蛍は何処へ 作:パリピブラゾール
鉄鋼怪人氏から「続きを書いても良い」と以前言っていただけたので、ようやく続きが書けたことを満足しております。
鬼月葵が伴部の存在を知ったのはこの自分とよく似た異なる世界に来てからのことである。事件当時の下人は一人残らず妖に食われてそもそも同じ男がいたのかどうかも怪しい。もっとも存在していたとしてそれがなんの慰めになろうか?彼女はもっとも愛を求めた相手に裏切られ心も体も汚されてしまったのだから。
だから、この異なる世界と己の世界にただならぬ縁が結ばれて交流ができたとき、鬼月葵はこの世界における自分の過去を偶然にも知った。そして、襲ってきたのは強烈な嫉妬である。伴部の名を知ったのはこの時だが、それでも彼女にはその下人が本当にそのような実力を持っているとは信じられなかった。それは、なにも聡明な彼女が負の感情に審美眼を狂わされたというわけではなく、その下人の在り方は、修羅場でこそ輝くという前提条件の違いからである。
ゆえに、鬼月葵は鬼月葵による一下人への信じられない執着をおよそ理解できなかったわけであるが……それでも、彼女が下人ごときに身を委ねるのを良しとしたのは、気にくわない自分自身を絶望に落とし込むためであった。それ以上のなにものでもない。
すでにこの身は汚されている。では、一人の気に食わぬ女を絶望させるために用いるのに、何の躊躇いがあろうか?
そうして、決定的な差異を持つ二人は、だからこそ捨てられるものがあり、捨てられるものがなく、失うものがなにもなく、これだけは失えないものがあった。それだけの話である。
さて、鬼月葵は飽きっぽい人間であることは周知のとおりである。その反動もあって興味を惹かれたものには執着する。今回の場合、それが伴部と異なる軌跡を歩んできた鬼月葵、本人である。鬼月葵は人間の脆さを知っている。裏を返せば、どうすれば相手を支配することができるか、飴と鞭の使い分け方を心得ている。彼女は貴重に得た玩具を、そう簡単に使いつぶすつもりはなかったということだ。
ちょっとした風ですぐに壊れてしまいそうな伴部の小屋が、鬼月葵の小屋でもあった。主としての特権をはく奪されこの掘立小屋に押し込まれた傲岸不遜な少女はさぞ反発を高めたかというとそうではない。伴部によって純潔を散らされること、そんな愛しい男と二人きりの環境にさせられることは、鬼月葵にとっては褒美でしかなかったのである。一度肌を重ねてしまえば、その欲求は果てることがなく、今日もまた、鬼月葵は伴部によって押し倒され、その豊満な体を貪られている。
「ともべ……ともべぇ……」
甘ったるい声で男を誘う瑞々しい唇を塞がれ、彼の舌が前歯をこじ開けるより早く彼女はその蹂躙を手助けし、天にも昇る気分でいた。首筋を軽く噛む彼のいじらしさに、いっそ喉笛を噛みちぎる勢いでもいいのに、とすら思ってしまう。普通女は男とのまぐわいによって自然無意識に脚を閉じてしまうところであるが、彼女は逆にどんどんと脚を広げていき、からだのどの部位も伴部を阻むことは許さないとばかりである。腰だけが他の生き物のように上下に大きく揺れて、男が快楽の呻き声を漏らす。いよいよ本番とばかりに腰のくびれをつかんで、今まで溶けあっていた二人が切っ先によって触れ合う。じゅるじゅると、悦びの余りに頬が緩みっぱなしで快楽に溺れた雌だけがそこにいる。
「これで目が覚めたら妖が相手だった、とかなら、さぞ絶望した顔になるんでしょうねぇ」
未開の野蛮人を見るような目つきで、十二単をまとった鬼月葵が、扇子で口元を隠して裸の自分を見下ろす。動くものを反射的に目で追っただけで、鬼月葵はそれが自分の浅ましさを嘲弄する自分自身の姿とは気づけない。少女は唇に軽く指を押し当てて、どのような好意が最も相手に劇的な反応をもたらすか考えたが、
「結局のところ、そこの下人を寝取りでもしない限り、ぜんぶ悦びに繋がるのよねぇ」
乱暴に襲うように男をけしかけても、行為の最中に暴力を振るうように実行させても、この性に溺れるみすぼらしい女は本性を露わに喜ぶだけなのである。鬼月葵はその様子に吐き気さえ催したが、自分が伴部という下人とまぐわっている時絶望する顔が面白くて満足している。
とはいえ、何度同じことを続けるのも芸がないし、気持ちよいとも思えない行為に身を委ねるのも退屈で、詰まらない。
「変化が欲しいところなのよねえ」
扇をぱちん、と鳴らしながら閉じて、しばし瞑目する。そして目を開けた時、眠たげな細い目に、僅かに楽し気な光が宿った。
伴部がふと我に返った時、彼は自分が仕えている姫君を押し倒し、着物を剥ぎ、凌辱している事に気づいた。言葉に詰まった彼は自分の鬼畜の所業に愕然とした様子で自分と、快楽にとける藁の上に寝そべる鬼月葵を何度も見つめなおした。
「ようやく気が付いたかしらぁ?」
「!……姫様……!?」
突如として降ってきた声に、反射的に顔を上げて、もう一人そっくりな自分の主が、自分と、彼女自身にそっくりな少女の痴態を見守っていたことに気づく。
「大変だったわよ。とも……べ。新しい式神を私そっくりに作ったら、突然に襲い掛かってこのざまなのだから」
「式神……!? こちらの姫様は、その、式神なのですか?」
「あら、私の技量を疑うの?」
「いえ、滅相もございません。が……」
何やら歯切れの悪い青年の首筋に、ぴたりと扇を押し付けると途端に青年は沈黙した。教養はないかもしれないが、下人にしては頭は悪くないようだ、と鬼月葵は判断する。
「けれど、おかげさまで色々とわかったわぁ。とも……べが、日頃、私をどのように思っていたか……ね」
「……申し訳ございません」
「でしょうね。下人と私の立場、これを弁えないほどの愚かものは滅多にいないでしょうから」
もっとも、伴部の荒い突き上げが止まったことに、だんだんと正気に戻りつつある自分の同じ顔の女など、それをまったく弁えていない最たる例であったが。
「それで。とも……べ。あんたはその式神に、いつまで咥えさせているつもりなのかしら」
「! も、申し訳ございません」
慌てた様子で、下人は近くにあった服を身に着け、鬼月葵の顔を疑いながらも、式神だと言い張ったこの世界の主君に優しく衣をかけ、肌を隠している。なぜかその事実に苛立ちを感じながら、鬼月葵はさて何を言ったものかと思案していたのだが。
「ともべ……どうして、やめるの?」
と、瞳を潤ませ、若干意識を取り戻したもう一人の自分の様子に、内心での笑みを濃くした。
「ともべ……もっと。もっと愛して……」
「どうしたの、とも……べ。まさかとは思うけれど、主の意志を無視して式神の言葉に耳を傾けようと思っているのかしら?」
「しかし、姫様。式神は本来、主の意に添わぬ行動はとりますまい」
「あら。ではここにいる式神はよほど出来が悪いか、私が下人の体を求めるような淫乱か、そのどちらかということかしら?」
果たして下人は沈黙する。だが、ここまで式神と強調してもなお、自分ともう一人の自分とに、等分に眼差しを注ごうとしていて、それが彼女の神経を逆なでする。
「……そもそも姫様は、何をお思いになってご自身に似た式神を編み上げられたのです?」
「あら、自分が疑問を抱けるような立場だとでも思っているの?」
「無礼は承知です。考えが回らぬ私のような下人と違って、深謀遠慮のある姫様だからこそ、その行動に意味があると考え、その理由をご教授願う次第です」
ぱちん、とまた無意識に、扇を鳴らしていた。下人だからと見くびっていたが、これがただの下人? そう考えるのはよほど頭がしあわせにできている。少なくとも家人と同じくらいには追及してくる。そして、それは普通、下人にはありえない思考である。
「ただの気まぐれ。そう言ったら、とも……べは信じるかしら?」
「……姫様がおっしゃるならば」
「ともべ……ともべ。続けなさいよぅ……」
一人蚊帳の外に置かれていた少女が、人恋しさに青年にしがみつく。慌てて受け止めた彼の胸元に自分の顔を擦りつけて、じっと上目遣いに見上げる。
「とも……べ。それで。続けるのかしら?」
「ともべ……いつものように愛してちょうだい。ともべ……」
まったく方向性の異なる二人に下人は目を白黒させていたが、やがて、何かを決意したように、
「姫様。お話を続けるとあれば、一旦お時間をいただけますか。こうして醜態をさらしながらのお話は、姫様にとってもお目を汚すばかりだと愚考しますが……」
「退屈しのぎには十分でしょう? 私も、少しは気になっているのよ。あんたが、主君である私と式神の我儘、どちらを優先するのか……ね?」
「……どちらも姫様であると、自分は」
「へえ? つまりそれは、私を式神と同じように考える、と?」
「滅相もございません」
潮時だ。鬼月葵は霊力を編みなおし、再び伴部の自我を閉じ込める。そして、わざと体をぶつけて、この世界の鬼月葵を弾き飛ばした。体を打ち付けた鬼月葵が我に返るのと、鬼月葵が青年の唇を奪うのはほぼ同時であった。
「え……」
鬼月葵は、絶句する。
自分と同じ顔の少女が、自分のいるべき場所にいて、自分の愛しい相手と熱烈に抱擁を交わしている。唇を奪い、奪われている。それは純潔を捧げるのとはまた違う愛の捧げ方であり、いずれ鬼月葵も誓いとともにそれを行おうとしていたのだが……。
一方の、鬼月葵は、青年の腕が予想以上に逞しいことに気づきながら、もう一人の自分を絶望させるために更なる行為に及ぼうとする。鬼月葵は、生来の体位がどうにも我慢ができない。男に屈服させられる屈辱よりも、妖に襲われた恐怖が先に立つ。そんな彼女が安心して相手に屈辱を与えながら安心して誰かのぬくもりを感じられるのは、常に女性優位の立場であった。
ゆえに彼女は、胡坐をかいた伴部に跨り、相手を捉えたままずぶりずぶりと彼の一物を受け入れていった。それはあくまでも体だけではある。瞳は常に男を捉えて、何かあったら男の首をねじ切れるように腕を回している。久しく感じられなかった、今はもう忘れた感傷に眉をひそめながらも、鬼月葵は青年と向かい合い、青年の上に座り込んだ。
火遊びは承知していたはずである。だが、こころが受け入れようとしない。目の前で、他の女が彼といい雰囲気になっている。どこか冷淡な印象を受ける自分と同じ横顔に傲慢さを感じ取る。確かに火遊びは許すつもりであったが、目の前で見せつけられるような状況は考えていなかった。自分の地位が追われるような事態を想定していなかった。それでも彼が、自分一人の自分、鬼月葵を選んでくれると一体誰が保障してくれるのだ。
「やめなさい! やめて、ともべっ!」
縋りつくように腕をとった鬼月葵の動きを読んでいた鬼月葵は、回していた腕を少しほどいて、自然に彼の頬に手を寄せ、くるりとそっぽを向かせたうえで、彼と唇を重ねた。青年に拒絶されたように思えた鬼月葵は腕にしがみついたまま、今日の絶望の始まりを味わうのであった。