黒い霧に包まれた僕の体は、いつの間にか真っ白な空間にいた。辺りはあまりにも広く、奥行きや幅が、どのくらいの広さなのかすら想像が付かない。
(ここは何処なんだ?)
僕は辺りを見渡すが、何も見えはしない。
奇妙な静寂が白い空間を包んでいた。
(…………。)
僕は、手に待つツヴァイヘンダーに力を込める。何かは分からない。だが嫌な予感がした。
(……ッ!?)
脳裏に、奇妙なノイズが走るのが分かる。嫌な感覚だった。まるで——何かの声の様な。
“あなたは、何のために戦うのですか?”
(女の……声?)
女の声が、頭の中に響く。
声は、何のために、と問いかけた。
「……君は、誰、だ?」
僕は声の主に問う。この空間に呼んだのがこの声の主ならば、何かの意図が込められているに違いない。彼女の声は穏やかであり、敵意は感じない。
“あなたの、戦う理由は?”
また声の主は問いかける。質問の回答が無いことに僕は苛立ちを抑えながら、答えた。
「みんなを——守るため。」
それ以外に理由はない。殺したいから、嗜虐心を満たしたいから、という悪癖。そんな、僕自身の前回の過ちを繰り返させはしない。
殺したいから戦うのでは無い。守るために戦いたいのだ。
“——————“
声の主は沈黙を続けた。何かを考えているかの様な、不思議な沈黙だった。
“—————ER……”
声の主が何かを伝えようとする間もなく、
僕の意識はまたも微睡に包まれる。
♢ ♢ ♢
「おいっ!ユウっ!大丈夫か!」
気がつくと、トールが僕の体を必死に抑えていた。彼のがっしりとした体格のおかげで、僕は石造りの固い床に身体を打ちつけることは無かったようだ。
『……すまない。トール。ありがとう。』
「馬鹿野郎……心配したじゃねえか。」
僕は再びすまない。と侘びながら、辺りを見渡した。ミナミさんや、シスター・ローズ達が僕の顔を心配そうに眺めている。
「ユウさん……どうしましたの?」
ローズさんが僕に尋ねた。
『声を……聞きました。』
僕はローズさんの瞳をまっすぐに見つめて応える。彼女は眉をぴくりと動かす。
「声……?」
彼女は何かを考えているかのような、不思議そうに僕を見つめながら、問いかけた。
『そうです。白く、広大な空間で、不思議な存在に僕は問いかけられました。』
「何だそいつは……そんなの聞いたことがねぇぞ。」
トールが僕をゆっくりと下ろし、呟く。
僕も同感だった。SAOの世界(アインクラッド)には長く囚われているが、今まであんな空間や存在を見聞きしたことはない。これまでの痛みやリザードマン達の様に、何か変化が起きているのかも知れない。
「ユウ君……。」
「ユウさん……。」
桜木姉妹も僕を心配そうに顔を覗き込む。
こうしてみると、2人ともくりくりとした大きな瞳はそっくりだ。
『大丈夫。それより皆さんは大丈夫でしたか?』
「ああ。心配するな。お前が敵の攻撃を引き受けてくれたおかげで、俺たちは無事だ。そんな事よりお前は本当に大丈夫なのかよ。お前に何かあったら……俺は……。」
トールが肩を震わせながら、言葉を絞り出す。本当に心配してくれたのだろう。彼の優しさをとても嬉しく思うと同時に、前回の僕の行動が心に深い傷を残す。
———こんなに情に厚い男を、僕は容易く殺したのだと。
身体の節々は痛むが、心はそれ以上に痛んだ。
♢ ♢ ♢
「着いたぜ。”グランザム”に。」
トールが意気揚々と先頭を歩きながら、感慨深げに言葉を発した。鉄の都、グランザム。そこは最強の攻略組である血盟騎士団が居を構える都市。SAO攻略における中枢を成すと言っても過言では無い重要な拠点。そこに僕たちはたどり着いたのだ。
『なんだか懐かしいな。』
「懐かしい?」
『いや、何でもない。」
トールの疑問に、僕は曖昧に返した。前回はここで血盟騎士団の人達が模擬試合(トーナメント)を開催したことを覚えている。確か結果はヒースクリフこと茅場明彦の勝利に終わったが。今にして思えば、アレも何か細工をしていたのだろうと今では思う。でなければ、最強の騎士にしてユニークスキル持ちの黒の剣士があっさりと負けるはずが無いのだ。
(……気に食わないな。)
茅場明彦。あいつに、人々の人生が狂わされたのだ。年端なの行かぬ子供も、大人も。許せるはずが無い。今回の僕は奴の正体を知ってはいるが、それを言及したところで誰も信じはしないだろう。なぜなら、奴は血盟騎士団の重要人物なのだから。安易に指摘すればすなわち、僕自身が消されかねない。
(だが、貴様の好きにはさせない。必ず報いを受けさせてやる。)
僕は沸々と湧き上がる怒りを内に秘めながら、決意を固めた。
——その時だった。
「モ、モンスターだぁぁぁぁッッッ!!」
「くそくそくそ!攻略組はどうした!」
「今攻略してる途中なんだよ!くそっ!奴ら留守を狙ってきや……ぎゃああああ!」
不意に後ろを振り向く。広場から大声が響き渡り、反射的に僕達は武器を構えた。腹の底から響き渡るかの様な轟音と共に、モンスターがグランザムの人々を殺戮しているのが確認出来る。
(馬鹿なッ!街中にモンスターだと!?)
あり得ないことだ。前回はグランザムにモンスターが出ることなど無かった。安全地帯としてフィールドから街内部へのモンスター出現はあり得ない。痛みといい、モンスターの件といい、これまであり得なかったことが平然と起きている。
「純粋騎士団、抜刀。人々を守りますわよ!トール!ユウさん!貴方達は遊撃を!私とローゼン、テオドール 、サクラギシスターズは街の人々を退避させます!」
シスター・ローズの判断は早かった。
レイピアを掲げ、大声を張り上げ僕達に指示を下す。その凛々しい姿は勇ましい女騎士そのものだ。
「分かったぜ姉貴!」
「シスター・ローズですわ!」
僕達はモンスターを遊撃しに広場へ。ローズさん達は逃げ惑う非武装の人々を逃すためそれぞれ走った。
『悪いが……死んでもらう!』
僕は怒りを胸にツヴァイヘンダーを振るう。
半牛の獣、ミノタウルスの身体を袈裟斬りにし、内臓を垂れ流しながら絶命するのを目で追いながら、次々と獣達を殺していく。
『1匹ッ!!2匹ッ!3匹ッ!』
ミノタウルスが反撃にと斧を振るうが、僕は回避と同時にツヴァイヘンダーを胴元へ叩きつける。ミノタウルスの肉が裂け、血飛沫が舞う。大楯を捨て身軽になった今の僕は、ミノタウルスの攻撃を避けるなど容易い。殺しに殺しながら、身体中を鮮血に染めながら葬り去っていた。しかし、数は一向に減らない。どこから湧いてきたのか、想像すら出来ない。
「数だけは多いな!ユウッ!」
『余裕だよ。トール。切り捨てるぞ!』
モンスターの動向や意図は分からない。だが彼らが不幸だったのはトールや僕がいた事だろう。僕達は次々とミノタウルスを片付けていく。それは一方的な虐殺に近しいものだった。
「おい。なんなんだあの2人……。」
「血盟騎士団の奴らか?見た事は無いが、あの強さはあり得んぞ?」
「しかし……ミノタウルスの奴ら、数が減っている。よし、俺たちも戦うぞ!あの2人だけに良い格好をさせるな!」
他のプレイヤーが僕達に触発されたのか、次々と参戦してくれた。正直ありがたいが、同時に危ないから逃げて欲しいとも願う。人が増えると、大振りなツヴァイでは戦いにくくなるのだ。
『そこッ!!』
僕に投げつけられたハンドアックスを掴み。
ミノタウルスに力任せに投げつける。頭部に命中。食い込んだ断面からは血が滴り落ち、倒れ込む。恐らく即死だろう。
「邪魔すんな牛もどきがっ!まとめて八つ裂きにしてやるぜ!」
トールがラージナイフを振るうたびにミノタウルスの命が消えていく。その姿はまるで、家畜を屠殺する解体者。
「うああああっ!なんだあの巨獣は!?」
「逃げっ……いぎゃあああああっ!」
『何だっ!?』
僕は300m先で、参戦してくれていた人々が真っ二つにされるのが見えた。肉片と内臓が、辺り一面に飛び散り、その血飛沫を縫うかの様に一つの影が姿を現す。
「なっ!?」
それは、獣と呼ぶには。あまりにも大きい。体長は20mはあるだろう。丸太のように太い腕、刃物を通さない針金のように伸びた黒い体毛。そして、頭部から生えた2つ角の先には、犠牲者の身体が突き刺さっていた。
「なんだあいつは?牛もどきの親玉か!?」
『油断するなトールッ!こいつは!?』
僕達は駆けた。襲われる人々を助けるため、そして脅威を排除するために。
巨大なミノタウルス。ミノタウルスの王とも呼ぶべき存在が、真っ赤に充血した目で僕たちを睨みつける。
『シャッッ!』
間一髪、僕は咄嗟に跳び奴が投げた大型アックスを避ける。
「ガン飛ばしてんじゃ……ねぇよッ!」
その隙をついたトールが、ラージナイフで切りつけた。
「なっ!こいつ!?ナイフが毛に絡……!」
彼が振るったラージナイフは肉に食い込む事なく、ガッチリと体毛に防がれていた。まるで一本一本が意思を持っているかの様だ。
「離しやが……ぐあッ!」
トールが腕に振り払われ、後方に大きく吹き飛ばされ壁に叩くつけられた。
『トォォォォォォールッッッ!!』
僕は必死に彼のライフを見た。赤く表示されたゲージは、彼が瀕死である事を示している。
『くっ……トールが一撃で?』
正に化け物と呼ぶに相応しい怪力だ。トールを倒したと確信したのか、奴は僕に視線を向けた。
(舐めるな!!)
僕はツヴァイヘンダーを構え直し、奴に突っ込む。
(懐に入り込めさえすればっ!!)
奴の巨腕から繰り出される攻撃を避けながら、僕は奴の足元を切り付ける。手応えがあった。。
(……再生能力があるのか!?)
切りつけたが奴の足元が、再生していくのが分かる。足の腱さえ断てば戦闘力は下がるはずと見込んだが、違ったようだ。僕は後方へ下がり、奴の蹴りを回避、再度足の裏を切りつけたが無駄だった。切った瞬間から再生しているのだ。なんという再生の速さだ。
(くッ!どうする?)
僕が下がれば、トールが殺される。しかし攻撃を続けても奴は再生能力を有している。ならばとツヴァイの攻撃で首を断つにも、体毛が邪魔をして攻撃が通用しない。兜落としも、テフラディーセントも効果は無いだろう。
(やるしか……ないっ!)
僕は奴の猛攻を必死で避けながら、思考を巡らせた。
♢ ♢ ♢
「おいおいおい、死ぬわアイツ。」
「どうする?グランザムを失うのは惜しいが逃げるか?」
「だけど……アイツ、俺たちを逃すために戦ってんだろ?助けるか?」
「無駄だ。軍だろうが俺たちが束になろうが、奴には敵わんさ。”ファラリス”にはな。」
男達は、ユウの戦いを尻目に議論に講じていた。しかし下手の考えやすむに似たり。という格言の如く、何も妙案は浮かばない。誰しもが固唾を飲んで、ユウの奮闘を見守る他なかった。
♢ ♢ ♢
『ぐ……うああっ!!』
僕はとうとう奴に捕まった。全身の甲冑がみし、みしと軋んでいる。ステータスがグリーンからイエローへ一気に減る。
(まだ……終われないんだ!こんなところで!)
しかし身体は身動き一つ取れない。死を待つ他ないが、何か手段は無いか僕は抗う。
眼前には、獣が勝利を確信したのか雄叫びを上げながら、僕を握り潰そうとしている。僕の西洋甲冑が歪み、砕けた。破片が僕の肉に食い込み、突き刺す痛みが僕を襲う。
『うああああっ!』
「ユウ君ッ!駄目っ!!」
ああ。ミナミさんがこっちに来てしまった。
恐らくはローズさん達との避難誘導が終わったのだろう。来ちゃだめだ。という声は声にならず、僕の呻き声だけが街に響く。
「ミナミさん!みんなっ!ユウ様を助けますわよ!」
更に後方からローズさん達が応援に来てくれたが、この状況では絶望的だ。僕はせめてみんなが生き延びられるように祈った。
(ミナミさん……みんな……ごめん。やっぱり僕は———)
その時だった。
英雄は、遅れてやってくる。日が沈み、漆黒の夜が訪れようとも、星々が、月の光が、闇を明るく照らす。明けぬ夜は無いのだと、人々に希望の光を示す様に。世代と共に、歴史と共に、親から子へ、受け継がれて来た人の誇りと共に。それは激しい嵐の中、消える事のない烈火の太陽。絶望の空を切り開く黒い閃光。
二刀流剣技(ソードスキル)セットアップ。
冷却時間(クールタイム)、イグナイテッド。
———スターバースト・ストリーム
正に光の如く、神業の様な剣技が獣の全身を切り刻んでゆく。圧倒的な力であった。獣は苦しみのあまり悶え、僕の拘束を緩める。その隙を見逃す程、迂闊じゃない。僕は耳障りなその口を発する喉笛に、ツヴァイヘンダーを真っ直ぐに突き刺す。力強く、確実に、息の根を止めるために。ツヴァイヘンダーがぼきりと折れる音が響くが、関係は無い。刃先が奴の首を貫通したのか、ふっと力が抜ける感覚があった。
(再生能力があったとしても、呼吸をする事が出来なければ、後は窒息死するだけだ。)
獣は最後に悲しげな咆哮を上げ、その場に倒れた。
「危ないところだったね。」
地に伏した獣を見下ろす僕に言葉が投げかけられる。僕が知るその声は、やはりあの時の少年の声だった。