プロデューサーは人でなし 作:どろまみれ
黛冬優子①
全員が帰ったと、そう思っていた。
窓の鍵を閉めて。ブラインドを下ろし。冷蔵庫内の賞味期限切れの菓子類を整理して。
あとは最後のメールチェックだけ。そんな頃合いだった。
「―― ねぇ。ちょっと。ふゆに付き合ってよ、あんた」
夕暮れの事務所の扉の前に、黛冬優子が立っている。声をかけられた。
呼ばれたのは俺だ。事務所には今、俺しかいない。むしろアイドル達も全員が帰宅したのを、一度は確認したのだが。
事務机に座ったままで「どうした冬優子。忘れ物か」と返す。的外れな返答であることは自覚しているが。
俺は座ったままだ。離れられない理由は単純で、油断していた。机の下、ズボンの下では……既に屹立している
悟られないようにしなければならない。焦りが
「忘れものじゃないわ。わかって言ってるでしょ? それ。……付き合いなさいって言ったのよ。夕食に」
はにかみながら冬優子は言う。
夕食。わざわざ、俺を帯同して。
少し考える。まぁそうか。夕食に同道する人が欲しいとして、あさひと愛依は不適切だろう。彼女の食事の好みは……「味」というよりは「痛覚」に偏っている。
ただ、それでも思う。
誤魔化さねばならない。「悪いが、まだメールチェックが残っていてね」と返す。
「それなら待つわよ。あんたの事だから、大事なのはあらかた終わってるんでしょ? 事務所、閉めようとしてたみたいだし」
洞察力も観察力も高い。流石は冬優子。率直にそう賞賛はするものの、マズイはマズイ。
しかし、どうしても同道して欲しいようだ。相談事か。何かしら俺を伴いたい要望があるとみる。
断ることは出来ないだろう。性欲に関しては自業自得だ。いつものように、時間で解決しておこう。そう決める。
分かった。なら少し待っていてくれ。
「えぇ、待たせてもらう」
冬優子はそう応じると、呆れたような表情で、掌を眼前にひらひら。
ソファに腰かけ……こちらに視線を寄こした。
じぃっと見られている。
PCとデスクはソファ側からは見えないように移動してもらっている。見られてまずいものも、デスク回りにある
俺は淡々とメールチェックを進める。これから先の、夏先や盛夏にかけてはイベントが目白押し。283プロのアイドルにとっても働きどころである。
……。
キーボードを打つ。カーボンコピーを弄る。要件を引用する。納期と顔合わせの時期をアポイントメントする。
……。
キーボードを打つ。繰り返す。モニタの横から、冬優子の整った顔が見える。
先日にユニットライブを終え、現在は緩くレッスンの期間としていた。新学期が始まり、交友関係にも気を配らなければいけない時期である。そういう部分も考えて、スケジュールは組んでいるつもりだ。
本日も残る2人とボイストレーニングを受けて後、午後はフリーとなったはずだ。
ストレイライト3人揃って事務所を出る姿を、確かにこの目で見たのだから。
……。
キーボードを打つ。モニタの横に見える冬優子の顔が ―― 歪んで見えた。
白目を剥いて。舌をだらしなく垂らして。
駄目だ、とは思うも。時既に遅し。
股座で反り返っていたモノがより一層、大きさを増している。
単純だ。理屈も判る。無様に堕ちる……そういうシチュエーションが好きなのだと、俺はつい最近に自覚したのだから。
輝いているものが、無様に。つまりは、落差が大きい。
閃いてしまった。拓いてしまった。炸裂した。デスクの
……。
キーボードを打つ。ただし遅い。思考が割かれている。
思考が……何処に? 股間だ。既に脳内が、勝手に、彼女の無様な姿の偶像を紡ぎ出し始めている。
股間に全てが支配されるような感覚。熱。欲望。欲求が、空になった身体の側を満たしてゆく。
指が止まったのを
「終わった? 終わったのなら、新しくできたラーメン屋に付き合って欲しいのよ。話したいことも、あるし……」
ぼふとソファを叩いてから、立ち上がる。
彼女が近づいてくる。デスクを挟んで、正面から顔を見られる。
「……?」
やはり表情に出ているらしい。訝し気。
訝し気だった。が。
「……アンタ、やっぱり調子を崩してるのね」
冬優子が机に両手を強くつく。そのまま俺の顔を抱えて、近寄せた。
整えられたネイルの先が頬に刺さる。近くに冬優子の顔がある。
「こないだの休暇でちょっと元気になったのかも、っては思ってたけど……」
冬優子の表情にははっきりとした焦りが見えた。
それは、W.I.N.Gで栄冠を
どちらが良い、とかではない。彼女はアイドルだ。誰かを勇気づけ、喜ばし、笑顔を与えるための「ふゆ」も、全てが彼女を構築する要素である。
ただ。パーソナライズとして。より親密な側に……いや。それでも良いと感じた人に見せるのは、こちらの冬優子としての顔で。
……そんな顔が見られることに、優越感と。
……もしも。そんな顔が。無様に。歪むのならば。
「どうして? はづきさんには……ううん。社長には言った?」
頷く。相談はすでに成された。
しかし「休暇をもらってリフレッシュしたんだ」。それ以降の言葉に詰まる。
「……そう」
この言葉だけでは彼女の焦りは解消できなかった。表情が物語っている。
ただ、これ以上は伝えられる言葉がない。
何故なら心配されていた部分 ―― 体力ではなく。人間の欲求部分の発散という命題は、既に解消されているからだ。
しかし素直にいう訳にもいかないだろう。よりにもよって、人一倍
だからこそこうなったとも、言えるのだろうけれども。
夕日が沈みかけている。外の喧噪が増してゆく。
街は家路に着く人と、稼ぎ時と張り切る人と、人と人に溢れかえる。
ブラインドから僅かに差し込んだ日差しが頬を焼く。
そのままでいる。
そのままでいるしか、ない。
そのまま見つめあって。
それでも表情を変えられない俺を、しばらく見届けて。
黛冬優子が悲しく歪む。女優顔負けの様相で。
「……ねぇ。ふゆ、思ってたのよ。あんたは割と、身を削るほうだって」
そのまま左の掌をデスクに降ろし、ずり落ちないように
「みんなも思ってるのよ。あんたは283プロダクションの功労者だって。だってのに、働き過ぎだって。替えが利かないっていうのも、理解はしているけど……」
視線が合う。乞われた。
駄目だ。話せない。
「ねぇ。なんであんたは、苦しそうなの?」
彼女には似つかわしくない。いや。らしい、でもある。そんな直球な尋ね方だ。
左の掌それだけでは全身は支えきれず。
彼女はしわくちゃという単語が似合いそうな程に、肩を落とす。
「ふゆじゃあ。……
昔の俺が、よほど思いつめた顔をしていたのだろう。
……それもそうか。わざわざ俺のために、社長を動かしてしまったほどなのだから。
社内では、俺と社長とは距離がある。はづきさんという事務員がいるからだ。必要な手続きや承諾は、彼女を通して行うのが最も正規なルートとなる。
必然的に顔合わせの少ない関係。だのに心配をされていた。近くにいるアイドルであれば猶更。察しの良い冬優子であれば、とうに気づくを通り越してすらいたに違いない。
ただ……違うのだ。
黛冬優子が、そうもして気を使うような心配事では。悩みでは、ないのだ。
たかが己の性欲。成人男性ともあろうものが、それを、自分で処理出来ていなかった。
そういう情けない話なのだから。
「お願いだから、聞かせてよ。あんたはなんで、そんな顔をしているのよ……」
情けない顔のことだ。
迷う。迷う。いち女性に語るような内容か。飲みの席で、同級生の彼氏持ち女性あたりから問われたならば、ノリで答えるかもしれないが。
もしくは、真正直に答えるべきか ―― 何か誤魔化す内容を、順序だてて作るべき。
しかし。
その結論に辿り着くのが、遅かった。
「……! あんた……」
冬優子がデスクのこちら側に回り込んでいた。
椅子に半身に座っていた俺の股座から、屹立したモノが主張している。
それを、冬優子が見てしまった。
「……あんた……」
観念しよう。
冬優子から大きく椅子ごと身を離した後、頭を下げる。
生理現象なんだ。すまない。
そして ―― 恥ずかしくも、女性に話す事ではないのだがと前置いて。
……前置いたのに、彼女が視線でもって先を強く促してくるので……仕方ない。一部始終を説明する。
メンタル面でのバランスは自覚できないので証明できない。ただ、睡眠サイクルは見事に改善されている。おかげでか、頭重感……というより、閉塞感はなくなった。
どうでもいい話を多めに織り交ぜて、ややもインパクトを薄くしようと試みる。
流石に性癖の仔細までは説明しなかったが。
「……」
そして彼女は、それを黙って聞いている。
表情は読み取れないようで、読み取れなくもない。
呆れはある。悲しさもある。……そして。何故か。
「……そう」
見間違いかと思ったが、そうではないようだ。
口の端が上がっている。だけれど、怒りの感情ではない。
口の端が上がっている。何故か。そう。喜び。そのような表情に、俺の目には、見えた。
「……そう。そう。……そう、ね」
そして再び、俺を見る。
すっと伸びた掌に、手首をつかまれる。
立たされた。直立したモノがスーツに直角に突き刺さり、余計に存在を主張する。
恥ずかしさを抱えたまま、俺は顔をあげた。
黛冬優子が、頬を赤らめながらも、いつものように自信を感じさせる表情を浮かべている。
「ふゆはこんなことじゃあ崩れない。こんなことが原因で、アイドルを辞めるわけもない。ついでにいえば、あんたを非難するつもりもない。……自己処理くらい、普通はするでしょ」
冬優子は女子学生だ。こういう話題に触れていないことはないだろう……とは思っていたが。
それでも気丈に、彼女は続ける。
「流石に職場でそうなるのはどうかと思うけど、今回ばかりは、ふゆがいきなり押し掛けた側でしょ。そもそも職場で処理しようとしてたのでもないみたいだし……ん、んん゛」
何かを言い出すつもりのようで、やや遠回りに理屈を並べる。
黛冬優子らしい切り口だな、となんでもないことを思う。
「そのまま外を歩くわけにもいかないじゃない。……ん。あんたもエロ同人で見たことくらいはある……んじゃない?」
アニメを見ていると自然と身に着く知識なのだろうか。それは。
連れていかれる。連れていかれる。
綺麗な腕に。
艶のある髪に覆われた後頭部に。
整ったスタイルに。
キャラクターに合わせて選ばれた衣服に。
その下にあるであろう下着に。
彼女の ―― 黛冬優子のアイドルとしての鮮烈さに。徹底された輝きに。
そんな風に自分を律していた彼女に。俺は確かに、敬意と憧れと親愛を抱いていた。
だから、突き放す理由がなかった。
興奮を冷やせるほどの嫌悪がなく。
―― 逆転する。
熱が出ている。頭がぼうっとしている。股間に血流だけでなく全部が、俺の中身が持っていかれている感覚。
ブラインド側から万が一にも見えない位置。洗面所まで連れてこられる。
己を律していたころの、強固な枷が見当たらない。成されるがまま。欲望のまま。
「
冬優子が足元に屈んだ。
淡い照明。狭いスペース。
ズボンが下ろされる。露出する。風が当たる。
傘が大きく震え、がっちりと、眼前に反り返って突き出される。
持っていかれた中身の全てが、がんがんと鳴り叫ぶ。
好きにしてもいいのならば ―― ほんとうに。
好きにして許されるならば ―― 無様に汚してしまえ、と。
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・・・
性事情は、人として生きる以上は関わらなければならない題目である。
少なくともこの男に好意を持っている女性は多い。前任のアイドルであるとか。学友時代の交友歴を漁れば、恋人が居たという事実も調べることが出来た。
だからこの男がモテるのかと言われれば、判らない。
少なくとも自分の学友が紹介してくる彼氏とか、そういう人とは人種が違う。違い過ぎる。年齢すらも違うのだから、それは当然か。自分の浅慮さには少しばかり呆れが出てしまう。いつものこと。
初恋の人だとか。
そういう基準が判らないまま、
じゃあ恋愛というものを考えないのか。それはない。
あの日高さんでさえ、最後には結婚を選んだのだ。
そしてそれは、アイドルを押してくれるファンも同様である。
結婚は性欲でするものなのか。それは少しばかり遠い考えだろう。
とにかく。自慰をする時に妄想相手として選ぶのは、自然とあいつだったのだ。
背は大きく。大人で。リードしてくれるかは、判らないけれど。
相手に経験があるのならば、そうかもしれないけれど。
いつしか
周りに恋敵と書いてライバルと読むような人種が増えるにつれて。
同時に。
そうなることが許されるのか、と考えることも増えた。
考えに考えた。
おそらくは、あいつが許すことはないだろう。
そういう気遣いが、いつでも、目に見えて出来ていた男性だから。
だからせめて。
ふゆは、他の誰が忌避したとしても、ふゆだけは許そうと。
許して、全てを飲み込んで ―― あいつの色に染まってしまえば、隣に居られるだろうと。
そうと、ずぅっと、想っていた。
覚悟は決まっていた。
だから、あとは、ふゆをどうして
なんて。そんな風に。
ちょっとだけ背筋がぞくりとする。でも、わくわくと
そんな感情だけが、今、頭の中をいっぱいに埋め尽くしている。