扉を開けて脱衣所に入ろうとした時、上条凪は硬直してしまった。
そこに一人の少女が居たからだ。
まずいところを見てしまったと思って体が反射的に困惑してしまい、ドアノブを握ったまま後ろへ引くことすらできず、物音を立てることに緊張してしまって動けなくなる。
洗濯機が置いてあるそこには、
彼女は日頃から品行方正、礼儀正しく真面目な性格で、一見すればクールで繊細ではあるが親しくさえなれば存外大らかで可愛げのある人物だとわかる。誤解されやすい冷静沈着な立ち振る舞いで周囲から一歩退いた態度に見えるものの、話せばわかる相手だ。
彼女なりのボーダーラインが設けられており、親しい人とそれ以外とで分けられる。
凪はすでに親しい人物として認識されているはずであった。
それにしてもまさか自分のシャツが匂われているとは想像できなくて、声をかけられない。
「すーっ……はぁ~……」
深く呼吸をしている。顔をシャツに押し付けていなければ何事でもない状況なのだが、両手で抱きしめるように顔へ押し付けるそれがあるだけでおかしな状況に見える。
凪はよっぽどこのまま扉を閉めて部屋に戻ろうかと思った。しかしかすかな物音でさえ立てるのはまずいと判断していて、彼女に気付かれると、他ならぬ本人に大きなショックを与えることになるだろうと理解していたのだ。
動くに動けず、どうしよう。
混乱する凪はぴくっと刹那が動いたのを見て、まずい、と思った。
剣術に秀でる彼女は人間の気配を察する技能に長けている。わざわざ視線を向けずとも自身に近付く人間に気付くのは当然のことで、今回はあまりに気を抜き過ぎていたらしい。
「あ、え?」
「あー……」
勢いよく顔を上げた刹那は驚愕した表情をしていた。それも当然だろうと思っていると、見る見るうちに顔を真っ赤に染めて、どうすればいいかもわからずわなわなと震え始める。
気まずそうな顔をした凪は申し訳なさから後ずさった。
「えっと……ごめん」
突発的に扉を閉じてしまう。ぱたんと可能限り静かに空間の隔たりが作られた。
俯いて考えること数秒。果たしてこのまま放っておいていいものか。
刹那は恥ずかしがり屋だ。さらにとても真面目な性格で、自らの失態は恥と考え、周囲の人間には完璧な姿のみ見せようとする傾向がある。その姿に隙が見えた時に可愛げを感じるのだが本人はそれを許していない。
このままにしておくのはきっとよくない。
凪は扉をノックして、改めて接触することを求めた。
返事はない。ずいぶんと緊張したが思い切って扉を開けてみることにする。
「あ、開けるぞ? 失礼しまーす……」
ドアノブを捻って開いてみる。
室内では刹那が跪き、自らが得物として持ち歩く野太刀“夕凪”で腹を切ろうとしていた。驚愕した凪は飛びつくようにしてその行動を止める。
「ちょおっ⁉ 何やってんだよ!」
「ううぅ、止めないでください! 申し訳ありません! わ、私はなんということを……! 腹を切ってお詫びします!」
「いいから! 切らなくていいから! そんな大したことじゃないから!」
まだ若いとはいえ日頃から鍛えている彼女はやけに力が強い。
掴み合いになってドタバタ床を転げ回り、なんとか刀を叩き落とせた。凪は刹那の体をぎゅうときつく抱きしめて強引に落ち着かせる。
「別にさ、こんなことで引いたりしないから。確かにちょっと驚いたけど……」
「うううぅ、すみません……! こ、これは、たまたま……その、今日は魔が差しただけで」
「わかってる。大丈夫だから。ほら」
「ううぅ……」
刹那は、自らも凪の背に腕を回して強く抱き着く。
本当に今日が初めてなのか、という疑惑はあるものの今すぐ確かめるのは得策ではないだろう。
凪は自身の胸に顔を埋める刹那が、深呼吸をして落ち着き出したのを感じてそう判断した。