時は二○XX年。
我が国日本において、ある法律が制定された。少子高齢化を防ぐ事を目的とした、一夫多妻制に関する法律である。
高校卒業後も付き合いを続け、四年間のモラトリアムを経て社会に出てからも四角関係とも言える相当に爛れた人間関係を築いていたところに、いろはが「これ、わたしたちの為の制度ですよね」と提案しだしたのだ。
その提案に結衣がのってくるのはまだ分かるが、雪乃まで是非もなく賛同したのには驚いた。曰く、ずるずると曖昧な関係のままいるぐらいならば拘束力のある関係性の方がいいという事らしいが、その理由が空恐ろしい。
それはさて置き。
いや置いといていい話でもないけどとりあえず置く。無理矢理でも置く。
今日は金曜日。花金だ。
結衣はともかく、雪乃もいろはも今日は早く帰ってこられるだろう。婚姻届を提出してから数日。結婚後初めて、全員揃っての晩餐になる予定だ。
そうなれば夕食はいつもと違ったものにしたいと思うのは必然。故に俺は午後の二時から準備を始め、今尚それは継続中である。
「ただいまー」
玄関の扉が開く音とともに、結衣の声が聞こえてくる。職業柄やはり彼女が一番早く帰ってこれたらしい。
結衣は高校時代からの趣味であるお菓子作りが高じて、ホテルに併設されたパティスリーのパティシエールになっていた。木炭職人ではなく、お菓子職人だ。もちろんこれには、本人の並々ならぬ努力があったのは言うまでもない。
パタパタとスリッパの音がリビングに入ってくると、結衣は迷わず俺の背中に飛びついてくる。
「ヒッキー、ただいまっ」
「うぉっ、おい⋯⋯いま火、使ってるから」
ぐりぐりと額を擦り付けてくる結衣にこそばゆさを感じながらも、当然可愛い奥さんに対して邪険にできるはずもない。
しかしこいつは、いつまで俺をヒッキーと呼ぶつもりだろうか。一夫多妻制より先に制定された夫婦別姓を適用する形で苗字は変わらないが、戸籍上は比企谷家に入っているのだ。
「今日は準備しだすの早いね」
「ああ、まあちょっとな」
俺は玉葱を炒める手を止めると、結衣を振り返った。隙あり、とばかりに結衣は俺の唇を
「あー、やっぱいいなぁ⋯⋯。帰ったらヒッキーが待っててくれるって」
本当に心底といった調子でそう言う結衣は、その生来の無邪気さからか新妻というよりも同棲し始めたばかりの彼女みたいだった。
「着替えてくる」
「おう」
俺がそっと髪を撫でたのを合図に、結衣は身体を離して脱衣所の方へ向かった。ふと彼女と出会った事を思い出すと、なんとも面映い。きっと高校二年の俺だったら、彼女の行動に卒倒するか発狂するか、はたまた理性の殻に閉じこもるか。
「ね、今日の晩御飯は何?」
結衣は部屋着に着替えると、キッチンに戻ってきてそう言った。先ほどまでおろしていた髪をお団子に纏めあげると、ようやく俺の見慣れた“由比ヶ浜”になった。
帽子が被りにくいとかで出勤の時には髪をおろしているが、決まって家に帰ると高校時代と同じ髪型にするのだ。別にそうしてくれと頼んだ訳ではないが、「見慣れないな」とかそんな余計な一言は言っていたかも知れない。
「何だと思う?」
「うわ⋯⋯なんか女子っぽい言い方引く」
そう言って結衣は吹き出すと、ダイニングの椅子に腰掛けた。
「ヒッキーも専業主夫が板についてきたねぇ」
「当たり前だろ。俺の第一志望の就職先だからな」
玉葱が飴色になると、俺は用意しておいた皿に移し替えながらそう答える。
そう、専業主夫──。
現在の俺の有り
我が日本国において生類憐みの令以来の悪法などと揶揄される一夫多妻制は、一般的な婚姻関係とは違い税制上の優遇はない。一夫多妻という特殊な状況──つまり妾を囲うほど余裕のある人間に対して控除など必要はない、という見解らしい。
しかし少子高齢化対策と言って打ち出した政策なのに、何故その制度を利用する事にメリットがないのかと世論は荒れに荒れた。この心理は浮気を糾弾する者の心理に近いものがあるだろう。人は自分がしたくても出来ない事を、してはいけないと抑圧している事をやってのける人間を憎む。自分には全く関係のない事なのに憤慨する様は正にマッチポンプとしか言いようがないが⋯⋯それはまあどうでもいい。
つまり一般的には、男性が沢山稼いでいれば一夫多妻制は成立する。しかしこの制度を考えた人間は、俺の状況までは想定していなかっただろう。
奥さんたちが働いて、夫が専業主夫になるという状況は。
* * *
「ただいまでーす」
午後五時半を、少しまわった頃。
玄関から聞こえたいろはの声に、結衣は椅子に腰掛けたままおかえりーと言葉を返す。
「おお、おかえり」
「いろはちゃん、今日は早かったね」
「まあ、定退日なので」
スーツを着こんでOL然としたいろはは、そう言いながらキッチンの方を見て「うわ」と声を上げた。セミロングの髪の間で、キラリとピンクゴールドのピアスが光る。
「先輩、なんか今日めっちゃ気合入ってません?」
「⋯⋯気のせいだ」
「またまたー」
そう嘯くといろはは俺の耳元に口を寄せるとふぅっ、と息を吹きかけてくる。⋯⋯何なのこの子、あざとい通り越して完全に魔性の女なんですが。
それにしてもいろはは、いつまで俺の事を先輩と呼ぶつもりなのか。まあ人生の先輩という意味でなら、間違いではないが。
「ただいま」
不意にリビングの扉が開き、そう言いながら入ってきたのは雪乃だった。ガヤガヤしていたから、玄関を開ける音に気づけなかったようだ。
「おかえり」
キャリア組らしくパリッとブランド物のスーツを着こなした雪乃は、何か買い物でもしてきたのか細長い箱が入ったビニールを右手にひっかけている。長い髪を一つにまとめていたヘアゴムを外すと、彼女はすっと目を細めた。
「おかえりなさーい。
いろはは雪乃にそう言いながら、ひしと俺の腕を抱き寄せた。いろはが雪乃や結衣を焚き付ける時に、決まって使う呼び方だ。
「⋯⋯そうみたいね」
雪乃はその細長い箱をダイニングテーブルに置くと、俺を挟んでいろはの反対側に立った。
「ただいま」
そう言って雪乃は俺の頬に口付けると、ようやくふわりとその相好を崩した。負けず嫌い、ここに極まれりだ。
「あ⋯⋯。あたしも」
「待て、もう結衣はしただろ動き難くてかなわん」
「むー⋯⋯」
俺が牽制すると結衣は唇を尖らせ、それが余りに可愛らしくてまるで十代に戻ったみたいだなどと考えてしまう。
「あ、わたしはまだなので」
そう言うといろはがもう片方の頬にチュッと軽い音を立ててキスをしてくる。愛されている感はあるのだが、なんだかマスコットにでもなった気分だ。
「もうすぐ晩飯できるから、着替えてこいよ」
「はーい」
いろはは素直に返事をすると、脱衣所の方へ歩いていく。⋯⋯が、隣に立ったままのもう一人の奥さんは、じっと俺の手元を眺めていた。
「何を作っているか当てていい?」
「ダメだ。当てられたら作る気が失せる」
「あらそう。じゃあ楽しみにしておくわ」
雪乃は悪戯っぽく笑うと、もう一度俺の頬に唇を添えた。高校時代から変わらない香りが鼻腔を満たすと、妙に安心する。あの頃はこの香りを嗅ぐたびにドギマギしていたものだが、時が経てば人も変わるものである。
「ゆきのん、これ何?」
結衣がつんつんと転けないように細長い箱を突くと、雪乃は彼女の隣に腰掛けた。
「ワインよ」
「へぇ⋯⋯。なんで?」
「今日はご馳走が待っているような気がしたから」
ね? と問いかけるように首を傾げて、雪乃は流し目じみた視線をこちらに送ってくる。こういうのを、シンクロニシティとか言うんだっけか。
俺は雪乃の予想通りの行動をしてしまったという気恥ずかしさよりも、応える事ができた嬉しさが顔に出てしまいそうで。
彼女たちの視線から隠れるように屈み込むと、俺は勢いよくオーブンの扉を開けた。
* * *
「お待たせしました、マダム」
そう言うと、最後の一品を食卓に並べた。別にこの言い回しは格好をつけているわけではなく、彼女たちへのヒントなのだ。
焼き立て熱々のミートパイと、飴色玉葱とアンチョビがたっぷりのったピサラディエール。パスタは見た目の華やかさから、ファルファッレにして自家製トマトソースで和えてある。プロシュートをのせたサラダにはパルミジャーノを削りかけ、サーモンマリネにはアクセントにケイパーを少々。およそ普段の食卓からは想像できないであろう、特別メニューの目白押しである。
「複数形だから、正しくは
「あ、はい⋯⋯」
容赦なしの指摘に俺はかくんと肩を落とすが、彼女たちはそんな姿には目もくれず、食卓に並んだ料理たちに熱い視線を送っている。
「うわぁ、すっご⋯⋯。ねえ、これ何?」
「ピサラディエール。フランスのピザみたいなものね」
そう言って雪乃は勝ち誇った顔を向けてくる。あー、はいはい。当たってましたか。別に悔しくないもんね!
「やっぱりめっちゃ気合入ってるし⋯⋯。先輩も可愛いところありますねー」
うりうり、と俺の右隣に座ったいろはが肘で小突いてくる。ちょっと恥ずかしくなってベッドに篭りたくなるからやめてねそういうの。
「買ってきたワインに合いそうで良かったわ」
雪乃はそう言うと、食卓に用意してあったワイングラスに真っ赤な濁りを注いでいく。そう言えば、結婚してから家でこうやって酒を飲むというのは初めてだ。
「それじゃ、乾杯しましょうか」
「うんうん。何に乾杯する?」
何に乾杯ってガハマさん、欧米かよ ⋯⋯。まあミートパイなんてアメリカンな料理を作った俺がそれ言うのも変な話だが。
しかし乾杯に対して疑問に思っているのは俺だけのようで、いろははにこやかに答える。
「もちろん、わたしたちの結婚にですよね」
「そうね。それと⋯⋯」
雪乃はそこで言葉を分かつと、俺を正面に捉えて微笑んだ。
「素敵な晩御飯を用意してくれた、私たちの健気な旦那様に」
かんぱい、と口々に言って、軽くグラスを当てる。思わずグイと、一気に半分ぐらい飲んでしまった。
ホント雪乃さん、すっげぇ恥ずかしくなるから急にそういう事言うのやめてよね本当に。しかし雪乃の顔を見てみると、ちょっと恥ずかしかったようで僅かに頬が染まっているのはワインの所為だけではないようだ。もー! 恥ずかしがるなら最初からやるなよな可愛いな!
「へぇ〜。ピサ⋯⋯なんとかって、こんな味なんだ」
「んー、ミートパイ美味しいですよ。熱いうちにどうぞ」
と言っていろはは食べかけのミートパイを俺の口に突っ込んでくる。やるならもうちょっと丁寧にやってくれないかなぁ⋯⋯。
「比企谷くん」
サーモンマリネを食べていた雪乃は、俺といろはの間に流れ出した甘いのか雑なのかよく分からない雰囲気にメスを入れるように、その名前を呼んだ。っべーわこれ、俺の事を「八幡」と呼ばずに苗字で呼ぶのは怒られる時のやーつ⋯⋯。
「白ワインビネガーは、一煮立ちさせてから使うと酸味が落ち着いて食べ易くなるわ」
「あ、はい。かしこまりー⋯⋯」
なんだそっちか、と心中で胸を撫で下ろしていると、不意に雪乃は労うように笑いかけてくる。
「けど凄く美味しいわ。ありがとう」
「お、おぅ⋯⋯」
やっぱ雪乃さん、すげぇわ⋯⋯。これを天然でやるからずるい。いろはがやったら急にあざとくなるからな。
俺が雪乃の反応一つひとつに脳を蕩かされそうになっていると、その隣では不満そうな結衣がこちらにジト目を送ってきていた。
「なーんか、ずるい⋯⋯。ゆきのん、席変わって?」
「嫌よ。今日は私の番でしょう?」
ふーんそんな順番あったのかへぇーほぉーふーん。⋯⋯そういや毎日座る順番変わってるな。
どうも俺の知らないうちに奥様方のルールが制定されているらしいが、俺にも教えておいてくれませんかねぇ。ルール破ったら俺が怒られるパターンじゃないのこれ。
「雪乃さんと結衣さん、またやってますね」
こしょこしょと耳元で囁くいろはの声がむず痒い。大体こういう展開になる時の火付け役はいろはだというのに、まるで他人事である。
「ところで、明日どこかお出かけしませんか? 久々に四人でデートとか」
いろはは未だ続く雪乃と結衣の小競り合いを完全スルーすると、三人に向けてそう問いかける。
四人でお出かけ⋯⋯は何度もした事があるが、俺に突き刺さる視線が尋常じゃないので精神衛生上宜しくない。
すれ違う人々が彼女たちを見た後に、なんだコイツと俺が睨まれるぐらいならまだいい。この前なんか「あの⋯⋯同伴ですよね。よかったら店の名前教えてもらえませんか?」と声をかけられて流石にぶん殴ってやろうかと思った。
「あー、あたし明日も仕事」
「私は休みだけど」
結衣と雪乃は口々に答えると、チラと俺の方を見た。俺? 専業主夫に休みなどない。そう考えると結構ブラックな職業だ。
「じゃあわたしと雪乃さんとダーリンでお出掛けします?」
「それでもいいけど⋯⋯」
雪乃はそう言うと、気づかわしげに結衣を見た。まあ彼女なら、気にしてしまうだろう。特に結衣が仕事なら。
「あたしのことなら気にしなくていいよ。休みの日にヒッキーを一人占めするから」
さらっと焚き付けるような事を言う結衣が、色々と逞しい⋯⋯。
その発言を聞いていろはは、名案とばかりに手を打った。
「あ、じゃあ土曜日はわたしと出かけて、日曜日は雪乃さん、とか」
「さりげなく先に二人きりになろうとしているのよね⋯⋯」
やれやれとばかりに頭を押さえると、雪乃はワイングラスをクルリと回した。そんな何気ない仕草も妙に様になっている。
「そこら辺は任せるけど⋯⋯とりあえず冷めないうちに食ってくれ」
「はーい」
奥さまたちは口々にそう返事をすると、また別の話題に移っていく。
その綻んだ表情を見ながら食べる夕食は、どんなレストランで食べるそれよりも美味しく感じるのだった。
* * *
夕食の片付けが終わると、後は各々で風呂に入ったりテレビを見たりと自由時間だ。
さて俺はというと、三人がけのソファの真ん中で雪乃と結衣に挟まれている。状況の比喩ではなく、物理的に挟まれていた。
風呂上がりの二人はそれぞれの方向から俺の肩を枕にして、本を読んだりテレビを見たりと好きに過ごしている。結婚する前にも似たような事はあったが、これからはこんな光景が日常になっていくのだろう。そう考えると、感慨深いものがある。
「お風呂お先でーす」
いろはは上気した頬のままそう言うと、俺たちの状態を見てふむと考え込む。
しかしその答えはすぐに見つけ出せたようで、いろははソファに座った俺の脚の間に座り込んだ。ソファの座枠を背もたれ代わりにすると、俺の内腿に頭を預けてくる。
いや俺まだ風呂入ってないんですけど⋯⋯と言おうものならいろはが拗ねるのは必定なので、少しの間そのままにする事にした。
風呂上がりの彼女たちの身体は熱くて何もしていないのに汗が出てくるし、身じろぎ一つ出来ない状態は窮屈でもあったが、それでも彼女たちの安寧を脅かす理由にはならないだろう。それになにより心地良いと感じているのはもう、どうしようもない事だった。
「⋯⋯⋯⋯」
いろはがふとこちらを振り向くと、また何事かを考えているのかじっと俺の顔を見てくる。そろそろ風呂に行かせてくれるつもりになったんだろうかと小首を傾げて見せると、いろはは俺の大腿に手を突きその顔を急接近させる。
「隙ありっ」
そう言っていろはは、摘み食いでもするかのように俺の唇に彼女のそれを重ね合わせた。
「あっ⋯⋯」
その動きにハッとした雪乃と結衣が、思わずといった調子で枕にしていた俺の肩から頭を離す。
そして俺越しに二人はアイコンタクトを交わすと、どちらからともなく頷き合う。
「んっ」
次の瞬間、雪乃と結衣はいろはの見ている前で両頬に唇を触れさせた。つまりはキスのサンドウィッチである。
その一部始終を見ていたいろはは唇を尖らせると、また顔を近づけてくる。
「ちょ、待った。これキリがなくない?」
「むぅ⋯⋯。別にいいじゃないですか、キリが無くても」
「確かに、減る物じゃないもんね」
拗ねるいろはに、悪戯っぽく笑う結衣。助けを求めるように雪乃の顔を見ると、彼女は彼女で楽しそうに笑っていた。
「変なところで逃げない方がいいわよ。あなたには私たちに愛される義務も権利もあるのだから」
そう言って雪乃は、さっきのいろはの如く不意打ちで俺の唇を奪っていった。唇も頬も彼女たちの体温よりずっと熱くて、身体の芯の方まで染み渡る。
「ふ、風呂に⋯⋯」
「まだ早いからいいじゃん」
くっと手首を引かれると、今度は結衣に唇を
なんだこのバカップルみたいなの⋯⋯。いや一対じゃないからカップルじゃなくて何になるの? バカハーレム? バカーレムかこれは。八幡ちょっとよく分かんなくなってきちゃった⋯⋯。
「照れてるダーリン可愛い」
うりうり、といろはは俺に抱き着いて額を胸板に擦り付けてくる。
それからいろはにおもちゃにされ雪乃に耳を食われ、結衣に気がすむまで俺の頭を撫でくり回された。
風呂に入るのが許可されるまでたっぷり三十分は愛でられ、俺はペットの気持ちを深く理解したのだった──。
* * *
風呂から上がると、歯磨きをしながらリビングに戻った。
しかしそこにはもう誰もおらず、みんな寝室に向かったらしい。シャカシャカと歯を磨きながら明日の朝食のメニューの材料を確かめ、電気ポットに水を注ぎ足す。このルーチンも、もうすっかり慣れてきた。
「まだ寝てなかったのか」
歯磨きを終えて寝室に入ると、二つ並んだベッドに腰掛けた奥さまたちは、何やらお喋りに興じていた。俺が入るなり会話を止めてしまったから、何を話していたかは分からない。
「ヒッキー、今日はこっちのベッドね」
「へい⋯⋯」
結婚してからと言うもの、二つあるベッドのどちらで寝るか、俺に選択権があった事は一度もない。きっと誰が俺の隣で寝るかというのにも、彼女たちのルールが存在しているのだろう。
ごろんとベッドに寝転がると右隣に結衣が寝そべり、やはりと言うべきか何なのか、雪乃は左隣にその身を横たえた。ベッドは両方ともダブルサイズではあるものの、一つのベッドで三人が寝るのは流石に狭過ぎる。
「狭い⋯⋯」
「ならベッドを買い替えましょうか?」
「そう言う問題じゃねぇ⋯⋯。いや、確かに解決するのか⋯⋯?」
結婚してから、寝る時はいつもこうだ。片方が空いているのは勿体無いからと両側から挟まれて、最終的に抱き枕にされる。ペットの次はぬいぐるみになった気分だった。
「八幡」
呼ばれて雪乃の方を向くと、柔らかい眼差しを向けてくる彼女と目があった。雪乃は何を言うわけでもなく、俺の髪を撫でてくる。
「ふふっ」
雪乃はあどけないぐらいの声で笑うと、俺の前髪を退けて額にキスをした。反対側からは結衣が、何も言わずに親指の腹で俺の頬を撫でる。
⋯⋯何これ。子どもの寝かしつけ?
「じぃ⋯⋯」
他人が見ていたらドン引き間違いなしの光景を見ていたいろはは、空いているベッドに座ったままわざとらしくそう言った。いやこれ、赤の他人じゃなくてもドン引き案件だな。
いろはは立ち上がってこちらににじり寄ると、にやりと不敵に口角を引き上げた。
⋯⋯どうやら俺は勘違いしていたようだ。これはドン引き案件ではなく、ドン押し案件であるらしい。
「ダーリンっ」
いろははベッドに飛び乗ると、そのまま俺に覆い被さった。蠱惑的な笑みは、俺を奈落の底に引き摺り下ろそうかとしているかのように、情欲をそそってくる。
「やっぱり二人占めはズルいです。わたし、メッチャ嫉妬しちゃいましたもん」
「だからって⋯⋯いろはの順番は明日でしょう?」
「一緒に寝るのは、そうですけど」
いろはは自らの身体を支えていた腕から力を抜くと、まるで掛け布団にでもなったかのようにピッタリと俺の身体にその柔らかな身体を密着させる。
気付けばバクバクと、心臓は高鳴っていた。平静を装う為のメッキが剥がれれば、後には無垢な感情と反応しかなく──。
「ダーリンは“起きてしまった”みたいなんで、みんなで寝かしつけてあげないと」
「⋯⋯そういう事ね」
「あはは⋯⋯あたし明日早いんだけどなぁ」
むくりと彼女たちは起き上がると、俺も手を引かれて身を起こした。
三方から取り囲まれ、俺は逃げも隠れもできやしない。
「あのー、俺の意見は⋯⋯」
「ききません♪」
「愚問ね」
「ヒッキー、往生際が悪いよ」
俺は愛しの妻たち三人に押し倒されると、真っ白な天井を見上げた。
嗚呼、やはり。
やはりとしか言いようがない。
──やはり我が国の一夫多妻制は、まちがっている。
To be continued...