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『変わる世界』
『変わる世界』
「はぁ、はぁ……。」
木漏れ日が差し込む中、少年は獣を相手に剣を振るっていた。何度かの剣戟の後、少年が振るった剣の刃先が獣の喉笛を捉える。血飛沫を上げながら獣はその場に倒れた。
「今日も生き延びたか……。」
少年は画面に表示された経験値獲得画面を眺めながら安堵のため息を吐く。かれこれ、2年以上は続けてきた殺し合いにも漸く慣れてきたのだ。剣と呼ぶには長すぎる大剣「ツヴァイヘンダー」を腰に差し、少年は歩き出した。
少年は過去を思い返す。今、家族はどうしているだろうか。他のプレイヤーは何人生き残っているのか。
そして———いつ、ここから出られるのか。
少年の名は、「神崎優斗」といった。現実の、世界で、だが。ここ仮想空間内でのハンドルネームは「ユウ」で通している。
2年前、このゲームの開発者が仮想空間内を支配、プレイヤーを外界から隔離してからというもの、彼も生き残る為に戦い続ける日々を送っている。
彼は将来を有望視された少年、だった。
中学の頃は地方の剣道大会で優勝し、高校に通ってからも剣道を続けている。そんな彼が、「剣」に重きを置くこのゲームの魅力に取り憑かれたのも必然であると言えた。
しかし、今はもう過去の出来事だ。
2年。ユウは今年で18になる。16の頃にこの世界に囚われてから、2年。それは10代の少年にとっては余りにも長い年月だった。もう彼は全国大会に出る機会はおろか、まともに復学出来るかも危うい。仲間達との青春を取り戻す事も、もう、出来ない。だが焦れば焦るほど、この世界の沼底に沈み込むかのようなもどかしい思いを抱きながら、日々を過ごしていた。
ユウは、最近、仮想空間内での雰囲気が変わってきたように感じた。昔は倒したモンスターは結晶体となり、宙に溶けて消えたのだが、今は死体がその場に残り続けている。何かがおかしい。そんな小さな違和感が大きくなりつつあった。更に死体の欠損描写も丁寧に描写される様に変化しつつある。現に、彼が先ほど倒した獣の喉笛には真っ赤な空洞が空いている。とても全年齢を謳うゲームとは思えないほどの作り込みだった。これも製作者の趣味なのか、何かの意図があっての変更なのか、彼が知る由は無い。
「暑いな……そろそろ帰るか。」
彼は、西洋式甲冑のフルフェイスの兜を脱いだ。仮想空間内で暑さを感じる、というのも変だが、頭部に装着したフルダイブ式のナーヴギアの機能により、体温の変化、体質、身長、体重、そして三代欲求全てに至るまで現実空間と遜色なく作られている。現実空間と仮想空間、果たしてどちらが自分にとって本当の世界なのか、彼はしばしば判別が付かなくなりそうだった。
殺して、殺し抜いて、2年。失った仲間の数ばかりが増えて、でもその分、自分は生き延びて……。2年という年月は、1人の人間の感覚を麻痺させるには十分な月日といえた。ユウが純粋さを保ち続けることが出来たのは、奇跡に等しい。他のプレイヤーはみんな、グロテスクな光景に慣れることが出来ずに剣を捨てるか、自ら死を選ぶ者が多数いたからだ。ユウは、自分自身の事を騎士になったつもりでこの世界を生きていたから、純粋さを保ち続けられたのかも、知れない。このゴシック様式の騎士の甲冑は、彼がこの世界で生きるための唯一の方法だった。
「ユウさん、お帰りなさい。」
「……ただいま。」
転移による一瞬の暗転の後ユウは、自身のプレイマネーで購入した城に戻った。
<ヴァレリア・シャトー>という普仏様式を基調とした小さな城が、ユウの目の前に広がる。
その城の入り口、城門前には14歳くらいの小柄な少女がユウの帰りに労いの言葉をかける。彼女の名前はマイ。確か本名は「桜木 舞」だった筈だ。彼女と出会ったのは2年前。丁度行き場を無くしていた彼女を助けたのは、彼の気まぐれにしても良い判断だったとユウは思っていた。彼女のパーティはプレイヤーキラー達の集団に襲われ、早々に壊滅していた。ユウが助けなければ彼女も……いまここには居なかっただろう。
「マイ。今日も変わりはなかった?」
ユウが黒いゴシックドレスを見に纏った少女に尋ねる。彼女の姿は周囲の風景からはやや浮いた光景ではあったため、当初はやんわりと諭したが、
「この服……可愛くないですか?」
一蹴されてしまった。
彼女のこの格好は、この過酷な世界で正気を保つための、彼女なりの一種の鎧なのだと理解しているから、ユウがとやかく言うことは無い。しかしマイは日本人形の様な顔立ちなのだから、着物の方が似合いそうだな。とユウは考えていたが、口に出すことは無かった。
「はい。問題はありません。」
「そうか。じゃあ……食事にしようか。マイもお腹すいたよね。」
「はい……」
マイが丁寧な返答をする。ユウはその光景があまりにも様になっていたものだから、ついくすりと笑みを零した。自分に妹がいたら、こんな感じなのかと考えていたし、マイを見るたびに、ユウは家族の事を嫌がおうにも思い出さざるを得なかった。
ヴァレリア・シャトー城内は、名前こそ大袈裟だが、実際は小さな古城である。城内は薄暗く、仮想空間の中だと言うのに埃っぽさすら感じらる独特な雰囲気を持っていた。そういう雰囲気がある種の中世騎士らしさを感じられたから、ユウもマイもこの城を好きになったのかも知れない。城内には他に保護したプレイヤーや、ユウが捕獲したプレイヤー殺しの悪人を捕虜として閉じ込める牢屋も備えている。安全の観点から、今は……空だが。
ユウとマイは、2人で食卓を囲んでいた。今日のメニューは、鹿肉のシチューと黒パン、そして葡萄ワイン(ノンアルコール)だ。仮想空間内で食事というのも変な話だが、何故かこの仮想空間内では食料を消費する事で空腹を満たす事が出来た。「味覚再生エンジン」という機能らしいが、それが脊髄に繋がれた機械による物なのか、それとも精神的な物なのか、専門的な事はユウには分からない。だが、食事を取っている間だけは殺し合いの事を忘れられた。黒パンを手に取り、齧り付く。
(うん。美味しい。)
素朴だが悪くない味だった。内臓の生暖かさと、死体の冷たさ、生き残ったプレイヤー同士による殺し合いの悪夢を、未だにユウは見る。うなされる度にマイに心配されるのも、ユウは申し訳無く思っていた。
「マイ、最近のニュースの事だが。」
「ユウさん。」
「いやすまない。最近の報せの事だが。」
マイに嗜められる。この世界では外の世界由来の言葉は極力使わないようにしていた。ロールプレイに没頭するため……だが。
「例の騎士団が、塔攻略の最終段階に入ったらしい。」
「……そうですか。」
「やはり僕も……向かうべきだろうか。」
白と赤のサーコートを見に纏った騎士団。名前は何と言っただろうか、攻略組最有力候補であるその騎士団が、遂に動き出した。
ユウはその騎士団とは反りが合わず、距離を置いていた。独善的な匂いが鼻についたからだ。
しかし、例外として騎士団にいた女性の騎士とその隣に佇んでいる黒い外套を纏った剣士の2人は、何故か信用出来そうではあった。
だが、騎士団長には何処か胡散臭い雰囲気を感じ取っていた。自分達を正義の味方であると少しも疑わないその姿勢には、違和感を覚えざるを得なかった。
(あの騎士団は信用出来ない。だけど……このままでも状況は変わらない。)
スープを飲む手が止まる。人数や練度であれば、攻略において彼等は有効な手だろう。プレイヤーキラーの集団を壊滅させた手腕は見事ではあった。だが、いくら彼等が優秀であろうと、GMがそんな簡単に塔の攻略をさせるだろうか。自分達の人生を変えたあの男の声色からは、何か底知れぬ悪意を感じ取れる。
あの塔を攻略する事がこのゲームをクリアする条件ならば、何も対策を講じていない筈は無い。仮に、例の騎士団が攻略を完遂したとして、本当に自分達は解放されるのだろうか。
嘘だったら、どうする。どうなる?最後の希望まで砕かれたら、今度こそ自分達は狂うかも知れない。
そして何よりも、2年近くこのゲーム内に囚われていた他のプレイヤーが社会復帰出来るのだろうか。様々な疑問が脳裏をよぎる。ユウはどうしても、あのGMの言葉も、騎士団長の言葉も信用は出来なかった。
「ユウさん……スープ、冷めますよ。」
「ああ。済まないね。どうしても考えがまとまらなくて。」
ことり、とマイがコップを置いた。何かを言いたげな様子ではあるが、何を言おうか迷っている様子だった。
「マイ?」
「私は。私は……騎士さ……ユウさんにはもう、危ない目に遭って欲しくは無いですよ。」
「だってお姉ちゃんは……。」
マイがゆっくりと口を開いた。彼女のくりくりとした大きな瞳が、寂し気に宙を見つめている。
まさか、マイ、は、知っているのだろうか。
僕が君のお姉さんを—————
♢ ♢ ♢
「ど……どうして、ユ……く……ん。」
身体を袈裟斬りにされた女性が、臓物を垂れながしながら、ユウの名を呼ぶ。信じられない行動だったのか、驚愕の表情を浮かべたまま、ゆっくりと自身の血溜まりに倒れた。
何故そんな目で僕を見る。美波。
わざとじゃない。君だと分からなかったんだ。
「ユウ……君……」
ううう、やめろ、やめてくれ。
美波は、見ただろう。僕の、残忍な笑みを。兜を被るようになったのは、それからだ。
僕は、この手で大事な人を斬り殺したのだ。
平凡な、それでも、幸福な、生活、を。全てが崩壊した。全てが。
「……姉さんには、戦場で、会わなかったのですか?」
マイ、何故そんな目をして。
「ああ。会わなかった」
僕は、嘘をついた。
今まで僕の積み上げてきたものは、全て、無意味になった。
ユウは食事する手を一旦止め、マイに礼を述べた。あの時の事はもう思い出したくはなかった。
♢ ♢ ♢
次の日。ユウは物々しい音に目が覚めた。
ベッドから起き、外の様子を眺める。
「街が……攻撃されている?」
異様な光景だった。本来であれば、一般プレイヤーが多数いる街はモンスターからの攻撃を受けることは無い。「防護」プロテクトがかけられているからだ。システム上は、だが。しかしユウの目の前に広がる光景は、常識を覆すには充分といえた。街の至る所に火煙が上がり、虐殺による叫び声が響き渡る。
「た……助けっ!うわぁ……あ……。」
「いやぁっ!……モンスターが……どうし……て。」
逃げ惑う人々が、獣の爪に身体を両断されていく。獣の眼光が、赤く鋭く輝いていた。ユウと同じく殺し合いを楽しむ者の目だ。獣は死体には目もくれず、次の獲物を探しあぐねていた。やはり、食べるためよりも殺す事が目的の様だ。悪趣味な光景に、血が沸騰する感覚を覚える。
“獣ならばいくら殺しても良い”
そんな言葉が、脳裏をよぎった。
「マイッ!僕も出る!」
突発的に、ユウは愛刀の「ツヴァイヘンダー」を携え叫ぶ。
「……転移!!」
一瞬の暗転の後、粒子状になった身体が獣の元へ転移する。
「調子に乗るな!!!」
血の匂いがつんと鼻をつく。気持ち悪さは何も感じない。見ると、未だ獣が次の獲物を探していた。鈍い獣だ。彼は背中に携えたツヴァイヘンダーを一呼吸で抜くと、獣の元に走り出し一閃。獣の身体から血がほとぼしる。同時に跳躍、更に獣の脳天に刀の一撃を見舞った。
“グギィィィィ……!”
獣が痛みに吠えた。ユウは獣の頭蓋を叩き割る手応えと同時に、呆気に取られた獣の顔面を蹴り飛ばし距離を取る。着地したと同時に、今度は居合切りを見舞った。獣の前足が両断され、地面にぼとりと落ちる。
(……これでどうだッ!)
「剣技(ソードスキル)発動!テフラ・ディーセント!!」
ユウはまたも叫ぶ獣の咆哮を無視しながら、喉笛に突きを放った。ズブり、という刃が肉に食い込む手応えと同時に、ユウの両手を生暖かい血液が濡らしていく。この獣を仕留めた時の快感と高揚感が、ユウは気に入っていた。が、頭を振り冷静になるように努める。まだまだ他にも獣はいる様だ。
街の至る所から叫び声が響いてくるのが分かった。ユウは、嗜虐的な笑みを浮かべながら叫び声の元へと走る。
————これだ。この感覚こそが。この快感こそが、僕を夢中にさせてくれる。
獣に搭載されているCPUアルゴリズムには、ある変化が加えられている。同じ種類であっても、全く同じ挙動をする獣は一体として存在しない。だからこそ、殺し甲斐があった。
ユウは、血に酔っている事が自分にも理解していたが、あえて快感に身を委ねる事に決めていた。
……何かを殺す事は、こんなにも楽しいものなのか。底なし沼の様な昏い衝動に身を沈めながら、彼は次々と獣を屠っていく。そしてその様子をマイは悲し気な眼差しを浮かべながら、じっと眺めていた。
「助かりました!貴方は街の……いやみんなの命の恩人です!」
獣を狩り尽くしたのか、安全と見た他のプレイヤー達が建物の中から出てきた。そのまま
ユウを誉めたたえる。中には御礼として金銭やアイテムを渡そうとしてくる者もいたが、ユウは全て断っていた。
(なんだ……もう狩り尽くしてしまったのか……。)
「僕は騎士ですから、皆さんを助けるのは当然の事ですよ。」
ユウは愚かではない。人が死ぬのは嫌だし、誰かを助けるのは好きだった。だから本音を漏らす事は無い。誰にも、一度も。
彼は他者からの賞賛以上に————“殺す”事が好きなだけだった。
彼は殺したいから殺すだけだ。名誉も、富も、何もいらない。彼は殺すべき敵がいれば、殺されるに相応しい敵が欲しいだけだった。
そう言った意味では、彼はこのグロテスクな世界を誰よりも愛していた。だが同時に、自分をこの世界に捕らえた男「茅場晶彦」は必ず殺すつもりでいた。自分の人生を狂わせたあの男には、償いをさせなければならない。
推測の域を出ないが、街が攻撃されたのは攻略組が塔の最終的な攻略に入ったからかも知れない。あまりにもタイミングが良すぎるからだ。となれば、攻略組が彼を捉える前に、決着をつける必要があるだろう。
「……転移。行き先は——アインクラッド。」
ユウの身体が、光に包まれていく。
身体が震えているのは、武者震いか。
ユウは、ツヴァイヘンダーを力の限り握った。
続く