朝田詩乃は悪の組織に忠誠を誓う 作:名無しの猫
時間は、直葉の容体が急変したその直後まで遡る。
アポロが彼女の『スイッチ』と呼ばれる体内の”ナニカ”を押したその時、彼の足元に矢が突き刺さった。
「……答えなさい。あなたは誰?」
彼の背後に立つのは詩乃。
石に呼ばれるがままに走ってきたこの場所で、何やら不気味な力を感じて踏み込んだその雑木林で。この男を見つけた。
不審に指先を動かすその先で、和人を見つけて――苦しみ出した直葉を見た。このスーツの男が何かをしたのは明らかだ。
「――驚いた。まさか俺の存在に気づくとはな。お前、成長したな」
「話を聞いているのかしら? あなたは一体――」
「貴様如きに名乗る名前などない。そういう貴様こそ頭が高い」
……跪け。
男が睨み、一言発すると同時に――詩乃の身体は、突然跪いた。意識に反して、無理やりに。立ち上がろうとして、どんなに力を込めても足はぴくりとも動かせずに、汗が絶え間なく溢れて首筋を伝う。痙攣するように肉体は震え、視界がぐらつく。
意識はある。だがそれもギリギリのラインでどうにか保っているほどに朧気で、少しでも気を抜けば飛んでしまいそうだった。
これまで対峙してきた敵とは全く異なる性質を秘めた未知の存在。
だが、詩乃には心当たりがあった。
「……お前、まさかあの時アリスを狙った――」
「ほう、やはり覚えていたか」
忘れるはずがない。この気配、そしてこの化け物から見ても化け物じみた能力を間違える方が不自然だ。
この男のせいで自分は洗脳から解かれ、そして、今に至るまで地獄を味わい続けてきたのだから。ギリリと歯を鳴らし、噛み締めればこの不可思議な力にも抗えた。素早く弓矢を構え振り絞る。が、男の方が早かった。
「――自分でも射て」
また一睨みして、詩乃の声が耳に届いた瞬間。射出ギリギリの弓矢が
「……なんっ、でっ……!?」
「いずれわかる。お前が、俺と同じ領域に到達すればな」
詩乃が掴みようのないことばかり口にする男に反撃しようにもカラダが動かない。どんなに必死に足掻いても全てが徒労に終わって、今もこうして拳を振り上げる男を前にしても指一本動かせなくて――
「消えろ」
アポロは動けない詩乃目掛けて容赦なく拳を振り下ろす。
詩乃は身動きの取れないままにミサイルの如きスピードで突っ込んでくるそれを見上げるしかできない。受け止めようにも躱そうにもまず身体が動かなければすべてが敵わない。何一つできず、己の無力さに歯噛みして、そのまま風をぶち抜く勢いで迫りくるアポロの拳が激しく爆音を木霊させた。
「――驚いたな」
アポロの目下、確実に一撃で潰すつもり
「……ぐっ、うぅ、ううっ……!」
凶悪なまでに重い拳を、詩乃は苦し気に受け止めていた。強化された骨格を軋ませるほどの一撃で苦悶に歪む。
本当に運がよかった。
胸中を占める感想はそれだけで、今も一瞬だけでも力を抜けば意識は消え去り、この肉体は跡形もなく消し炭と化すだろう。そう確信できるほどにこの一撃は凄まじいものだった。
奇跡としか言いようがない。拳が顔面に突き刺さる瞬間――
その瞬間だけは精神的に感じていたプレッシャーも跳ねのけていたが、今は押されぬようにするだけで精一杯だった。
「面白い、少し遊んでやるか」
とくに力を込めることもなく。アポロからすれば腕を前に伸ばす動きだけで詩乃の身体を吹き飛ばした。
空に投げられた詩乃は、勢いに負けじと空中で一回転して着地。それと同時に足に刺さる矢を抜いて、胸元のペンダントを輝かせると、風と共に強化スーツに身を包んだ。新たに装備された白いマフラーが靡く。
「それがショッカーの作ったおもちゃというわけか。くだらん」
変身して臨戦態勢をとるシノンとは対照的にアポロは変身をすることもなければ構えることもない。ならばこちらからと、シノンは飛びだしていく。瞬く間に距離を詰めると、そのまま無防備な首を狙ってナイフを振るった。
「……っ!?」
しかし、その切っ先はアポロに掠ることなく擦り抜けてしまった。
「どうした、もう終わりか?」
「――っ、まだまだ!」
余裕そうに挑発してくるアポロにシノンは果敢に攻め続ける。――が、攻撃は一向に当たる気配はなく、全て男のギリギリ通り過ぎていく。
(――どうして、なんで攻撃が……!)
動揺に駆られるままに繰り返すも状況は変わることは、シノンは内心焦りを感じ始めていた。わざとではない。このむかつく奴の顔を吹き飛ばしてやろうと思いた加減なく仕掛けている。
だが、当たらないのだ。まるで、
(……違う。私が、コイツのスピードを見切れていないっ……)
攻撃の最中。微かにだが、確かに捉えた奴の動き。改造人間の中でも優れた自分の視力でも見えぬほどのスピードで、こいつは確かに攻撃を躱していた。僅か上体を揺らす程度の動きだけで。
「馬鹿にしてっ……!」
どこまでも人を馬鹿にした様子の男にシノンの怒りも上がっていく。今度はやり方を変えて、全身を無差別に狙う。それでもたったの一回も当たることはない。
「このっ……!」
強く地面を踏んだ瞬間、泥が微かに跳ねる。アポロがそれに気を取られたその僅かな動きが、回避を鈍らせた。無心で振り上げた刃――それが土を巻き上げ、その純白のスーツを汚した。
アポロの目に、怒りの色が浮かんだ。
その感情のままにシノンの仮面を掴むとアポロは強烈な膝蹴りを顔面へと叩き込んだ。複眼を割らんばかりの一撃に、シノンの脳が揺れた。
「がっ……!?」
眩んだその隙にもアポロは容赦なく怒りを叩きつけて来た。ふらつくシノンの仮面を何度も殴りつけ、その首元めがけ回し蹴りをかました。乱回転して地面に転がるその身体をサッカーボールのように蹴り飛ばした。
装備が散らばって、シノンは起き上がることができない。
攻撃が桁違いだった。自分どころかユウキやアスナですらお話にならない。まるで比べ物にならないほどにならない文字通り異次元の強さに成すすべがない。勝てるビジョンが全く浮かばなかった。戦う心が、完全に折られてしまった。
(ま、まずい……逃げないと……)
今の自分にできることはただ一つ。この場から逃げることだけ。
ボロボロの身体を引き摺って、シノンは撤退することしかできなかった。
「――忘れ物だぞ」
「……がっ、ぎゃぁぁぁ……!」
だがアポロは簡単には逃がしてはくれない。自分が落とした矢の予備を拾い上げ、それを投擲してきたのだ。
矢は無防備なシノンの背中に突き刺さり、血が流れる。だが、戦意を喪失した彼女には反撃などできるわけもなく逃げるしかできない。
アポロはそれからもシノンが一歩這う度に身じろぐたびに矢を投げ、まるでダーツのようにして弄んだ。いつしか変身が解け、血まみれの詩乃に戻っても尚浴びせ続けた。
「うっ、ううっ……」
絶え間なく降り注ぐ矢の雨に、激痛に詩乃は耐え続けた。地面を這い、惨めだとしても今はこれしかない。
懸命に足掻き、逃げ延びようとしている少女に、アポロは口角を歪ませた。彼からすれば人間も怪人も等しく下等種族だ。そんな虫けら達が無様にも生きようと藻掻く様はいつ見ても愉快で仕方がない。普段これほど感情を揺さぶられることはないが、今回はなぜか心がやけに躍った。
未だ覚醒の途中にあるこの少女。やがては自分と同じ”次元”へと到達してくるだろう。その時が楽しみで仕方がないが、その前に今の弱い彼女を叩き潰しておきたい気持ちもあった。
アポロによるいじめは詩乃が木陰に辿りつくまで続き、直後に駆け寄ってきた和人の登場で幕を閉じた。今回は遊んだが任務はあくまでも監視。目撃者をこれ以上増やすわけにはいかなかった。
この間、たったの1~2分足らずの出来事であり、僅かその程度の時間で詩乃は完全なる敗北を喫したのであった。
※
竹刀が激しく打ち合い、空気を揺らす。床板を軋ませる足音と重なり合い、道場に響き渡る。
直葉とリーファ。元は一つだったはずの二人は、互いの存在をかけ戦いを繰り広げていた。竹刀がぶつかって鍔競り合う。
「直葉ちゃん、やるじゃない。私と同じくらい強いなんて、ちょっと意外」
「当たり前でしょ。元はあなたと同じなんだから」
「あっ、そうだっけ?」
「とぼけないでよ!」
直葉が押し込めばリーファが後退する。
化け物じみた力で先日ユウキとシノンの二人を圧倒したリーファでも、今は二人に分かれ物理的にも半減した状態。おまけに自分が覚醒した影響を直葉も同様に受けており、彼女に一発でも撃ち込まれてしまえばひとたまりもなかった。
「……あなたは私の心から生まれた存在――私が”一度死んで”生まれた心の隙間から出てきた」
「……そこまで思い出しちゃったんだ。やっぱり同化しすぎちゃったか」
リーファが完全に目覚めたことで思い出した記憶――”自分が既に一度死んでいた”という事実。でも意外にも驚きはしなくて、むしろすべての辻褄があってむしろすっきりした。そんな気分だった。
……自分はあの日、あのネコの怪人に襲われて、死んだ。
そしてそのまま実験室へと運ばれ、止まった心臓に奇妙な石を移植されたのだ。――その結果、リーファが産まれた。
「……そうだよ、本当ならあなたを一度殺してからあの石の力で使役するつもりが私が産まれたんだよ。それも全て直葉ちゃんのせいでね」
直葉はリーファになにも返せなかった。
本来なら、自分は心臓に石をを移植された時点で消滅していたのだろう。ぼんやりとだが覚えている。埋め込まれ、意識が少しずつ戻りつつあったあの時、自分の心が二つに割れたような感覚を。
「――まだ死にたくない、もう終わってもいい。――もっと自由になりたい、剣道がしたい」
「「――お兄ちゃんと仲良くなりたい、もう会いたくない」」
この瞬間だけは、二人の声が重なった。
「……そっ、全て直葉ちゃんが自分に嘘ついてきたから、騙してきたからこんなことになったんだよ。自分の心に正直にならないから」
「……私は、嘘なんてついて、ない」
直葉自身、嘘はついていなかった。リーファが口にしたどちらも自分の心にあるもので否定しない。だが、それも全て自分で考え決断してきたのだ。そのことに後悔はない。……100%とはいいがたいが、今回は、それを、石に暴かれただけだ。
「……まぁ、今となってはどうでもいいけどね。おかげで少し楽しかったから。今日で直葉ちゃんを取り込んで、私一人になるから」
「そうはさせない……! あなたはここで私が止める」
再び、二人はぶつかりあった。直葉の培った経験と技術はリーファにも。リーファが得てきた人を超えた力は直葉にも、それぞれ保有している。元は同じ存在ゆえに手の内もわかっている。だからこそ、拮抗する。
互いが探りあい、読みあいになって勝負が進まない。リーファが特殊能力を使わないのも、向こうも使えるからこそ更なる泥沼になりかねないからだ。
勢いで折れそうなほどに竹刀がしなって空を斬る。直葉の気合十分の一発がリーファの手へと振り下ろされたのだ。
(もらった……!)
この機会を逃すわけにはいかなかった。この身に沁み込ませた技を今こそ使う時だと悟り、直葉はすばやく追撃に移った。
油断した。リーファからすればほんの僅かな息抜きだったが、相手はある意味自分そのものなのだ。その恐ろしさをもっと自覚するべっきだった。気づいたときには壁際で退路は無し。おまけに武器もないと、間違いなく詰んでいた。
「やあああぁぁぁぁぁぁ!!!」
思いのすべてを込めた一振り。音よりも早く、全力を乗せて振り下ろした切っ先がリーファの脳天へと叩き込まれた。強化された腕力によるそれは彼女の頭を砕き、脳を揺らした。
力なく崩れていくリーファの身体。それを見つめる直葉。大きな音を立て道場に転がった自分の片割れを見下ろして、竹刀が手元から滑り落ちた。
「終わった……これで、終わったんだ……」
勝った。自分はこの悪魔に勝ったのだ。これで全てが終わる。苦しみから解放されるのだ。
「……やった、やったよお兄ちゃん……!」
勝利の安堵からかふらふらと立ち上がり、リーファに背を向けた。先ほど別れてしまった兄と再会したい。その想いが膨らんできて直葉は静かに道場を去ろうとした。
――その背後で、倒したはずのリーファの指が、不気味に動いていた。
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