「はぁ……はぁ。」
(息が……はぁ……胸が、苦しい。)
ユウは、額に汗をかきながら、眼前の敵を睨みつけた。現実世界の彼は、今頃汗だくに違いない。彼等は今、30階層のボス 二枚爪の獣「ツヴァイ・オニュクス」と熾烈な戦いを繰り広げていた。
「ユウッ!大丈夫か!?」
トールがユウを配慮しながら、獣の巨体から繰り広げられる猛攻を紙一重で躱している。
「大丈夫だトールッ!く……うおおおッ!!」
ユウは呼吸を整えると、咆哮を挙げる獣に対峙し、真っ直ぐに突っ込んでいった。
♢♢♢
———話は数時間前に遡る。
「ランチェスターの法……則?」
ローズ・キャッスルの客間にて、【イノセント・ナイツ】の全員が不思議そうにユウの顔を覗き込んでいた。
「確か……第一次大戦時に提唱された戦法、だったかしら?」
ミナミの言葉にユウは満足気に頷く。
「そうです。簡単に言うと、数の多い方が有利という法則です。1対の相手に例えば……3人で攻撃して、こちらの被害を極力抑えつつ敵を効率良く倒す方法です。」
「つまり……多勢に無勢ってことですか?」
マイが小首を傾げた。ミナミ程では無いが、彼女もなかなかに飲み込みが早いようだ。
「……俺達はその数で劣っているんだが。」
トールが机に肩肘をつきながら、面倒くさそうにぼやいた。彼が疑問に思うのも当然だ。あの塔の中の敵モンスターの数は不明。対してユウ達の戦略は5人。他のギルドの様に数十人なら兎も角、少数の彼等にはランチェスターの法則は当てはまらない。しかし。
「僕は……このランチェスターの法則を逆手に取りたい。」
「逆手……とは?」
今まで沈黙を続けていたシスター・ローズがユウの声に耳を傾けてくれた。ユウは話を続ける。
「敵の攻撃を僕に集中させ、その隙に他のメンバーが敵を攻撃します。」
「……仰る事の意味を理解していまして?」
シスターローズが驚きのあまり目を見張った。
「例えユウ様の腕前でも、それは難しいと思いますわ……。」
「そうよユウ君、無謀よ。」
「大丈夫です。そのために、僕はある装備を提案します。」
ユウは、強い意志を秘めた瞳でシスターローズを見つめた。
♢♢♢
「うおおおおおおッ!」
ユウは左手と右手の両腕に大楯を構えながら、ツヴァイオニュクスに突っ込む。敵は反射的に大足でユウを踏み潰そうとするが、頑強な”大楯”に阻まれ効果はなかった。
(全身にフルプレート、両腕に大楯を装備した防御特化仕様だッ!)
“多重積載装甲”そして銀の大楯で堅固に構成されたユウの装備は、例え30階層のボスでも破りきれはしなかった。
(……凄い重たいし疲れるがッ!僕のヒットポイントは少しも減ってはいないッ!)
「今ですッ!一斉攻撃をッ!」
ユウは全員を呼んだ。その声に反応し、トールとミナミの2人が攻撃を集中する。
「姉貴ッ!体勢が崩れたッ!」
「ローズさん!お願いします!」
2人が叫ぶ。
「行きますわよ皆さん!はぁぁぁッ!!!」
シスター・ローズとテオドール 卿とローゼン卿の3人が同時に剣技を繰り出す。真一文字に伸びた剣先が、ツヴァイオニュクスの心臓に突き刺さった。唸り声を上げながら、ツヴァイオニュクスは地に伏す。
(……やったのか?)
ユウは安堵のため息を漏らしつつも、ツヴァイオニュクスから目を逸らさない。しかし、動き出す様子はなかった。第二形態はないと確信出来る。すると気が緩んだのか、途端に身体が重くなり、ユウはよろめいた。
「おっと。危ないぜ。騎士様。」
ふらつく彼の身体をトールが支える。
「トール。騎士様はやめてくれよ。僕はただの……。」
ユウは照れ隠しをしつつも……脳裏に前回の記憶が蘇った。
♢ ♢ ♢
街の中を、炎が渦巻いている。煙と焼けた死体の悪臭が、ぷんと鼻をついた。
(どうして……)
ユウは、足元に無造作に転がる死体を力無く見つめながら、ツヴァイヘンダーを肩にかける。自暴自棄に陥ったプレイヤーキラー達の死体が、辺り一面を覆い尽くしていた。ユウが、1人でやったのだ。何の感情も無く剣を振い、敵の首を刎ねただけだ。フルフェイスの兜は、あらゆる感情を抑え込んでいる様に、見えた。
(……つまらないな。)
人を、殺した。という感傷などは、彼にはもう無かった。ただ虚しさだけが、彼の心を占めていた。
♢ ♢ ♢
(僕が、頑張らなきゃ。無理をしてでも、みんなを助けなきゃ……いけない。)
ユウは、全員の顔を眺めた。この1人1人の生死が、自分の肩に重くのしかかる様な錯覚を覚える。
「……凄い顔してるわよ。ユウ君。」
「ユウさん、また寂しそうな顔してる。」
表情に出てしまったのか、桜木姉妹に心配され、ユウはハッと我にかえる。
(……気を張り詰めすぎた。)
「トール。」
「ん。」
ユウはトールの背を叩き、彼の支えを離すと、そのまま床にゆっくりと座った。
「……これで、とうとう30階層ですね。」
ローゼン卿は興奮を隠しきれない様子だ。
「あー!今どれくらいなんだろーな。全部で50階層くらいだったらいいのに。」
ローゼン卿の言葉に、ユウを除く全員が頷く。
(少なくとも後50階層以上はありますよ。)
ユウはそう思ったが、口には出さないでおいた。
前回は”グランザム”に到達して以降の記憶が曖昧だが、今回のペースならば、1年以内には辿り着けるだろう。彼は知っていた。この先の敵は、どの様な方法で攻撃をして、どんな攻撃に弱いか。例え差異があったとしても、この経験と知識は無駄にはならない。
だからこそ、ユウは防御に特化した装備を提案した。ツヴァイヘンダーによる力押しだけでは、敵は倒せたとしても、味方を守りきるのは難しい。1人に攻撃を集中させ、仲間の生存確率を1%でも上げなければ、ならない。ユウは痛む体を抑えながら、立ちあがろうとした。
(待て……"痛い"?)
身体中に冷や汗が伝う感触を覚えながら、ユウは試しに頬をつねる。やはり、痛みが走った。恐る恐る身体を見回す。傷口と思われる部分から、じわじわと血が滲み出ていた。
「どうしたのユウ君……待って!その身体!」
「ユウ……お前、血か?血が出ているのか?いや待……痛ッ!?何だ?身体が痛ぇぞ。どうなってやがる?」
「ホントだ!おかしいよ!ゲームなのに。SAOという”仮想空間”の筈なのに!まるで本当に傷が……。」
「オチツイテ、下さい。」
パニックになりかけた彼等だったが、テオドール 卿が助け舟を出した。彼の声からは不思議な穏やかさがあった。
(しかし、これは一体どう言う事だろうか。)
ユウは胸が疼くのを感じた。不快な感覚だった。
「……皆様、一度城に戻りましょう。」
そしてこんな状況でも、シスター・ローズは冷静だった。
♢ ♢ ♢
「さて。先程の件についてだが。」
トールが不機嫌そうに、ソファに腰掛ける。
まるで実家の様に寛ぎつつも、その声には不穏な色を含ませている。
「この痛みは何なのか、か?」
ユウは痛む身体を抑えながら問いかけた。
「ああ。ユウ、お前はどう思う?」
「さあ、僕の憶測だけど、GMによる細工じゃないかな。彼はこの世界に僕達を閉じ込める事が目的だと言っていた。それはつまり……。」
「——痛みがあるからこそ、生を実感出来る。」
ミナミが、冷ややかに呟いた。その声に全員が反応し、視線が彼女に集まる。
「……痛覚がなければ、恐怖も無いわ。だから私達に恐怖を実感させるため、後は……これは考えたくないけど、ユウ君の作戦を妨害するために、GMは痛みを与えた。」
理屈としては納得出来る話ではあった。
事実として、ユウの防御特化はこの近接攻撃主体のSAOにおいては有効な戦法だろう。範囲攻撃でもない限り、敵モンスターが攻撃出来るのは、1人だけだ。
(ふむ……。ん? 待てよ。そういえば、確か……。)
ユウは閃き、メニューウィンドウを開いた。そこには一つのスキルが記されていた。
—————スキル 痛覚
(これは……。 )
スキルの説明文を読む。すると、そこに書かれていたのは驚くべき内容だった。
スキル:痛覚
効果 :HP以外に対しステータスへのダメージを付与する。
説明:HP以外のステータスとは、すなわち”五感”全てを指す。
(なるほど、これが答えか。)
ユウは、思い切って頬をつねった。途端に痛みが走る。やはり痛みがある、という事に間違いはないようだ。それを見た全員が、彼の真似をして自分の頬をつねた。当然の事ながら痛みを感じたようで、顔をしかめていた。
「……でも私は、そんなに悲観的になる必要はないと思ってる。」
「どういうことですか? 」
ミナミの発言に対し、ユウが尋ねた。
「私達は、元々は普通の人間よ。だから痛みを感じれば、プレイヤーキルをする人が……減るかも知れないわ。」
彼女の言葉には、希望的観測が含まれているとはいえ、一理あった。しかし痛みを感じる。という言葉に、ユウの心に再び刺す様な疼きが生じた。
("以前"は、痛みが無かった。痛みが無いということは、死ぬという意識が薄れてしまうということだ。だから……プレイヤーキルなんて残酷な事象が起きた。)
ユウは、今までに殺した相手の表情を方時も忘れる事は無かった。HPが0になれば死ぬ。
単純であるがあまり、実際に自分が死ぬとは信じられないのだろう。呆然とした様子で死んでいく人達を、ユウは大勢見てきた。またプレイヤーキラーに対して、心の中ではどこかざまあみろ、という残酷な感情があった事も否定はしない。
しかし、SAOにいる人々の一人一人には、命がある。そして家族が、仲間が、友人もいる。前回においてそれを奪ったのは、紛れもなく自分だった。
(痛み、か。)
ユウは、痛む身体をぼんやりと眺めながら、今後の戦いを想像した。間違いなく、苦しい物になるだろう。いくら防御力を高めようとも、痛みによる体の鈍りは誤魔化せない。まるで、彼の考えを先回りするかの様な対策の早さだ。
(防御特化による効果は……もう見込めないだろうな。)
身体の節々に走る痛みを顔を歪めながら、ユウは、今後の戦いに思いを巡らせた。