蛍は何処へ 作:パリピブラゾール
「ねえ伴部。あなた情けなくないの? これほどまでに、手荒に扱われて」
いつもの戯れのつもりであった。鬼月葵は自分の扇子をひたひたと、お気に入りの青年の首に当てる。霊力次第では、ただの一撫でさえ彼の首を切断してあまりあることは、どちらも承知していることである。
鬼月葵が内心どのように思っていても、この青年は本心を隠すのがうまい。誰かの不幸には耐えられないのに、自分の不幸にはとことん耐える。それが鬼月葵には理解できないし、可能な限り、彼の在り方を変えてあげたいとすら思っていた。
だから、不意を突かれたのかもしれない。
「え……」
「と、伴部さん!? 姫様!?」
鬼月葵は宙吊りにされていた。喉を起点に無造作に掴まれ、持ち上げられている。思わず愛しい人の顔をみれば、そこには憎悪が滲み出ていた。
「と、伴……べ?」
やがて青年は、少女が窒息するより早く、彼女の体を投げ捨てていた。畳の上を無様に転がり、すがるように見上げた青年の影はどこまでも延びていて、鬼月葵を圧倒する。
彼はいつになく乱暴に、能面を投げ捨てて、鬼月葵を見下ろした。力む肩から無理矢理に力を抜くように、大きなため息を漏らす。
憎悪の感情に、鬼月葵はパニック寸前であった。未だかつて向けられたことのない感情、唯一すがることができた相手、地獄の三日間を守り抜いてくれた人が、まるで別人のような顔で自分を見下ろしている。
それでも彼女は、その人を自分の愛する人であると信じたくて……。
「葵」
それが、自分の名前を読んだものであることに気づくまで、彼女らしからぬ空白があった。唇の端が綻ぶのも止められず、鬼月葵はらしくもなくしおらしくなり、本来の立場を捨てて青年に平伏する。
青年の目は濁っていた。鬼月葵と同じように、暗い光を宿していた。
「立場を盾に、付け上がりやがって……」
憎悪の視線が鬼月葵を射ぬく。その視線が突き飛ばした少女を、服の上から舐め回す。視線による凌辱に、鬼月葵の鼓動は弾けんばかりに高鳴っていた。
「葵」
「はい……」
「調子に、乗るんじゃねぇ!」
それは暴言だった。鋭利な刃だった。屈辱であった。長年待ち望んでいた、下人の逆襲であった。
かくして被害者は予定調和的に被害者となり、加害者は、それを知ることもなく少女の体を組伏せた。
「ともべ、ともべっ、もっと優しく……!」
青年はこれを、平手打ちで答える。
「誰が命令していいと言った」
「はい……ごめんなさい……」
「ふん、急にしおらしくなりやがって、なんだ、まさかこういうことを期待でもしてたのか、変態が」
「あうっ」
下半身のうずきがとまらない。彼の一言一言が下腹部に突き刺さる。雌の体が、早く男に従順を示せと命令する。
しかしここで、鬼月葵はあえて博打に出た。いつものような傲慢な態度を演じ、まだ逆転の賽の目が出ると信じている博徒のように、唇を吊り上げる。
「伴部。わからないの? こんなことをすれば、ただですむはずがないって、あなたは誰よりも……」
「うるせぇ!」
青年の怒声に鬼月葵は崩れ落ちる。今から自分の尊厳をめちゃくちゃにしてくれるであろう伴部の軽蔑と怒りと嗜虐の目に、腰砕けになってしまったのだった。
そんな事情も知らず、伴部は鬼月葵の着物を剥ぎ取った。彼のような下人が何人でも補填できるだけの価値がある衣が、ビリビリと裂かれて捨てられる。肌を撫でる風が心地よいと感じるのもつかの間、とうとう自分をわからせるための伴部の分身が、凶悪なまでにそそりたっていた。
「この、生意気な糞餓鬼が!」
「ああっ……」
鬼月葵の体は、侵略者を歓喜と共に迎え入れた。糞餓鬼が、糞餓鬼が、という罵りと共に浴びせられる殴打に、鬼月葵は顔をとろけさせた。
そうだ、伴部はずうっとこちらに不満を抱いていたのだ。そして自分の傲慢な矜持をへし折り、彼好みに矯正し、尊厳という尊厳を奪って隷属させてくれるのだ……鬼月葵の被虐趣味は、この瞬間、かつてないほどに満たされていた。
「抵抗、しないのか」
僅かに顔をしかめた青年はすぐさま、鬼月葵にのし掛かった状態で、冷たく彼女を見下ろして、
「淫売」
と。そっと耳打ちした。その瞬間、鬼月葵はかつてないほどの興奮に包まれ、視界が真っ白になった。意識さえおぼつかせない歓喜は、青年が意図せず引き出したものであった。
青年を、立場のままに言いなりにできたのは、それなりに楽しかった。だがそれも、一時の飯事にすぎぬ。何故なら、鬼月葵を真に支配するのはこの青年であると、信じて疑わなかったから。ずっとこの瞬間を、待ちわびていたから。
自分を嘲る愛しい男の声を聞きながら、鬼月葵はいずれ自分に下されるであろう、男からの命令を、心のそこから楽しみにしていた……。