朝田詩乃は悪の組織に忠誠を誓う 作:名無しの猫
投票数が多いからその通りになるというわけでもないので悪しからず
もう何日も悩み続けているが答えは出そうになかった。
連日降り続く雨の中。和人はひたすら妹を探し、そして自分のせいでいなくなってしまった大切な仲間を探し続けていた。
あの日。直葉を見失い詩乃を自身の元から突き放してから、和人は一人拠点である廃バスへと戻った。
乱暴にドアを蹴破って上がり込んだ。突然のことに唖然とするコウモリたち。最近なにやら単独行動が多い深澄は今回もその姿はなく、困惑している彼らをよそに和人はアリスの前に立って、その胸倉を掴み上げた。動揺して宥めてくる周りなど無視で、目の前の少女を睨む。
「――知ってたんだな」
「あぁ、バレてしまいましたか」
「……!? お前っ……!」
悪びれることすらないアリスを和人は怒りのままに締め上げた。人間と怪人。どちらが強いかなんてとっくに思い知らされている。力を失っているとはいえ、彼女が本気で反撃すれば自分などひとたまりもないだろう。
それでも、和人は自分を抑えることなど、もうできるはずがなかった。大切な妹を傷つけられ、人としては殺されたも同然だ。我慢できるほうが人間として異常とすら思う。
怒りに燃える和人にアリスは身じろぎ一つすることなくて、ただ腕をだらりと落として、全身から力を抜いた。
「――殺したければ殺せばいい。石の力に惑わされていたとはいえ、私のしたことは到底許されない。言い逃れするつもりはありません」
「――っ、そうか、なら望み通りに……」
「だけど詩乃だけは許してあげてほしい。彼女は私とは違う、洗脳されていただけなのですから」
「そんな簡単な話かよ。あいつはスグを――」
「――自分の肉体を操られ、自らの意思に反して人を殺し続けた。かつての直葉のように」
アリスに言われ、和人ははっとした。
異なるパターンとはいえ、詩乃と直葉は似ていた。悪魔に人格を植え付けられたか、己の闇に呑まれたかの違いはあれど二人は共に自分とは異なる意思によりその肉体を利用されていた。やりたくないのに全てを破壊し、無理やりに人を殺すことを強いられていたのだ。
それがどれほど辛いことか。想像すらつかない。もしもここに妹がいたなら、きっと彼女を恨むなと言っていたに違いないだろう。
頭を殴られたような感覚がして。和人はアリスを掴んでいた手を離した。
辛い思いをしていたのは自分だけではなかったのだ。詩乃だって変えられない過去と罪悪感に苦しみ続けていたのだろう。そのことにも気づかずに、自分は…
和人はまたバスを飛びだして町へ駆け出していく。
一連の流れに置いてけぼりな仲間をよそに、アリスも和人の背中を追った。今、彼を守れるのは自分だけだ。詩乃がいない間にもしものことがあればきっと悲しむだろう。そんな顔はみたくなかったから。
唖然とする仲間に振り向くこともなく二人は姿を消した。
――それが、彼らとの永遠の別れになるとも知らずに。
※
激しい戦闘の最中、シノンは壁に叩きつけられた。すかさずアポロの拳が迫り、寸前で回避すればそれは壁にクレーターを作り次の瞬間粉砕した。
優位、とは言えないが劣勢でもない。以前よりアポロの動きを見切れるようになり攻撃もかわせるようになった。相手に捕まらぬように戦場を駆け回り距離を取り、矢を放つ。時折接近戦で唾競り合いをして波を作り敵の隙を伺う。
先日の完全敗北からは明らかに前進している。ただ、決定打には欠ける。矢も肉弾戦もいずれもアポロの装甲を削ることすら叶わず、決め手ともいえる。制御困難なあの力を除けば、今のシノンにはこの男を仕留めるほどの手札はない。反対にアポロの攻撃は軽いパンチでも致命傷になりかねず、回避にさえ徹すれば負けはしないが、勝つことも出来ないのだ。
「くっ……!」
弓を引き絞って矢に力を込める。誤射とはいえ、感覚は掴んでいる。以前のエネルギーの流れを再現しつつ、制御下を離れぬように調整していく。次第に矢先に光が宿り、力が漲る。
「いいだろう。射ってみろ」
余裕そうに無防備を晒すアポロに一泡吹かせてやろうと更に弦を引き狙いを定めた。勿論、狙うは奴の頭部。赤い兜に覆われたそこ。この近距離で高い威力を秘めた一発だ。絶対に外すつもりなどなかった。仮面の奥で睨みを利かせ、放った。
風を切る勢いで突っ込んだそれは狙い通りアポロの頭部へと直撃――する寸前で、受け止められ革質の黒いグローブの中で弾けて消えた。だが立ち込める煙を切り裂いてシノンが刃を振りかざす。
当然、これに気づかぬわけでも反応できないほどアポロは愚かではない。まるで初めから分かっていたかのようにシノンの首を掴み上げ、壁に叩きつけた。逃さぬように首から腕は離さない。
「少しは賢くなったと思ったが、学ばぬようだな。お前は俺には勝てない」
「さぁ、どうかしら……」
意味ありげにシノンが首を傾げた瞬間――アポロの足に鈍い痛みが走る。何かと目を向ければ丁度強化スーツの隙間に当たる関節に彼女の矢が刺さっていた。投げ捨てられたと思っていたはずの弓から放たれたそれが、今自分の足を貫いたのだ。
「……やっぱり、思ったとおりね」
アポロに掴まれたままも、シノンは勝ち誇ったように笑った。
「あんたも攻撃が当たれば痛みを感じる。それに、さっきの私の攻撃。いつもと違って防御したのを見るに、そのご自慢の耐久性も石の力に比べるとたいしたことはないみたいね」
その言葉で神経を逆撫でされたか、力のままに投げ飛ばそうとするアポロより早く腕から脱出してシノンは高台へと着地する。振り向き、自身より低い位置に立つ彼を見下ろした。
「あんたも絶対じゃない。私と同じで痛みも感じるし死ぬことだってある。他と変わらない。だから、あんただって倒せない敵じゃない」
脚に刺さる矢を引き抜くアポロを見つめてシノンは言い放つ。以前、自分と彼の差は絶望的なまでに開いたままで、今の矢が刺さったからと言ってアポロのダメージになったわけでも勝算が上がったわけでもない。だが、奴から血を流すことに成功した。この男も完全無欠の神というほどではないということだ。
「私の力は今も進化を続けてる。抑えきれないほどにね。これが全開すればあんただってただじゃすまないでしょ。だから、私を引き入れようとした」
シノンの言葉にアポロは何も言い返せなかった。
現状、彼女が全力を出してきたところで彼が負ける確率は限りなく低い。だがそれでも彼がシノンを引き入れようとしたのには理由があった。
それは先日、直葉との戦いに敗れ和人からも拒絶されたあの夜に、アポロは彼女の力も引き出そうとしたのだ。直葉同様にスイッチを入れ、覚醒を促そうとした。――だが、結果は失敗に終わった。
理由はわからない。彼女の潜在意識が拒絶したのか、それとも石の力が抵抗したのかは不明だが自分の力を弾くほどの存在に出会ったのは”あの女”を入れて二人目で、不思議で、初めての感覚だった。
もしも彼女が完全覚醒したとしても負ける自身はない。だが、個人的な興味もさることながら、是非ともこの少女を自分の支配下に置きたかった。もしかすると、いずれは自分どころかあの女すら凌ぐかもしれないのだから。
「――ふっ、ふはは、ははははは……」
アポロは悔しがるわけでもなく兜を抑えつつたまらないとばかりに笑い出した。仮面を被らずとも冷徹さそのもののようにも見える彼がこんなにも乱れるのは驚きで、シノンは不気味さを覚えた。
「確かに、俺の干渉に抗えたのはお前が初めてだからな。そこは褒めてやろう。――だが、お前は大きな勘違いをしている」
アポロの兜の奥――素顔でぎらつく獰猛な眼を輝かせ、シノンを睨んだ。直後、複眼越しだというのに直接見られているような感覚に陥って、意識が揺らいで、シノンの身体がよろめく。
「……俺とお前には大きな違いがある。……いや、
脳裏に直接響く声に流されるまま、シノンの意識はどこかへと飛ばされていく。
起きているのに夢を見ているようでいて――
――はっと我に返ったころには、見慣れた風景。よく知る荒野に立っていた。
姿も強化スーツから元の服へと戻り、今はシノンではなく人間である詩乃の姿へと戻っていた。
『――俺とお前では決定的に違うもの。まず一つは、そのくだらん人間としての情だ』
声がして振り返るも、そこには誰もいなくて。そして、自身の手が透けていること。微かに見える景色が若干ノイズ混じりなことに気づいた。
「……これは、幻覚……。それとも精神攻撃……?」
『どちらも正しくそして違う。これはただの記憶だ。俺の記憶――』
詩乃の身体を擦り抜けた白スーツの男。見間違えるわけがない、アポロの人間態だ。だが彼はこちらに気づく素振りすらみせずに歩き続け、真っすぐ目指すはあの廃バス。かつて、自分が仲間と暮らしていたあの場所。
「……っ、ま、まさか……っ」
奴が何をする気だなんて、もう明らかで。アポロの背を追いかけて走り、どんなに早く足を動かそうとも一向に前には立てなくて。何の障害もなくアポロはバスの扉を開けるとそこに居たのは大切な仲間たち。クジラ、コウモリ、ノミ、トゲウオ、そしてサチ。
なぜだかはわからないが、和人とアリス、深澄の姿はないが大事なのは変わらない。
たった数日会っていないだけなのに胸が苦しくなった。
仲間たちに会いたい。また拒絶されたとしても、もう一度その顔が見たい。
「匂うな。下劣な臭いに満ちている」
アポロはバスの中に入るや否や、ハンカチで口元を抑え罵った。何の感情のない無機質な瞳でそこにいる全員を見渡して、鼻で笑った。
「なんだテメェは、いきなり入ってきて」
無礼な訪問者にコウモリが反発する。突然やってきて住処を馬鹿にされたのだ、無理もない。だが、それはあまりに愚かな行動だった。
「……逃げて、逃げてコウモリ」
詩乃が決死に叫ぶも彼には届かない。そして、向かい合うように立つ二人の間に戦闘の気配が溢れ出した。
「……お前、人間じゃないな。何者だ」
「お前如きが知る必要はない。お前ら出来損ない如きがな」
「……なんだとっ?」
「ブラックサンはどうした?どうせなら顔を拝みたかったものだが、あてが外れたな」
「――彼女はここにはいない。だが、お前を彼女の元へは行かせはしない」
コウモリの横にクジラが並ぶ。アポロの出方を伺っていた彼だが、明らかにこちらの味方ではなく、深澄を狙う者となれば黙っているわけにはいかなかった。彼に続き、ノミとトゲウオ、サチもアポロに敵意を向ける。
「……だめ、皆戦っちゃだめ……!」
詩乃の叫びはやはり誰にも届かない。
その間にも彼らはアポロを囲み、逃がすまいと敵意をぶつけていく。
「――勘違いするな、それはついでだ。俺の目的は最初からあくまでお前たちだ。最初からな」
「……俺たち? どういうこと――「――俺の目的はお前たちの命だ」――っ!? 皆逃げろ!!!」
クジラの叫びも虚しく――その声よりも早く、その肉体は車壁を貫き吹き飛ばされた。怪人へと変わる隙すら与えぬ速度で、あらゆるものを破壊しながら地面に転がり伏せた。全身から血を流し、あまりの衝撃に皮膚が裂け、骨が覗き、内臓すらむき出しだった。
「……っ!? お前ぇぇぇ!」
クジラの姿を前にして、コウモリの怒りは限界を超えた。素早く怪人へと変わるとアポロに飛び掛かり、壁にぶつけた。親友を傷つけられてもう我慢などできない。怒りのままに拳を振るい、蹴りを浴びせる。
計らずもその隙に逃げていくサチ達。コウモリにはそんな姿見えてはいないが、とにかく無我夢中で激情を叩きつけた。
「終わったか」
――だが、コウモリの攻撃などまるではじめから効いていないかのように、アポロは彼の手足を抑えた。
信じられないとばかりに、驚愕に目を見開くコウモリ。異形とはいえ人間態であれば怪人の攻撃を受ければかすり傷程度の痕はつくはずだ。だが、彼の身体にはそんなもの欠片もなく、そのままの勢いで床に転がされた。
「がっ…………!?」
鈍い痛みに顔をしかめると、すぐ目に入ったのは今にも振り下ろされそうな拳。同じ動作なはずなのに、見るだけで自分とは威力も圧力も桁外れなのを直感的に悟った。
「……いや、やめてっ、コウモリ、逃げて……」
その傍に立たされ動けない、そもそも記憶の追体験である詩乃には何もできなくて。ただ、今にも殺されそうな仲間を見つめるしかできない。
そして、アポロの拳が容赦なく振り下ろされた。
「やめてぇぇぇぇぇー!」
叫び虚しく、断末魔すらあげさせずにコウモリの頭が弾けて、砕けた。それでもアポロは何度も、何度もかつて頭があった場所を殴り続けた。繰り返し、飽きることなく、白いスーツが血に汚れて、車内が真っ赤に染まっても構わず、永遠に。
「あ、あ、ああ、いやあああ……」
顔を覆い、目を背けてもその光景が鮮明に再生される。これはアポロの記憶を無理やり流されているのだ。抗えぬ彼女に拒否権はない。
「スーツが汚れた。新しいのに着替えないとな」
こうして長い間殴り続け、満足したのかアポロはバスを降りた。まるで何事もなかったかのように振る舞いながら。そして、彼はまだ止まらなかった。
「――あぁ、お前たちも待たせていたな」
廃バスを出てすぐ、その付近でまるで金縛りにかけられたように立ち止まったままのサチたちの元へと向かった。
「……っ、そんな、やめろ、もうやめて……っ」
最悪の光景を予測し、転がるように詩乃はバスを飛びだした。
「さっきのコウモリ擬きを見てわかった。お前たちでは俺の退屈しのぎにもならない。よってお前たちはこのままただ殺すだけにする」
彼らにとって死刑にも等しい宣告をアポロは無情にも告げる。あまりにも淡々としすぎて、現実味がわかないがこれは揺るがない事実で今すぐにでも逃げなければならない。サチは意を決して声を出した。
「……どうして、どうして私たちを狙うの?」
「答える必要はない。……だが答えてやる、あの女だ」
「……あの女、詩乃のこと?」
サチの答えにアポロは首を縦に振った。
「そうだ、だがお前がそれ以上知る必要はない。お前はもう、死ぬのだからな」
「……っ、そんなこと、させないっ!」
大切な仲間に危機が迫っている。そうとわかればじっとなんてしていられなかった。金縛りを振り切って、サチは蟹怪人へと変わった。彼女に負けじと二人も怪人へと変わり、アポロへと立ち向かっていく。だが――
「――何度も言わせるな。お前たちは殺されるだけだと」
――だが、彼らの抵抗は虚しかった。
アポロが一睨みした瞬間、彼らは同時に膝をつき、立ち止まった。全身が震え、気力が薄れていく。さっきまでは戦う気でいたのに、いきなり戦意が喪失していくような感覚に苛まれた。
「……な、なん、でっ、どうして……っ」
「俺とお前たちでは次元が違う。お前ら如きでは俺に触れることすら叶わない」
「がっ……!」
アポロはノミに強烈な蹴りを浴びせて地面を転がした。元より、戦闘用ではない彼にはこの一撃はかなり効いたようで一気に変身解除してドラム缶の山に突撃して生き埋めになった。
「ノミさんっ!?」
「ノミぃぃぃ!」
「うるさい」
ノミを案じる二人を蹴り転がし、今度はサチへと狙いを定めた。
詩乃もただ見せられているわけにはいかず、懸命に足掻くがどうにもできない。
「逃げて、サチ!」
「――死ね」
ただ一言、それだけ告げてアポロの拳が彼女の強固な胸を打ち、その全身を揺らした。たちまち泡を吹いて力なく倒れるサチ。その姿を見て、堪らずトゲウオは駆け出した。
「うっ、うわあああああー!」
外聞もなくトゲウオは逃げ出す。戦闘要員でもなく戦意を喪失した彼に立ち向かうことはできない。仲間たちがやられて悔しいのは彼も同じ、だが同時に自分では勝てないこともわかっている。なら勝てるかもしれない相手――例えば世紀王も地位に立つ二人であれば勝てるかもしれないと考えて、走り続ける。
詩乃はトゲウオだけでも逃げ出してくれたことに安堵していた。でも――
「――愚かな男だ。それでも怪人か」
――アポロが逃がす通りなど、欠片もなかった。
彼はその近辺にあった屋台――トゲウオが何より大切にしていた屋台から、暖簾を支える柱を外すと、無造作に投げた。
さながら槍投げのように、鮮やかに放物線を描き――トゲウオを真っ二つに分断した。
「――えっ」
あまりにも自然に、当然かのようにあっけなく奪い去られた命を前にして、唖然とするしかない。
こんなにも仲間の命は軽かったのか、そう思わざるをえなくて。怒りを通り越して、何も浮かんでこないのだ。
全員を片付け、次は
「……い、行かせない……っ」
彼の足を掴んだのはサチだった。未だ彼の精神攻撃の術中に嵌まりながらも、それでも、仲間を守るため彼女は覚悟を決めた。ショッカーで非道な扱いを受け、化け物に変えられた自分に優しくしてくれた、暖かな居場所をくれた彼らを守りたかった。なによりも大切な仲間たちを傷つけさせはしない。そのためなら、命すら惜しくなかった。
「――いい覚悟だ。面白い、お前は特別にもう一度殺してやろう」
アポロはしがみつくサチを向き直ると彼女を静かに見下ろした。その顔には珍しく笑みが浮かんでいて、詩乃は嫌な予感を覚えた。
どこからか召喚したレイピアを片手に、残忍に笑った。
「喜べ、貴様は怪人としてはじめて我がアポロフルーレの錆となれる名誉を得るのだからな」
邪悪に歪むアポロを前にしてもサチは毅然と抗った。それが却って彼の嗜虐心を刺激するだけと知りながらも、それでも辞めなかった。レイピアが振り上げられるその瞬間でもそれは変わらない。
「……だめ、だめぇぇぇ!」
もう無駄だと何度も思い知らされたはずなのに詩乃は叫んだ。叫ばずにはいられなかった。
「逃げて、サチー!」
――だが、アポロのレイピアは残酷にもサチの腕を切り裂いた。一切の慈悲も躊躇いもなく、その切り取られた部位を宙に飛ばした。
鮮やかなまでに弧を描くそれを見て、詩乃は目を見開く。声にならない悲鳴が、叫びが喉を貫いた。
それからもアポロの暴挙は止まらない。その後もサチの全身を彼は斬り刻み続けた。
足を。
腕を。
腹を。
胸を。
その度に鮮血が、肉片が飛んでまき散らされて、辺りを汚していく。
「……やめて、もうやめてよぉ……。いやっ」
もう限界で。詩乃は泣きながら目も閉ざし、耳を塞いで蹲った。それでもアポロの記憶は流れ続けるが、見ていられなかったのだ。
しばらくして、アポロが動きを止めた。そして、視線がどこかへと向くと、つられて詩乃の視線も向く。
「……っ!?」
そこにいたのは和人だった。無惨にも殺された仲間たちの屍を前にして、彼の手に持っていた荷物が落ちる。
「……一体、なんだんだよこれ。お前はだれなんだ……っ」
「和人、離れて!」
アポロの元へ行こうとする和人をアリスが制す。割り込むように前に立ち、対峙する。彼女には正面の男が”たた者ではない”ことがわかった。
「よかった。待つ手間が省けた。だがもう疲れた。お前たちはこのまま連れていく」
「――っ、何を意味の分からないことを――「――眠れ」」
アポロのその一声だけで、和人はその場に倒れた。アリスも必死に抗ったものの結局は力及ばす「お前は、そうかお前が……」と言い残し気絶した。
倒れ伏した二人をアポロは静かに抱えると――見えるはずのない、詩乃が立つ場所を見つめ残酷な笑みを浮かべた。
「――戻れ」
その言葉でシノンの意識は覚醒する。が、その場から一歩も動かずただ拳を震わせるばかりで。
「お前の仲間は俺が殺した。そして、残る仲間も俺が預かっている。抵抗すればどうなるかは、わかっているな?」
アポロからすればこれは単なる保険と彼女へのためだった。
シノンが人間の心を取り戻し、人間の少女のためにスパイダーを撃破した話は知っている。その後も彼女は人間のため、仲間のために戦っている。――ならば、それは弱点だ。
完璧なる自分とは違って彼女には人間のくだらない情が残り、そこが強みであると同時に弱みなのだ。
彼女の仲間を捕まえておけば、シノンは本気を出せない。そして、そんな弱さを少しでも削ってやれば彼女はより強力な存在――自分と同格へと更に近づくだろう。
だが――
「ふざけるなぁぁぁぁぁー!」
それは彼女には逆効果なのだ。全身から蒼い光を放ちアポロ目がけて飛びかかる。だが、この攻撃は彼を相手にするにはあまりにも愚かだった。
「――ほらな、それがお前の弱点だ。仲間などという物に惑わされる」
アポロは冷静に構え、迫り来る彼女の身体――ガラ空きになった強化プロテクターめがけ強烈なパンチを叩き込んだ。炸裂。本来なら決して破壊されることがないように作られたそれはいとも容易く粉砕され、強烈な衝撃と内臓を軋ませるほどの一撃にシノンは弾丸みたいに吹っ飛んだ。
「ごっ、ぎやぁぁぁ……!?」
意識が眩む、どころか消し飛ぶほどの威力に仮面の中で白目を剥いた。間違いなく幾つかの強化臓器は潰れ、人工筋肉もちぎれて、合金の骨も折れたが、それでもシノンは負けじと立ちあがろうとする。
ここで引くわけにはいかない。仮面もひび割れて内部では黒と青が混じった髪色と目になって狂ってしまったが止まる気はしなかった。
「しつこい奴だ。お前は走るか止まるか極端だ。一生止まっていろ」
アポロは呆れたようにレイピアを振るう。途端、彼女の足関節から血が迸った。剣圧が、シノンの足を切り裂いたのだ。切断、とまではいかずとも自力では決してくっつかないほど深く抉るように切り捨てた。
「……ぎっ、うわぁぁぁ」
痛みももう感じないくらいに全身の感覚がない。その中で、ただアポロへの怒りだけを原動力に前へと進もうともがき続けた。
「……やるっ、殺して、やる……! ……必ず、ころして、やる……っ」
目を血走らせ、憎悪のままに這うように足掻き続けた。だが、無情にもアポロの元に辿り着くことは出来ずに、次第にぼやけていく視界の中、遠ざかっていく奴の背中だけが焼きついていた。
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