「本当に……危ないところでしたね。」
亜麻色の髪色の少女が、僕に飲み物を手渡す。試しに飲んでみると、甘い。先程の痛みがさっと抜け、力が湧いてくる。恐らくは回復用ポーションが混ぜられているのだろう。
僕たち純粋騎士団はファラリスと呼ばれるモンスターを倒した後、ここ純血騎士団の拠点へと運び込まれていた。手厚い看護と武器の新調、そして逃げ遅れた避難民の死体の埋葬など、全てが手際良く行われている。その手際の良さから、学生プレイヤーだけでなく社会人プレイヤーの人も多数いる事が伺える。
「これ美味しいでしょう?私もここに来てからは味覚なんて、と思ってましたけど、キリト君が教えてくれたんですよ。」
亜麻色の髪の少女は、朗らかに答えた。キリトクン。とはあの黒衣の剣士の事だろう。彼の強さはやはり常識を逸していた。十六連撃、二刀流。どれもユニークスキルと呼ばれるSAOの隠し要素である。しかし特別強いわけでは無い。その練り上げられた力強さと執念は、どこから来たのだろう。
『助けてくれてありがとう。』
「ふふ。大丈夫ですよ。貴方達の騎士団の力が無かったら、みんな……。」
彼女の笑顔が曇る。言いたいことは理解出来た。犠牲者を減らすことは出来ても、全員を助けることはできない。亡くなったプレイヤー達の家族は、何を思うのだろう。
(……早く、こんなところからは出ないといけないんだ。悲しみが広がる前に。)
血みどろの遺体、泣き叫ぶ遺族と仲間達。
僕がこの世界に来て何度も目にした光景だ。その度にやるせない気持ちと、獣達への憎悪だけが募った結果、僕は人間性を失っていった。それが前回の悲劇を生んだのだ。
『茅場晶彦。』
「はい?」
す、と少女の手が止まる。僕は、咄嗟に出た言葉を最後まで伝えるか一瞬迷った後、伝えた。
『ヒースクリフこそ、茅場晶彦だ。』
少女の身体が今度こそ固まる。一瞬だけ目を瞑り、僕に問いかけた。
「……こっちに来て。」
♢ ♢ ♢
「キリト君。この人が、大事な話があるの。」
「……アスナ?それにアンタは?」
グランザムの酒場、今は夕暮れ時だが、テーブルを間に僕と少年、少女が向かい合う様に座っている。何もこんな場所で、と思ったが、木を隠すには森の中という事なのだろう。大事にしたくないからこそ、人が多い場所で話をする。
(賢いな。)
僕は少女の機転に感心しながら、黒の剣士ことキリトに話しかけた。
『僕はユウといいます。キリト君、そしてアスナさん。これはとても大切な話だから、どうか聞いてほしい。』
「…………ああ。」
少年はぶっきらぼうに答えるが、その瞳は真剣そのものだ。僕は話を続けた。長い話だった。
♢ ♢ ♢
「……アンタの話が本当なら、団長が茅場晶彦本人であり、全てが自作自演ということ、か?」
『そうだ。』
「アンタの話が真実だという根拠は?」
『……茅場晶彦は、システムに干渉する能力を保持している。君も違和感を覚えたことは無いか?ヒースクリフと戦った時、まるで時間が飛ばされたかの様な錯覚を覚えたことは?』
「…………。」
『奴の目的は、この世界そのものだ。奴は自分の独善的な欲望のために、多くの人を巻き込み、殺した。僕も、大切な人を失った。だから僕は奴を許せない。必ず……。』
思わず熱っぽくなってしまい、口が滑りそうになるのを慌てて止める。殺すなど言うのはやはり、よくは無い。
「アンタの話はわかったよ。俺も、アスナもここから出ないといけないんだ。だからヒースクリフを倒す。アスナ?」
「私も、キリト君と同じ想いだよ。」
2人は、僕の話に同意してくれた様だ。彼らが正義に厚く、純粋な心の持ち主で良かったと心の底から思える。あの2人は、これまで通り騎士団を続けるが、奴の動向には目を光らせると言っていた。何か不穏な動きがあれば、行動に移すと。
僕は彼らに念の為、紫色のクリスタルを渡した。これは所有者の居場所がステータス画面に表示される様になる優れ物だ。また使用者が強く念じると、一方通行、しかも一度だけではあるが転移する事が出来る。茅場晶彦が不審な行動を起こした場合、若しくは2人に危機が迫った場合、これを使ってくれと頼んだ。
♢ ♢ ♢
2人と別れた後、僕は純粋騎士団の拠点へ戻った。キリト君達が手配してくれた、街の片隅にある小さな城だが、趣があり居心地が良い。
本当は他にもっと素晴らしい場所をとアスナさんが提案してくれたそうだが、シスター・ローズがこの場所で良いと断ったそうだ。その判断は僕も正しいと信ずる。(趣味的な意味で)
「あっ!おかえりなさい!ユウさん。」
ローゼン卿が手を振りながら僕を出迎えた。
『ただいま、ローゼン。みんなは?』
僕は兜を脱ぎ、ローゼン卿、いやローゼンの笑顔を見る。屈託ない可愛らしい笑顔に心が安らいだ。彼女は奥にいるよ、と言った後、浮き足立ちながら城の中へ入る。
「……おかえりなさい。ユウさん。」
「ユウ君、随分遅かったわね。」
最近一緒にいる事が多い桜木姉妹も僕を労ってくれた。城の広間の奥、会議室の様な小部屋。そのテーブルの上には豪華な料理があった。肉に魚、それに色とりどりのサラダ。味気ない食事を続けて来た僕のお腹が、ぐうと鳴る。
『……美味しそうだね。これは2人が?』
「ん。違う。私とお姉ちゃんもだけど、ローズ様も手伝ってくれた。」
マイが答えた。良く見ると口元には食べかすが付いている。恐らくつまみぐいでもしたのだろう。
「みんな、貴方やトール君達が戻ってくるのを待ってたのよ。」
『そうなんだ。そういえば……トールは?』
そういえばトールの姿が見えない。あの傷だから遠くにはいけない筈だが。
「……トールさんとテオドール卿の2人は……なんか、2人で鍛え直すって言って騎士団の方に行ったきり。」
マイがどこか遠くを見つめながら、答えた。鍛錬とは真面目な彼ららしい。
『なんだか、彼ららしいね。』
「んもう!困りますわ!せっかく作りましたのに。」
後ろから、シスター・ローズの声が聞こえ、僕は振り向く。少し怒った表情を浮かべた彼女の姿があった。
「透の事は放っておいて、温かいうちに召し上がりましょう。」
やはり、姉は弟には厳しいのか。素っ気ない口調で彼女は告げた。正直なところ、僕も同感だった。お腹が空いているのだ。トール達には悪いが、この料理を見て待つ。というのは拷問に等しい。
「ささ。皆様、召し上がるとしましょう。」
シスター・ローズが言い終え、僕達は席に着く。いただきます。という合掌の後、食事を摂り始めたのだった。
♢ ♢ ♢
食事を済ませ、僕は城の展望台へと足を運んでいた。夜空には星々が瞬き、美しい光景が広がっている。ゲームのグラフィックに彩られた空想の世界に過ぎないとはいえ、美しいものには変わりがなかった。僕は星空を眺めながら、その場に座る。側にはアスナさん達が用意してくれた新しい剣、”バスタードソード”を横たわらせる。ふと、バスタードソードから鞘を抜き、刀身を眺めた。ツヴァイヘンダーよりも10cm程短いが、鋭さと厚みが増した新しい剣を、僕は気に入っていた。取り回しも良く、何より厚みが増した分、長期間の戦闘にも耐えうる継戦能力の増加は嬉しい。今後の戦いにもきっと役立つだろう。
「星空、綺麗ね。」
ふと、隣にミナミさんが来た。彼女の気配は何となく察していたから、特に驚くことは無い。
『……時々、怖くなるんです。』
僕は、隣に座ったミナミさんに打ち明けた。
「……怖い?」
『みんなでこうしている日常が、いつか壊れてしまうのでは無いかと。』
———前回を思い出す度、胸が締め付けられる。どんなにこの世界で功績を積んでも、以前犯した過ちは消える事はない。罪悪感と後悔、それが今になって重くのしかかる。
僕は今だに、ミナミさんを殺した時の感触を思い出す。思い出して、しまう。その度に取り返しのつかないことをした、という深い喪失感を覚えるのだ。
「大丈夫。」
彼女の柔らかい手が、僕の手に重なる。
「君は強いから。心も、体も。それに何より貴方だけが戦って訳ではないでしょう?」
彼女の言葉一つ一つが、僕の暗雲を打ち払う光となるのが分かる。
『……ッ!』
ふと、涙が頬を伝う感覚を覚えた。
(ああ。やっと分かった。自分の役割が。)
僕は、助けなければならないのだ。僕が殺めた人々と同じかそれ以上の人を。命を。
ここから見えるグランザムの都市に灯る光。
あれの光一つ一つに、命が、人々の生活があるのだ。僕はそれを生きて守り通さなければならない。
“生きてこそ”
生きてこそ、人は憎み、愛し、分かりあう事が出来る。それは死者には出来ない。命の柔らかさと温かみを有した生者だけの特権。
「覚えてる?私と貴方が初めて会った日のこと。私は……ふふ。あんなに生きてることに感謝されたのは初めてよ。」
貴方は死んじゃ駄目よ。という言葉を残して彼女は去った。僕は、久しぶりに声を出して泣いた。泣いて、自分の感情を吐き出す事が出来たのだ。やっと。ひとしきり泣いた後、僕は城に戻り、泥の様に眠った。
この世界に来て、初めての熟睡だった。