蛍は何処へ 作:パリピブラゾール
このような形でつまらないものですが、応援させていただければ幸いです。
鬼月葵はぼうっとする頭を無意識に、青年の胸板に預けていた。体の中心からこんこんと込み上げてくるじんわりとした暖かさと、微熱のように肌の表面を撫でるようなぬくもり。普段の不遜な振る舞いもすっかり剥がれ落ち、着物を脱ぎ捨ててすべてをさらけ出したのがそのまま心にも作用したかのように、軽やかで、少し心もとない。しかし、青年のぬくもりは、葵の不安をすべて拭い去ってくれた。
青年が『自分』を救わなかったか否かは問題ではない。この世界の自分が好いているから心惹かれたわけでもない。この私は、『鬼月葵』は伴部という青年を愛しているのだと、今の彼女は胸を張って言えた。
だが、彼は自分のものとはならない。愚かにもこの世界の自分を嘲笑うためだけに利用したことが裏目に出て、青年の本当の優しさに溶かされたときには手遅れであった。同じ鬼月葵の間で立場は逆転したが、それは屈辱ではない。
真実屈辱に感じるのは、愛という独占を為せないこと、いつまでも青年とひとつのままではいられないこと、たとえこの世界の鬼月葵を殺して表面上の立場を簒奪しても、伴部という青年のなかでは、この世界の鬼月葵がどっしりと根を張っていて、彼にとっての鬼月葵は自分ではないという事実である。
自分より少しばかり胸の大きい、愛を平気で共有する頭のいかれた同じ顔の女ーー鬼月葵は、扇子で口許を隠したままこの情事をねっとりと監視している。
その目は、今までの自分が持っていた恋愛観、妖に凌辱され体に教え込まれた、『肉体の悦びを貪欲に追求する』というこれまでを捨てたことを問いかける、意地の悪いものであった。確かにその愛は蟷螂のように相手を貪る愛に比べれば、まさにぬるま湯に浸かるがごとしだが、じっと時間を掛けることで得られるものも確かにあるのだと知り、これこそが真の愛だろうかと、異邦人の鬼月葵は内心で動揺していた。
体重を掛ける。身じろぎする青年の肌と自分の肌が擦れて、一瞬ひとつが二人に分かれ、再びひとつとなるべく熱を交換し合う。鬼月葵は青年の首にかじりつき、今まで誰にも預けることのなかった自分の体を委ねていた。
この光景。たとえもう一人の自分に冷ややかに見下ろされていたとしてもなんだというのだ。愛を恥じることがなければ、誰にみられようと恥ずかしいことはないーー鬼月葵は下腹部に集まる熱さを、さらに深く味わおうとして足を絡めた、その時である。
「葵……さん?」
どちらかと言えば少年よりの、完全な声変わりを果たしていない声。自分の名を呼ばれて反射的に振り返ったその先に、ぽつりと少年が佇んでいる。この見たこともない少年は、自分が青年と愛し合っている光景に、ひどく衝撃を受けているらしい……。
鬼月葵が、ぱちりと扇を閉じた。唇を僅かに緩めて、意地悪い光を瞳に湛え、
「あら珍しい。お客様かしらぁ?」
お名前は、と尋ねると、少年はおずおずと頭を下げながら、
「僕は……蛍夜環、です。葵さんとは、恋仲で……」
少年は憐れなほどくすんでいた。健気に恋仲と言ってのけたのに、肝心の意中の人はまさに不義の最中である。鬼月葵は、流れ落ちる汗の雫ーー青年のものと絡み合って零れ落ちたそれーーを惜しげに見送り、このささやかな喜びをぶち壊した少年の頚をはねてやろうかと少年を真正面から射ぬき、呼吸が止まった。
「うそ……ちがう、こんなの知らない。わたしは……」
震える否定の声も、みたことのない記憶に呑み込まれていく。全滅した郷での生き残り、見るからに弱々しいこの少年が、どうして妖から生き延びることができたか不思議で、こっそり観察を続けていた。
そして、紆余曲折の後に、二人は恋仲になったのだ。確かに。鬼月葵が蛍夜環という少年の肉体を、貪るような愛の形で。
「感心しないわねぇ……想い人がいながら、人の男に浮気をするなんて」
皮肉たっぷりの口調で、鬼月葵は立ち尽くす同じ顔の少女をなじる。すがるような環の視線に嗜虐心を刺激されながら、しかしその記憶は、自分が経験していないものだと自分に言い聞かせるのだが、感情の渦が認識を揺さぶり、不貞を、独占しなかった愛を厳しく糾弾する。
反射的に鬼月葵は、先程までひとつだった青年の方を振り向いた。自分のこの気持ちを、彼ならばわかってくれると藁にもすがる想いであったが、
「伴部。お客様に失礼のないようにね?」
自分自身の行動を先読みしたこの世界の鬼月葵が王手を掛ける。蛍夜環、この世界ならば少女となっている存在は、涙を堪えた瞳に、男の本能を垣間見せながら、
「葵さん……昔あなたは、僕を私のものと宣言してくれた。……僕も今、同じ言葉を君に送るよ」
「ちがう、待って、わたしは……!」
「君は僕のものだ。そうだろう?」
少年は、青年が真似ようとしても真似できない、編み上げた霊力をもって裸の恋人を押し倒した。自分の帯を引きちぎるようにほどいて、譫言のように待ってと繰り返す鬼月葵の体を的確に貫いた。
それはかつて、鬼月葵が蛍夜環に教えた愛の形だった。しかしその愛の形は、今の彼女には受け止めることができない。
鬼月葵は手を伸ばした。青年の方へ、助けを求めるように。しかし、青年の姿が完全に視界に入る前に、自ずと動き出した屏風によって阻まれ、その瞬間に男性器で突き上げられて、大きく波打った。
そんな彼女を音もなく見下ろした鬼月葵は、するすると着物をほどきながら、同じく肌をさらしている青年の方へ、屏風の影へと消えていった……。