『世界は、グロテスクであるべきだ。』
転移を終えると、そこはアインクラッドでは無く、広大な草地だった。
「……?」
おかしい。
確かに自分はアインクラッドに転移した筈だ。
だがこの場所は———
「来たかい。神崎優斗。」
ユウの本名を呼ぶ声が、聞こえた。
ユウの目の前に転移した少年と男性が現れる。少年の方は敵意を顕にしながらこちらを睨んでいる。
ユウは、少年の顔に見覚えがあった。
「お前は……。」
ラフィン・コフィンと呼ばれるプレイヤーキルギルドに所属する少年だ、確かな名前は……船橋、といったか。こちらの世界での名前は忘れてしまったが。
「相変わらず名前を覚えるのが苦手な様だな。」
船橋は、淡々と答えた。
「お前がここに僕を呼んだのか?」
ユウは、彼の言葉に答えることなく質問を投げかける。
「そうだ。お前に、攻略組に参加されるとまずいんでな。」
「だから……此処で殺すのか?」
「違う。お前にはもう一度、俺達のギルドに加わって貰いたい。お前と俺達の力があれば、攻略組を殺し、この世界をクリアさせる存在はいなくなる。」
攻略組、と聞いて、脳裏に彼等の姿がよぎった。この世界に屈したくない。この世界から出たい。意志の強い眼差しだった。ユウが、忘れかけていた目的を思い出させるには充分だった。彼等を、殺すのか。そんな真似が出来る筈がない。ユウは、ゆっくりと口を開いた。
「君の目的はそれか……この世界を存続させる事に意味があるのか?もう数百人も死んで、プレイヤーももう残り少ないだろうに。このままクリアしなければ、誰も……居なくなるんだぞ。」
「居なくなってもいいだろ?」
「ここまで俺たちが到達するのに2年。現実の世界に帰ったとして、どう生きる?家族に、友人に、なんて説明するんだ?サイバー犯罪に巻き込まれていましたとでも言うか?はっ!それこそ無理な話だ。仕事も、学校も、俺たちにはもう帰る場所なんてない……この世界で生きて、この世界で死ぬんだよ。だから、クリアなんてされては困る。」
船橋の言い方は、確かに一理あった。
この世界に来て2年。確かにクリアして現実に帰ったとしても……居場所は無い。学校も、社会人であれば職場も、失っているだろう。
この世界で死ねばナーヴギアが発するマイクロウェーブ波により呼吸中枢が破壊され、眠るかの様に楽に死ぬ事が出来るし、何よりも楽しくゲームをしながら生活する事が出来る。
確かに悪くない提案ではあった、が。
「断る。」
脳裏に、彼女の顔が、よぎった。
彼女の笑顔は、もう思い出の中にしか無い。
彼女は、ここから出たいと強く望んでいた。
例え自分がその願いを奪ってしまったとしても、せめてこのゲームをクリアして脱出しなければ、ならない。そうでなければ、何故、彼女は……。
(そうだ。僕は彼女の墓参りを……彼女を殺した償いをし続けなければ、ならない。そして何よりも—————)
「僕は……茅場晶彦を殺したい。あいつは……あいつは、僕達の、人生を、滅茶苦茶にしやがった。必ず見つけだして、殺す。あいつが作り上げたこのふざけた世界を、必ず壊す。」
「だから君の誘いには乗れない。」
ユウは、ツヴァイヘンダーに手を掛けた。臨戦態勢だ。
「ははっ……!やっぱりお前って奴はさぁ……本当に……そう言うと……知ってたぜぇぇぇッッ!!」
船橋は、狂気的な笑みを浮かべつつ走り始める。ユウも、同じくフルフェイス越しに狂気的な笑みを浮かべた。
(楽しませてくれよ……!)
2人の姿は、とても良く似ていた。雄叫びをあげながら、狂人達が激突する。
後は、純粋な殺し合いが始まるだけだった。船橋は大曲剣<ラージナイフ>を構え、こちらに迫る。ユウも、ツヴァイヘンダーを抜き船橋に斬りかかる。がちん、という金属同士が擦れあう鈍い音が響いた。鍔迫り合いになると同時に、またも船橋が口を開いた。
「ははっははぁっ!!何が騎士だ!何が守るだ!ふざけるな!嘘をつくな!お前は!お前はッ!!殺すのが好きな異常者の癖にっ!!俺達を裏切った報いを受けろぉぉッッ!!」
怒りのあまり口から泡を飛ばしながら、船橋が大曲剣を振り回す。その度にユウは応酬する。何度も、何度も剣戟が重なり合い、決着が着かない。
(……つまらないな。)
だが、熱くなる船橋に対しユウは冷めきっていた。ユウは殺し合いは何よりも好きではあったが、対人戦にはやはり興味を持てなかった。
船橋ほどの男なら、一般人とは違うと思ったのだが。見込み違いだった様だ。
獣ならば嬲りがいが幾らでもある。迫る爪、獰猛な眼差し、美しい体毛……そして流れる血の匂い。強く、美しい彼等を狩る事はユウにとって美徳だった。だが、人は所詮人だ。街中に潜む猿を捕まえる程度の楽しさも無い。
ユウは疑問だった。人を殺して一体何が楽しいのだろうか、と。だからラフィン・コフィンも直ぐに抜けたし、彼らの居場所をリークするのにも抵抗は無かった。
「神崎ぃぃぃぃぃぃぃ……神崎ぃぃぃぃぃっ!」
船橋の攻撃は余りにも詰まらなく、単調だった。対人戦に慣れきっているあまり、発想が人対人のまま固着しているのだろう。潮時だな。と判断したユウは後方に下がりナイフを投げた後、跳躍した。
「なっ……!ユウ……!お前ッ!?」
ナイフが船橋の腕に刺さる。その隙を見逃す彼では無い。
「剣技(ソードスキル)発動———兜落とし。」
ユウはナイフに気を取られた船橋の脳天を、ツヴァイヘンダーでかち割る。
「がっ……は……?嘘……だろ?」
船橋の脳天からは血が溢れ、脳漿が見えていた。なのに死んでいないのは、彼の固有スキル「再生」の恩恵だからだろうか。びくびくと痙攣しながら苦しみ続ける船橋の姿を冷ややかにユウは眺めていた。プレイヤーキラーといえ、所詮はこの程度なのか。退屈凌ぎにもならない。ユウを追って来たかつてのギルドの仲間も何人も殺して来たが、やはり詰まらなかった。いくら”処理”しても、楽しみを見いだせない。ユウは表情を変えずに船橋の首を刎ねた。鶏の屠殺の様に、あっさりと彼の首が胴体部から離れた。断面図からは大量出血しつつ、船橋の身体がその場に崩れ落ちる。
「クソが……お前なんか……地獄に、落ちやが……れ……この悪魔……が……。」
とっくに死体となった船橋が、呪詛の言葉を吐いた。
ユウは気にせず、船橋の後ろからずっと眺めていた男性に歩み寄り、話しかけた。
「貴方は……どうなさるおつもりですか?」
ユウ……神崎優斗は厳かに言った。フルフェイスの兜はあらゆる表情を隠していた。
「君が神崎君か。噂は聞いているよ」
男は冷たく言った。何かに対し怒っているような顔だった。この男は普段からこんな表情をしていたのだろうか。
丸腰のその男は、殺意ある熟練の騎士を前にしてもその威厳を保っていた。
「何故、武器を持っていないんですか?」
ユウはまた一歩、男の前に歩み寄った。身体の痛みなどはもうどうでも良かった。
「醜く足掻いてまで生き延びようとは思わない。世界にそれだけの価値はない。船橋君が敗れればそれまでのことだ」
男は答えた。
「……。」
「君の人生の目標は何かね。少なくとも今は、茅場晶彦を殺すことのようだな。……私の人生の目標は、安穏と偽善に満ち溢れた社会に罪悪感の鉄槌を下すことだった」
「……どういうことですか?」
「ああ……今、茅場晶彦が死んだ。」
「……!?」
「残念だが、攻略組が彼を殺したようだ。騎士団長になりすますとは……彼らしいな。」
「貴方は……茅場晶彦を知っているのですか?」
「……知っているさ。この世界のシステムを変えたのも……私だ。晶彦のやりかたは綺麗すぎる。生々しさが足りない。」
「世界は、グロテスクであるべきだ。」
「……。」
「人間の本質は悪である。肉を得るために牛や鶏を養殖して殺し、科学の進歩のためだと言ってどんな残酷な動物実験だってやっている。僅かな利益のために人を殺し、自分に関わりがないからといって見て見ぬふりをする。今では臓器移植用に人体の培養までやっている始末だ。その恐るべき、想像力と思いやりの欠如。自分達を善良な市民だと思っている奴らのなんと多いことか。奴らは平気な顔で軍需に沸き、肉を食らい、進歩した医療を享受している。生きているということは、絶対に何かを犠牲にしているということなのだ。分かるかね。」
男はいつしか演説口調になっていた。
ユウは、この男の口調に聞き覚えがあった。
この世界に囚われる前に、テレビで見た議員。名前は……何といっただろうか。暴力的なゲームが脳に悪影響を与えるだの何だのとのたまっていたのを思い出した。
「だが誰もが自分は善良だと勘違いし、必要なことを実行することが出来なかった。茅場晶彦がいなければ、日本はどうなっていたと思うのかね。想像力の足りない子供ばかりが増え、低下した学力は海外との競争にも負ける。誰かが決断すべきだったのだよ。罪悪感を背負いたがらず、自ら手を下すことの出来ない人間に代わって。ただ、それだけならゲームという媒体を禁止するだけで良かったが、私はあえて仮想空間内でプレイヤー同士を殺し合わせることにした。中東ではわざと戦争を起こして人殺しを奨励した。自分達は生きるために他の者を犠牲にしているのだということを悟らせるために。少しでも、彼らに罪悪感を植えつけるために。本来背負うべき、正当な罪悪感のほんの一部を。」
ユウは、この仮想空間のグロテスクな映像や、死人にも喋らせるシステムに、初めて納得がいった。
「史上最悪の議員。二十一世紀の妖怪。こんな批判を浴びながら、何故私が議員を続けていられると思うかね。奴らは、皆の非難を一身に受けて必要なことをやってくれるような存在が欲しかったのだよ。自分達は罪悪感を感じずに済むからな。……そう、結局は失敗だったのかも知れない。社会は、若者達の罪悪感を分け持とうとはせずに、この世界に囚われた彼らを落第者として排除し始めた。ロシアとの戦争だって他人事だ。奴らは、自分達の罪悪感を放棄してしまった。だがいずれ奴らも若者達を見ごろしたツケを払う事になる。若者を失ったこの国の活力は今後更に落ち込むだろう……ざまあみろだ。ははっ!」
男は、らしくない言葉を使い、顔を歪めて笑った。
「私は、人間が憎くてたまらない。この狡くて汚い人間が、憎くて憎くてたまらないのだ」
男の演説を聞くユウの胸に、暗い疼(うず)きが生じていた。それはどういう感情であるのか、自分でもよく分からなかった。
「神崎君、君は今まで何人殺した。五十人か。それとも百人かね」
「……貴方達が僕達に人殺しをさせたんだ。」
「いや、それは違うな」
男の目は、冷たく、厳しかった。
「殺したのは君だ。君自身の意志なのだ」
ユウはもう答えなかった。無言で剣先を男の心臓に合わせた。
「そうそう一つ、言い忘れていたことがある」
男が言った。
「君が知らないこと、或いは、忘れたふりをしていたことだ。」
「……。」
「私は以前の記録を調べた。プレイヤーの行動はその思考や感情も含め、逐一データとして残っているのだよ。」
「それが……どうしたんですか。」
「君は自分の大事な女性を殺した。」
男は冷酷に言った。ぞわり、とユウに悪寒が走った。ナメクジが這う様な嫌な感覚だった。
「だが彼女も、剣を向けて君を殺そうとしていたのだ。その殺気に反応して君は反射的に斬っただけだ。君は自分が血に狂って彼女を殺してしまったと思っているようだが、血に狂っていたのは彼女の方だったのだよ。君はそれを忘れようとしていたのだ。」
ユウの心に、重い痛みが走った。
その認識は、ユウの罪悪感を少しも軽くはしなかった。より絶望的な気分にさせただけだった。
ユウはツヴァイヘンダーを構え直した。
男は勝ち誇ったように言った。
「さあ私を殺すがいい。その血に塗れた手で私を地獄へ送るがいい。人間は皆、地獄へ行くのだ。」
ユウは上段から剣を振り下ろした。
男の胸が切り裂かれ、血が飛び散った。男はよろめいて、地面に前のめりに倒れていった。
動かなくなった男の死体が、誰にともなく呟いた。
「何故……何故、両親は、学校は、善を教えるのだろう。何故テレビでは、正義のヒーローが活躍するのだろう。『自分にとって嫌なことを、他人にやってはいけません』なんて、到底不可能なことを。……最初に善を教えられなければ、こんなに苦しまずに済んだのに……。」
それきり、男は何も言わなくなった。
草原を出て、月が地平線の彼方に沈むのを、ユウはずっと見つめていた。
何もかもが、ただ虚しく感じられた。
後は、『東』の方角から、太陽が昇ってくるのを待つだけだ。あの、現実世界の朝陽に似た、美しい朝日が……。
その時、ユウは後方から音がしたので振り向いた。
目の前に、マイの血みどろの笑顔があった。
手には、船橋の得物だったラージナイフが握られている。
咄嗟に後ろに跳んだが、遅かった。
ユウは首筋に鋭い打撃を食らっていた。芯まで透るような一撃だった。ライフポイントが2まで一気に減る。ユウは自分の首からほとばしる血飛沫を見た。だがユウは同時に剣先で真っ直ぐに突いていた。剣はマイの胴体を貫通した。ツヴァイヘンダーがマイが持っていたラージナイフに引っ掛けられて、ユウの手から離れる。
ユウは地面に仰向けに倒れた。
マイは、ラージナイフを持った両手を振り上げたまま立っていた。マイの胴体には大きな穴が開いていたが、彼女は生きて立っていた。
「ユウさん。目的を果たせて良かったね。私はずっと見守っていたよ。」
マイが笑った。彼女は自分のことを、私、と呼んだ。
「最初に言っておいた筈だよね。私はお姉ちゃんの仇(かたき)を探しているって。」
仮想空間上の肉体には、ある程度、プレイヤーの肉体の資質が反映される。そのルールがユウの頭を掠めた。船橋ですら両手で構えるのが精一杯の重いナイフを、マイは軽々と奮っている。彼女は正真正銘の、怪物だった。
愛用のツヴァイヘンダーはユウから一メートル以上離れた地面に落ちていた。ユウはナイフを抜いた。
マイは言った。
「やっぱりユウさんだったんだね。お姉ちゃんを殺したのは。」
ユウはナイフを投げた。たやすくマイがラージナイフで叩き落とした。何という反応速度だ。しかしユウはその隙に自分のツヴァイヘンダーに飛びつく。残った力を振り絞る、必死の跳躍だった。マイが魔性の速さでユウに飛びかかった。
ツヴァイヘンダーを力の限り振り回す。
マイの首がちぎれ飛んでいた。
だが、ユウの額にラージナイフの重い刃が突き刺さっていた。フルフェイスの兜など無意味だった。
脳裏に浮かぶライフポイントの数字が、ゼロになったことをユウは知った。
マイの首のない胴体が、うつ伏せに倒れる。彼女の体もさすがに動かなかった。
「マイ……。僕は……。」
死体となって横たわり、ユウは呟いた。恨みはなかった。ただ虚無だけが彼の心を占めていた。
「お姉ちゃんのいない世界は……ただ何処までも冷酷で……無意味……私は……こんな世界になんて……最初から来たくなかった……。」
マイの声は、泣いているようにも聞こえた。彼女の生首がどんな表情をしているのか、ユウには見えなかった。
「僕達は……何のために戦って来たのだろう。」
ユウは言った。ユウには空だけが見えていた。地平線の彼方から……3Dに加工された作り物の空が広がっている。
「マイ、君はずっと、僕を疑っていたのか?」
返事はなかった。
太陽が、顔を見せ始めていた。
「……朝陽が綺麗だね。美波と3人でいた頃の空も、こんなふうに澄んでいたよね。ねえ、マイ……。」
この世界に来る前、全てのことが自分の手で可能になると信じていたあの頃……。
望む全てのものが手に入ると信じていたあの頃……。
あの頃の自分に、申し訳ないと謝らなければならない。
でも、僕は頑張ったんだよ。ユウは心で呟いた。
何も手に入らなかったけど。全てを失ってしまったけど。
僕は、ずっと頑張ってきたんだよ。
もう。
ミナミのことも。マイのことも。
この、血塗られた手のことも。
全ては……。
“あなたは死亡しました”
頭の中に、合成機械音の無感情な声が響いた。
ユウの意識は、暗い闇の中へ落ちていった。二度と戻らぬ、暗い闇の中へ……。
♢ ♢ ♢
ゲームが終了し、看護婦は冷たくなったユウを眺めていた。
「やっぱり、戻ってこれなかったわね。」
看護婦は小さく呟いた。
百もの寝椅子のうち、動き出す者は誰もいなかった様に見えたが、どうやら、何人かは生き残りがいたらしい。ナースコールがひっきりなしに鳴り響いた。
ナーヴギアが外されたユウの顔は、意外に安らかだった。
♢ ♢ ♢
その夜、ユウの実家に電話がかかってきた。
「病院からじゃないだろうな。いつもこの時間にはかかってくるんだよな。いい加減、早く死ねってんだよ、あの穀潰しが。」
音声のみにしてスイッチを入れた。
「神崎和義様でいらっしゃいますか」
声は、女性のものだった。
「はい、そうですが」
「特別対策センターの者ですが。本日、あなたの御子息の神崎優斗様が……残念ながらお亡くなりになられました。」
「あ、そうなんですか」
へえ、あの穀潰しがねえ……。
全国大会に出られる逸材だったから期待してやったというのに、まさかゲームなんぞにうつつを抜かした挙句、あまつさえ囚われるとは。我が家の恥晒しが。死んで当然だ。
和義は、口元が緩むのを感じつつ、急に恥ずかしくなって引き締めた。こちらの映像を切っておいて良かった。
「ご遺体の方は、そちら様でお引き取りなさいますか。それともご迷惑なら、こちらで処理致しますが」
「あ、ああ……。そうして下さい」
和義は電話を切った。
「あなた、誰から」
妻の問いに、
「ああ、アレが死んだってさ。だが、これで訴訟を起こせる。……幸運ではあったな。」
何の感情も込めずに答え、ユウの父は自分の日常に戻った。今日中に片付けなければならない仕事がまだ残っているのだ。
完
最後まで読んでいただきありがとうございました。