雨の日は嫌いだ。いや嫌いだった。気分が沈むとかそういうのじゃなくて極端に嫌っていた。濡れるし、傘を刺さなきゃ行けないし、雨音はうるさいし。極端に嫌いだった。そう。だった。過去形なんだ。今は違う。
雨の日なのに足取りは軽くて、気分も上がっている。コンビニでとりあえず買うものは買って、すぐさま家へ帰る。1LDKの一人部屋。
私、井ノ上たきなは大学で出会ったとある先輩を待つ。
「もう少しかな…」
『さらさら』と弱く鳴る雨の音。落ち着く音だと言われる雨が降る中でいつも通りにお酒とつまみとその他食べるものを用意して待つ。すると簡素なインターフォンが鳴る。来た。
少し浮き足立っている体をベッドから起こして玄関を開ける。
「お疲れ様です。千束先輩」
「やっほ〜、たーきな」
傘を持った大学の一つ年上の『錦木千束』。映画研究、まぁ、映研とか呼ばれるサークルに入っている人。私はたまにこの人が映画を見るのに付き合う事がある。最初は私から言い出した事だった。暇なら一緒に見ようと。別に私は映研に入ってるわけじゃあないのだけれど、一人を紛らわせる理由が欲しかった。のかもしれない。どうあれ今はもう曖昧だ。千束と会うのが楽しみになっているのだから。
「また付き合ってもらってごめんね〜。映画!早速見ようぜ!」
「ふふっ…はい」
・・・・・・
とは、言うものの、最近は千束が家に来るのは別な理由になりつつある。最初はいつも通りだった。話題になった恋愛映画を見ていて、ふと千束の方を見ると、酷い瞳になっていた。映画みたいな恋愛がしたかったと言いそうな、そんな恋愛を夢見ていると言いそうな、ハイライトを失った歪んだ赤い瞳に。その時は悲しそうな表情に見えた私は、そっと、彼女の頬に落ちていた雨を拭った。
『優しいね、たきなは』
そよ風のような笑顔とその裏側に何かある仮面を付けた千束を放っておけなかったのか、私は、何かあったのかを聞いてしまった。すると、千束は首を横に振って、私の肩に頭を預けて、呆然と映画のエンドロールを見つめていた。クッションを抱いた千束はまた涙を流した。映画に感動したとかそういうのでは無いのは少し分かっていた。エンドロールが終わって、テレビは映画のチャプター選択画面になる。そこにはBGMはなくて雨音がその代わりになってくれる。その静けさに当てられて、千束は私に擦り寄ってくる。私がゆっくり千束の髪を撫でると、今度は弱々しく顔を上げて上目で私を見つめてきた。
少し雨音が強くなった。『しとしと』と。
ほんの少しだけ強く。
千束の綺麗な顔が私を見つめていた。何を求めてるのか。何かを欲しがっているのか。
どちらともなく言葉を発した互いの唇が触れ合って、私達はいつの間にか、立方体の布の上に居た。
また少し雨が強くなる。
『ざあざあ』と。さっきよりも強くなる。
雨のせいで上がった微熱は重なって、夜なのに昼間のように熱くて、私はアリバイ作りに必死になる。それはきっと千束も同じ。絡んだ指は離れないし、柔らかな唇の体温は私を塗りたくる。
『ざあざあ』『ざあざあ』。まだ雨は強いままだ。
『っ……んっ……』
快感がやって来た。超えてはならない一線を超えて、私と千束は互いに夢中になる。雨音はもっと強くなってきてライオンが唸るような雷音が鳴る。それはきっと何かを催促するようか雷音。
二人はもうアリバイを消して。
二人はもう明日になれば忘れてしまって。
二人はもうこれっきりなんだって。
私の瞳から雨が降る。この快感が解散に変わってしまう前に私は一秒でも長く千束を感じていたかった。
『ちさ…と』
名前で呼ぶ。彼女の名前を呼ぶ。先輩だけれど呼び捨てで呼ぶ。こういう時ぐらいはそう呼ばせて欲しい。それはどんなカップルでもそういうものだと映画で習ったからだ。
肌を顕にした私の洪水が起きている場所からも雨音に似た音が鳴る。
『ぴちゃぴちゃ』。
あんまり聞きたくない音。その水音は雨音では消えてくれない。しっかりと聞こえるし、千束も聞きたがっている。聞いて欲しいなんて感情はあるけれどやっぱり聞かれたくないものだ。こんな音は。それでも、雨は強いまま。
『ざあざあ』。
まだ弱まることは無い。千束もそれは一緒だろうか。千束の音を聞く余裕がない。彼女の温もりを感じ取るので精一杯で必死だからだ。それはそうだ。
この快感が解散に変わってしまう前に。
私はもっと千束を感じたい。
『んんっ!!』
それも叶わない。雷音がまた鳴り出した頃、私の体も跳ね上がってしまった。雷に打たれたかのように私の体は跳ねた。薄れゆく意識の中で、千束の唇は私の頬に優しい雨を降らせる。
と、そこで千束のスマホが鳴った。
千束は電話をとると、最愛の人の名前を呼ぶ。
もう少し一緒にいたかったと願った私はそこで雨音が聞こえなくなった。
私はまた少し雨が嫌いになった。
・・・・・・
「……」
またエンドロールで千束は私に体を預けてくる。
今日も雨。雨音は強く。『ざあざあ』と降る。
エンドロールで私は千束の恋人のことを思い出した。
もうすぐ迎えに来る時間だと。雨は私達を分かつように降り続ける。あの一夜以来何も無い。から私にはもうそういう気分なんてなかった。他の事に移り気になりながら、千束との映画を流し見していた。だから当然映画の内容なんて覚えてないわけで。今日もライオンが唸る。
早く早くと急かしている。
「千束先輩。そろそろ迎えが来るんじゃないですか?」
外で降る。人を呼んだり消したり出来るマジシャンは相変わらず勢いが強いまま。
だが、今日は様子が違った。
「今日…さ。お迎えもう来ないんだ」
千束は小首を傾げながら私を見つめた。雨で逃げ場の無くなった私達はまた立方体の上で、二人。
雨音を聴く。今度は違う。千束の音もしっかり聞こえる。
これは…誰のせい?
雨のせい…?それとも、おかげ…?
いや。雨が降って始まった事だ。
全ては雨のせいってことにしておこう。