たきながキレる前の話です。
千束はまだ病院にいます。
「た〜きな。『晩酌』付き合って」
「え…?」
今日は店長だけ早上がり、リコリコの中には私とミズキさんだけが残っている。クルミは何処にいるのか分からない。
「ほい、あんたの分」
「え、私は未成年で…」
「分かってるわよ。それは烏龍茶」
「あ……はい」
コップを持つと氷が鳴る。綺麗な音色だ。
「アンタ、ほんとに千束の事好きになったわよね」
「なっ!」
顔を赤くして私は立ち上がった。
突然何を言い出すかと思えば、弄られるのか?
そんな私の様子を見てミズキさんはケラケラと笑う。
「あぁ、そんなんじゃないわよ。ただ、アンタが羨ましくってね」
「羨まし…い?」
「ん」
カラン。ミズキさんがコップの氷を鳴らす。
「千束の余命を聞いた時さ。私はもう腐ってたのよ」
「え…?」
腐っていた。それはもう、諦めていたということ。
でも、あんなにクルミと頑張ってくれたのに。なぜ…?
「アンタさ、一番最初に怒鳴ってくれたでしょ?」
「あれは…」
『いいわけないでしょう!!!』
心の中から勝手に出た言葉だった。なんて言えばそれまでだが、確かに千束を心配しての事だった。
諦めたくなったのだから当然だ。
千束が死ぬのは嫌だ。だから、吉松の秘書の女を始末しようとした。
「あん時にさ、私も頑張ろうって思えたの」
カラン。また氷を鳴らす。
「でも、何をしていいかわかんなくなっちゃって。自分に何が出来るかなんて分かんなくて、目の前が真っ白になってたの」
「ミズキさんでも、ですか?」
うん。とミズキさんは頷いた。
「情けないわよね〜。大の大人が若いやつに負けるなんて」
椅子を反転させてカウンターに腕を置いて、天井を仰いだ。リアルで本当にそういうポーズする人いるんだ。
でも、やたら似合うポーズと共にミズキさんの目はなんだが悲しそうだった。
「だから、お酒で紛らわしていると…?」
「ま、言っちゃえばそうよね〜」
カランカラン。ミズキさんは見せつけるようにコップを揺らした。そんな陽気な顔をして、普段は皆の事を考えていたんだ。
「そう…だったんですね」
何故だが申し訳ない気持ちになってしまった。
いつも飲んだくれの出会い厨だと思ってたから。
「今アンタ失礼なこと考えてない?」
え、あ、エスパーだ。この人。
「いえそんなこと」
「まぁ、いいわよ。それぐらい」
紛らわせる。お酒だけで本当にそんな事が出来るのだろうか。氷の入った酒入りのコップ。お酒なんて自分に乗っては未知の領域だから、よく分からないけれど。
これもまた、大人になってからなのだろうか。
「ん?気になる?やっぱり」
カラン。煽るように氷を鳴らした。
確かに気になる。飲んだことがないという好奇心とミズキさんがいう紛らわせる効果。どれだけあるのか知りたい。
「ほれ、飲んでみ?」
恐る恐る、コップを受け取る。
コップもからも漂ってくるアルコールの匂い。
匂いだけで酔いそうだ。
「頂きます…」
「飲むなら少しだけにしなさいよ」
「はい」
試しに少量口に含んで、飲み込んでみる。
「んっ!………っっ……なんですかっ…これっ」
突然の衝撃に私は頭を伏せた。
喉がやけるように熱い。口全体に広がるアルコールの香り。飲み物自体の味はあるが、それにアルコールが足されている感じだ。とてもじゃないが美味しいとは言えない。
「あったりまえでしょ、日本酒なんだから。普通は何かで割って飲むの」
「ミズキさん、これずっと飲んでるじゃないですか」
ミズキさんにコップを返す。
「私は大丈夫だから飲んでるの。もう大人なんだから」
入った氷を溶かすようにコップに入った酒を回す。
「どう?なんか体ポカポカしてこない?」
確かに。
「まぁ、多少」
フワフワと頭も少しボーっとしてきた。
なんだか、気持ちが上向いている時のような。
怒ってしまって、体が沸騰してる時のような。
「はい、水」
「ありがとうございます」
貰った冷水を飲む。あぁ、美味しい。落ち着く。
「私達大人はね。こうやって、お酒を飲んで、気持ちを緩ませないと、泣く事も、怒る事も、本音を話す事も、出来なくなってるの」
「え…」
情けないわよね。ミズキさんは続ける。
「アンタには本当に感謝してる。千束に向き合ってくれる姿を見て、私も千束と向き合おって思えたから。だからって犬っころみたいにワンワン着いてく姿にはさすがに笑ったけどね」
ミズキさんは言いながら前髪を掻き上げた。
「だから、せめて、アイツが本当に死ぬその時まで、いつも通りに過ごしてやろうって。馬鹿な事には馬鹿って言って、うるさい事にはうるさいって言って、いつも通りの私を演じてやろうって」
「あ…」
私は一度だけ、見た事があった。ミズキさんがお酒を飲んでいて涙を流していた事。それは千束の余命を聞いてまだそんなに経ってない頃だった。私はそれを見てしまった。覗いてしまったので。リコリコのカウンターの裏から。その時は声をかけられなかった。あまりにも意外な姿だったから。
「……」
また言葉に詰まってしまった。打ち漏らしたメールのように、改行して止まってしまった書き手のように。
「いいのよ、無理して何も言わなくて」
「すみません…」
「謝んないの。だから、言ってるでしょ?私達は酒を飲んでようやくこういう話ができるんだから」
「ん…」
ぐりぐりと少し強めに頭を撫でられる。
大きな手、女性でもこんなに手が大きい人がいるんだ。
千束のお姉さん。そう言われてもなんの問題もない。私も実際にはお姉さんだと思っていた。そういう、役割……立ち位置?の人だと。
「アンタは、こんなものに頼らなくても大丈夫なのよ」
「お酒…ですか?」
「そ、こんなのに頼って浮ついた気持ちを無理矢理引き出さなくても、アンタは千束に言いたい事を言って。千束の為に泣いて、千束の為に怒って、千束と一緒に笑ってくれてるじゃない」
「あ……」
少し顔が赤くなる。言われて嬉しい事だった。
まさかミズキさんからこんな風に思われてるだなんて思ってもいなかったから。
「平等に束ねられなかった命の為に。アンタはよくやってくれてると思うわ」
ミズキさんの優しい笑顔。驚く程に。この人とこんなに会話したのは初めてだったから私も手探りで会話していたが、こんなに、普通の、年上のお姉さんのような人だったなんて。
「ね、たきな」
「はい」
「千束の事はちゃんと好き?」
ミズキさんはイタズラに質問してきた。だが、その答えにだけは全て真面目に答えるのが私の決まりだ。
どんな事があっても、どんな事状況でも、どんな人から言われても。私はしっかりミズキさんの目を見て頷いた。
「はい。好きです」
ミズキさんも微笑んで大きく、ゆっくり頷いてくれた。
「アンタのその好きの気持ちはこれからも千束にドンドンぶつけてやんなさい。アイツが嫌になるまでね」
「嫌になったらダメじゃないですか?」
「いいのよ、好きな相手にはちゃんと好きって言うのが日本人なの。それに、アンタみたいな年頃の女の子は特にね」
「はぁ…」
「これから先、後悔がないようにね」
後悔。それは確かにない。千束を好きになって、千束の背中を追いかけて、千束の隣を歩き出して、そんな事はない。
でも、ちょっと困る事が多い。お菓子ばっかり食べるし、映画をやたらと勧めてくるし、夜更かしだって多いし、朝はちゃんと起きてくれないし、家事は少し雑だし、それに何よりも、そんな事があっても千束の事を好きで好きで堪らない。
なんだか、自分で想像して自分で笑ってしまった。
本当にこんな気持ちなんて知らなかったから。
本当にこんな感情なんて知らなかったから。
「ま、それでも、千束の愚痴を言いたい時は私が付き合うわよ。アンタ、愚痴とか溜め込むタイプではなさそうだけどね」
ミズキさんがコップを突き出してきた。
そうですね。千束には真っ直ぐ自分の思いは全て伝えておくのが普通ですから。それでも、何かに躓いた時は。
「ありがとうございます」
カラン。カラン。自分の烏龍茶のコップをミズキさんのコップに軽く当てる。
「うん。話に付き合ってくれてありがとう。たきな。もう遅いし帰っていいわよ。後は私がやっておくから」
「でも…」
「いいのよ、いいのよ。今日はそういう気分なの」
手伝おうとしたが、ミズキさんがヒラヒラ手を揺らして私を追い出すような素振りを見せる。
まぁ、手伝いがいらないというのなら。
私は鞄を持った。
「ありがとうございました。ミズキさん。お疲れ様でした」
「うん。気をつけて…あ!」
なにか思い出したような声。一応振り返る。
「千束の事、頼んだからね」
言われなくても分かっている。
「はい。もちろんです」
しっかりとミズキさんの目を見て答えて。
言われなくても分かっている。千束には嘘をつかない。
私は、例え、世界を敵に回しても、千束だけには嘘をつかない。絶対に。
だから今日も私はここにいる。