人間の皮を着せる』ことを選んだ。

 

「そうすれば、許されざる劣情は『僕じゃなくなる』――『僕以外の誰か』が、結女とセックスしている絵面になる。着せられたのは僕で、着せて難を逃れたのはお前だ」

 

『僕』の顔が父から僕のものに戻った。

 

「そ、そんなことして、何の意味が……

 それじゃ結局、僕がしてるわけじゃない。何も得るものなんて……」

「あるだろ。着せられた側の『僕』、つまりお前の心の半分はセックスできた。

 残り半分のお前だって、結女たちの痴態をたっぷり見られただろ?

 浮遊霊なんて安全地帯で思う存分にオナニーして、たっぷり性欲を解消できたじゃないか。

 たとえそれが寝取られる側でも」

「っっっ、違う!!」

 

耳まで赤くなる思いだった。

あれが、今日まで見せつけられてきた『あれら』が、僕の願望通りだっただと!?

結女に手出しできないから、頭の中で別の誰かを用意して、そいつに結女を襲わせて満足しようとした!?

なんだその変態嗜好は、いくら何でもそんな趣味は……っ!

 

「そう恥ずかしがるなよ、夢は短い狂気――だろ?」

「黙れよ!」

 

叫びながら、腑に落ちてしまっている自分がいた。

夢を見ている最中の人間は正気じゃない。現実の倫理観から解放された情動をとる。

そういう狂った情動がグラフィカルになると、起きた後に青ざめそうな内容になる。

手出しできない女の痴態を見たい、だから自分以外の男に抱かせる、それを覗き見て渇望を満たす――充分ありうる。

 

実際、欲求の何割かは叶っているのだ。

間男に女を奪われる悔しさという余計な副産物は生じても、『僕』は結女たちと交われた。

少なくとも、抱きたいけど抱けないという二律背反は解消されて……僕の射精は捗った。

 

「だからって、なんで、よりにもよって父さんに……」

「父子家庭の僕にとって、『自分以外の男性』といったら、そりゃ父さんが唯一にして最大だろ?」

 

――親子は、互いの心に多大な影響を与え合う。

――同一化、同一視といった心の機能で、当人が思っている以上に深く。

 

ファザーコンプレックス。

父子家庭で育った僕に、そういう一面があることは、客観的に見て不自然じゃなかった。

起きている間は取り繕えていても、父親に抱っこされながら生きてきたのは事実なのだから。

 

「かくして、お前にとって認めがたい劣情だった『僕』は切り離された。

 更に偽装として父さんの姿にさせられたってわけだ。

 ……まあ、『男性像』を重ねて見てたのは、結女たちも一緒だったみたいだけどな」

 

あまりに、あまりにも不愉快で、こいつの言葉が耳を通らない。

 

頭では納得できる部分があっても、感情が拒否し続けている。

だって……いくらなんでも……それはないだろう、伊里戸水斗。

結女を始めとする周りの女に劣情を抱いて、でもそれはいけないから他の男に抱かせて、その間男役に身近な父さんを選出して、それを通じて結女たちの痴態を覗きながら、自分は透明人間となって自慰をしていた?

醜い……あまりにも醜すぎる!

元カノに未練たらたらな、マザコンでファザコンな、覗きで抜けるむっつりスケベ。

自分の本性が情けないことくらい自覚していたつもりだったけど、いざ直面したそれは、予想よりも斜め下すぎた。

恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい!!

認められない、認めてはならない、それが自分だなんて、断じて認められない!

 

「そら見ろ、結局そうやって『理解しようとしない』。自分の負の側面から目を背け続ける。

 かくして心は今日も不健康、だから同じような夢を見るんだよ」

「黙れって言ってるだろ!!」

 

喚くように怒鳴りながら、どこかで納得している自分もいた。

 

ああ……そうか。

これが……漫画やゲームでよく見る、『自分の負の側面と対峙する』というやつなのか。

実際にやらされてみると、あれはこんなにも過酷な体験だったのか。

 

「いい加減に認めろよ。お前は自分で思ってるほどクールな人間じゃないんだよ。

 別れた元カノが可愛くなってたら寄りを戻したくなったり、振った女に『やっぱ一発ヤっとけばよかった』って後悔したりする、浅ましい一面くらいあるんだよ」

 

諭すような口調が、怖気が走るほど不快だった。

 

赤の他人なら許してやれる、人間なんだから当然だと言ってあげられる。

でも、それは結局、赤の他人だから許してやれることなんだ。

人の欠点は身近になるほどストレスになる。

会うこともない他人の欠点と、頻繁に会う友人の欠点と、毎日会う家族の欠点では、不快指数が桁違いだ。

ましてやそれが、最も身近で別たれがたい己自身の欠点となれば、不快感の強さは最大値となるのだろう。

だから人間は、自分の醜さを直視しない。

謙遜や劣等感で自分の至らなさを認めているフリをしながらも、改善のため直視しようとはしていない。

 

それでも心は、ときおり直視させようとしてくるのだ。

お前はこのままでいいのか? と、説教でもするように。

ちょうど、いま僕を糾弾している、『僕』のように。

 

「たとえ父さんに抱かれていても、セックスしてる結女を見たかっただろ?

 ここ最近、『僕』を通じて結女とセックスするのは気持ちよかっただろ?

 周りの女を全員ものにしてハーレムするのも、その罪を他人に着せて安全圏で悦に浸るのも、

 ぜーんぶ――お前の中にあった浅ましい願望なんだよ。相棒」

「っっっ、あああああ!!」

 

耳を舐めるような声に耐えかねて、目の前の掴み、床へと叩きつけた。

 

「なにが、なにが『したかったこと』だ! ふざけるな!」

 

馬乗りになって、殴る。

僕が、『僕』を、僕の手で、『僕』の顔を、殴る。

そういう文面以上に、僕の頭は正気を失っていた。

ただ、目の前にいる『僕』を否定したくて、追い払いたくて、必死に拳を振るった。

 

「僕じゃない! 僕がいつそんなこと頼んだ! 全部、お前が勝手にやったことだろ!?」

「だから、その『僕』はお前なんだよ。何を聞いてたんだ?」

 

マウントをとられて殴られているのに、『僕』は平然としていた。

元々この夢に痛みはない。

それ以上に、自分が自分を殴っても、水と水が混ざるように無意味なのだろう。

 

「知った風な口を利くなっ!!」

「利くに決まってるだろ。自分自身のことだぞ? 他の誰よりも知った風に語っていいだろ」

 

そういうことを言ってるんじゃない。

激昂するこちらに対して、平然と理屈を返されるのは、こんなに不愉快だったのか。

まるで恋人とのすれ違いでヒステリックになる女の気分だった。

 

「何度でも言うぞ、僕は君で、君は僕だ」

 

うるさい、うるさい、うるさい、うるさい!

殴る、何度も殴る。僕は『僕』を殴る。

 

「人の心はシュレディンガーの猫だ。

 矛盾した状態が同時に存在するんだ。裏と表で二つあるなんて当たり前だ」

 

黙れ、黙れ、黙れ、黙れ!

これ以上なにも言うな、誰よりも僕を知っているかのように語るな。

 

「お前の中では、ひどい悪夢の被害者気分だったんだろうな?

 しかしおめでとう、何を隠そう全ての真相は、君の独り相撲でした」

 

違う、違う、違う、違う!

お前が、お前が勝手にやったんだ。

僕の本心なんかじゃない。お前は僕なんかじゃない!

 

「これは南さんのおまじないとは関係ない。南さんは『部屋』を作っただけだからな。

 そしてよく思い出せ――『名指しで呪われたのは、伊里戸水斗だけ』だ。

 部屋のホストは僕なんだよ。だから僕の深層心理が最も色濃く表われたんだろうな」

 

止めろ、止めろ、止めろ、止めろ!

何度も殴っているのに、『僕』の精神解剖が止まらない。

 

「まだ説得力が足りないか? じゃあこの件についてはどうだ?」

 

なんの痛痒も感じていない様子で、『僕』がテレビを目線で示す。

トイレの個室内が映されていた。

 

『あの子なー、めっちゃ可愛いよな。それで入試トップって、完璧超人すぎねえ?』

『ほんとそれな。LINEに出回ってた写真で一目惚れ』

 

個室の外から男たちの声が聞こえる。

ああ、たしかこれは……入学して間もない頃に聞いた、クラスメイトたちの会話だ。

 

『でもあの弟クン、なんか暗くてさ。ノリ悪いんだよね』

 

そう、クラスの男子たちが、僕を利用しようとしていたのを聞いたときだ。

現実で見聞きしたことが、テレビの中で忠実に再現されている。

 

「忘れたのかよ? それがごく普通のクラスメイトたちから見たお前の評価だ」

「っ、それが――」

 

それがなんだと言おうとすると、テレビが場面を変えて、結女を映し出す。

 

『悔しくないの?』

 

結女が僕に問いかけている。同じ日の、家に帰ってからの出来事だ。

 

「悔しかったよな?」

 

『僕』が問いかけてくる。

 

『あなた……ナメられてるのよ」

 

ああ、確かにこう言われた。僕はたしか、なんて答えたんだっけ?

 

「なにが『そうだな』だ、同級生の男にナメられて悔しかっただろうが」

「…………」

「その後どうした? 結女に腕を組んでもらって、解決してもらったんだよな?

 一端の男が、自分が舐められてるっていうのに、女に解決してもらったんだよな?

 僕に言わせればそれが何より情けないんだけど、お前どう思った?

 ああ、結女に腕を組まれたときに当たった胸で頭いっぱいだったっけ?」

 

嫌みったらしく笑う『僕』に歯噛みする。

 

「それに比べて、同じ時期の父さんはどうだ?

 男手ひとつで僕を育てて、由仁さんという女性と再婚した。

 僕なんかよりずっと上だ。男として女を獲得した、格上だ。

 僕はどうしてた? 恋人も繋ぎ止められず、同級生に舐められ、結女からも見るに堪えないと思われていた。情けないったらない」

「なにが言いたい。いい加減に――」

 

僕の欠点をあげつらう『僕』を見据えると――

 

「――『僕』は、このままの自分でいいだなんて、欠片も思っていない」

 

驚くほど、まっすぐに。

凛としているとさえ言える、力強い目で、僕を見返していた。

 

直感だった。

こいつはきっと、僕を表人格とした場合の裏人格。

孤高を気取っている陰気な読書家である僕の、『らしくない部分』だ。

それが担っているのは、ただの性欲だけではない――

 

「お前こそいい加減にしろよ。女々しくて腹が立つんだよ」

 

端的に言って、こいつは僕よりも、男らしかった。

 

「っ!?」

 

いつの間にか、上下が逆転していた。

僕が仰向けに倒れて、『僕』が馬乗りになって、拳を振り上げている。

体を入れ替えられたというより、視点が入れ替えられたかのようだった。

 

「『僕』は――結女と別れたくなんかなかった!」

 

殴られた。

痛みはなかったし、視界もそんなに揺れなかったけど、何かが伝わってきた。

 

「あの日、結女を抱きたかった! 男になりたかった!」

 

叫びながら、『僕』が僕を殴る。

防ぐ気にならなかったのは、拳なんかよりその叫びが、僕の心に届いたからだろうか。

 

「由仁さんに甘えたかった! お母さんがどんなのなのか教えて欲しかった!

 いさなを恋人にしたかった! 思い切って恋人になればよかった!」

 

殴られる、訴えられる。

これは、僕が押し隠していた、純粋で子供っぽくすらある、後悔と熱情の訴えだ。

 

「僕がもっと立派な男なら、結女とはいまでも恋人だったんだ!

 父さんみたいに女性を手に入れる術を知っていれば! もっと違ったはずなんだ!

 クラスメイトにも舐められない、結女にだって嫌われない、立派な男になりたいんだ!!」

 

僕は勝手に、こいつを『悪役』にしていた。

でも、涙目になって僕を殴るこいつの目は、そうは見えなかった。

 

「僕が、そう思っていたことを、お前は知っていたはずだ!

 なのに! お前の臆病さが! 弱気が! そうなろうとする僕を押し殺した!

 腹の底じゃぐつぐつ煮えさせていた癖に! 僕はそういうキャラじゃないって諦めた!」

 

それが何よりも不愉快だと、『僕』が僕を殴り続ける。

 

ああ、確かにそうだ。

こいつが言ったようなことが、頭を過ぎらなかったと言えば嘘になる。

過ぎらせただけで、その感情は眠らせた。いつも通りの自分であり続けた。

なるほど、そういうことを、抑圧したというのだろう。

人は、物わかりがいいほど、理性的であるほど、自分の情熱や願望を虐げるのだ。

 

「なんで成長しようとしない! なんで男らしくできないんだ!

 女を欲しがることの何が恥ずかしい! 夢の中でまでビビリ散らかして何が男だ!

 情けない! 情けない! 僕は、お前が情けなくて仕方ない!!」

 

やっぱり、僕がこいつを嫌悪していたように、『僕』もこちらを嫌悪していた。

心の相反する感情をそれぞれ司っているようなものだから、これは必然なのだろう。

 

「人を間男みたいに扱いやがって! 僕が好きで父さんの皮を被ったと思うのか!?

 お前の浮遊霊みたいに、僕も気がつけばそうだったんだ!」

 

考慮の外だった。

てっきり、こいつが故意に父さんを装ったものかと。

しかしよく考えれば、二律背反の回避は無意識に行われたもの。

こいつにとっても、気がつけばそうなっていたものだったらしい。

 

「自分の口が勝手に父さんの『役割』に沿う感覚が分かるか!?

 背後霊みたいにお前の気配を感じながら、操り人形みたいにセックスする気分は!?

 僕をお義父さんと呼ぶ結女を、何かの代わりにされるように抱いた気分が分かるか!?」

 

殴られ続けたせいか、視界がぼやける。

そんな中でも、『僕』の感情は明瞭に届いていた。

そうか、僕が浮遊霊という形で不自由だったように、こいつもまた、自由ではなかったのか。

 

「くだらない欺瞞で人の姿を変えやがって!

 面と向かって女を抱く度胸も無い奴が、一丁前に勃起してんじゃねぇ!!」

 

心は自由にならない。

僕が保身から来る浮遊霊化に苛まれたように、こいつも色々なことに苛まれたのだろう。

口振りから察するに、その気もないのに伊里戸峰秋らしく振る舞わされていたらしい。

それどころか浮遊霊状態の僕をおぼろげに知覚して、不快感を覚えていたようだ。

その不満と苦痛を、いまこうして対面した『僕』にぶつけている。

全てお前のせいだ――と。

さっきまで殴っていた僕が、こいつに対してそう思っていたように。

 

「お前なんかが、さも伊里戸水斗の主体であるかのようにものを語るな!

 僕がお前の影なんじゃない、お前が、僕のオマケにすぎないんだっ!!」

 

激情のまま叫ぶ『僕』の姿に、明確な意思のようなものを感じた。

変な話だが、こいつも僕と同じ、一人の人間なんだと感じられた。

 

僕たちはきっと、お互いその気もないのに、陰と陽みたいに二つに分かれていた。

陰の僕は、伊里戸水斗の女々しい部分を。

陰気で、臆病で、比較的に理性があって、拗らせた保身から浮遊霊になった。

陽の僕は、伊里戸水斗の男々しい部分を。

実生活の中で隠した情熱や激情を主体として、理性と本能の二律背反から『父さん』にされた。

 

そしてどちらも同じ『僕』だから、少なからず影響を与え合っていた。

たぶん、別たれていたものが、自然と一つに統合されようとしていたのだろう。

 

思えば僕はこの夢で、父と結女のセックスに視点が引き寄せられていた。

自慰をしたとき、なぜか父より先に射精できない時があったのは、性欲やセックスに関する主導権が向こう側にあったからかもしれない。

父として振る舞うときの言動に、息子から女を奪おうとするような言葉があったのは、自分こそ伊里戸水斗だという自負の表われだろうか。

 

なんにせよ、その『統合』は日を追うごとに進んでいたのだろう。

ここ数日は、こいつの視点で結女を抱いていたし、体の感覚も共有されていた。

そしていまは、直接の対峙にいたり、お互いの境遇や感情を直面させている。

たぶん……僕とこいつが互いを認め合って和解するのが、正解なんだろう。数々の物語とユング心理学がそう言っている。

だけど――

 

「調子に乗るなよ、猿!」

 

――お断りだ。

こいつを、こいつが抱いている欲望や願望を、受け入れろ?

それはつまり、周囲の女を手当たり次第にモノにしたがるハーレム王とか、そういうキャラになれってことか?

冗談じゃない。まっぴらだ。そんなものは僕じゃない。

 

「夢の中ならまだしも、僕は現実に生きてるんだ!

 お前みたいに、動物みたいな本能だけに従って生きられるわけあるか!

 夢で好き放題してきただけのお前が、起きている僕に勝手な口出しするな!」

 

また立場が逆転する。

いつの間にか僕が上になり、『僕』を殴っていた。

しかしすぐに入れ替わる。

 

「肝の小ささを知性とすり替えるな! ただ度胸が無いだけだろう!」

 

『僕』が僕を殴っている。

ぐるぐると、視点の上下が入れ替わり、互いに叫びながら殴って殴られる。

いつの間にか、いま自分が上なのか下なのかも分からなくなる。

 

「おまえには」「もう」「うんざりだ!」

 

これがどっちの台詞なのかも分からない。

いつしか僕と『僕』は、黒い影のような靄に覆われていた。

視界も、お互いの輪郭も、その黒い靄に隠れていく。

まるで彼我の境界線が曖昧になっていくように。

 

「もう、お前に主導権なんか渡さない」

 

僕もしくは『僕』が、『僕』もしくは僕に、宣言する。

きっと、どちらも同じ事を思っているから、どちらの発言なのかは問題じゃなかった。

伊里戸水斗という人間の内にある、相反するものが衝突しあって、『統合』が進んでいる。

 

調和がとれているとは言えないが、一つの器に、水と油が収まりつつあった。

そうして見えてくるのは――共通点。

僕とこいつの中にあった様々な感情に、どちらにも等しくあったものが見つかる。

 

テレビ画面に、結女が映る。

現実と夢を問わず、いままで僕が見てきた結女の、高速のメドレーだった。

 

それが意味する感情を、僕らは自然と言葉にする。

 

「「――結女は、僕のものだ――」」

 

今日までの淫らなユメを、今度こそ自分のものにするという、強い思いだった。

 

 

 




ご一読いただきありがとうございました。

突然のペルソナ4でした。
NTR作品でやることか? と思いつつ、趣味に走った次第です。

あの作品に出てくる登場人物のシャドウって、
第三者から見てると、そのくらい人間なら普通じゃね? と思うけど、
理論上『その人が受け入れがたい感情の集合体』なわけですから、
対峙している人間にとってはストレスMAXになる体験なんですよね。

それを『I'll Face Myself』が流れる間に受け入られた彼らはすごいよ。
あれもう修道者が目指す一つの極地だよ。そりゃ神通力くらい目覚めるよ。

普通はできないので、水斗はペルソナ獲得失敗でした。
でもなんとなく、コミュイベントで図書室にいそうだよね、水斗。
学力が高まると会話できるようになって、複雑な家庭環境が明らかになって、
節制のアルカナとかを育ててくれそう。
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