プロデューサーは人でなし 作:どろまみれ
七草はづき③
はづきさんと昼食というレアなイベントを経てから数日が経過した。
特に何ということもない日々は続いたが、夏映画の撮影などが入っているアイドルが特に忙しくなる季節に突入した。
……具体的に言えば、黛冬優子が忙しい。
いつぞやの一人称デート企画でのワンピース姿が、夏らしさが、大変に好評を得ていた。そこからのインスピレーションを受けた人々が大勢いるようだ。映画の撮影の他、モデルや服のイメージキャラクターなどという仕事も入ることがある。
俺は彼女の送迎に入ることもあるが、基本的に撮影は田舎や海などで行うことが多く……今では数多くのアイドルを担当する身である俺自身が、事務所を長く離れるのは好ましくない。そう判断している。
社長が手伝ってくれることもある。彼は俺などよりもよっぽど経験があるのだが、「ブランクが~」
なんだかんだ今年も283プロは良い動き出しを迎えられている。
ただ ―― 自身は嗜好を満たせずにいる。
動画。画像。彼女は夜な夜な、自身の無茶ぶりなリクエストに付き合ってくれている。
しかし彼女の真面目な芯からすれば、リクエストを消化するので精一杯なようで。
直接的な接触がないのだから当然ではあるのだが。
高望みではあるのだが。
ワガママ、自分勝手ではあるのだが。
……刺激が、足りていなかった。
そうなるには、まだまだ時間が必要だろう。道半ばなのだから。
持て余すほど傭兵でもないので、自己処理は出来る。完全にとは言えなくとも。
自身のために道具になると言ってくれる彼女の献身には報いたい。そう思う。
「―― 戻りましたぁ~」
ある日の午後。買い出しを終えた七草はづきさんが、事務所へと戻ってきた。
挨拶を返す。「俺も先ほど、ノクチルの現場を見てきたところです」と話して、冷蔵庫からアイスを取り出して口にする。
「アイス、いいですねぇ~。よいしょ」
外套そのまま、はづきさんが氷冷蔵室を覗き込む。
ぺたぺたとスリッパを鳴らして、俺と同じスイカの奴のメロンの方を取り出そうと手を伸ばす。
―― 手のひらに多数の付箋。手の甲に直書きで数字の羅列。待ち番号のようだ。
「んほぅ。つめた~い」
ご機嫌そうに鼻を鳴らして、はづきさんは自分のデスクへと戻っていった。
始まりかけた動悸を収めるために、少しの間台所で麦茶とかを入れ直す。
自分にはコーヒーを入れて、デスクに向けて持って行く。
「……あら~。コーヒーならわたしが煎れても良かったんですよ~?」
それでも「時間がありましたから」と告げて彼女のデスクを通り過ぎ、自分の椅子に座る。
……何故か、彼女も自分の椅子をごろごろと転がしてこちらに来る。
身が強ばる。椅子に深く座り、デスクの前にしっかりと付けておいて。
「……シーズ、どうですかぁ~?」
仕事の話だ。答えねばなるまい。
彼女が気にするのは当然のことだ。家族が……妹が所属するユニットなのだから。
直近の出先を伝える。あえて緋田美琴から。次いで、七草にちか。
「で。どうです~?」
……確かにまぁ、見せただけでは判らない部分が大きすぎる。
率直に言えば。仕事が埋まっているのは、W.I.N.G.
俺自身が今最も現場に向かうのは、シーズのふたりの所だ。緋田美琴に関してはキャラクター性もあり、ビジュアルも際立っている。それを「どう使うか」という段階に達することが出来ているので心配はしていないが。
だから、もうひとり。
「うーん……調子を落としている、という訳じゃあないんでしょうけれども。妹からはあまり良い印象を聞かないもので」
それもそうだろう。
彼女は社会経験が不足している面からくる ――
順を追って、はづきさんにも説明する。
決して実力が無いわけじゃあない。彼女は、彼女自身の
社長が今も悔いるあの彼女を身に宿したような、鬼気迫るパフォーマンス。
あの時の七草にちかは。凡人はおろか、いち
圧巻の一言に尽きる。彼女に優勝が相応しくないとは、俺は全く思わない。
「……わたしもみました~。ただ……」
はづきさんがいつの間にか、すぐ隣に居た。
吐息があたるほどの距離。
「妹は、優勝してから、迷ってばかりいるように思えるんです。……正直な話、わたしから見るとうじうじしてばかりで。良い印象とは思えなくて~」
……それはそうだ。俺自身もそう思う。
ただそれを告げて、良い方向に向かうとは思えないのが彼女のパーソナリティーである。
この時期の女子を預かるということは、部活の顧問を引き受けるのに近い……ように、最近は思えている。情動教育や、経験面での社会教育を与える……与える機会を設ける。そういう役割だ。
七草にちかと俺は、違う人だ。同じ方向を向くことすら難しい。こういうプロデュースは、実の所俺としては初めてなのである。
……余所のプロデュ―サーなどに経験則を尋ねてみるべきか。直近で言えば、業界最大規模の346プロダクション。もしくは
「あら、346なら事務員の千川さんがわたしの知り合いですよ~。取り次いでみましょうか~?」
ありがたい話だが、そこはやんわりと遠慮させて貰う。
765所属のセンパイ伝いに行くのが、会社的な波風の立たない辿り方になるだろうから。
そうして、顔をモニタから上げた瞬間だった。
不意打ちに ―― 右手に感触。はづきさんの居る側から。
「……あの~」
春の風がばたばたとカーテンを叩く。
右手に。太腿に。擦れる。手の感触。
手の甲が視界の隅に入った。
感覚がマズい。明らかに血流が下向きで、脳が働かなくなりかけている。
だから、視線を慌ててあげる。
それでも遅かった。
「はーい。……どうぞ~」
七草はづきの額に。最も目立つ部位に。隠すわけにはいかない場所に。
黒の油性ペンで。彼女自身の丸文字で。
――『おなてぃっしゅ』と書かれてあった。
マズいと思ったが。もう遅い。
「……やっぱり~」
何がやっぱりなのか、判らない。
判らないまま。はづきさんは吐息で胸をなで下ろしながら、俺の股座を凝視し、笑った。
「プロデューサーさん。少し……わたしにも、教えてもらいたいなぁ~って、思うんですけど……」
手が伸びる。股間をさすって、その熱を確かめて後、手首を掴んで引き上げられる。
観念するしかない。なすがままだ。こんな
最後に、脳内で冬優子に謝罪の言葉をつらつらと述べておく。
脳には長ったらしく述べられるほどの可動範囲は、既に無い。
「……あっち。仮眠室、いきましょ~」
・・・
仮眠室。ベッドが二段で、上と下が2つずつの合計4つ。
おろしたてのシーツがぴんと敷かれ、一日中締め切られているカーテンが、真昼の日差しを薄く透過させている。
公園で遊ぶ子どもの声がわずかに聞こえた。
下のベッドに腰掛ける。軋む。
すぐ隣。太ももがあたるほどの位置にはづきさんも腰掛ける。
「こういうのが良いんだなぁって、すいません。調べちゃいました~」
はづきさんは笑みの中に申し訳なさそうな表情を混ぜこぜにしたまま、『おなてぃっしゅ』を下げる。
調べた。どうやって。
「最近ほら。プロデューサーさん、よくスマホをデスクの上に置いているじゃあないですか~」
多少の寒気が背筋をはしる。
確かに。置いているが。業務用と、アイドルとの連絡用を。
「この間、プロデューサーさんが社長室にいる間に……デスクで沢山受信音がなってたことがありまして~。それで……その、置いてあるのが仕事かアイドル用のだと思って……伏せてたスマホを、ひっくり返してみたんですよ~」
カモフラージュが仇となっている。
アイドル用のとプライベート用のを外見で判別できなくするため、同じカバーを使っていたのだ。
「そしたら……その……冬優子ちゃんの写真が……ですね~?」
完全にアウトだった。……これに関しては俺の落ち度だろう。
重要な連絡の可能性を
俺は
「……あのう」
彼女の言葉の続きを待つ。
指を数度すりあわせて、
「そのう……できればですね~。……わたし
彼女のその言葉に時が止まったような衝撃を受ける。
実際に止まったのかも知れない。脳は時間を忘れただろう。
意識が全部、持って行かれそうなほどにそそり立つ。
「……どうぞ~……。……なんちゃって~」
『おなてぃっしゅ』がはにかみながら小首を傾げる。
その肩を掴んだという意識は既に無く、押し倒した感触すらも、吹き出した熱に押しのけられて。
カーテンの隙間から漏れていた日差しが完全に遮られる。
仮眠室の出入り口も施錠されている。
聞こえていた子ども達の遊ぶ声も、今はもう聞こえていない。
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