「え!? 父さん転勤するの? こんな時期に!?」
僕は驚いて叫び、父さんの顔をマジマジと見直した。
今年40歳になる父さんの髪には白いものが混じり始め、目の周りのシワが大分目立ち始めていた。
その父さんが僕の非難の声を受けて少し顔をしかめた。
古い公務員宿舎の壁はおんぼろで薄くて防音性能は低い。
さっきの僕の声が両隣の部屋に響いたなら、あとで苦情が来るかもしれないからだ。
「あぁ……急な話ですまんとは思うが、
「えええ? 僕、中学で友達できたばっかなんだけど? この時期に転校するの? 父さんだけ単身赴任とかできないの?」
今は4月中旬だ。
中学の入学式が終わって、級友の名前と顔がようやく一致し始めたばかりだったりする。
それが全部ぱぁになるのは正直勘弁してほしい。
「父子二人暮らしでそんな訳にいくか。この宿舎だって出なきゃならんしな」
父さんの複雑そうな表情を見ると、この時期外れの異動に父さん自身も納得がいってないのかもしれない。
◇◇◇◇◇◇
──という会話を父さんとしたのが先週のことだ。
そして僕は今ここにいる。
「
僕はそう言って、今日から新しく級友になる女子たちに頭を下げた。
下げた頭の目の前に映る教室の床は、使い込まれ年季の入った
いや、床だけじゃない。柱も壁も窓枠も全部木製だ。
木造の校舎なんて僕は初めて見た。
だけど校舎の物珍しさなんか、この教室の中にいる6人の女子への驚きに比べればまるで大したことはない。
正直、動揺して声が震えかけた。
「はいっ! かっちゃん、あたし
教室で一番前に座ってた髪の短い女の子が、右手を上げながら勢いよく立ち上がった。
肩で綺麗に切り揃えられた黒髪が、頭をくるくる動かす度に解けるように揺れて、大きくて丸い目が嬉しそうに僕を見ている。耳から顎にかけての丸いラインがまだ小学生の時の名残のように子供してるけど、紛うことなき美少女だ。そして大人になれば間違いなく絶世の美女になると思う。
僕の12年の人生の中で出会った女の子の中で、彼女が間違いなくトップだ。
さっきまでならそう思った。
「ちょっと、己紗! 今は
教壇で僕の隣にいた石塚先生が石塚己紗さんを注意した。
名字が同じだし生徒をあんた呼ばわりしてるし、もしかして姉妹だったりするんだろうか?
あ、親戚の可能性もあるのか。
うん、二人の顔を見比べるまでもなく同じ血筋だ。石塚己紗さんが成長したら間違いなく石塚先生の顔になる。卵型の顎のラインがすごく綺麗だ。髪型が同じなのに石塚先生は超綺麗、石塚さんは超可愛いという差があるのも面白い。
叫びたくなってきた。
父さん、転勤してくれてありがとう!
見たこともない、父さんの上司にも是非感謝を伝えたい。
そしてさようなら、前の中学校のできたてほやほやの友人たちよ。
ごめん、もう顔も思い出せない。
石塚先生と石塚己紗さんに見とれていると、石塚先生が「こほん」と咳払いした。
そういえば、自己紹介が途中で止まってた。
自分の名前しか言ってなかったもんな。
えーっと、自己紹介自己紹介。昨晩一生懸命考えておいたのだ。
「……えっと、こちらに来る前は東京のH中学に通っていました。二週間くらいだけど。それで父が急にこの村の役場に転勤することになったので、僕もくっついてこの村に引っ越してきました。東京とは環境がもう全然違ってて……正直分かんないことだらけなんで色々教えてください」
よし。なんとか言えた。
ふーっと息を吐いたところで、己紗さんが手を上げた。
「かっちゃんの趣味って何?」
あ、そうか。
自己紹介だもんな。
「えっと、趣味はゲームとか好きだし、スポーツも好きで割と何でも得意です。本を読むのも好きで推理小説とか結構読みます。面白そうなのは何でも手を出してます。他に聞きたいことある?」
途中で質問を挟んできた石塚己紗さんに問いかけた。
そしたらにっこり笑ってた。もう十分ということか。
「はい、十分よ、
石塚先生がそう言うと、最前列に座っていたもう一人の女子が席から立ち上がった。
この子も実は気になってた。
なぜか彼女だけ金髪碧眼なんだ。
それに身長が140cm……もないし、ぺったんこに寸胴。
とても中学生には見えない。
「
天使か。
自己紹介を終えた石神さんが椅子に座ろうとすると、長い金髪がふわっと拡がって背中に天使の羽が見えたような気がした。
石塚己紗さんとは方向性は違うけど、とんでもなく可愛い。骨の造形からして可愛らしい。洋画でもドラマでもこんな可愛い白人少女見たこと無い。見とれるくらい美しすぎる。
僕が見つめ続けているのに気づいたのか、天子ちゃんはちょっと顔を赤らめて俯いた。
天使か。
「じゃあ次は私かな?
そう言って、石川先輩は両腕を振って走る真似をした。
背中の真ん中くらいまでの長いポニーテールがぽよんぽよんと揺れた。
身長は僕より高いかな。
タレ目で鼻が低いけど、むしろそれが愛らしさに輪をかけてる。
天子ちゃんとはまた違う種類の可愛らしさがある。
いや先輩なのに可愛らしいとか思っては失礼か。
でも少なくとも転校前の学校にいた女子数百人より石川先輩の方が絶対に可愛い。
ところでさっきからなんでみんな僕を下の名前で呼ぶんだろ?
距離詰めるのが早すぎない?
それとも田舎だとこれが普通なのだろうか?
石川先輩が僕に手を振ってポニーテールを揺らしながら席に座ると、今度は石川先輩の隣の女子が立ち上がった。
「はい! 私は
「ひどーい! 捺那は捺那で足、超遅いじゃん」
「ええい、一枝うるさい」
この人も2年生なのか。小石先輩、か。
身長は僕と同じくらいかな。多分157cmか158cmくらい。
髪をまとめて後ろで束ねていて、丸く団子のように織り込んでる。
少し吊り目で凛々しくて、この先輩もやっぱり美人だ。
一体何なんだ、この学校。
可愛い子と美人しかいないのか。
「では最後に3年の私たちね」
3列目に座っていた二人の女子が立ち上がった。二人共同じ顔をしている。二人共サイドテールをふわふわにした感じの髪型で、どちらも胸が大きい。
もうね、中学生離れしている。
……というかグラビアアイドル並に胸が大きくない?
「
江莉夏先輩が右のサイドテール。祐里佳先輩が左のサイドテールか。
髪型を揃えられたら区別できないな……。
しかし……6人の女子全員が前の学校ならぶっちぎりトップの美少女とは。
しかもクラスで一番とかじゃなくて学校で一番のレベルだ。
「はい、みんなありがとうね。最後に私、
「あ、はい。よろしくお願いします」
僕は改めて頭を下げた。
「それで何か聞きたいことある?」
ちょうどいい。
聞いておきたかったことがあったんだ。
「……あの、先生もそうですけど、なんでみんなジャージ着てるんですか?」
◇◇◇◇◇◇
「よっと」
ジャージの袖に腕を通す。
新品のジャージの感触が肌に心地よい。
隣の教室は使われていなかったので、そこで学生服からジャージに着替えている。
この木造校舎、生徒が6人しかいないので教室の大半が空き教室になってる。
石塚先生から手渡されたジャージにはこの学校の校章が刺繍されていて、生地も上質だし、青に白のラインの入ったデザインも悪くない。
……しかしまさかだよなぁ。
学生服を着るのは入学式と卒業式くらいだったなんて。
田舎の学校との違いを改めて実感する。
これからはこのジャージが普段着になるのか。
校内でも校外でもこれがデファクトスタンダードウェア!
……ちょっとテンションが高くなってしまった。
ジャージに着替え終わったので先生のいる教室に戻ると、石塚己紗さんがすぐに振り返ってきた。
「かっちゃんお帰り〜。ジャージ似合ってるよ〜」
と、なぜかイェーイイェーイと言いながらピースサインをしてくる。
正直反応に困る。これで出会って10分なんだよな。
距離感が異常なくらい近い。
石塚さん個人だけじゃない。
全員僕を下の名前で呼んでくるし。
「ああ、ありがとう石塚さん」
「ブー!! 己紗! はい復唱!」
……確かにこの雰囲気で名字呼びはあり得ないか。
郷に入りては郷に従えって言うしな。なんか違う気もするけど。
「分かったよ、己紗……さん」
「さんもいりませーん!」
「えっと……己紗」
己紗が大きく頷いた。
どうやら満足したみたいだ。
「もういいかな? はい、じゃあ和くん。これが1年生の教科書だから渡しておくね」
「あ、ありがとうございます」
最前列の僕の机の上に真新しい教科書が何冊も重ねて置かれていた。
一番上の数学の教科書を手に取って、ぱらぱらと中身を見る。
「……やっぱり教科書が違うんですね」
「もちろん学校によって使ってる教科書は違うわよ? 地域の事情があったりして、市町村単位で採択する教科書は違ってくることが多いし、
「……そうなんですね、分かりました」
「では和くんに納得して貰えたところで」
石塚先生が教壇の前で嬉しそうに両手をパンっと打ち鳴らした。
「はい、皆さん! 我が校はようやく待望の男子を迎え入れることができました!」
パチパチパチと教室に7人の拍手の音が響く。
おざなりの拍手じゃなくて、バチコンバチコンと引くくらいの本気の拍手している女子が何名かいる。
違った、よく見たら全員だった。
「ついては本日は時間割を大幅に変更して、午前中全て! 4時限分全てを保健体育の時間とします!!」
「「やったぁああああ!!」」
後ろの席の江莉夏先輩と祐里佳先輩が両腕を突き上げ、ガッツポーズしながら絶叫した。
「は?」
「では各自、教室の後ろの棚からプレートを持ってくるようにっ!」
石塚先生の宣言と同時に6人の女子が弾かれたように立ち上がり、先生と一緒になって教室の後ろに向かってダッシュする。
「は?」
「花胡せんせー! プレートが埃だらけなんですけどっ!」
何人かの女子が叫んでる。
「各自、雑巾で拭いてくださーい!」
石塚先生がすぐに答える。
そして6人の女子と先生が雑巾を片手に教室を飛び出していく。
何が起こっているのかさっぱり分からないまま僕はしばらく呆気に取られていたけど、遠くから響いてきた水の音で我に返った。
そういえば、教室を出て右に行ったところに水飲み場があったっけ?
違う、そうじゃない!
僕だけ完全に置いていかれてる。
みんなと一緒に行動しないと。
だけどプレートって一体何だ?
僕は遅ればせながら椅子から立ち上がり教室の後ろにある棚に駆け寄った。
それらしきものはすぐに見つかった。
「……なんだこれ?」
教室の後ろに設置されてる棚には20枚ほどの黒いプレートが置いてあった。
大きさは横30cm、縦25cmで厚みは1cmくらいか。
結構な大きさがある。そして埃だらけだった。
かなり長い間使われていないか、もしくは一度も使われなかったのか。
「……タブレットかな?」
前の学校で教材として10インチのタブレットが配布されたけど、それとは全然違う。
金属でもプラスチックでもなく工業製品に付き物の感じというか匂いがしない。
まるで真っ黒な……石板のようなもしくはガラス板のような?
角は丸く滑らかにフチが取られていて、つるつるのガラスのような表面をしている。
そしてスイッチらしきものが見当たらない。
「コレ、一体なんだろう?」
◇◇◇◇◇◇
「はぁー……いよいよなのね」
きゅっという音を響かせて黒いプレートを磨き終った石塚先生が満面の笑みを浮かべた。
僕を除いた6人の女子生徒も全員ご機嫌の様子だ。
みんなの机の上にはピカピカに磨かれた黒いプレートが置かれている。
僕の机の上にも、先生の教壇の上にもだ。
「あの、石塚先生」
右手をゆっくりと挙手する。
「なに? 和くん」
「これって何ですか?」
黒いプレートを指差しながら石塚先生に聞いてみた。
「おちんちんプレートよ?」
「は?」
いかんいかん。
幻聴かな?
「すいません、急に耳が悪くなったようなのでもう一度言って頂けますか?」
石塚先生は首を少し傾けると、大きな目をパチパチと瞬かせた。
僕の問い返しがそんなに意外だったのだろうか?
それにしても睫毛が凄く長いんだな石塚先生。
その石塚先生がにっこりとほほ笑んでもう一度言い直してくれた。
「
ちょっとお目にかかれないレベルの美人女教師石塚先生は、その瞳をキラキラと煌めかせながら「おちんちん」と連呼した。
そのちょっと現実離れした光景に、僕は田舎と都会の差を強く実感するのだった。