プロデューサーは人でなし 作:どろまみれ
七草にちか③
12月。他に誰もいない、ただただ真っ
便箋に入ったフライトチケットを本当に大切そうに抱きしめながら、美琴さんが笑う。
「そうだね。海外には行く。……いつもの渋い顔してる、にちかちゃん」
「……。……多分、止めても行っちゃいますもんね。美琴さん」
寒さの詰めこまれた曇天。
その雲間から降りてくる日差しの中で、本当に天使のように
「うん、ごめんね。良いなって思っちゃった、プロデューサーさんの提案」
……結局私は、明確な言葉で美琴さんを引き留めることはしなかった。
私では止められない、とも思ったし。
止めるための理由ですら、同じユニットだから……という陳腐なものしか思いつかなかったからだ。
「でもね、これは私からも一応言っておこうと思うんだけど」
便箋を机の上に置いて。
爪の先を綺麗に揃えて。
「283プロダクションに、何人も海外に一気に送り出すような規模はないんだって。プロデューサーが言ってた」
……それは、そうだろう。
姉が事務員をしているので内情は少しだけ聞いている。そもそも根本的に人数が足りていないらしい。
「なのにさ。よりにもよって私が、真っ先に海外に行くんだって。……事務所のあれこれもあるし、色々試すっていう部分を沢山含んでいると思う」
規模として大きくなった961や346以外にとって、わざわざ海外に進出するのは……支出に比べて加算が少ない。
私でもそれくらいは判る。それでも美琴さんなら ――。
「うん。プロデューサーは、私のスタイルは個人でも結果を出しやすいから……って言ってたけど。でも、きちんと先に関する意味もある。そうじゃないと私を選ぶ意味はない」
行儀よく頬杖をついて。
離して、指を
ほどいて、笑った。
「なんでだと思う? 知ってる? にちかちゃんは」
美琴さんがこちらを見る。
「……それ、は」
「ああいや、ゴメンね。私もしっかり聞いたんじゃあないよ。……不安もあるし、期待もある」
窓の外。空の奥。向こうの向こう。
「こっちにも頻繁に戻ってくるし、何回も渡航するのは年度末までの間だけだから。その後の活動はまた国内に戻るけど……向こうの結果次第では、定期的に行けると良いね。っても思ってるよ」
少し下を。磨かれた机に映る自分の内側を見ての言葉じゃなくて。
私を見て話す。意味。
「私は頑張る。だからにちかちゃんにもお願い出来るかな。頑張ろ、お互いに」
頷いた。
頷くことしか多分、出来なかった。
――
――
1月。年が明けた。
年始の挨拶は去年の暮れから準備していたものを順次発送してもらい。
所属のアイドル達とも顔を合わせることが出来るよう、全員に向けた仕事を順繰り入れていった。関係があるアイドル達とは身体的なものもままあったが、これから一層忙しくなるため、俺としても発散出来ることはありがたい。
一層の忙しさ ―― 緋田美琴の海外進出。
他事務所でもあまり行っていない事業ではある。
理由は単純で、海外の仕事を開拓したとして。タレント事業においては余程のものでない限り、生まれる利益よりも費用の方がかかるからだ。
そもそも採用する側の事情を考えたとしても、要請に応じるスピードは遅くなる。向こうの国に東洋人が住んでいないわけでも無く、人材として考えた場合には明らかにそちらの側が優れている。
それでもだ。
意味を見出すのは
この点について、283プロダクションは社長が「あの天井努」であることが大きく後押しをしてくれている。
『存分にやっていい。お前がこの企画を出してきた時は何事かと思ったが……あの頃のオレよりも、十分に後も先も考えられてるプランだ』
社長室。
笑いの中にある苦さは消せていなかったが。
背もたれに、脱力して思い切り体重を乗せる。ぎしり。
『ただ外に出してやりたい、だなんて。プロデュースの側が独りよがりに願ってるだけじゃあ……駄目なんだよな』
ずっとずっと遠くの空を見ている視線で。
近くの俺を見て。
『飛ぶのはあくまでアイドル。彼ら彼女ら自身の翼で飛ぶほかない。だから全力で航空管制してやれ、
はい、と。
力強く大きく頷いて。了承を得た。
滑走路を整え。飛ぶ距離と位置を考え。交通整理を行い。
それで遠くまで飛ぶことが出来るならば、いくらでも。
……。
年が明ければ、束の間の休息を挟んで、年度末に向けた動きが慌ただしくなる。
とはいえ283の事務所では早め早め、凡そを揃えきっている。社長も動ける立場であるため任せることも可能。
規模の小さな事務所の良い所、と言い切ってよいだろう。おかげで海外に集中できるのだから是非もない。
1月に入って。
緋田美琴はアメリカ大陸を横断した。
何を言っていると自分でも思うが事実なのだから仕方がない。
言葉の通りで、緋田美琴を連れて西海岸から五大湖周辺までのオーディションを受けまくって来たのだった。
ハードスケジュールだったのは間違いない。
そもそもこちらの国とは違い、あちらは形式と言うものが定まっていない。
こちらでは「アイドル」に一括りに投げられるような仕事が、それぞれ専門分野として独立しているからだ。
……どちらの知見もある俺からしてみれば独立している、とは言い切れない部分はあるが。名称としては確かに別物。
それを、緋田美琴はその身ひとつでやり通した。
彼女は大幹は兎も角ダンスパフォーマンスでは現役のプリマにも負けなかった。
彼女はスピーチでアイドルとは笑顔を見せる仕事だ、と語りランウェイでも構わず笑った。
彼女は……流石にオペラの歌手とは求められる声質は違い過ぎたが。それでも追い
始めから順に入れていた仕事で連鎖的に顔を出す。メディアにではなく、
甲斐あってか、何より口コミで名前が知れた。SNS全盛の時代だからこその結果と言える。
決して業界のシーンに切り込むものではなく。
こちらのアイドルをあちらへと持ち込んだ形の、最たる結実。
そして2月。
海外における一定の成果を持って、俺と緋田美琴は日本へと帰って来たのである。
……。
…………。
帰ってきて。
真っ先に確認したのは ―― 七草にちかの現状。
彼女はユニットの相方である緋田美琴が海外へ遠征している間。
アイドルグレード評価の査定に影響するオーディションを複数個受けた。
薄暗い事務所の中で画面をスクロール。
落選。落選。落選。落選。
どれも、最終選考にすら残らず。
散々な結果に終わっている。
落胆はない。始めからここは緋田美琴を飛ばす事だけに注力していたから。
後ろから、足音。
「プロデューサー、早いよ。……。……ああ、そっか。にちかちゃん」
後を追ってきた緋田美琴が横から顔を出し、同じ画面を見やる。
「……私なんかが言えること、出来ることは多分、少ないと思うんだけど」
外套を外さず。
「私、頑張れたと思う。ありがとう、プロデューサー。自分のために動いた全部がにちかちゃんのためにもなるっていう……この状況を作ってくれたのは、他でもないアナタだと思うから」
またすぐに真冬の街に出る格好のまま。
「ふふっ。私が私のままでユニットの力にもなれるんだって、あの頃の私に言っても信じてくれないだろうなぁ。……ふーっ。ねぇ、プロデューサー」
冷たい中に熱を吐き出す。
「私はまだ燃えているよ。緋田美琴は尽きていない。まだ、まだ、暗闇の中をずっと飛べる」
海の向こうで空を見上げた誰かが、真黒い電子の海の上に立って、あの星は綺麗だと愚直に3回繰り返した。
「空の向こうにあったのは ―― 空だった」
上に星。地に星。海に星。
胸にあてた掌を、彼女にしては珍しく、芝居じみた所作で空へと向けた。
「教えてあげたい。ううん。一緒に飛びたい。にちかちゃんも、一緒に」
海外への進出とはつまるところ、七草にちかを連れ出して俺が解放されるための手練手管。
緋田美琴はそれを理解しながら、自分の性分とユニットへの貢献を両立できることを喜んでくれている。
報いたいと思うし。
自身が助かりたいとも、思う。
和音は目立たないのか。不協和音は美しくないのか。足並み揃わぬリズム帯は不格好なのか。
果たして。
それら全てを、七草にちかの両肩両翼に夢見ている現状。
「次は3月……だよね。それまではまた、私はレッスン中心にしてもらってるから」
緋田美琴も夢を見る。
自らの死地を、あの空の向こうにまで持って飛んで着地して。
可能な限り苛烈で安らかに灰になることが出来るのではないのかと。
「プロデューサーは自分のために、にちかちゃんの傍に居てあげてね」
全力で背中を押そう。
煤けても振り返らずに行こう。
膝を曲げて力を溜めた。
床に這いつくばって泥を啜った。
あとは上を見るのみ。
多分これが緋田美琴の全てで。
これから先が七草にちかの全てなのだと、胸を張って叫ぼう。
大声で吐き出してしまえば。
・・・
自室の暗い闇の中。
扉を叩く音がする。
「―― にちか~。ご飯、食べられそう~?」
やたらと塞ぎ込んだ私を見かねて、姉・七草はづきが声をかけてくれたようだ。
食べられる。食べなければならない。
重い身体を両手両足で持ちあげて、お惣菜の並んだリビングのテーブルに腰かける。
「プロデューサーさん、今日に帰って来たみたい~」
彩色のない黒色のカバー。明らかに姉のセンスではないスマートフォンを弄りながら。
笑みは隠されているけれど。
「……うん。そうよ~、嬉しい」
遂には隠さなくなっていた。
「だって海外だもの。無事に帰って来たのは、嬉しいでしょ~?」
テーブルの向かい。
全体的に茶色の、半額シールから解放された揚げ物を摘まみながら姉が笑う。
「にちかは嬉しくないの?」
箸で口に詰め込みながら、問われたことを考える。
嬉しいような。でもその嬉しさは、友達や同僚に対するそれとも違っていて、分類を違えているような。
「そっか~」
ふたりで少しばかり沈黙を挟む。食事に集中する間隔。
姉との生活も長くなってきた。数多くいる姉妹や兄弟とは離れて久しい。寂しくはないが、毎日これでは華やかさがないとも思う。
その欠けた華やかさが、男だとは思わない。七草家においてほとんど始めから逸失しているようなもの。
白米は今日も美味しい。
半額のお惣菜は、出来立てでもなければ味に違いはそんなにない私舌。
テレビの中身がバラエティで埋まって来た頃合。
「にちかの予定は私も見たよ~。まだまだ忙しくなるね~」
……そうか、と思い当たる。
姉はプロデュース業の手伝いを正式に始めたのだ。
なら、少しばかり聞いてみたい。
姉の目から見て。
七草にちかはどんなアイドルに成るべきなのか。
「……はぁ~」
特大のため息。
そういう質問をしている自覚はある。
「それ、プロデューサーさんに聞けないからって私に聞いてるでしょ~、も~」
姉の
肉親でもなければ聞けない内容なのは確か。
一度。
答えるのは良いんだけど……と前置きを挟んで。
「じゃあ考えてみるから、にちかも素直に答えてね~。にちかはどうやってプロデューサーさんに
箸が止まる。口内の白米を嚥下しきっていて良かった。
恐る恐る視線を上げる。
「書類選考が無かったのは、知ってるよ~。私のとこを通らなかったから~。だと、スカウトされたってことになるんだけど……」
知っているというよりは。勘づかれている。
視線が合う。正直に話す。
「……はぁ~……」
またも溜め息。
返す言葉もない。
「それだと非は全部にちかの方にあると思うんだけど~……あのね。犯罪だよ~?」
姉は眉間の皺をぐりぐりと、指の腹でこねくり回して。
「……。……う~ん……まぁ、にちかがアイドルに憧れていたのは知ってるし~。結果も出せてはいるし……。そうでないと多分、プロデューサーさんも困るだろうから、置いておくとして~」
左右手を平行に揃え、すいっと右から左へ。
「じゃあなんで、にちかはプロデューサーさんを選んだの~?」
……なんで、とは。
「な、ん、で。だって今の話だと~、にちかの方からプロデューサーさんを選んだっていうことになるじゃない~」
そう、なるか。
考える。思い出す。
私は彼が283のプロデューサーであることを確認して声をかけた。
あの頃のプロデューサーは彼ひとりだった。
姉が事務員であることから伝手を通して外見を知った。
書類を送るのではきっと落とされると思った。
「でもそれが『まずい手段』だっていうのは、流石ににちかも判っていたよね~? 私だったら、他の事務所に手あたり次第に書類を送ってみたりして。そっちが全部落とされてからの最終手段にすると思うんだけど~。……いや~、でも私はそこまではしないか~……」
283の事務所には姉妹もいる事だし。そうと言外に言われている。
それはそうだ。実の所まったく送ってみなかった訳ではない。ただ、一次選考を通った事すらなかったのも事実。
何故だろう。
自信がなかった?
姉の言う所の『まずい手段』に出る度胸はあるのに。
「……ん~、とね」
姉の声に顔を上げる。
生暖かい笑顔。
「ひとつだけ、教えておこうかな~。私がなんで事務員だけでなく、プロデュース業のお手伝いまで始めたかっていうと~……」
そう言いかけると腰を上げ、部屋の隅にある押し入れ、その中から1冊のアルバムを取り出してきた。
広げる。託児所らしき場所に並んだ子どもたちの写真。
昔から数の多かった七草家は、託児所やそれに類する地域の集会所に預けられることが多かった。
「お金も、そうだね~。欲しかったけど……それよりも」
アルバムの別段珍しくもない写真のひとつを、大切そうに指さして。
……思い出す。私はここを知らないけれど。正確には託児所ではなく。
七草家が最も佳境だった頃、多くの子どもの面倒を見てくれていた ――『親戚の家』だ。
この場所を離れた理由は両親の死去。
そこからの姉はというと、働きづめだ。
「いちばん楽しく遊んだ思い出が、ここに在ったの。ううん。多分。ここだけに」
決して姉だけではない。私だってそうだ。
ただ姉である七草はづきは特に忙しくしていた。他の姉妹兄弟と年は離れ、そのくせ上の方。
だからこそ楽しかったのだろう。
写真の中で姉の隣に立つ ――
まさか。
「でもね。私はもう変わらないし。変えたくもない、かな~。……知っちゃったもの」
姉の笑い方に諦めの色が混じった。
それでも自分の願いを放棄しないという決断がある分、私の姉にしてはワガママな方だろう。
私は問いかける。
……姉らが集められた『親戚の家』で遊んでいた、この男の子は。
「そうね~、間違いなく。……遠縁なのか近縁なのかは、判らない。今はもう調べようもないものね~、父さんも母さんも居ないんだから。……いちおう、天井社長に、福利厚生の代わりにって聞いたことはあるんだけど~……」
アルバムを閉じる。
テーブルの隅の、冷めたから揚げの横に並べておいて。
「やっぱり、細かい交友に関しては判らないって~。……でも。ただね。天井社長が腕を振るってたあの時代には、身体の関係を使った営業も確かにあった……って」
天井社長の言う所の薄暗い手段、というヤツ。
売れて売れた八雲なみとは、向いていた方向のせいで別たれ。
無理を通していた業界から、反動によってはじき出された。
「それとなくプロデューサーさんにも聞いたんだけどね~……普通の両親だよ、って答えられちゃった」
真相は闇の中。
しかし姉はそれで満足したのだろう。
ため息と共に、今度こそ私の頬を、言葉でもってひっ叩く。
「だからかも知れないね~。私は
もしかしたら子供の頃の楽しさすら、そこに起因しているのかも知れないと。
途方もない
「これが私が傍に居る理由の全部、かな~。……じゃあそれを踏まえて、もういちど聞くね。なんで、にちかはプロデューサーさんを選んだの~? ―― なんで、そんな無茶な手段を~。この人になら大丈夫だって思って……
気が遠くなるような思考の
私は自身の行動を
……七草にちかは、自らの父親に関する記憶は殆どない。
…………ともすれば姉である七草はづきよりも、求めている影は大きいのやも。
そうと思い当たって。
自身が彼に抱いている感情と行動の波を重ねて。
そうなの? と、自分が自分に問いかけて。
吐いた。
あの日の事務所の光景と同様。
そんな所まで彼とそっくりな自分に、嫌気がさした。
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