蛍は何処へ 作:パリピブラゾール
コメントは嬉しく読ませていただいています。返せなくなっただけです。
男の情欲の最中に限って言えば、複数の女を娶り、傅かせるのは浪漫だ。しかしそれも熱に浮かされたときの夜の夢のようなもの。毎日毎日女の方から誘われて、それでいてただ体力を消耗するだけならば、複数の女も、さらにはたった一人と決めた女であろうと、肌を重ねるのは億劫になるかもしれぬ。
そういう意味で、橘佳世にしてみれば下人というのは実に都合の良い、もっと言えば安心できる相手であった。決して自分の劣情を向けてこない、というよりもそれを悟らせない。同じ名前の同じ顔の女が毎日しつこく求めてきても、その度に女を絶頂させては仕方ないとばかりに頭を掻く。
下人として、道具として、世間一般の男の幸福を諦めているだけかもしれぬ。ただ、ふとした拍子でぶつかる視線には、昔父様に向けられていたような親愛がある気がして、それが、絶妙に作用しているのではないかと思う。
現実を知らぬほど子供でもない。親は必ず子供を愛してくれる、などと信じるわけでもない。それでも下人のこの目だけは信じて良いのではないかと、どんなに希望を捨てようとしたところで、地獄を知るからこその温もりに、なんとも言えぬ信頼をおいてしまうのであった。
「相変わらず底無しの性欲よね」
組伏せていた下人が顔をあげる。びくびくと体を痙攣させている橘佳世は幸せそうだ。
橘佳世は、南蛮風の湯飲みを卓袱台に載せると、下人に向かって腰巻きを投げる。橘佳世を介抱したのち、下人はその布切れで、なおもそそりたつ下半身を覆い隠した。
「お見苦しいものを……」
「いいわよ別に。今さらそんなもの突きつけられてきゃあきゃあ言うほど餓鬼じゃないわ」
ちらりと青年に視線を向ければ、ずいぶん引き締まった体をしている。商会の爺どもとは大違いで、青年が潜り抜けてきた修羅場のひとつも耐えられずに死ぬに違いない。青年の体には、生死の境をさ迷ったであろう傷跡ばかりだった。
「それより、よくまあこんな我儘娘相手にできるわね。私だったら平手打ちしてお別れするところだけれど」
「ご自分に対し、手厳しいですね」
「別に。同じ顔をした女が世間知らずの餓鬼だと、無性に苛立つってだけの話よ」
照れ隠しなどではなく、本心であるのは明らかだった。最近ようやく、自分の粗相で服を汚すことに気づいたのか、木綿の衣服を使うようになり、それを布団のようにかけてもらって、幸せそうに眠っている、自分の分身……こんなでありながら、我を取り戻すと、交渉を始めてくる強かさは確かに同じ橘佳世といえるかもしれない。
そういう風にして、自分の敵意を削ぐことも目的なのだろうな、と読めても、この世界に居座ることを決めた以上、どうしようもないのだが。
「姫様は、こちらの姫様と私が関係を持つことに、なにか思うところがある、などというのは?」
「自惚れてるつもり? あんたみたいな下人が誰と寝ようが知らないわ」
「いえ、私ではなく……」
「ああ、こっちの? 同じことよ。元々泣きっ面が見たくてあんたを唆したりしたけど意味がなかったし。もう関係を持ったならね。一度目と二度目ならともかく、二度目と三度目は比較する意味もないわ」
結局のところ女の貞操と純潔を尊ばれるのなら、どちらの橘佳世にも、もう女としての価値はない。それがこの世界の道理であり、常識だ。
「私は選ばなければならなかったし、そっちは……まあ時間の問題だったんでしょ。私は謝るつもりはないけれど、そこまで図々しいなら感謝のひとつも欲しいところね」
「そうですか……」
「ところで、下人」
橘佳世は、青年に視線をあわせる。
「随分平静を装っているけど、もしも世界がもっと普通の状態だったなら……あんた、橘佳世との関係をもっと活かそうと思ったり、自分の手の届かない高嶺の花を引きずり落とす愉悦のようなもの、感じたりしなかったの?」
「すでに、葵姫様を通して色々と融通していただいていますし、下人が高貴な方々の威を借りたところで、すぐに襤褸が出るのがおちかと」
「本当にそれだけ?」
「……欲を言えば、妖に殺されずにすむ道具を融通していただければと」
「あはっ! 女よりも妖、命って? 退魔師も大変ね」
「ははは……」
南蛮風の湯呑みでゆっくりと喉を潤しながら、下人は苦笑いをする。
橘佳世は、なんとなしに始めた暇潰しの会話に、なにかくすぐったくなるようなものを感じていた。自分の髪を撫でながら、ちらりと視線を青年に向ける。
「下人」
「は……」
「休憩はもういいでしょう? 今度は私を満足させなさいな」
「はあ……は!?」
帯を締めたまま、乳房を露出させ、裾を広げながら、青年の腰巻きを剥ぎ取る。青年のそれに惹かれたわけではない。人となりを知るうちに、体を預けてみたい、無防備に肌を晒してみたいと思えた、ただそれだけのことである。性交に対し躊躇いを覚えなくなった今、それは相手の本性と自分の本性を暴くのにもっとも効率の良い手段のように思えた。
相手の意識と自分の意識が、心情的な立場が同等ならば、なおさらである。
ここに来て橘佳世は、肌で相手を知るという、一昔前ならば売春婦のようだと自嘲する行為さえ、肯定的に受け入れられていた。それは彼女の、最後の潔癖性が消えていったことを意味している。
青年の膝の中へと座り込み、乳房を押し付けるようにして相手の背を抱く。異物を受け入れる少しの緊張が、熱い吐息となって胸板にぶつかって、自分の顔を濡らす。
「下人。この世界のお父様とお母様は、無事なのよね?」
「……はい」
「そうよね?」
「はい」
少女のうなじに顔を埋めながら、青年は、年下の少女に大丈夫ですよと滑稽なまでに敬語を使う。お互いに、相手を抱く腕にさらに力を込めながら、少女はぽろりと言葉を漏らした。
「お父様と、お母様を救ってくれて、ありがとう」
ずっと、言わないと決めていた言葉だった。自分の世界の父と母を否定するような気がして、自分の最後の矜持を穢すような気がして。
涙が止まらなかった。少女の嗚咽を掻き消そうとするかのように、青年は、力強く、自分の腰を突き上げ始めた。