第二の人生が始まるかもしれません、異世界だそうですよ、ミサキさん 作:木桜 春雨
大丈夫だ、召還の議は絶対に成功すると思っていた魔法使いだったが、いざ、呼ばれた国に赴き、準備を始めようとした途端、慌ててしまった。
それというのも調べていくうちに、この国では大昔に召還の議を行った魔法使いが失敗して亡くなっていたという事実を知ったのだ。
大きな魔法を使うのには危険が伴う、失敗すれば膨大なエネルギーの反動で術者に跳ね返りがきてしまう、もしかしたら、魔術師は未熟だったのか、いや、他に原因があったのかもしれない。
この度、依頼を引き受けるにあたっては前金を受け取ってはいない、これは魔法職だけではない、他の職業の人間から見れば驚きだろう。
腕に自信があれば事前報酬を求めるのは当たり前だ、だが、それを今回に限りしなかった。
別の世界から人間を召還するというのは決して簡単なことではない、しかも女、性別を限定されているのだ。
召還して無事に、こちら側に来ることができればいいのだが、耐えられなくて怪我、最悪な場合、体の一部が欠損したりというアクシデントだってないとも限らない。
今回、できるなら美女を召還して欲しいと言われたのだ、それを聞いたとき、すぐには返事ができなかった、内心、呆れながらも笑みで返したのだ、沈黙は金、余計なことを口にして相手の不信感を買っては損だ。
そもそも美醜の価値など人、それぞれだ、この国の王は一度、結婚したが、結婚生活は三年と聞く、それが関係しているのだろうか。
召還した女を王妃、いや、愛人にでもするつもりだろうか、女が拒んだらどうするのだろう。
王は見た目もそこそこだ、まあ、大抵の女から見れば悪くはないかもしれないが、だが、想像は時として現実を裏切るものだ。
それに、いきなり召還された相手が素直に、こちらの言い分を聞くだろうか、異なる世界の人間、女ともなればどんな性格かわからないではないか。
だが、バラウ・アンダーソンは口元を緩めた、魔法使いの自分なら相手を意のままに操ることなど簡単だ。
夕方になり、男は夕食をすますと久しぶりに風呂に入るかと用意を始めた、大きな桶に湯を入れるのは簡単ではないが、だが、湯に浸からないと疲れが取れた気がしないのだ。
金持ちの貴族なら召使いや下男を雇って、用意をするのも簡単だが、独り身の自分にできる、これは唯一の贅沢だ。
数日前、城からの伝達で王が召還の儀式を行うと街中に伝達したのだ、しかも高名なバラウ・ヴァイダーソンを招いてのことらしい。
異世界から女性を召還する、詳しいことがわからないから尚更なのかもしれないが、色々な噂が飛び交っていた。
召還される女性ということはわかっているが、それ以外のことが詳しくは知らされていないから尚更なのかもしれない。
恩恵を受けるのは王族や貴族だろう、若い男達が、もしかして自分たちにもチャンスがあるかもしれないと街中、酒場で噂話に興じている姿を見ると若い男は羨ましいと思ってしまった。
男は湯の中で体を伸ばし、思わず欠伸をしながら目を閉じた、ここ数日の畑仕事で体が固まったようになっていたのだ。
「ああ、気持ちいい、風呂はいいなー」
男の体が硬直した、自分ではない声が聞こえたのだ。
気のせいかと思ったが、声が、また聞こえてきた。
「新しいシャンプーだと気分いいなあ、入浴剤も柑橘系だしね」
どこから聞こえてくるのかと周りを見るが、広くない風呂場には自分だけだ、湯から出ようとしたときだ、ぼこぼこと泡が出てきた。
あれから数日が過ぎた、風呂場、いや、浴槽がどこかと繋がっていることに気づいたが、何もできない為、そのまま放置していた。
それというのも、ただの一般市民、平民には魔法、魔術などの力を持っていないからだ。
それに声が聞こえてくるのは声、わかっているのは声の主は女ということだけだ。
「ううっ、熱すぎたかな、なんだかのぼせそう」
聞こえてきたのは疲れたような声だ、水音を耳を傾けていた男だが、静かな時間は突然、やぶられた。
何かが割れるような大きな音と女の悲鳴だ、いや、それだけではない、男の声と水音だ。
女は一人暮らしのはずだ、ここ数日の聞こえてくる音と独り言でわかっていた、だが、今聞こえてくるのは男の声、それも叫んでいる。
金だ。
騒いだら殺す。
逃げるな。
言葉と声から、危険だと思ってしまう、暴漢、押し込み、乱暴されるだけではない、いや、殺されるかもしれないと思ったのは叫ぶ男の声が獣の叫びのようだからだ。
男は焦った、助けたいと思ったが、方法がわからない。
「た、助けて」
恐怖と怯えの女の声に男は手を伸ばしたのは湯船の底にだ、そんなことをしても無駄かもしれない、だが、せずにはいられなかった、抗ったところで、仕方ないかもしれない。
手が湯の中で掴もうとするように動く(何をだ)。
ところが、何かが触れた、気のせいではない、考える余裕などない、もう一度、手を動かし触れた、今度はしっかりと、掴んだ瞬間、力一杯引っ張った。
召還の議を行うに至って道具は全て揃った、後は陣を描き、術を発動させるだけだ、だが、問題が起きた、陣を描き発動させようとした。
「何故だ、どうして」
陣を描いたまでは良かった、王の前で術を発動させることになっているので、その前にと思っていた。
ところが、呪文を唱えても微動だにしない、どういうことだ、もしかして、誰かが邪魔をしているのではないかと思ってしまった。
シャルアンに自分が招かれたことは他国の人間は知っている、だが、何の為にかという子細は公にはされていない。
そうはいっても完全に隠し通すことは難しい、だから、色々と手を打ってきたのだ。
召還の議は簡単なものではない、材料や金だけではない、失敗すれば術者は後ろ指を刺されることになる。
しかし、成功すれば王族貴族の後ろ盾は確実だ。
だから、術者の中には内緒にする者もいるくらいだ、そして成功すれば。
ゴゴゴーッ。
「なんだ、陣が作動、いや」
突然、その音は部屋中に響きはじめた。
「魔力の暴走、いや」
今まで召還の議を行ったのは片手の数だ、だが、失敗したことはなかった、というのも簡単なものだったからだ。
しかし、今回は異世界から召還するというものだ、それだけではない、王から直接、できるなら複数の人間をと言われている。
つまり、制約と限定、色々な縛りがあるのだ、だから、失敗しないとも限らないのだ。
陣を描いた床からは聞こえてくる音に、突然、ごぼごぼという音がして水が溢れてきた。
床一面を満たした水、だが、長くは続かなかった、止まったのだ。
「これは、成功したと思ってもいいのか」
魔法使いは困惑の表情で、陣の中に吸い込まれていく水をじっと見つめていた。
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