「買い出しに出かけるから和志もついて来るか?」
朝食を食べながら父さんが僕にそう言った。
僕にコレといった予定はなく、学校で新しく友だちになった彼女たちと約束しているようなことは何もない。
つまり僕は暇だ。
一人残っていたところでせいぜい近所を散歩するくらいか。
学校のみんなの家にアポ無しで遊びに行けるほどまだ親しくなって……なってないよな?
まだ転校してきて数日しか経ってないのにみんなやたら距離感が近い。
だけど僕の方の距離感がまだそこまで近づいてないから、戸惑ってばかりのこの数日間だった。
僕としてはゆっくり仲良くなれればいいかな、くらいなんだけど。
さてどうしようか。
誰とも約束なんかしてないけど、急に押しかけて遊んでくれそうな人は……江莉夏さん、祐里佳さんの顔が浮かんだ。それに何故か花胡先生の顔も。
先生? 先生と遊ぶなんてあり得な……くもないのか。
「…………」
空気清浄機の静かなファンの音がリビングに響いて、微かな風の流れを感じる。
静かすぎるよりむしろ心が落ちついて、考え事をするのに向いているかもしれない。
お椀の底に少し残っていた味噌汁を飲み干して一息つく。
「うん、行くよ」
僕は父さんに向かって頷いた。
◇◇◇◇◇◇
「ゴーグルよし、マスクよし」
玄関のドアを開ける前に父さんが掛け声をかけて確認している。
この村に引っ越してきてから父さんが始めた習慣だ。
知らない人間が見たら不審者に見えるに違いない。
マスクの両端を引っ張って緩みがないのを確認したら、今度はゴーグルに隙間ができてないか確認を始めた。
父さんはもっと大雑把な性格だったのに、随分と神経質だ。
……もう息子の僕から見ても立派な不審者だな。
花粉を防ぐ装備に隙間がないことを確認してようやく父さんも安心したのか、宿舎の扉を開けて駐車場に向かう。
僕も父さんの後に続いて車の助手席に乗り込んだ。
この白い車はファミリー向けで3年前に父さんが新車で買ったものだ。
最大で7人も乗れるけど、うちは僕と父さんしかいないから後ろの座席は常時倒してあって、荷物を運ぶための車に成り果ててる。
父さんが車のエンジンをかけると、微かな振動が伝わってきた。
「和志。シートベルトかけなさい」
「はーい」
宿舎の駐車場を見渡しても、駐めている車はウチの1台だけだった。なんか凄い贅沢なスペースの使い方だよなと思っているうちに、車は宿舎の前の道路に出て、村の中央を東西に貫通している幹線道路に向かって進んでいく。
車の窓に映る景色がゆっくりと後方に流れていく。
幹線道路から離れた場所はほぼ田んぼと畑だけだ。
道路沿いには民家がそれなりに建っていて個人がやってる小さなお店をそれなりに見かける。
山の中の村としては人口は多いのだろうか?
……僕には判断がつかないな。東京とは比べること自体が間違ってるだろうし。
やがて車が幹線道路を走り始めた。
道路沿いに小さ目のスーパーが1軒建ってて隣にホームセンターみたいなのもある。
……やっぱり田舎だよなぁ。
車はやがて集落を抜けて、本格的に山道を走り始めた。
「……そういえば、聞いてなかったけどここってどの辺なの?」
道路の案内図みたいなものもさっぱり見かけないし、引越し先の住所すらまだ僕は知らされてない。
「あぁ、和志には言ってなかったっけ?」
ハンドルを握りながら父さんが呑気に言う。
「うん、聞いてない」
「悪い悪い。……そうだな、ここは日本で言うと長野と静岡の県境あたりかなぁ」
「……ほんとに山の中なんだね」
日本地図をおぼろげに思い出しながら僕は溜息をついた。
「今向かっているのは長野県のI市だ。1時間以上かかるだろうから寝ててもいいぞ?」
「いいよ、起きてるから」
父さんは僕の態度の何かが面白く感じたのか、上機嫌に笑っている。
こっちに引っ越してくる時に僕は車の中で爆睡してたからかな。
◇◇◇◇◇◇
「あれ? 検問だ」
「ほんとだ」
30分ほど山道を走っていると、前方にパトカーが数台止まっているのが見えた。
赤いランプがくるくると回っていて、女性警察官らしき人が何人も光る警棒を掲げながら止まるように指示を出している。
父さんは車の速度を落として徐行させ、「止まれ」と書かれた赤いプラカードを持った女性警察官の前でゆっくりと停車させた。
運転席側の窓ガラスを開けると女性警察官がすぐに身分証明書の提示を求めてきた。
「長野県警です。身分を証明するものを御提示願います」
「えーっと、これでいいですか?」
父さんが首から下げていたカードホルダーを女性警察官に渡した。公務員の職員証で写真付きのやつだ。
「はい。えーっと
ヘルメットを被った女性警察官が受け取った職員証を見ながら、首から下げていたタブレットで何か操作している。
「はい、確認が取れました。あの、すみませんがマスクとゴーグルを取って素顔を見せていただけませんか?」
父さんがマスクとゴーグルを外して素顔を見せると、女性警察官は頷いて職員証を父さんに返した。
「はい、問題ありません。そちらはお子さんでしょうか?」
「ええ、息子の和志です」
「はい、和志くん……ですね。大丈夫です。同じく問題ありません」
タブレットを操作している女性警察官が僕ににっこりと微笑んだ。
30代半ばくらいのふっくらした人で笑顔に愛嬌がある。
「こんな山の中で何の検問なんですか?」
「ごめんね、和志くん。秘密だから答えられないの」
「そうなんですか」
「ではお通りください。ご協力ありがとうございました」
道路を塞いでいた数名の女性警察官が道端に寄ってぺこりと頭を下げた。
◇◇◇◇◇◇
背後に消えていく検問をバックミラーで見ながら父さんが呟いた。
「高速道路にはカメラが仕掛けられてるだろ? だから追跡されないように下道を通って移動する犯罪者とかがいるんだよ、多分それだな」
「へー」
山道を車が進んでいく。
変わり映えのしない緑色の景色を眺めながら、父さんと軽く会話を続ける。
話題はもっぱら学校の話だ。
「で、その天子ちゃんというのは神社の娘さんなんだって?」
「うん、珍しいよね。西洋人が神主さんだなんて」
「そうだなぁ」
──ザ、ザザ……
今までまったく入らなかったラジオから急に音が流れ始めた。
古いポップ音楽だ。
「ラジオが入り始めたか。じゃあそろそろ山道を抜けるかな」
父さんがそう言った途端、フロントガラスの向こうの視界がぱぁっと開けた。なだらかな下り道の両脇には果樹園が拡がっていて、その先に市街地が見える。
「うん、後少しだな」
◇◇◇◇◇◇
「父さん。そんな大きな冷蔵庫、本気で買うつもり?」
I市の大手の家電量販店で、父さんが540Lの大型冷蔵庫を購入しようと店員さんと値引き交渉をしている。
「数日暮らしてみたけど冷凍庫のサイズが大きいのが絶対に必要だと思ってな」
「まあそうかも知れないけどさ。今使ってるのの3倍くらい大きいじゃん」
「知らんのか? 冷蔵庫って大きい方が効率がいいんだぞ?」
「まあそうかも知れないけどさ」
どうしても反対ってわけじゃないけど。
「ねえ、父さん? 時間がかかりそうだし、ゲームとか本とか見てきていい?」
「ああ、いいぞ。だけど店の外には出ないようにな」
「うん、分かってる」
父さんに手を振りながら、僕は店の2階へ移動した。
この大手量販店の2階は結構大きな書店になってるんだよな。
雑誌、漫画、文庫本の棚を通り過ぎて、ようやく学習参考書の棚を見つけた。
中学1年生の数学、理科、社会の問題集と2年生の参考書の中身をパラパラと流し読みして良さそうなのを選んでいく。
先生が黒板の前でたくさんの生徒たちに授業するというスタイルだったらこんなもの必要ないんだけど、これからは自習によって勉強が進んでいくからな。
多分だけど、僕は数学と理科は今年の夏前には1学年の範囲を終わらせてしまうと思う。
なのできっとこれらの参考書や問題集が必要になる。
普通の授業なら先生の授業を暇そうに聞いていればいいだけなんだけど、自習だとそうはいかない。
問題集も一杯買っておこう。
◇◇◇◇◇◇
「……随分買い込んだな。和志がそんなに勉強が大好きだとは思わなかった」
「この中学ってほぼ自習形式なんだよ。進みすぎたからって遊んでるわけにもいかないしさ」
「ああ、そうか。学校の授業って遅い子に合わせてるからなぁ」
「それにゲームも買ったし」
「ははは、そうか。ああ、参考書代は父さんが出してやろう」
「ほんと? ありがとう、父さん」
市内のファミレスで昼食を取った後、また車に乗る。
もう用は済んだのでこれから村に帰るんだ。
冷蔵庫は後日配送されるらしい。
「そういえばサイクルショップも見かけたけど、自転車は買わなくてよかったのか?」
帰り道、山道の手前くらいで父さんが聞いてきた。
「いいよ。村はそんなに広くないし。村以外のところへ行こうとしたら逆に遠すぎるみたいだし」
「たしかにそうだなぁ……。まあ必要になったらまた買い出しに出ればいいだけか」
車が山道に入るとラジオも入らなくなった。
右も左も緑に覆わてていて、アスファルトで塗装された道路だけが文明を感じさせる。
行きの時に父さんと色々話したせいで、話題が尽きてしまった。
父さんも僕も無言でいる時間が長い。
「あ、検問だ」
「ああ、午前中と同じ場所でずっとやってるんだな。警察の人も大変だなぁ」
赤い「止まれ」のプラカードを持った女性警察官と警棒を持った女性警察官が止まるように合図を送ってきてる。
午前中と全く同じだ。
「よく見たら奥の方に簡易トイレまで置いてあるよ?」
「んん、ほんとだな。しばらく検問続けるのかねぇ」
パトカーの影に隠れてオリーブ色のトラックが駐められて、最初の印象より結構な人員がいるようだった。
車の窓を開けて父さんが職員証を手渡すと、午前中と同じようなやり取りの後、別に止められることもなく僕たちの車は検問を通過した。
道の両側に生い茂る緑にいい加減うんざりし始めるころ、山道を通り抜けた僕たちの車は村の集落に差し掛かった。
「あれ?」
「どうした、和志」
「あのちょっと丘みたいなところに神社があるでしょ?」
「ああ、石神神社だな」
「麓の階段のところに誰かいたような気がした」
「へー……もしかして例の金髪の同級生、神社の娘さんだったっけ? なんなら寄ってみるか?」
◇◇◇◇◇◇
石段の傍の邪魔にならないところに車を駐めて、神社の階段を父さんと二人で上り始めた。
「……きついな、これは」
「父さん、まだ100段くらいしか上ってないよ?」
「……すまん、父さんはもうダメだ。父の屍を超えて和志は前に進め。絶対に振り返るな」
「馬鹿言ってないで上ろうよ。もうあと半分もないしさ。それに父さん、もっと普段から運動した方がいいよ?」
「……うう、ちょっとだけ休ませてくれ」
「ちょっとだけだよ?」
「言っとくがマスクして運動するのって無茶苦茶キツイんだぞ……」
「もうだめだ、太ももが」「──くっ! 膝に矢を受けてしまった。これは致命傷だ」と馬鹿なことを言い続ける父さんのお尻を物理的に押しながら、ようやく境内まで上り切る。
朱く塗られた鳥居の前で一礼してから下をくぐり、少し進むと綺麗に掃除された参道の奥に拝殿が見えた。
「ほう……随分と立派な御神木だなぁ」
荒い息を吐いて両膝に手を付いた父さんが、境内の中央にそびえてる楠の大木を見上げて感心したように呟いた。
でも僕は御神木より参道に沿って並んでる石造りの変なオブジェの方が気になる。
一部は苔むしていて随分古そうだ。
「父さん、コレ何?」
「ああ、男根を象ったものだな。この神社はいわゆる生殖器崇拝なんだろう」
「生殖器崇拝?」
「別に珍しくないぞ。日本はもちろん世界中至るところにあるしな。子孫繁栄とか家畜が増えるのも結局そこに行き着くからな。豊饒の恵みの象徴なのさ。日本神話にも子宝の神様とかがたくさんいるだろう?」
太く短い男根を模した石像。
細く長い男根を模した石像。
様々な石像が参道に沿って立ち並んでいる。
「へー、なるほど」
どこかの宗教も地に満ちよとか言ってたし。
「せっかくだ、ちょっとお参りして行こう。立入禁止ってわけでもないだろうし」
参道の右端を歩いて手水舎で両手と口を清めた後、賽銭箱に硬貨を入れる。
父さんに促されるまま紐を引くとガランガランと鈴が鳴った。
「えっと、願い事とか言ったほうがいいのかな?」
「ああ、お願いしてみるといい。願い事が叶うかもしれないぞ?」
父さんが含むところの有りそうな顔をニヤニヤさせながら答えた。
じゃあ、学校のみんなと仲良くなれますようにって祈っておくか。
二拝二拍手して参拝を終えた僕と父さんは、二人で境内の中を物珍しそうに歩き回る。
ぐるっと一周回ろうとした時、箒を持った金髪の少女が建物の影から現れるのが目に入った。
「あれ? ほんとに
「こんにちは、和兄ちゃん」
陽の光を蓄え眩く光る金髪が白と朱の巫女衣装にふわりとかかり、白い陶磁器のような整った容貌をした石神天子が、その碧の目を嬉しそうに細めながら僕に微笑みかけた。
◇◇◇◇◇◇
「やっぱり下で見かけたのは天子ちゃんだったんだね。お掃除してるの?」
「うん、ここウチの神社だし。お休みの日はも本殿と境内も掃き掃除してるの」
「偉いねぇ、うちの和志とは大違いだ」
父さんが天子ちゃんを感心したように褒めている。
「そ、そんなことないよ。僕だって部屋の掃除くらいするし」
「ほう、そうだったかなぁ?」
父さんが茶化すように言いながらゴーグルとマスクの向こうでニヤニヤ笑っている。
あぁ、ダメだ。
父さんが天子ちゃんの前で僕を弄り倒す気でいる。
「と、父さんはもう先に帰っててよ。僕は天子ちゃんと話があるから」
「そうかそうか。父さんはおじゃま虫か。天子ちゃん知ってる? さっき和志はここの神様に天子ちゃんとすごく仲良くなりたいって願ったみたいなんだよ」
「ちょっ!?」
父さん、何を言い出すんだ!?
少し当たってただけに自分の顔が赤くなるのを感じた。
天子ちゃんもいきなりそんなことを言われたからか顔を真っ赤にしてしまっている。
白磁のような透き通った頬に赤みが差したのを隠すように天子ちゃんが俯き、目を伏せてしまう。
「おっと、天子ちゃんも満更でもなさそうだ。良かったな和志」
「帰れっ! 父さんはもう帰れ!」
これ以上変なことを言われたらたまったものじゃない。
「ははは、そんなに二人きりになりたかったのか。じゃあ父さんは帰るけど和志は帰ってくるのはゆっくりでいいぞ」
◇◇◇◇◇◇
──沈黙が辛い。
上機嫌で去っていった父さんが引っ掻き回していったこの空気。
どうすればいいんだ。
「ご、ごめんね。僕の父さん、ちょっと馬鹿でさ」
「う、ううん。大丈夫だから」
「「…………」」
話題は何かないか?
考えろ、僕。
「そ、そうだ。掃除してるんなら僕も手伝おうか?」
「い、いいよ。午前中からやってたからもうほとんど終わってるの」
「そ、そっか」
「「…………」」
うおお、僕の頭脳よ、何か話題をひねり出せ!
「そ、そうだ。ここの神様ってなんていうの?」
「え、えっと
「子授け……へー……そ、そうなんだ。僕さっきみんなと仲良くなりたいって神様にお願いしたんだけど」
「だ、大丈夫です。御利益あるので絶対叶いますから。あ、そうだっ! お兄ちゃんちょっと待ってて!」
天子ちゃんが巫女服をひらひらさせながら社務所の中へ駆け込んでいった。
息が詰まる用な居心地の悪さに耐えきれず天子ちゃんも逃げ出したか……。
このまま僕も帰ったら不味いよな。
なんて思ってると天子ちゃんがすぐに社務所から何かを抱えて飛び出してきた。
「和兄ちゃんっ! これをどうぞ!!」
両手に持った紙袋をすごい勢いで手渡された。
袋は白を基調に赤色の縁模様が入っていて神社のお土産って感じのものだ。
「これは?」
「子宝飴です。天春比売神に祈願した後にこれを食べると効果抜群なんですっ! さあっ! 早速食べてください!」
「えぇ……」
あまりの剣幕に言われるがままに袋を開けると、中にピンク色の変な形のものが入っていた。
飴なのか、コレ。
なんというか実物大のちんちんそのまんまだ。色がピンク色の。
これが子宝飴か……なるほど。
「うん……ちんちんだね。これ、男の僕が食べて意味あるの?」
「ぜひ召し上がってください!」
「あぁ……そう? じゃあ、その……いただきます」
……イチゴ味で見た目に反して意外と美味しいな。
それはいいんだけど、僕が子宝飴を食べてる様子をなぜか天子ちゃんがすごい興奮しながら見てるんだけど?
ふんっふんっと力の入った鼻息が聞こえてくるのを、礼儀正しく聞こえない振りをする。
子宝飴を齧るのがなんとなく嫌だったので、ひたすらペロペロ舐めてるうちにようやく小さくなってきた子宝飴をパクッと頬張ったら、
「ほぅ……」
と、小さくため息をついた天子ちゃんがふらっと倒れかけた。
うわわっと大慌ててで彼女を支えたんだけどさ。
……尊すぎて気を失いかけたとか、意味が良くわからないことを呟いてた。
◇◇◇◇◇◇
宿舎の扉を開けて中に入ると父さんがキッチンで夕食の仕込をしていた。
「おう。和志、おかえり」
「……ただいま」
「どうした? 天子ちゃんとは仲良くなれなかったのか?」
まな板の上の野菜を刻んでいる父さんが、怪訝そうに眉を吊り上げて僕を見ている。
「いや……仲良くはなれたんだけど、なんというか思ったより変わった子だった」
「個性があっていいじゃないか」
「そういうのとは何か違うような気がする……」