暗い───。
暗い───。
真っ暗な場所───。
何も感じない。誰も見えない。
でも、触感と嗅覚だけが伝わってくる。
あの時もそうだった。私は真島と戦った時に、真っ暗な空間で戦っていた。その時はたきなが助けてくれたから良かった。
だから。
今度はそうならないようにしようって決めてた。
だから、
そうなった時は1人で解決しようって決めてた。
だから、
私は、あの時失敗した。
『はっ───はっ───』
マズルフラッシュで一瞬だけ見えたんだ。
私は、私の銃を使ったつもりだった。
救世主さんから、ヨシさんから貰った大切な銃で。
『ぅ…ぐ…』
でもそれは、私の銃じゃなかったんだ。
『はっ───はっ───』
何かが這いずるような音。
尻もちをついて震える私。
誰かのうめき声。
自分のした事を理解してしまった私の浅い呼吸。
漂う血なまぐさい匂い。
私と誰かの絶え絶えの息。
声だけが響いて、目の前で死にかけている人が私に語りかけてくる。
見えない。何も見えない。
血のヌメリと異常な温もり。
真っ暗な場所に落とされて、私も殺されるかもしれないって抵抗して、そして、弾丸を放った。
それなのに。
『はっ───はっ───』
違う───。
『ぐ…クソッ…』
違うんだ───。
『…っけて…』
私はただ───。
『助け…で…』
いつも通りにやりたかっただけで───。
『…ぐ…助、け、て…』
私はただ───。
『はっ─はっ─」
殺すつもりなんてなくて───。
私は。
「ちが…」
ただ───。
・・・・・・・・・・・・
「千束!」
「っ!?」
呼ばれて、驚いた。いつの間にか自分の世界に閉じこもっていたらしい。顔を上げれば、心配そうなたきなの顔がこちらを覗いていた。ベッドに座って考え事をしていた私を呼びに来たらしい。だが、私の様子を悟ったのか、その顔は悲しそうに歪んでいる。
「た、き、な…私…」
「落ち着いてください。千束。ここには私と千束しか居ないですから」
浅い呼吸を繰り返し、手足をガタガタと揺らしている私の手を握ってたきなは優しく笑いかけてくれている。
握ってくれている手が心地よい。
外は見たくない。
カーテンを、たきなが閉めてくれる。
息をするのが重い。
安心できる場所なのに、フラフラと心がフラついて落ち着かない。たきなの顔を見てるのに誰の顔にも見えない。心を染めてるのは恐怖心と不安。その原因は分かってる。分かってるけど、振り払えないものだから。
いつまで経っても心を染めている。
「たきな…ごめん。私また…」
「いいんです。大丈夫ですから。ゆっくり、落ち着いてください」
ぽっかり空いた心。なんて生易しい表現で許されるのだろうか。考えれば考える程、孤独を感じて、寂しくなる。目の前にいるたきなの温もりが心地よくて甘えてしまう。勝手に私はたきなを抱きしめて、また怯えて震え出す。
「たきな…たきな…」
「大丈夫。大丈夫ですから」
それしか言葉が出てこないのも分かってる。逆にそれしか言葉をかけてもらえないから本当の安心が欲しくなる。少し体を離して、たきなとまた向き合った。
それはもう、キスの距離の向き合い方。揺れるアメジストとその温もりにあてられて、勝手ながら私の体は昂った。生存本能と言うべきか。今を生きている事を確かめたい。
「たきな…」
「ちょ、と…ご飯前ですよ?」
「だって、まだ安心してないもん…」
「もん…って、まったく千束は…んっ──」
そう言いながら彼女は満更でも無さそうだ。本当にいやらしいのはどっちなんだか、でも、こうでもしないと思い出してしまう。
「ん…ちゅ…っは…ぁん…」
こうしてれば、目を閉じても大丈夫だから。
たきながちゃんと触れてる事が分かれば私は大丈夫。
「っあ…ちょ、ちさと…」
たきなの首に腕を回して引き寄せるように私はベッドに倒れる。
「そばに居てよ」
「……」
怒らせてしまっただろうか。せっかく作ったご飯が冷めるから、まだシャワーを浴びていないから、さっきまで怖がってたのにいきなり誘い出したから、理由なんて幾らでもある。でも、たきなは咎めない。
見つめるその瞳は欲に濡れている。
「しょうがないですね。千束は」
私はため息混じりのたきなを迎え入れた。離さないように腕を回して、しっかり留める。一人は怖い。寂しくて。怖い。何も見えない空間が怖い。そこにいると思い出してしまうから。
「ちゅ…ん…っ…は…」
ゆっくりと溶けていく。小さいスタンドライトで照らされたベッドの上で、私とたきなは堕ちていく。
私は時々こんなふうに弱る。『あの時』失敗したから、ずっとそれが心にへばりついている。だから、気が気じゃない。こうして誰かの体温を貰わないと消えてしまいそうになる。
こんな事はもう忘れたい。
それでも、忘れたくない。
忘れてしまったら、それこそ私が私じゃなくなってしまうから。
だから。
私はまた。
『あの時』の事を思い出してしまう。
・・・・・・・・・・・・
『あの時』。私が
まだ先生と喫茶リコリコを始めたての頃。私はとある暴力団を取り締まりに行く任務があった。そこのメンバーを全員捕まえてDAに連れていくって任務だった。
メンバーを拘束するまでは良かった。数も多くなかったし、私一人でなんとかなる人達だったからよかった。
でも、油断していた。
『このっ…ガキが!!』
『っぐ!』
隠れていた一人に気づかずに、私は捕まって組み伏せられてしまった。
必死になって、抵抗したけど、その時の私では大人の男性にはまだ素手では勝てなかった。しかも、『暗い』部屋に潜んでいたから、余計に気づかなった。床に押し倒された時に使っていた銃が何処かに飛んで行ってしまった。手探りで探すしかなかった。向こうの男も私を殺そうと必死だったのだろう。私の手を止めないで必死に首を絞めてきた。
『っ…!?』
こちらも必死で動かしている手に鋼鉄の感触。私は自分の銃だと確信した。だから、直ぐに拾って躊躇うことなく引き金を引いた。
『がっ…!』
いつもとは違う銃声。
何か液体のようなものが飛び散り床に滴る音。
『え…?』
それは私の銃ではなかった。その暴力団が使っていたものだったんだ。だから、実弾の銃。当然、腹部に銃口を零距離で当てて引き金を引いたから、弾はその男を貫通して、傷を与えた。ゴム弾じゃないから当然血は出るし、相手は苦しむ。
『え……あ……』
その時の私はあまりにも衝撃な出来事に呆然としてしまったんだ。小さい明かりが照らす暗い倉庫の中。
揺れた電球がその男を照らす。
『っ…!?』
血が出ている。撃たれた部分を抑えながら、私へ手を伸ばしている。ブツブツを虫の息で何か言いながら私へ手を伸ばしている。
体中から冷や汗が出た。上手く呼吸も出来なくなった。
怖くて怖くて仕方なかった。誰かを傷つけることがこんなにも怖い事だとは思わなかった。体格がいい人間だろうが銃弾一発ででこうも簡単に瀕死になってしまう。
恐ろしい事だ。自分の手に持った銃を見る。近くを見渡してみれば、私の銃は私の真後ろにあった。今手に持っているのはあの男の銃だ。返り血を浴びた私は何も出来ずにその場にずっと座り込んでしまっていた。
それなのに。
『はっ───はっ───』
違う───。
『ぐ…クソッ…』
違うんだ───。
『…っけて…』
私はただ───。
『助け…で…』
いつも通りにやりたかっただけで───。
『…ぐ…助、け、て…』
私はただ───。
『はっ─はっ─」
そんなつもりなんてなくて───。
私は。
「ちが…」
ただ───。
・・・・・・
「いやっ!」
たきなを押しのけるように離した。
「っ…!!」
二人の時間の最中に思い出してしまった。
最悪だ。この時間に思い出すようになってしまうなんて。まだ私は進めていないんだ。あの『暗い』場所から。キスの感覚が気持ち悪い。体に異物を塗りたくられたようで虫唾が走る。たきなと二人きりなのに。
「っ…ぁ…ごめん…たきな」
謝ったが怖くて顔を見れない。
「はい。大丈夫ですよ。ご飯、どうしますか?」
いつもの優しい声が返ってくる。また無理させたんだ。絶対。だから、もう、今日は、話したくない。
「……………ドアん所に、置いといて」
「…はい」
・・・・・・
ここの所ずっと、千束はあの調子だ。それはきっと私にも拭えないような理由なのだろう。
私達がハワイから戻ってきて数週間。日本でも喫茶リコリコを再開したり、楠木司令に呼ばれたり、色々な任務をこなしたり、私達が勝手にハワイに行ったツケが帰ってくるかのように忙しい日々だった。
千束がこうなったのにも理由がある。
千束は……『人を殺した』。
あれは任務の最中だった。真島がバラまいた銃の回収の任務だった。その最中でとある組織に潜入した私達は敵の数を見誤っていた。とにかく無力化しつつ、一時撤退を余儀なくされていたのだが、その時に別々に行動していたのだが、千束の無線から銃声が聞こえた。その銃は千束がいつも使っているものでは無い。別な銃声。
私が千束の元へ駆けつけていた時には、もう遅かった。その人は虫の息で、血溜まりに倒れていた。千束は初めて人を殺した犯罪者のような顔で怯えていた。私は何とも思わなかったのだが、千束は違った。その時の悲痛な叫びが私にとっては痛かった。全てを後悔したような、何も救えなかったような、『暗闇』に落ちていったような声。敵地のど真ん中だと言うのに、千束はその人を想って泣いていた。その時の任務は失敗に終わった。楠木氏令からは何も言われなかったが、その事を報告した時の司令のあんな顔を見るのは初めてだった。
だが、私にも分からないことがある。リコリスである千束が何故、『命大事に』という、心構えを持っているのか。だ。千束本人から理由は聞いた。『誰かの時間を奪いたくない』からだと。だが、その考えを持つに至った経緯を聞いていない。だから、分からない。あそこまで人を殺す事を躊躇う千束を理解できない。
わたしはそれが知りたかった。それを知れば千束へもっと近づけると思ったからだ。今の千束からは聞けない。聞けるわけが無い。ならばどうするか。そう考えながら、私は今日も職場のリコリコへ向かう。
・・・・・・
「千束の様子はどうだ。たきな」
喫茶リコリコの昼休み。千束は今日も休んでいる。千束の事件から数日。まだ治っていない千束の様子を伝えるのは心苦しいが、店長には首を横に振った。
「まだ、ダメですね。お話とかは出来るんですけど、時々思い出してしまうみたいで」
「そうか…」
コーヒー豆を擦る店長の手が止まる。この人は千束の事になるとやはり脆くなる。千束を長年面倒見てきたからこそなのだろうか。私の事もちゃんと心配してくれるし、クルミやミズキさんの事も心配してくれる。だが、千束の時はより一層の辛そうな顔をする。それは店長が千束の父親のような存在だからだろうか。まだ私には分からなかった。
「あの…店長。ひとついいですか?」
「ん?どうした?」
ずっと気になっていた。千束が相手の『命を大事に』する理由。千束本人からは何も言われない。何も言って貰えない。
「千束が人を殺さない理由ってなんなんですか?」
「……」
店長はまた動きを止めた。
「それは、千束から聞いたのだろう?」
「理由は聞きました。なぜそうなったのか。過去も経緯も原因も聞いてません。理由だけです」
「……」
「
店長は目を細めまた俯く。
「それは…」
「ボクも興味があるな」
階段でゲームをしていたクルミも低い声で言ってくる。
「アンタら…人のプライバシーってもんを…」
「聞く権利もある。知る義務もな。一緒にいる以上隠せない事も出てくる。今回もそのひとつだ。そうだろう?ミカ」
「………そうだな」
ミズキさんの静止も聞かずにクルミはいつの間にか店長の目の前まで来ていた。
「千束は──────」
・・・・・・
今日も先生には休むって伝えた。なんだか、また自分勝手になってるな。体調が悪いとかじゃないんだけど、まだ人前に出れるほどの元気がない。私は人を殺した。それがまだ私の心にへばりついている。だから今はこうして部屋で蹲るのが精一杯だ。というか、それ以外したくない。何も見たくない。何もしたくない。『暗闇』に一人、ずっとこうしてる方が幸せだ。
「……?」
客?
インターフォンが鳴った。私のセーフハウスのインターフォンを鳴らす人なんて限られてる。リコリコのメンバーかフキぐらいだ。全く。今は誰の顔を見たくないというのに…。
私は立ち上がってインターフォンを鳴らした主を見に行く。
「…!?」
「お久しぶりです。錦木千束さん」
「あなたは…」
そこに居たのはヨシさんの秘書、姫蒲さんが居た。
「なんの…ご用ですか?」
「先日の任務、拝見させていただきました」
「え…」
たきな達と任務に出ていたのを知られていた。
全く分からなかった。どこにいたのかも、いつから付けられていたのかも。
「いつから…」
「それを悟られないようにするのも私の得意分野ですから。それよりも、やはり貴方は素晴らしい才能をお持ちです。ですから、これをお渡しに」
「っ!?」
言って姫蒲さんはカバンから取り出した、小さな箱。その中身は何故か見なくても分かってしまった。
「それは要らないッ!!」
一際大きな声で姫蒲さんに伝えた。
「そんなものは要らない!それ渡しに来ただけなら帰ってください!」
「なぜ、受け取らないのですか?」
「え…」
姫蒲さんはその冷静な瞳で私を見据えている。
「その才能が生かされる場にいるというのに」
「違う!私は…私は誰かを助けたくて…」
「その誰かとは、誰ですか?」
「え…?」
「不特定多数の人間を助ける事なんて出来ない。ましてや、非殺傷弾で気絶させた敵がクリーナーに連れていかれた後にどうなっていると思いますか?」
「っ…」
「向こうにとっては生き地獄。刑務所で裁かれるか、釈放されてもDAから消されるか。その二択しかない。この世は一殺多生なんて正解はありません。大勢を殺してやっと大勢を助けられる。貴方の行動は矛盾している。誰も殺さずに誰かを助けるなんてそんな事は出来ない」
「ち……」
「甘ったれた考えを持ちながら、今までのうのうと生きて来れたのも、ギリギリの所で窮地を救ってもらったのも、全ては周りの人間のおかげ」
「が…ぅ…」
「貴方は守るどころか、守られて生きている」
「私は…」
「死にかけの人形として、また繋がれた命の使い方をよく考えることですね」
「それはっ…でも…」
「才能あるものは、もう誰かと輪を組んだりは出来ません。貴方はもう既に彼女達の元へは帰れない。『暗闇』の道を歩いていくしかないんですよ」
「………」
「貴方はまだその甘い考えに縋って、言い訳をしているだけです。それでは、失礼します」
そう言って姫蒲さんは出ていった。あれが入った小さな箱を置いたまま。私はそれを跳ね除ければいいのに、出来なかった。ヨシさんが望んでるんだ。私がリコリスになる事を。殺しの才能なんて要らないのに、なんで私はこんな事ばっかりできるようになってしまったのか。
「……?」
そこで鳴る私のスマホ。先生からだ。
【千束!たきな達が捕まった!】
「っえ!?」
私が勝手に落ち込んでいる間に今日任務に行ったたきな達がしくじったらしい。
きっとこれは私のせい。命大事になんて言ってる私のせいだ。変なプライドをもってしまって、いつまでも『暗い』場所で蹲っていたから、こんな事が起きた。
心が焦る。心が乾いてゆく。何も考えられない。
電話越しの先生の声が遠のいていく、私のせいだ。
私のせいなんだ。どうすればいい。どうすれば。
何が正解?何が不正解?
いつ、なにを、どうすればよかった?
またこんな『暗闇』へ落ちていく感覚。
何にも見えない。何も出来ない。また弱い私が生まれてしまった。こんな時どうしてたっけ?
どうして行動してたっけ?
「あ……」
目の前にある小さな箱。さっき姫蒲さんが置いていった小さな箱。
「……」
開けて中身を取り出す。やっぱりそこに入っていたのはアラン機関のペンダント。そうだ。私は迷った時、ずっとこれに語りかけてた。どうすればいいのか、どうしたら正解なのか。だってこれがあったから私は救世主さんみたいになりたいって、ヨシさんみたいに誰かを助けられる人になれるって思ってたから。
でも、今の状況を引き起こしているのは私の甘さなんだろう。『命大事に』なんていう甘さが今を作ったんだ。断ち切るべきプライドなのかもしれない。それはまだ私には分からない。
でも、今。
たきな達を助けられるのが私だけで、もし『それ』が正解だったとしたら。私は迷ってはいられないはずだ。それが正解じゃなかったとしても現実を受け入れるしかない。私は間違えようが構わない。
忘れたいんだ。1度だけ、こんな考えを。
ヨシさんなら今の私に頷いてくれる。
だって、ヨシさんが望んでた私の姿なんだもの。
ペンダントを手に取って、焦りと焦燥と乾いた心のせいでモノクロになった世界を私は見上げる。
ヨシさんならきっと答えてくれる。
先生とは違う返事をしてくれる。
きっとヨシさんなら──────。
「先生…私が行く」
・・・・・・
「っ…ぐ…」
しくじった。仲間の数が増えていた。後ろからやられてしまった。油断していた。前に千束と任務に来た時にあらかた片付けたと思っていたが、ちゃんと向こうも警戒していたらしい。フキさん達も捕らえられてしまった。
まずい、完全にお手上げ状態だ。抵抗しようにも手足は拘束されM&Pもバッグも取られてしまっている。
「おい、さっさと殺れ」
「わかってる」
男達がAKを構え、私に向ける。
もうだめか…。
諦めたように私は目を閉じる。仕方ない。私も撃つのを躊躇ってしまった。千束のようになれるのでは無いかと、千束の代わりになる事は出来ないのかと。それが間違っていた。私は千束には成りきれない。店長から聞いた話が本当なら、私はらしくない事をしようとしたのだろう。そのツケが回ってきたんだ。
これは私の間違い。受け入れるしかない。
『たきな』
「っ!?」
そして聞こえてきたのは千束からの通信。
『遅れてごめん』
「まさかっ!?」
「うわぁぁぁぁ!!!」
と、いきなり奥のドアからまるで投げ捨てられた人形のように吹き飛んできた男が一人。2回3回転がり壁に激突する。ゆっくりと近づいてくる足音。それは冷たく凍りつくような足音。それこそ死神が歩いてくるというのが表現としては近いのだろうか。
赤く冷徹な眼光が『暗闇』からやって来る。
「千束…」
「やっぱり仲間がいたか…!」
千束は辺りを見回す。敵の数を把握しているのだろうか。だが、男達は怯むことなく千束へ向かっていく。
「殺せ!」
「っあああ!!」
「ぁぁああ!!」
主犯が周りの男達に命令すると全員がナイフや銃を構えて千束へ向かっていく。
だが、それも無意味だ。千束は銃弾が飛び交うその場で一人戦っている。
「ウソだろ…こっちは何人いると思ってんだ…」
数分ちょっとで千束の周りを取り囲んでいた男達は一掃された。倒れた男達の真ん中に立つ千束は主犯の男にはより恐怖の象徴に見えるだろう。
「あぁ……ああああぁぁぁ!」
たちまち男は逃げ出した。だが、千束の様子が違う。
「逃がさない…」
呟いて、デトニクスを捨てバッグから取り出したのは私のM&Pだった。
何故千束が持っているのか分からなかったが、その瞬間私は世界が終わるかのような感覚に陥った。見てはいけないものを見てしまったような、ずっと恐れていた事が起きてしまったような。そんな感覚に。
「千束!待って!待ってください!!」
拘束が解けない。もたついてる時間がない。私のM&Pに入ってるのは実弾だ。マガジンが変わってないのが見えた。絶対に『そんな事』は無いはずだ。ありえない。
千束が『そんな事』をするはずがない。
とりあえず、足の拘束だけは解き、なんとか千束のデトニクスを拾って彼女の元へ駆け出した。
「や、やめろ!!やめてくれ!」
やっとたどり着くと、千束は主犯を追い詰めていた。
だが、主犯もまだ抵抗する気のようだ。AKを構えたまま千束に向かい合っている。
だが、明らかに手が震えている。無理もない。自分の仲間をあそこまで一方的に蹂躙されたんだ。どんな人間も怖がるに決まってる。
「…」
向けられたAKなんて、お構い無しに千束は歩を進める。
「来るな…!来るなぁぁぁ!!」
悲鳴と同時に放たれるAKの弾丸は千束にはかすりもせずに全てあらぬ方向に飛んでいく。壁、柱、天井と主犯はそれを理解していないのかそれでも銃弾を撃ち続ける。天井に当たった弾丸はスプリンクラーを破壊して、水が吹き出る。
そして、千束が主犯の前に着いた瞬間にAKも弾切れを起こした。
「っ…なん…で…がっ!」
千束は何も言わずに主犯の胸ぐらを掴み、地面に叩きつける。そして頭を踏みつけてM&Pの銃口を突きつける。
「や、やめろ!!金なら出す!いくらでも金はやる!だから──────」
「たきなに酷い事したんだからこれぐらいは受けてもらわないと困るね」
淡々と言葉を連ねる千束、主犯の意見などお構い無しに足に力を入れる。
「ぐぁぁあ!」
踏みつけた足からミシミシと軋むような音が強くなっていく。
踏みつけられた頭から何かが砕けるような音も聞こえてくる。
心做しか千束の顔も笑っているように見える。
「千束!待って!」
やっと手の拘束を解いたと思いきや、千束は既に主犯へ向けて引き金を弾いていた。主犯の頭から血飛沫が舞い、千束の頬を汚す。死んだ事を確認すると、千束も呆れたように小さくため息を吐いた。
「ちさ…と……」
「たきな」
乱れ撃たれた弾丸で破壊されたスプリンクラーの水で濡れたその人影。
そして、振り返った千束の胸元にあったのは、あの忌々しいペンダント。千束の目にハイライトは無く、他人が血を流しても平然とそこに立っている。
『私の知ってる千束じゃない』。
その事だけはこの時確信できた。
「千束っ…貴方は今何をしてるのか分かってるんですか!?」
「わかってるよ。たきなを助けたんだよ」
「そうじゃない!貴方は今、人を…」
「それも分かってる。私気づいたんだ。これがホントの私だって」
笑顔で答えてくれる。だが、返り血を浴びたその笑顔が怖い。自分のしている事を理解した上でそう言っている。だから怖い。
どう考えてもおかしい。今まで苦しんできたのにこんな簡単に治るなんておかしい。まるで人が変わったように千束は平然としている。無理をしているとか、表に出さないようにとか、絶対そういう我慢ではない。
「そんなの……そんなのは千束じゃないっ!」
「え…?」
「わかっているんですか!貴方は…命大事にと…誰も殺さないようにと───」
「やめてよ。たきな。私のこの姿はヨシさんが望んだ事なんだよ」
「ちがう…違います千束……それはもう、望まされてるだけですっ…!」
吉松シンジ……また、またアイツかっ…!
千束の心をいつまでも苦しめる罪人がっ…!
だが、確かに、良くも悪くも千束への影響が1番強いのはあの男だ。憧れでもあり、いつまでも探し続けた人でもある。あの人のように誰かを助けられるようになりたいと、リコリスの教示から背いてでも目指した先なのだから。だが、これは違う。
明らかに違う。絶対に貴方のやり方ではない。
『そちら』に行ってしまった人のやり方。
正しいリコリスの戦い方だ。
でも、違う。絶対に違う。
今の千束は絶対に間違っている。自分を曲げる事が貴方の今やるべき事ではない。
「貴方のやり方は間違っています…」
「違うよ、これが私の正解だよ」
私が言えることでないのはわかってる。それでも、今の千束は千束じゃないことを証明したかった。『暗い』場所にいる貴方は間違っていると。
元の千束に戻って欲しいと。
「今の貴方は、千束じゃない」
「何言ってるの、私は私だよ」
「いえ…そのペンダントを付けてる時点で貴方はまた吉松に囚われているっ…!」
私はデトニクスの銃口を向ける。
「たきな…」
「貴方の目を覚まさせる必要があります。やっと見つけて、やっと連れ戻して、やっと普通に暮らせると思ったのに…それでも…貴方は…!」
千束のデトニクスを持つ私の手が震える。狙いが定まらないほどに、私は千束へ怒りを向けている。引き金を引きたい訳じゃない。それなのに私はこの人へ銃口を向けている。
「たきな」
私のM&Pを握った千束は私の名を呼んだ。
けれど、その時の千束の顔は見えなくて、目には色が無かったように見えた。私の目の前にいるのは誰でもない、アランリコリスだった。
・・・・・・
「先輩…これ…」
「あぁ…」
フキ達も犯人達からの拘束を解いて、千束達の方へ向かっていたが、その惨劇を目の当たりにしていた。スプリンクラーから出た水で広がった血液はそこを血の海にしていた。
千束が人を殺した。仕方なくでは無い。明らかに自分の意思でだ。
それは長年千束と共にいたフキにも信じられない行動だった。だが、ここに散らばっているのは終わった命。もう何もしてやれない。これが、リコリスの仕事だ。
「サクラ、今は任務を優先するぞ回収班を…!?」
「ぅぐぁぁぁあぁああぁぁぁ!!!」
悲痛な叫びと共に、フキ達の横へ転がりながらぶっ飛んできたのはボロボロになったたきなだった。
ドアごと吹き飛ばされて、二転三転しその場に崩れ去る。
と、そこにたきなへ追撃を入れる人影が一つ。
「お前ら!何やってんだ!」
今度は千束がたきなへ急接近しナイフの鋒を突き立てる。たきなは何とか体勢を立て直してそれをギリギリで受け止める。
「最初は確かに望まれていたかもしれない!──────っでも!!」
「っ!」
千束のがら空きの腹部への蹴りの一撃。少し痛みで後ずさりをすると、すかさずたきなも千束へ向けてナイフを振るう。千束はちゃんと受け止める。
「いつまであの男の事を引きずるつもりですか!!」
斜めから、真上から、突き刺し、ナイフを振るい千束への攻撃の手を緩めない。
「っあ!」
だが、千束はその突き刺しを躱してそのままたきなの腕を進行方向へ引っ張る。その勢いでまたたきなを隣の部屋へ投げ飛ばす。投げ飛ばすと同時に千束はM&Pを構える。それを見たたきなはそのまま、身を翻して転がり込んで物陰に隠れる。引き金を引いたM&Pの弾丸は地面に着弾し穴を開ける。
「隠れたか…」
たきなは隠れた。だけど、その場所はさっき見た。だから千束はゆっくりと普通に歩いていく。M&Pを握りしめ、たきなが潜んでいる物陰を捉える。
「店長……」
ミカから聞いた千束の過去。それは千束自身を作り出した過去。たきなの知っている千束が出来た理由。
今の千束がありえないと思える理由。
千束がちゃんと人と向き合える事のできる理由。
「そこ」
「っ…!」
接近されて向けられていた銃口を払い、ナイフの一撃。千束はそれを自分のナイフで払う。お互い距離を取り、たきなはデトニクスの引き金を引く。千束へ向けて3発。だが、千束は最小限の動きで弾丸を避けてナイフを大振りに振るってたきなを弾く。
「っぐ!」
弾かれて、体勢が崩れた所をナイフを逆手に持ち替えて千束は殴打で追撃する。
なんとかガードは出来たが威力が違う。たきなは体ごとそのまま吹き飛ばされてしまう。
「お前らやめろ!!自分達が何してんのか分かってんのか!?」
慌ててフキが止めようと声をかける。
『フキ、やめなさい』
クルミのドローンからその場の映像を見ているミカから通信がはいる。その声は痛そうで、辛そうな声だった。だからこそ、フキも大声を上げてミカへ申し立てる。
「っ先生!何故ですか!あれでは……」
『止めないでくれ…フキ』
真っ直ぐと画面を見つめるミカ。
後ろで二人の無事を祈るミズキ。
なにか止める方法は無いのかと模索するクルミ。
だが、今度のミカの声は違った。真っ直ぐで迷いのない声だ。
『あれは、俺が千束にしてやれなかった事だ』
「先生…」
銃声三回。千束はたきなへ向けて引き金を弾いている。それはゴム弾ではない実弾。たきなは建物を利用しながら弾丸を避け、倉庫にある武器を拾っていく。ゴム弾で戦おうなんて優しい理由で戦っている場合では無い。周りにあるもの全てを使わないと千束に勝てない。
「っ!」
拾ったP90を構える。幸い武器庫に飛ばされたので拾うものには困らない。
引き金を弾いて、フルオートで弾丸を発射する。
たきなの狙いは正確だ。千束を横へ走り抜ける。たきなはどうせ千束に避けらる事は分かっている。だから、千束の逃げる先を読み、それよりも1歩先の場所にナイフを投げつける。
(ナイフを…?)
千束は予想外の行動に一歩遅れて反応してしまったので、ナイフを弾くしか出来ない。だが、それもたきなの計算通りで、飛ばされたナイフをたきなは棚や壁を利用して空中で取り、高さと重さを加えた上からの振り下ろす一撃。
「あぁぁぁ!!」
確かに、振るった一撃は千束に命中したが、それは千束のナイフによって阻まれる。その赤い瞳は一撃を返すと、反撃と言わんばかりの一刺し。しかし、ちゃんとたきなもそれを弾き捌く。だが千束の一撃の方が重い。 たきなは体勢を崩してしまう。
「しまっ…ぐっ!」
体勢を崩した所を見逃して貰えず、たきなは胸ぐらを掴まれて壁に押し付けられる。
見据えるたきなの瞳。
睨みつける千束の瞳。
「私は何も変わってない!」
「えぇそうです!変わってない!だから、まだ吉松を忘れられずに引きずっています!その証拠に貴方は人を殺した!そのペンダントをまたつけている!!」
「それの何がいけないって言うの!たきなだって、リコリスなんだから散々人を殺してきてるでしょ!?」
「それでも!貴方はその考えを否定してくれる人間だった!そんな貴方に……私はっ!!!」
千束の腕を払い。またナイフで斬り掛かる。
たきなの心は揺れている。千束へ憧れて、千束を想い、千束を追いかけてきた。そのたきなにとっての新しい光。それが千束だった。千束が沢山与えてくれた。鎖を解いてくれた。
千束の言葉がたきなの心を溶かして。
千束の想いがたきなの心になって。
千束の温もりがたきなを救った。
あの時、見上げた空が綺麗だと思えたのも千束のおかげなんだ。
心を無くして『暗闇』を這いずっていたあの時とは違う。
千束は『光』なんだ。
たきなの空を照らした『光』だ。
千束がくれた
千束が教えてくれた
たきなの今が出来ている。
だから、その『光』を守りたいと思えたんだ。
「なのに…貴方は!!!」
「ぐっ!」
大振りで大きな一撃。弾かれて、少し後ずさる。
その時は良かったのかもしれない。まだ誰も千束の隣にはいなかった。寂しくはあったが、それでもよかった。
誰かを愛して、愛されて、別れが来た時に辛くなるから。そんな『光』指す場所が苦手だった。
だって、出会いと同じ数の痛みなんて味わいたくない。
そうして、閉ざした自分の心には
その世界で生きる千束は、独りじゃない。
ミカ、ミズキ、クルミ、そしてたきな。
フキも楠木も吉松も、皆がいて、千束は成り立っている。誰かと輪を組めないなんておかしいと思った。
吉松がくれた
ミカがくれた
たきながくれた
今の千束は出来ている。それを失ってしまうのならと千束は今一度、吉松が望んでいた姿へ戻ろうと決めた。
「たきなに私の何がわかるのさ!!」
ナイフを振るう。
「分かりません!分かりませんよ!!だから、あなたを知る為にずっとあなたの傍に居たいと思った!!」
デトニクスを撃つ。
「私は、たきなを失いたくない!だから、だからこうして先生との約束だって破ったんだ!」
M&Pを撃つ。
「店長との約束を破ってまで私は守られたくは無いです!」
ナイフを弾く。
「ヨシさんなら今の私に納得してくれる!間違ってないって言ってくれる!だから───」
「吉松吉松五月蝿い!!!だったらその心臓、私が引きずり出してやる!!」
失う度に傷ついて、誰かが死ぬ度に涙を流して、何度も何度も繰り返してきた。千束の心はずっと足りなかった。一人一つの心で全てを受け止めようとしたから誰に対しても一歩引いた立ち振る舞いだった。
だか、それを溶かしてくれるたきなという存在。巡り会えた事が奇跡だと思った。その奇跡が千束を生かしている。
この乾いた心に芽生えたこの気持ちは一体なんというのだろうか。間違いを犯すことを良しとして、誰かの時間を奪ってまで君を守ろうとしたこの気持ちの名前はなんだろうか。本当は『光』指す方へ行くべきなんだろう。けれど、君を助ける為には『光』に背を向け、『暗闇』を進むしか無かった。そして、その心臓が語りかけてくるんだ。
躊躇うなと、諦めろと、理想だけで世界は変わらない。そんな事は知っている。だから、自分の手の届く範囲だけでも、守りたかった。でも、守れなかった。
その結果がこれだ。
「どんな人もいつかは忘れ去られる!」
「それが嫌だから、私はその人の命を大事にする!そして、忘れないように生き続けるんだ!」
「だからといって、いつまでも思い続ける事は違う!それは優しさじゃない!怨念だ!」
千束の心はまだ年相応だ。自分と同じだ。特別な人の事を特別に思い続けるのは当然の事だ。たきな自身も分かっていた。何故ならたきなにとっても千束が特別だからだ。その想いを、優しさを教えてくれたのも千束だ。
『命大事に』と。だから、その優しさを知った自分の心に芽生えたこの気持ちの名前が分からなかった。
沢山怒ったし、沢山笑った。その全てには千束がいた。
それを否定した吉松は許せない。なのに、千束はその吉松ですら受け入れようとしている。
だが、違う。それは違う。受け入れようとしているのはおかしい。
「もうあの人の事は忘れていいんです!」
「違うっ!私はそういうことを言いたいんじゃない!なんでわかってくれないの!私は────」
受け入れる事の大切さ。相手も自分も味方も守る事。
どこまで行けば理解の果てにその人を思い続けられると言うのだろう。死人を思っても残るのは思い出だけ。
人はきっとそれを忘れていく。忘れないように生きていこうとする。それは優しさじゃなくて呪いだ。
それは分かっている。分かっているんだ。
でも、誰も分かってくれない。私一人だけが思い続けている。
『暗闇』の道を歩くしかない…。確かにそうだ。
だけれど、千束がいつも『暗闇』にいる時に『光』を差し伸べてくれたのは──────。
「
「っ…!?」
たきなを弾いて間合いをとる。
「あの人は……私の
「違うっ!あの人はただの
・・・・・・
「っくそ、たきな……!」
画面の向こうの二人を止められない。それはリコリコにいるミカもミズキも同じことだった。
ミカの話を聞いてたきなと二人で話し合った。もしやと思っていたが。本当にこんなことになるとは思わなかった。だが、これもたきなが選択したことをたきなが望んだこと。本当に『こう』するつもりだったんだ。
本当に千束が道を間違えた時。たきなはずっと『こう』するつもりだった。これがたきなの答えなんだ。
ボクはそれを聞いた時、「それはダメだ」と言った。
だけど、たきなは「それでもいい」と言った。
言葉は言葉でしかない。その時の返事が未来でどうなるかなんてボクにも分からない。
ボクに出来たのはその時だけ言葉で止めようとした事だけだ。たきなは自分の意思で千束を止めている。
千束がこうなった時、それを止めるのは自分だと言っていた。その言葉はボクも忘れていない。
「たきな…」
・・・・・・
「よせ!千束っ!」
たきなへの攻撃を止めない千束を見てられなくなって、ついにフキはミカの静止を振り切って止めに入った。
「離してよ!フキ!離せ!」
「いい加減にしろ!自分のやってる事分かってんのかお前は!」
「なんでさ!なんで私が間違ってるって言うの!!」
「そうだ!間違ってんだよ!お前は!とにかく止まれ!話し合うんだ!」
「なんだよ!フキまで!!私は……私はぁ!!!」
千束は振りかぶっていた。フキに向かってナイフの鋒が向いていた。それはいけないと思った。だから、たきなは走った。フキの盾になりたいと。守りたいと。
「フキさんっ!」
『命大事に』と。それは呪いのようで、見たことの無い志で、千束の気持ちだった。だから、それを守りたかった。それを崩そうとしている千束を守りたかった。
例え、
『待て!たきな!!!』
クルミの制止の声など届かずにたきなの体に千束のナイフが突き刺さる。
・・・・・・
「え………………?」
その時。乾いた心でモノクロだった私の視界に色が戻った。戻った瞬間に目にしたのは、私が突き刺したナイフから血を流しているたきなだった。
「え………………?」
フラついて、もたれかかってきた彼女を受け止める。何が起きたのか分からなかった。私の目の前には血だらけでボロボロなたきなが居た。そして私は手にナイフを持っていた。その刀身はたきなの体に埋まっている。訳が分からなかった。自分が何をしているのか理解出来なかった。
それなのに消え入りそうな声でたきなは話しかけてきた。
「やっと…正気に、戻り……ましたね。千束…」
なんで──────?
「また…そうやって……っ、がはっ…独りで……悩んで……抱え込んで……っ…」
どうして──────?
「なんの……為に…っ、私がいるか……分からないじゃ……ゴフッ…ない…ですか……」
違う──────。
「本当に……っお願い……です、千束」
なんで泣いてるの──────?
なんで優しくするの─────?
「泣かない…で……千束……」
なんで君が私を求めるの──────?
「もう…私を……一人に、しないでっ……」
赤く濡れた手が私の頬を撫でる。血を吐いた儚げな少女が泣いている。この世の全てが反転したようで、心が何も追いついて居なかった。
私は、君を守るためにここに来たはずなのに。
それなのに。
それなのに。
『はぁ───はぁ───』
違う───。
『はぁ───はぁ───』
違うんだ───。
『はぁ───はっ───』
私はただ───。
『はっ───はっ───』
いつも通りにやりたかっただけで───。
『はっ───はっ───』
私はただ───。
『はっ───はっ───」
そんなつもりなんてなくて───。
私は。
「ちが…」
ただ───。
「たきな!!!!!」
ただ──────。
・・・・・・
降りしきる雨。
私はいつの間にか、病院の一室にいた。
あの後、フキ達が救護班を呼び全部やってくれたようだが、そんなことはどうでもいい。私の目の前にある光景だけが、唯一信じられないものだった。
「…た……き……」
名前すら呼べなくなっていた。たきなの心臓を鳴らす電子音。呼吸すら聞こえてこないたきなの体。
目の前のベッドで、横たわる死にかけのたきな。何がどうなったのか本当に分からなかった。私の目の前に居たたきなは血を流して、私を抱きしめていた。
なのに今は、ベッドに横たわり、死にかけている。
絶対に。絶対に……。
「千束」
「っ!?」
急に呼ばれて、振り返る。そこには先生が居た。私の顔を見るなり悲しそうな顔を返してきた。何か言いたげに口を紡ぐと私の隣に立って肩に手を乗せてきた。
「今日はもう帰りなさい。私達にしてやれるのはここまでだ」
「………………うん」
酷く簡単に帰りを受け入れてしまった。先生に送って貰うはずだったのに、何を思ったのか私は首を横に振って、独りで歩いている。きっと今の私の姿勢は生きる屍の様になっているだろう。
その事実だけが、私にまとわりついている。
なんで……なんでなんだ…?
私はただ、たきなを助けたかっただけなのに。
たきなを……助けたくて……。
なのに、なんで、私が、たきなを殺しかけてるの?
自分の掌を見ると、雨で濡れていた。それはさっき刺したたきなの血で濡れた時と同じ感触で。
「っ!………お゛ぇっ!う゛ぇぇ………」
ビチャビチャと吐き気と共に蘇る。
昔の記憶。走馬灯に近いもの。それは私がDAを離れた時の記憶。
・・・・・・
『もう一度言ってみろ。千束』
『だから、楠木さん。私DAから離れたい』
『馬鹿を言うな。組織を辞めて何をするつもりだ』
『違う!DAを辞めるんじゃない。私は私のやり方でこの先生きていたいの』
『…………どういうことだ』
『人を殺してまで誰かを守る必要は無い。やめてって言ったりさ、もっとこう…殺すこと以外で解決したいの!』
『犯罪者を未然に防ぐ為には、そうするしかないんだ』
『そうかも知れない!……でも、そこまでしなくていいと思うの。その人にも家族が居て、友人が居て、恋人が居て………私はそんなの嫌だ!誰かの時間を奪ってまで、誰かの助けたくない!』
『お前、自分が人を殺したと自覚があっての事か?』
『っ……そうだよ。繰り返さない為にも、私は私のやり方で誰かを助ける人になりたい。先生とも話し合ったし、先生は私に賛成してくれた』
『………はぁ……わかった……好きにしろ』
『楠木さん…』
『だが、忘れるなよ。お前の手は1度血に汚れている。血を見ない生活が続けば、その逆に耐性が無くなってくる。お前が次に血を見た時きっと耐えられなくなる。お前が行こうとしてる道はそういう道だ』
『分かってる。それでも私は実現してみせるよ。楠木さん』
・・・・・・
何が誰かの時間を奪いたくないだ。
何が誰かを助けたいだ。
その結果が、これだ。
誰も助けられずに、助けようとした人を傷つけて、私は今ここにいる。
何をやってるんだ私は。
なんで生きてるんだ私は。
言ってる事とやってる事が逆だ。
楠さんの言う通りだった。また私は失敗した。不正解を犯してしまった。戻ることの無い時間を過ごし、私は雨の中で独り泣いている。ゲロをぶち撒けた道の真ん中で、私はまた『暗闇』に独り、取り残されている。
「おい、千束」
見上げれば、そこにフキがいた。傘も刺さないで私を睨みつけている。
「よくもやりやがったな。お前」
「………」
弁解する余地なんてない。私は間違ったことをしたのだから。だからもう、フキの言葉にすら抵抗する気が起きなかった。
「任務を…」
「あ?」
「任務優先したんだよ…私は…」
「ふざけんなっ!!!」
「ぐっ!」
フキの拳が飛んできた。
怒りを煽る一言だった。言い訳をした。あの時の私の考えが一つも甦ってこない。私は、あの時どうかしていた。
「その任務を優先した結果、お前は誰に何をしたのか分かってんのか!?」
「……」
「アイツはお前の大事な相棒なんだろ!?」
「……」
「お前はっ………」
「……」
フキの言葉が途絶えた。
呆れた様なため息の声が聞こえた。
「もういい、お前には失望した」
その言葉だけを残してフキは去っていった。
言われても仕方のない言葉だった。私は多分今皆を怒らせている。先生もミズキもクルミも皆。私は自分の考えをねじ曲げたんだ。ねじ曲げた上にたきなを傷つけた。
涙を拭いて立ち上がる。立ち上がった所で何ができるんだか………。
・・・・・・
「山岸先生…」
「おや、来たかい。今日も着いてやっておくれ」
「うん…ありがとう…」
翌日、私は先生にちゃんと病院へ行く事を伝えて、たきなの所へやってきた。
山岸先生は何も言わない。ただ、笑顔で出迎えてくれるだけだ。そんな先生に甘えて私はたきなの病室へ入る。たきなの鼓動が電子音で聞こえてくる。意識の戻らない君の手を握って、私はまだ君が生きていることに安心する。もう、本当に取り返しのつかない事をする所だった。ミズキにもクルミにも怒られた。でも、先生だけは私を慰めてくれた。
『辛かったな』『すまなかった』『許してくれ』
言葉を連ねて私を包んでくれた。甘やかし過ぎてるって言われたけど先生はそれでもやめなかった。
『これは俺がしてやれなかった事だ』と、ミズキ達に、話してたのを聞いてしまった。ミズキ達は本当に怒っていた。私は君を助けたかったのに。なんでこんな…
ヨシさん…私、間違ってたのかな。
私はやっぱり誰も助けられない。『暗闇』に独り。
取り残されて、誰の手も取れない。握る君の手はとても弱々しく、零れそう。自分のした事を思い出すと、涙が溢れて止まらない。謝る事しか出来ない。
こんなにも弱い自分が嫌になる。それでも許して欲しい。君には、君だけには──────。
・・・・・・
「たきな……ごめん…ごめんね………」
誰かが、私の手を握っている。
痛いくらいに強く。でも、暖かい。私の手に落ちてくる雫。誰かが必死に私に対して謝っている。
そんなの、一人しかいない。
「ちさと…」
「っ…たきな!?…たきなぁ!」
千束の声で目を覚ます。泣きじゃくって目を真っ赤にした千束が居た。目覚めた私を見るなり千束は前のめりになって私の名前を呼んだ。抱きしめてくる訳でも無く、しがみついてくる訳でも無く、彼女は私の手を握りながら涙を流していた。見渡せば病室、あの後どうやら気絶していたらしい。ナイフも深く刺さったはずだが、無事なようだ。
「私は…」
「生きてる…生きてるよ、たきなっ…」
泣きながら、私を手を握って千束は私の名前を呼ぶ。どのくらい寝ていたのだろうか。千束がこんなに涙を流すのを初めて見た。体を起こそうにもまだ重く感じる。手を握り返すことしか出来ない。
「どれくらい…寝てたんですか?」
「ぐすっ…まだ、そんなに時間経ってないよ」
「そう…ですか…」
窓を見れば青空で、千束を見れば涙目で、思い返せば私は死にかけていて、今ここにいる。
「千束…もう大丈夫…なんですか?」
「っ…うん。『私』は大丈夫。多分どうかしてた…ほんとにごめん…」
「なんで…またあんな風に…?」
「たきなが捕まったって聞いてすごい、焦っちゃって…たきなを失う事が怖くなって、中途半端な事ばっかりしてたからこんな事になったんだって思って…だから私のこの甘さが原因なんだって、『命大事に』って考えを捨てればたきなは助かるんだって思って…気づいたら、あぁなってた」
「っ……」
本当に自分から、自分の考えを否定していたんだ。それぐらいあの時は焦っていたんだ。それでも、私を思ってくれていた。助けたいと、救いたいと。どんな事をしていても、千束は千束のままだった。いい意味でも悪い意味でも。その影響が、千束の首にぶら下がっている限りは。
「その、ペンダントは誰が…?」
「これは…その…ヨシさんの秘書さんが…」
「そうですか…」
あの糞女…生きていたのか。やはりあの時追いかけて、殺しておくべきだった。でもそれはあの時の千束に止められていた。本当は探し出してぶっ殺してやりたかった。でも、私はあの病院から戻ってきた時、千束の命を優先した。だからやっぱり、私のせいなのかな…。
「ごめんなさい…千束」
「っ、なんでたきなが謝るのさ!」
「今回の事は全部私が……悪いのにっ…」
また彼女は泣きそうな顔になる。そうやって誰かの心に寄り添って、一緒に泣いて、一緒に笑ってきたのだろう。それは千束の優しさでもあり、弱点でもある。その心を突かれると千束は途端に弱くなる。旧電波塔で吉松を撃ったのに見逃してしまった。それが千束の唯一の弱さだ。そして、それは私の心に無いものだ。
でも、それでも、私はあなたを許します。どれだけ道を踏み外そうとも、私が隣にいる限り必ず引き戻してみせます。店長の話を聞いた時、私は自分でそう決意したから。
「千束、命大事に、ですよ?」
「っ……うんっ…うんっ…!ごめん…ごめんね…たきなぁ……生きててよかったっ…本当にっ……」
救われたかように、囚われていたかのように、解き放たれたかのように、あなたは私の手を握り泣いている。
涙はあなたに似合わない。なんて、今の私に言えるだろうか。
「おや、目を覚ましたのかい?」
「山岸先生」
「目覚めたんならちょうどいい、傷は少し深いけど、アンタの回復力が異常だから明後日には退院出来るよ」
「ホントですか!?」
「なぁんで千束が前のめりになるんだい」
「う…ごめんにゃしゃい…」
「ふふっ、本当に元に戻りましたね。千束」
ふと気が抜ければ、普段の話し方に戻る千束を見ると私も全てが終わったと、ようやく確信できた。
・・・・・・
「ただいま」
「はいおかえり〜!」
それから二日経ち、本当にそのまま退院した私は千束のセーフハウスに戻ってきた。
おかえりと迎え入れられても千束も私の荷物を持つために病院まで来てくれていたのだが。
「荷物私が出しておくね、あ、お風呂沸かしてあるからすぐに入っていいよ。私も、そのあと入るから」
「はい。ありがとうございます。千束は…」
「いいのいいの〜!たきなは退院したばっかなんだから、私がやるの」
玄関を閉めるなり、千束は私の荷物を持ってすぐに下へ降りていく。普段なら、おかえりのキスだのなんだのいいながら、私に触れてくるのだが、なんだか素っ気ない態度だ。少しモヤモヤするが、自分のした事を反省しているのだろうか。だとしても、それはそれで悲しい。
私は今生きている。その事実がちゃんとあるのにこれ以上避けられる理由はないはずなのだ。
「………」
「〜♪」
鼻歌を歌いながら、淡々と家事をこなす千束の後ろ姿が少し気に入らなかった。話しかけても素っ気なく、手伝おうとしても休ませられる。千束なりの気遣いだとは思いたいが、別にそこまで酷い傷じゃない。ナイフで刺されるなんてリコリスとしてよくある事だ。
いつも通りの日常が帰ってきたはずなのに、また千束が遠のいた気がした。それはきっと、千束の優しさだから。でも、私はそれが気に食わなかった。
「千束」
「な〜に〜?たき、なっ!?」
私はその態度が気に入らないので、後ろから千束へ抱きついてやった。
「私の事、避けてますよね?」
「いや、え…と…」
あからさまな態度をとった。千束は嘘をつくのが苦手だ。だから、問い詰められるとすぐにボロが出る。それは私もわかっている。抱き寄せた千束の体は柔らかくて暖かい。久しぶりの千束の匂い。前まで、触れ合うことすら出来なかったから、本当に久しぶりだった。それなのに、今何を思っているのか私から距離を取っている。そんな千束が気に食わなかった。
「もう、なにも気にしなくていいんですよ」
「だっ、て…そういう訳には」
「なら、こっちを向いてください。面と向かって話がしたいです」
「う、ん…わかっ………た」
観念したように、ゆっくりとこちらを向く。
その千束の顔は少し悲しそうだった。
「あからさま過ぎます。また余計な事を考えているんじゃないですか?」
「だって!……私は…たきなを……」
また口ごもる。これだからこの人は優し過ぎる。
何を気にしなくていいというのに。
「私はたきなにまた迷惑をかけちゃったから……だから…これからは───んむっ!?」
もういい。そういうのは聞きたくない。だから千束の口を私の口で塞ぐ。久しぶりのキスは蕩けるように気持ち良いものだった。
「ちょ、ま、んんっ、ひゃき、な、んんんっ」
逃げようとする腰を引き戻し、抵抗する腕を掴み、離れようとする唇を押し付ける。舌を絡めて、体を重ねて、私は千束へ縋り付く。
「っぷぁっ!ちょい、たきな、落ち着いて」
「落ち着いてますよ、あなたが余計な事を考えなければね」
「何っ…どういうっ、こと…!?」
とりあえずソファに千束を押さえつけて動けなくする。というよりも、千束ももう抵抗する気がないようだ。
「ま、待ってよ、怒ってるなら謝るからっ…!」
「謝罪なんて要りませんよ。私が欲しいのは──」
「え、ちょい…んっ!?」
指で顎を掬い、またキスを重ねる。
ガタガタン!
大きな音をたてて、私達はソファに倒れる。
「ん、ふっ、ちゅ、っぁん」
のめり込むように、でもあまり噛みつかない程度に千束を味わう。いつの間にか私の首に回っている千束の腕が私を離してくれない。
「た…き、な…」
「私言いましたよね?ひとりにしないでって。私だって、ずっと我慢してたんですから」
「んッ…!」
その大きな胸を掴めば、千束は軽く体を弾ませる。本当に柔らかい。癖になりそうな感触で。私の心を苛ませる。あぁ、私自身も求めていたんだ。
「やっ…ちょっ、といきなり…だ、めだってばっ…!」
「聞きませんそんなこと。今更嫌だとか言わないでください」
首筋に吸い付いて、千束の胸に触れてその胸の頂点の突起を転がす。指で弄る度に千束は快感で体を弾ませる。首筋を舐れば愛らしい声が漏れる。スルスルと手を下に滑らせて、千束の脇腹、腰、下着、と順番に撫でていく。やり過ぎたかと思い顔を伺えばそこには、涙目の千束がいた。
「たき…な」
「っ」
潤んだ瞳でこちらを見つめている。そういうのは弱いからやめて欲しい。もう止まれそうにもないから、いいだろう。これぐらいしても。ずっと我慢していた。千束が弱っている間にずっと。何日ぶりの千束の味。私の体は既に出来上がっている。千束の体もきっとそう。
「千束…」
私の今の顔はどうなっているだろうか。
きっと餌を食べる狂犬の様に、歪んでいるのだろうか。息が上がっている。興奮して鼻から息ができない。自然と口角も上がっているように感じる。
千束を見据える私の瞳はどうなっているだろうか。
私達の間にある湿度と温度、互いの微熱。
溶け合う感触に触れ合う形。溶けた形は戻らない。互いに掬い合い、お互いを整える。
息のかかる距離で、目線が外せない距離で。
また私は千束を求めて、千束を傷つける。
その時の私の顔はきっと誰にも見せられない。けれど、それでいい。その顔は唇を重ねた先の千束しか知らない。いや千束だけ知っていればいい。
・・・・・・
「む〜〜〜〜〜」
「もぅ…なんですか千束。さっきからずっと唸ってますけど」
ベッドへ移動して、する事はした後。
布団を頭まで被りずっと千束は唸り声を上げている。ついさっきまで猫のようにニャンニャン喘ぎ声を上げていたくせに。
「年上としての威厳がさ〜」
「そんなものとっくに無くなっているでしょうに」
「ちょいちょい……酷くない?」
たきながいぢめる〜、と千束はまた布団に包まる。
そんな様子を私は横から眺める。これだけでも充分に幸せだ。
「たきな」
「はい?」
布団にくるまったまま、くぐもった声で呼ばれる。そして、少し顔を覗かせている千束の表情は少し照れている。
「また、引っ張り上げてくれて…ありがとう」
「……」
『暗闇』へ堕ちていった貴方を引き上げたのはこれで『二度目』。延空木の時は本当にどうなるかと思ったが、どうやらその自覚はあったらしい。らしくないことをしたとは思っているが、これは私が望んだこと。
そして、私が欲しがったもの。
「別に感謝の言葉を欲しがってる訳じゃありません」
「なら、なにさ」
「私をひとりにしない。それさえ守ってくれればいいだけです」
「むぅ……」
「またあなたが道を踏み間違えて堕ちた時は、私がいくらでも引き上げますよ。もう慣れっこですから。だから、もう独りにならないでください。私を1人にしないでください」
言ってる台詞は恥ずかしい。でもちゃんと真っ直ぐ見つめて伝える事が出来た。私はそれでいい。千束がどう受け取ろうが、私は千束について行く。どんな事があっても、例えまた貴方が『暗闇』に堕ちようとも。
「うん……あり、がとう……」
もどかしそうに千束は顔を真っ赤にして返してきた。
あぁ、そうですね。あなたは相変わらず……
「ふふっ、あっははは」
「ちょいちょいちょい…千束さんは真剣なんだけど〜?」
「はいはい。可愛いですよ千束」
「ちょっとも〜!そういう事じゃなくて〜!」
ベッドの上でのくすぐり愛はお互いが眠たくなるまで続いた。
・・・・・・
「ありがとうごさいました〜」
次の日からはいつも通りに喫茶リコリコで働き始めた。お客さんに散々心配されたが、とりあえず体調を崩してたと伝えて何事も無かったように過ごしていた。千束も私もどちらも居ない日が続いていたので店長達も大変だったそうだ。
クルミには「もうあんな事はしないでくれ」と泣きながら止められた。
ミズキさんには「アンタらはほんとにもう……」と目の前で泣かれてしまった。
店長からは「すまなかったな」と謝罪を食らう始末。
皆、私達を心配してくれていた。そのお返しはいつかしなくてはいけない。そんなものは要らないと多分店長達は言うだろうけれど、いつか、違う形で返していこうと千束と決めた。
と、午前中の最後の客をお見送りした後に、またドアの開く音がする。
「いらっしゃいま……」
「よぉ、元気そうだな」
「フキさん」
わざわざ顔を見に来てくれたのかフキさんがやってきた。後ろにはサクラも一緒にいる。
「前の任務の報告書、これに纏めといてくれ」
「分かりました」
封筒とバインダーを受け取ると、フキさんが周りを見渡す。
「千束は、居ないのか?」
「いえ、今裏にいます。呼んできますか?」
「バカ言え、呼ばなくていい」
「な〜に〜?たきな今呼んだ〜?」
目だけではなく耳も良いらしい。後ろから千束がやってきた。千束を見るなり、フキさんは千束の前に立つ。向かい合った二人はまた今日も険悪な雰囲気だ。
「フキ…」
「……はぁ、もうたきなに迷惑かけんなよ。このバカ」
フキさんはため息をついて拳で千束の胸を軽く小突くとそのまま、後ろを向いて歩き始めた。
「えちょ、先輩!もう帰るんすか!?」
「今日はこれを届けに来ただけだ、帰んぞ」
「ちょっと、せんぱ〜い!」
「フキ、いいのか?」
店長が止めると、フキさんも首を横に振った。
「すみません。これから仕事ですので。お気持ちだけ受け取っておきます」
「そうか、気をつけて行ってきなさい」
「はい。ありがとうごさいます。先生」
会釈をして二人は出ていった。その背中を見送った後に、はっと千束の方を振り向いた。
「千束っ…」
「…うん。大丈夫。ちゃんと受けとったよ」
千束は何かを大事そうに胸に抱えている。それは見えないもの。上手く言えないようなとても大事なこと。
きっと、千束とフキさんにしか分からない。二人だけの事だ。私が割って入る話ではない。
「すまないが、俺はこれから用事がある。あとは頼んだぞ」
「は〜い」
「分かりました」
言うと、店長はリコリコから出ていった。
お昼休みももうすぐ終わる。午後からも忙しくなりそうだ。
・・・・・・
誰もいない小さな神社の墓場。ミカはそこに一人で大切な人のお墓の前に立っている。
「また、これを返されてしまったよ。シンジ」
お墓には『吉松 シンジ』の文字。
そして、お線香と共に千束から預かったペンダントを乗せる。
「ここが、あの人の墓標ですか」
「姫蒲…」
吉松の秘書、姫蒲がそこにいた。
「やはり、あの人には必要のない物のようですね。これは」
「あぁ、千束はもう一人じゃないからな」
「……」
「君はこれからどうするんだ?」
「通報しないのですか?」
「そんな事をしても捕まらないのは知っている。だから聞いたんだ」
「…………。また新しい職場を見つけますよ。私が仕えていた人は、もう居ませんから」
「そうか………そうだな。もう居ないからな」
・・・・・・
「さ〜て、たきな!今日は何食べに行く?」
「晩御飯作りますよ?そんな無理やり外食に行かなくても」
「せっかく出歩けるようになったんだから、少しは楽しみたいじゃん?」
トントン、リズミカルに千束は歩を進める。
相変わらず呑気で無鉄砲で掴み所のない人。でも、空を見上げるその後ろ姿はまた、何処かへ消え入りそうな気がした。私はいつもそうだ。千束の後ろ姿ばかり、正面から向き合う時は必ず千束か私に何か起きた時だけ。それが私たちの向き合い方。そして、理解し合う方法。でも、それはきっと『暗い』所にいる時だけ。
だから、私は千束の手を握り、隣に立つ。
「なら、千束の食べたいものでいいですよ。パンケーキでも、好きなものでもなんでも」
「にっひひ、ならこないだ見つけたスイーツ屋に行こうか!行くぜ相棒!」
そう言って千束は私の手を引いていく。
『光』射す道へ、貴方の背中を見つめながら、私はあなたについて行く。
『暗闇』なんて見えない、私の知らない世界へ。
連れて行ってくれる。貴方の居ない世界はこんなにも寂しいものだった。だから蹲るぐらいなら私を頼って欲しい。私を見て欲しい。そう思えたのは貴方のおかげだから。
だから。
私が迷えば貴方が私を導いて。
貴方が迷えば私が貴方を導いて。
『光』も『暗闇』も全部を受け入れて、きっと全力でと答えてくれる。
受け止めて進んでいくのだろう。
それなら私も歩きましょう。
あなたと共にいつまでも。
『光』の絶えない。
眩しい道を歩いて行きましょう。
それが私の生きる意味。
それが私の新しい夢だから。