朝田詩乃は悪の組織に忠誠を誓う 作:名無しの猫
廃工場のシャッターが持ち上がり、光が差し込む。腰ほどまで上がったその下を潜り、明日奈は中へと入った。
白のアウターにピンクのシャツ、デニムのスキニージーンズを履いた彼女は真っ直ぐと、寄り添うように並んだバイクの元へと足を向けた。硬質なライダーブーツで踏み締めるのは吹き込んだ土に塗れた地面で、埃の被ったカバーに覆われた2台を眺め、明日奈から見て左側のバイクを覆うそれを剥がした。
姿を見せたのはダークグリーンのオンロードバイク。飛蝗をイメージした前面に全体的に無骨なデザイン。ヘッドライトは格子ゴーグルに覆われてどこかミリタリー風味なスーパーバイク。
その名もバトルホッパー。
世紀王専用のバイクとしてゴルゴムが作り上げた超科学のマシンだ。スピードは勿論あらゆる性能が既存のバイクを凌駕し、人間はおろか並の怪人ですら乗りこなせない程の力を秘めている。かつては主人を失い、こうして骨董品のように埃を被っていたが――もう違う。明日奈という世紀王の1人が目覚めた今、力を発揮する日は遠くない――そう、たとえ今からでも。
恐る恐るエンジン部に触れ、スイッチを入れる――が、
「…………あ、あれっ?」
何度試しても動く気配は微塵もなく、機械の知識に疎い明日奈なりに叩いたり、エンジンに息を吹きかけ色々試すがうんともすんとも言わない。
こんな時、自分より何事にも優れた彼女ならばと頭を抱えた瞬間、脳裏に蘇ったのは連行される寸前に教えられたアリスの言葉。
『あの2台のバイク。どちらも世紀王専用ですが、最初の起動だけは彼らの動力源であるキングストーンの持ち主でなければ動かせない。2台はバイクでありながら、人工知能を移植されたある種の生命体。資格者だから乗りこなせると決して自惚れぬように』
まるで姑の小言のようにうるさく連射された話の一つに、それがあったのを覚えていた。
覚醒直後は圧倒的な力量差で立場をわからせたつもりが、解除してからはあれよあれよと怪人歴の差で遅れを取ってしまい、やや対等な関係になってしまった明日奈とアリス。木綿季のように一度拳でも交えれば分かり合えるのかなと、呑気に考えつつ、もう一台のバイク。そのカバーを剥がした途端、明日奈はニヤリと笑みを見せた。
「なーんだ、こっちだったのね」
もう一台の名はロードセクター。
銀色の車体に緑が差し色として使われた近未来的なデザインのバイクで、自身の真の姿であるシャドームーンを彷彿とさせるカラーリングからすぐに専用機であると分かった。これもバトルホッパー同様のスーパーマシンであり、優れた怪人しか乗りこなすことは不可能な性能を誇るだけだなく、秘めた力を解放すれば海を一瞬で渡り遠く離れた地へ移動することすら可能だ。
ロードセクターのエンジンタンクに明日奈の手が触れる。途端に、マシンが息を吹き返したかの如く唸りを上げ、頼もしい振動で指を震わせた。まるで「俺に乗れ」と誘っているかのように。
明日奈は満足げに微笑むと後部シートにバッグ(数ヶ月分のヒートヘブンを詰め込んだ)を載せ、アクセルを握りしめる。
影を切り裂き駆け抜けていく銀色の閃光。既存のバイクをはるかに超えるスピードで怪人村を飛び出して木々の森を抜け、山を駆け抜ける。やがて真新しいバイパスを一直線に進むと車の通りも増え、東京の街に突入した。
懐かしい故郷。
まだ結城明日奈が普通の少女で会った頃に住んでいた思い出深い土地。
街の全てを知り尽くしていたとはいえないが、音を置き去りに景色さえも溶けていく世界で見えるのは、やはり馴染みのあるものばかりで。
甦るかつての記憶に煽られるように、やがて、辿り着いたのは閑静な住宅街に建つとある家の前。
他の家よりも大きく立派な造りをしているが、今や見る影もなく美しかった庭は荒れて人の気配がない。
アクセルを握る拳に力が入り、軋む音を立てる。
ここはかつて、明日奈が人間だった頃に暮らしていた家に他ならない。
それなり以上に恵まれた環境で不自由なく育ち、厳しい母と優しい父、そして理解者でもあった兄に囲まれて平穏に暮らしていた。――あの日までは。
今は全て自分たちから奪い去られ、遠い日の思い出と化しているが、その全てを、記憶を、忘れたくはなかった。
ジェットヘルメットから覗く素顔には溢れる激情を堪え、自分から永遠に奪い去られてしまったもの、そして新たに得たものを噛み締めながら、ただ1人、孤独に街を爆走した。
※
放課後を告げるチャイムが鳴って、校舎から下校する生徒の波がやってくる。正門の前、詩乃は銘板を背もたれに足早に帰宅していく生徒の流れを見送っていた。出ていく学生達と色もデザインも明らかに違う制服が違う詩乃に目をくれるものは誰1人いなくて、詩乃もまたそんな彼らに意識を向けることもなく、静かに『彼女』が姿を現すのを待った。
ここは詩乃が通っている学校ではない。ここに通っているのは数日前に知り合ったとある少女で、詩乃はその彼女から連絡を受けてやってきたのだ。
少しだけ時が過ぎて、雲が流れて空が夕焼けに染まり出した頃に。門を走り抜けていく少女の背中が覗いて。
「直葉ちゃん」
詩乃が声をかければ、軽やかに短い黒髪の毛先がゆれて、愛らしい瞳がこちらに向けられて。
「詩乃さん!」
影に隠れていた詩乃に気づいた少女――直葉は真っ白な歯で太陽のような笑みを作ると、軽快な足取りで詩乃の元に駆け寄ってきた。
少女の名は桐ヶ谷直葉。彼女こそショッカーが次なる改造素体の候補としている1人である。
「久しぶり直葉ちゃん、突然連絡もらってビックリしたわ」
「ごめんなさい、でも詩乃さんくらいしか聞いてもらえない話があって……」
「……何かあった? 話くらいなら聞くよ」
詩乃もまた笑みを返せば、直葉も安心したように笑って。連絡を受けた訳を聞けば急に不安げな様子で、詩乃の制服の袖を握った。普段は部活動で帰りも遅い彼女からこの時間に連絡が来ること自体が珍しく、何事かと警戒していたが、やはり問題が生じていたようだ。
「……はい、でもここじゃ話しづらいから」
「分かったわ……、なら場所を変えましょう。バイク、止めてあるからそこまで行ける?」
詩乃の問いにこくりと頷いて、先導して歩けば借りてきた猫みたいに着いてくる彼女が妹みたいに可愛くて、不安に怯える直葉の手を握った。
2人の出会いは数週間前――アリスが日本に来たばかりの頃。路地裏で不良に絡まれていた直葉を詩乃が助けた事から始まった。
中学時代だが、剣道の全国大会でトップクラスの成績を納めた腕前と学校でも男子より逞しさを誇る直葉でも複数人それも年上のガラの悪い男たちに囲まれてしまえば流石に分が悪くて、おまけに普段は絡まれても簡単に振り解けるナンパの手も今回はやけにしつこくて、焦りから汗が浮かんだその時。
『寄ってたかって最低ね。レディーのエスコートくらいママに習わなかった?』
いつから立っていたのか、男達の背後に忍び寄っていたのは1人の少女。直葉と歳の変わらぬここらでは見かけぬ制服を着た彼女は挑発に怒った彼らをたった1人で制圧して見せた。
ほんの数秒、瞬き数回ぶんくらいの僅かな時間で転がりのたうち回って地面に倒れていく不良達。
『大丈夫? 怪我はなかった?』
涼しい顔のまま息一つ切らさずに男を制圧して見せた少女に直葉は言葉を返せずにいた。
剣道の実力者である直葉から見ても鮮やかで一切の無駄のない動き、相手を完璧に見切った優れた技を前にしては何も声に出せずに。
『だ、大丈夫です……』
差し出された手を掴んで咄嗟に浮かんだのはそんな当たり障りのない答えだったが、どういうわけか、少し話しただけなのに簡単に親しくなって。誰にも話せないようなことまで相談できるようになっていた。きっと、自分と実力の近い相手としての親近感からだろうと直葉ひ勝手に保管しているが。
バイクを止めた道路脇まで歩き、直葉にヘルメットを渡す。
「ちなみに行きたい場所はあるかしら? 気晴らしにどこでも連れていってあげるわ」
「詩乃さんがよければ、どこでも……」
「分かったわ、なら最近見つけたカフェでもどうかしら? 美味しいケーキがあるって評判聞いて気になってたの」
「いいですね……、ケーキ楽しみです……!」
少しだけ笑顔を取り戻した直葉をミラーで見て詩乃も笑みを浮かべた。組織に命じられた獲物であっても、感じる友情だけは本物で――そう遠くない未来訪れるであろう、彼女の変わり果てた姿と共に戦場を駆けるその日を楽しみに、野望を覆い隠すようにヘルメットを被り、エンジンを起動させた。――そのバイクの上、ハンドルに乗った一匹の飛蝗を払い除け、詩乃はペダルを踏んだ。
道路の流れに乗って、遠ざかる2人の背中。建物の影に隠れて全てを見守っていた明日奈はセルスターターを押し込んで、チェンジペダルを踏んだ。
そして、彼女達に気づかれぬよう静かにその後を追った。
明日奈編とも呼べるエピソードは次で終わりです。直葉/リーファの本格的な出番はキリトくん共々3章からになりますが、今回はまだ顔見せ程度で(それは明日奈もですが)