その日、審神者である佳澄は本丸に不在だった。何故なら、普通の学生でもある佳澄は、昼間は学校に行っているからだ。そんな本丸で、何故か蜻蛉切がこんのすけに呼び出され何やら用事を言いつけられていた。
こんのすけと向かい合って座った蜻蛉切はそれを聞き、驚き目を丸くしたが、すぐに落ち着いた表情に戻る。
「わかった。それでは、主を迎えに行けばいいのだな」
「はい。但し、いつもの格好ではなく、きちんと佳澄さまの時代にふさわしい格好でお迎えに行ってください」
「ふさわしい格好……」
それはどういった格好なのか、蜻蛉切はいまいちピンと来ずに首をかしげる。
「お任せください。とっておきの装いをご用意していますから!」
「そうか、それは助かる。では、それに着替えて迎えに行くとしよう」
「よろしくお願いします。それでは、準備をいたしましょう」
「ああ」
立ち上がった蜻蛉切はこんのすけを抱き上げ、自分の肩に乗せると準備の為に部屋を移動した。
本丸とは多少時間の流れが違う、佳澄の住む世界。午後が過ぎ、学校は授業が終わり放課後になっていた。
部活や委員会に所属していない佳澄は真っ直ぐ帰宅する為、校門に向かっていたが一つ、気になることがあった。
それは、こんのすけからの連絡のことだ。言いつけ通り、蜻蛉切を迎えに行かせたとのことだったが、どこまで迎えに来てくれるのかは伝えられなかった。
学校を出たら連絡をもう一度してみようと思いながら歩いていると、校門の辺りにいる生徒達の雰囲気が少しいつもと違う。どこかソワソワして賑やかな気がするのだが、それはどうしてだろう……なんて思いながら佳澄は歩いていたのだが、その理由はすぐにわかった。
何故なら、そこには薄いグレーに白いストライプの入った、ダブルスリーピースのスーツを着た蜻蛉切が立っていたからだ。体格のいい蜻蛉切がスーツを着ると、より一層その身体が引き締まり、逞しく見える。
「……!」
その蜻蛉切を見た佳澄は驚き、そしてすぐに真っ赤になって立ち止まる。だが、そんな佳澄を見つけた蜻蛉切は穏やかな笑みを浮かべてそちらに近付いた。途端に、周囲の生徒達がひそひそと話しながら二人に視線を向ける。
「迎えに来たぞ、佳澄」
「…………」
蜻蛉切はいつものように声をかけたのだが、佳澄は真っ赤になったまま視線をそらしてしまう。そんな様子を見つめて蜻蛉切は不思議な表情を浮かべる。
「どうした?」
じっと蜻蛉切が見つめると、佳澄はチラチラと何度も視線を向けたり、そらしたりを繰り返す。
「……か、かっこ……かっこ、いい……かっこいい……どうしよう」
そして何か小さな声でぼそぼそ呟いているようだったが、蜻蛉切の耳にそれは届かない。そのせいで、ますます佳澄の様子がいつもと違うことが気にかかる。
「佳澄?」
「は……ひゃい!」
蜻蛉切が名前を呼ぶと、佳澄は慌てた様子で顔を上げたのだが勢い余ったのか返事を噛んでしまった。それを見た蜻蛉切が苦笑すると、佳澄はようやく落ち着いたのか深呼吸をしてから話し始めた。
「あ、あの、今日はお買い物に行きたいので、それに付き合って欲しいんです」
「そうか、わかった」
答えながら蜻蛉切が笑顔を浮かべると、佳澄はまた顔を真っ赤にして落ち着きなく視線をさ迷わせる。そんな佳澄を見つめて蜻蛉切はまた苦笑した。
「買い物はどこでするんだ」
「あ、あの。行きたいお店があるんです」
「では、行こうか」
「は、はい。あの……こっちです」
まだ顔は赤いものの、歩き出した佳澄の隣に並び、歩調を合わせて蜻蛉切も歩き出した。
並んで歩きながら、佳澄は時々チラチラと蜻蛉切を見つめる。隣に並んで歩くことは、別に珍しいことではない。本丸にいる時も、本丸からよろずやに行く時も一緒に歩いたことはある。
だが、今日は蜻蛉切がいつもと違う格好をしている。しかもそれがよく似合っていて、いつも以上にかっこよく見えるものだから佳澄の落ち着きはなくなる。
そんなことを考えながら歩く佳澄の様子を見ながら、蜻蛉切は笑みを浮かべた。
「どうした? 何か気になることでもあったか」
「え!」
「先程から、何度もこちらの様子を見ているようだったからな」
「あ、あの……その格好、どうしたのかなって」
「ああ。こんのすけが、この時代にふさわしい格好で迎えに行けと言ったのでな」
それでスーツだったのか、と納得した佳澄だったがふと疑問が浮かぶ。
「それ、こんのすけちゃんが用意したんですか?」
「そのようだ。とっておきの装いだと言っていた」
「とっておき……」
確かにこれはとっておきだと思いながら、佳澄は蜻蛉切をまじまじ見つめた。すると、蜻蛉切も佳澄をじっと見つめ返してきた。それに佳澄はまた顔を赤くしてしまう。
「あ、あの……蜻蛉切さん?」
「本丸以外では、いつもその格好なのかと気になってな。だが、先程、皆が同じような格好だったことも気になっている」
恥ずかしそうに佳澄がうつむくと、蜻蛉切はじっと見つめたまま聞いてくる。その問いがなんだか少し面白くて、佳澄は小さく笑みを浮かべた。
「学校に行く時は、みんなこの制服を着る決まりなんです。普段は、本丸にいる時みたいな格好ですよ」
「なるほど。揃いの装束でという決まりがあるのか」
納得したように頷く蜻蛉切の姿に、佳澄はまた笑う。本丸でも刀派によっては似たような格好をしているが、皆が全く同じということはない。だからこそ、全員が同じ格好が珍しいんだろうと思った。
そんな風に会話をしているうちに、佳澄はいつものペースを取り戻したようで、目当ての店に到着したころにはすっかりいつもと変わらない様子になっていた。
二人が立ち止まったのは、住宅街の一角にある小さな洋菓子店だった。白塗の壁に大きな窓があり、そこから店内の様子がよく見える。今はちょうど他に誰も客がいない時間のようで、店内は静かな雰囲気だ。
「ここです、蜻蛉切さん」
「……ここは?」
「ケーキ屋さん。他にも焼き菓子とか、色々売ってるんです。みんな毎日頑張ってるから、今日はお菓子を買って帰ろうと思って」
「なるほど。それはきっと、皆も喜ぶに違いない」
その心遣いを聞き、蜻蛉切は自然と笑みを浮かべていた。だが、蜻蛉切の表情を見つめて佳澄は少しだけ申し訳なさそうな表情になる。
「蜻蛉切さんは和菓子の方が良かったかもしれないですけど……」
「うん? 佳澄が選んでくれるならなんでも嬉しいが」
「そ、そうですか。それなら良かった! えっと、中に入りましょう!」
「ああ、そうしよう」
ガラス扉を開けて中に入った二人は、店内の甘い香りに頬を緩めた。ガラスケースの中に並ぶたくさんのケーキ、店内の陳列棚に揃えられた焼き菓子の数々、どれをにしようかと目移りするほどの量。だが、本丸全員に買って帰るとなると、まずは量が必要だ。佳澄は店員に相談し、量と予算を告げて買い物をしていく。
勝手のわからない蜻蛉切はそんな姿を黙って見つめていたが、その表情は穏やかなものだった。蜻蛉切がそうやってしばらく黙って見つめていると、店員と話していた佳澄が不意に振り返って笑顔を浮かべた。
「蜻蛉切さん、これ……試食してみてください」
「自分が?」
「はい。お口に合うか、食べてみてくださいって店員さんが言ってくれたので」
「なるほど、そういうことなら……いただきます」
佳澄の傍に近付き、試食を勧めてくれた店員にそう言ってから蜻蛉切は焼き菓子を一口食べてみる。口の中に含んだ瞬間、甘い香りと味が広がり、自然と頬が緩む。
「ほう……中々、上品な味わいですね」
「フィナンシェっていうんです。みんな気に入りそうでしょうか」
「ふぃなんしぇ……これなら、食べやすいのではないかと思いますが」
「良かった。じゃあ、これと……あとは、テリーヌショコラも美味しそうだし……」
「てりーぬしょこら……」
聞き慣れない名前を佳澄が口にする度、蜻蛉切はそれを真似るように口にする。それがおかしくて佳澄は小さく笑みを浮かべ、そして嬉しそうに蜻蛉切を見つめる。
結局、フィナンシェとテリーヌショコラ、それからあと数種類お菓子を選んで買い物を終わらせ、佳澄と蜻蛉切は揃って店を出た。
結構な荷物になったため、その半分以上を蜻蛉切が持つことになったのだが、佳澄はそれを申し訳なさそうに見つめる。
「ごめんなさい、たくさんになってしまって……」
「気にしなくても、この為に呼んだのだろう?」
「そうですけど、ちょっと買いすぎたかなって」
「だが、本丸は大人数だからな。このぐらいあった方が、皆に行き渡るだろう」
両手いっぱいに荷物を持つ蜻蛉切は確かに少し多い気がしたのだが、それ以上に気になることがあった。
「それより、これだけの買い物をして、その……色々、大丈夫なのか?」
心配そうな蜻蛉切の様子に一瞬、首を傾げた佳澄だったが、すぐに何のことを心配されているのかわかって笑顔を浮かべた。
「大丈夫ですよ。私、審神者をやることで時の政府……? そこから毎月、お給料をもらっていますから」
「そうなのか?」
「はい。それで本丸の維持や、皆さんのお世話をしているんです。それで、大きな成果が出た時はボーナス……あ、賞与みたいなものもありますから」
「そうか……ああ、いや。だが、そうだな。あれだけの本丸と刀剣男士を維持するには、それなりの給金が必要か」
ふむふむと納得している様子の蜻蛉切を見つめて佳澄はくすくす笑う。そして、色々と自分のことを心配してくれている蜻蛉切の優しさに嬉しくなった。
たくさんの荷物を持って、佳澄と蜻蛉切が本丸に戻って来るとこんのすけが出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、佳澄さま。蜻蛉切もお疲れ様です」
「はい、ただいま戻りました」
「こんのすけのおかげで主の役に立てた。感謝する」
「いえいえ」
出迎えてくれたこんのすけに礼を言い、まずは厨房に向かった。そこには、今日の食事担当の燭台切光忠がいた。燭台切は二人の姿を見つめると笑みを浮かべる。
「主に蜻蛉切くん。どうしたんだい?」
「みんなに食べてもらおうと思ってお菓子を買って来たんです」
「なるほど、それでその格好とその荷物か」
「そういうわけだ。管理は任せていいだろうか」
「勿論。任せておいて」
蜻蛉切の格好と両手に持たれた荷物を持って納得し、燭台切は楽しそうにうなずいて荷物を受け取った。今晩の献立やお菓子の食べごろなんかを話してから、二人は厨房を出て部屋に戻る。
揃って本丸にある佳澄の部屋まで戻ると、その入り口で蜻蛉切は立ち止まり優しい表情で佳澄を見つめる。それを見つめ、佳澄は心臓の鼓動が跳ね上がるのを感じた。
「今日は主のお役に立てて何よりでした。また、いつでもお呼びください。それでは、自分は部屋に戻ります」
そう言い、佳澄の手を一瞬だけ優しく握り蜻蛉切が立ち去ろうとした瞬間、佳澄はスーツのジャケットをぎゅっと掴んだ。
「と、蜻蛉切さん」
「どうされました?」
「……あの」
ジャケットを掴んだまま佳澄が真っ赤になっていると、蜻蛉切はその手を優しく握った。そして、指先を絡めて手を握り直すと、前かがみになり佳澄の耳元に囁く。
「もう少し、一緒に居てもいいか?」
「は……はい……」
その囁きに佳澄が頷くと、蜻蛉切はとびきり優しい微笑みを浮かべ、その耳元に口付けてから、二人は揃って部屋の中に入って行った。
部屋の中に入ると、蜻蛉切は指先を絡めて繋いだ手を離し、佳澄の身体を抱きしめる。抱きしめられた佳澄は大きな身体に腕を回し、自分の身をすり寄せるように抱き着いた。
「今日はずっと様子がおかしいようだったが……どうした?」
抱きしめられながら聞かれた佳澄は困ったように黙っていた。だが、蜻蛉切はそのまま身体を抱きしめ、時々背中や首筋をそっと撫でていく。
撫でられ震える佳澄だったが、そっと顔を上げると蜻蛉切の顔をじっと見つめる。
「佳澄?」
「蜻蛉切さんのその格好、すごくよく似合ってて素敵で……かっこいいよくて……だから……」
恥ずかしそうに佳澄がそう伝えると、蜻蛉切は驚いたような表情を浮かべ、それから頬を少し赤くしてもう一度しっかりその身体を抱きしめた。
抱きしめられ驚く佳澄だったが、素直に身体を委ねてうっとりした表情を浮かべる。
「俺も、見慣れぬ装いの佳澄も愛らしいと思っていた」
「ただの制服ですよ」
「だが、俺にとっては見たことのない、特別な装いだ」
言われてみて確かにそうかと思った佳澄は小さく笑みを浮かべ、そっと顔を上げる。蜻蛉切も佳澄を見下ろして優しい笑みを浮かべ、そっと顔を近付けた。
蜻蛉切の顔が近付くと佳澄は目を閉じる。そして、唇にはすぐに柔らかな感触が降り注ぐ。
「ん……んん……」
繰り返される優しい口付けに佳澄は頬を真っ赤にしてしまう。そんな様子を、時々薄っすら目を開けながら蜻蛉切は見つめて満足気に微笑む。
ゆっくりと触れるだけの口付けを何度も繰り返してから、蜻蛉切がそっと唇を離してその顔を見つめると、佳澄も目を開けて蜻蛉切を見つめる。
「ねえ、蜻蛉切さん……今度、またその格好で一緒にお出掛けしてくれませんか」
「佳澄が望むなら、いつでも」
少し恥ずかしそうに言った佳澄に蜻蛉切は優しく答え、二人はまた唇を重ねて身体を寄せ合った。そして、夕飯の時間だと呼びに来られるまで……二人は抱き合い、何度も口付けを繰り返していた。