「おっじさ~ん、ちさとが来ましたよ~」
チャイムと共に玄関の方から陽気な声が響く。
お世辞にも綺麗とは言えない一人暮らしの部屋からはとても似合わないであろう明るい声に、俺は苦笑しながら玄関へと向かった。
「い、いらっしゃい…ちさとちゃん」
扉を開けるとそこには俺の予想通り、可愛らしい女の子がいた。
この子の名は錦木千束。
真っ赤な制服に身を包み、ボブカットの黄色みがかった白髪に赤いリボンをアクセントにした髪型は彼女のトレードマークと言って良い。
「も~、おじさんったらまた表情硬くなってるよ? ほら、笑って笑って!」
「う…うん」
促されるがまま笑顔を形作る。
だが、俺の顔にはぎこちない笑みしか浮かばなかったようだ。
「あははっ! なぁにその顔!?自然な感じでいこうよー」
「そ、そう言われても……」
自然体と言われて簡単に出来るなら苦労しない。
そういう風に振る舞うことができれば今までの人生はもう少しマシなものになっていたことだろう。
まぁ今更そんなことを言っていても仕方がないのだが……。
俺の顔がそれだけ彼女の壺にハマったのか、ちさとちゃんは未だに笑っている。
しかし、嗤われているという感覚は不思議とない。
この手の感覚には敏感になっている自分にすら、それを感じさせないほど。
彼女が持つ不思議な魔力と言うべきかあるいは魅力と呼ぶべきなのか、それは分からない。だが、こうして振る舞っていた方がきっと幸せなんだろうなという確信が彼女より多少長く生きる自分にはある。
「じゃあはい、これ。挽き立てだって先生が」
と、立ち話もそこそこにちさとちゃんは手に提げていた紙袋からコーヒー豆を取り出した。
彼女が看板娘(自称)として働いている喫茶店、リコリコのものだ。
俺なんかよりずっと貫禄のある黒人のマスターであるミカさんが丹精込めて作った逸品だ。ちさとちゃんが先生と言うのも納得がいく。もっとも、コーヒーをまともに飲み始めたのちさとちゃんと知り合ってからである故、ただ漠然と美味しいとしかわからない。
それでも、こうして定期的に届けてもらいたいほどであるのは確かだ。
「いつもありがとね。本当は俺が買いに行くべきなのに」
「あ~気にしないでいいよ。私も好きでやってることだし」
申し訳なさそうにする俺に対して彼女は手をひらひらさせながら明るく言う。
こういうところが憎めないんだよなぁ。
「それにしても、豆でいいって言ってたけどよかったの? 前はフィルターだったじゃん?」
「あぁ、せっかくだしちゃんとしたサイフォンでやってみようと思って」
「え! 買ったの!? 見せて見せて!!」
「いや…ネットで適当に買っただけだしそんな大したものじゃないんだけど……」
「いいのいいの。おじさんのセンス気になるし」
目を輝かせてせがみよる彼女に俺は苦笑いを浮かべつつ、部屋の奥へと案内する。
といってもワンルームなのですぐに着いてしまうのだが。
慣れた様子で部屋に上がったちさとちゃんはまだ手垢一つ付いていないサイフォンフラスコタチをキラキラとした目で眺めている。
「へぇ~! 思ってたよりしっかりしてるじゃん」
「まぁ値段相応……とは思うけど」
あんまり高いのは失敗したときのことを考えると怖いので手が出せなかったのだ。
それでも一式揃えると一万円以上したのだが。
とはいえ、安いものはやはり安かったりするのでそこは要注意である。
何にせよ、こうして興味を持ってもらえるのは悪い気分ではない。
「あれ? でもこれまだ使ってないよね? なんで?」
「いやまぁ……買ったはいいもののなかなか使う機会がなくってさ……」
「ふぅん……ま、とりあえず始めちゃおうか!」
ちさとちゃんに促されるまま、俺は部屋の中央にある小さな机の前に座った。
「えっとまずはアルコールランプの準備をして、それからフラスコに水を……」
「わー! ストップストップ!! おじさん! 危ないことしようとしてる!?」
「大丈夫だよ。火を使うわけでもないしさ」
「ダメ! 絶対だめ!もし火傷でもしたらどうするつもり!?」
「えー……」
心配性だなぁ……。
確かにちさとちゃんからすれば俺は子供のようなものかもしれないが……。
「わかったよ。じゃあ今回はちさとちゃんにお願いしようかな」
「うん! 任せて!……で、次は……」
そう言いながら、ちさとちゃんは慣れた様子で準備を進めていく。
その表情は実に生き生きとしており、見ているだけでこちらまで楽しくなってくる。
ちさとちゃんはこう見えて意外と器用なのだ。
喫茶店の中でも割と好き勝手に振る舞ってこそいるが、何度か店にお邪魔していれば意外とちゃんと仕事をしていることがわかる。
その証拠に、使い慣れていないはずの道具なのにもうコーヒーが抽出されている。
「うん、こんな感じ! ほら、おじさんも飲んでみて」
「あぁ……」
差し出されたカップを受け取り口をつける。
「どぉ?」
期待に満ちた瞳を向けてくるちさとちゃんに、俺はまだ熱々のそれをゆっくりと喉に流し込みながら答えた。
「……美味しい」
「でしょ~」
自信満々なちさとちゃんだったが、それは嘘ではなかった。
香りは勿論のことだが、味に関しても素人の俺が口にするには十分すぎるほど美味しかった。
「いやぁ~我ながら上出来だね! この香りがたまらんなぁ」
「そうだね」
「でしょ~? あ、おかわりもあるから遠慮なく言ってね」
「ありがとう」
そうして、孤独な男が一人暮らししているわびしい空間に、上品な香りが立ちこめていった。
隣ではちさとちゃんも自分の淹れたコーヒーを堪能しており、満足そうな顔をしていた。
「これで今度はおじさんも一人で美味しく飲めるね」
「いやあ…どうだろう。ちさとちゃんの手際がよすぎたからうまくできないかも」
「んも~褒めても何も出ないぞ~」
あからさまに気がよくなっているのを隠すように肘でくすぐるように小突かれる。
そんなやり取りをしながら、俺達はコーヒーを楽しんだ。
やがてコーヒーを飲み終え、軽い世間話を挟む。
「そうそう、こないだオススメした映画見た?」
「うん。面白かったよ」
「でしょ? どこがよかった? 私はやっぱりあの渓流での師弟対決かな。あのお互い自作のナイフだけで言葉一つ交わすことなく戦うシーンとか最高だったよね」
「わかる。俺は師匠が回想してた訓練のシーンが好きだな」
「おっ、おじさんわかってる~。123456ってとこでしょ?あれ私も好き」
こんな風に、オススメの映画の感想とか最近の近況とか他愛の無い話をする。
なんでも、これが彼女の仕事らしい。そもそも彼女がこうして俺みたいなキモデブオヤジに時間を割いてくれるのも一環。
要は俺が女の人とちゃんと話せるようにというものだ。そんな風に色んな人の助けになることをするのが好きなんだと。
だからこうして、俺なんかにもこうして構ってくれるのだ。
その成果は順調で、初めて会った時はまともに受け答えすらできなかったはずなのに、今ではこうして普通に会話できるようになっていた。
もっとも、本人にどういう仕事なのか聞いても、困ってる人を助ける仕事としか答えてくれない。
ただそれでも今までの味の無い灰色だった俺の人生が少しずつ彩られていくような気がして、なんだかとても心地よく感じる。
「――さて」
だけど、彼女の言う仕事というのはこれだけじゃない。
飲み終えたコーヒーカップをテーブルに置いた彼女は一呼吸。
先ほどまでの和やかな空気が一転する。
張り詰めた緊張感と言うには少し異様な雰囲気。
この空気を吸うと、まるで全身に見えない鎖を巻き付けられたかのような感覚に襲われる。
そして、ちさとちゃんはゆっくりと口を開いた。
「おじさん」
隣に座っていた彼女との距離が、やけに…いや、確実に縮まっていく。肩が触れ合い、体温を感じるほどの距離。
吐息が耳に届くと同時に淺日色の瞳と目が合い、心臓が大きく跳ねる。
あぁ、今日もなのか。
諦めなのか期待なのか分からない感情と共に、俺は静かに目を閉じた。
「…………ふぅ」
数秒後、唇に触れていた柔らかな感触が消えていく。
目を開けると、そこにはいつものように微笑む彼女の姿があった。
「じゃあ、今日もしよっか」