1時限目。
時間割では3学年とも数学の時間になっている。
というわけで数学の教科書を自分のペースでざーっと読み進めていく。
正の数・負の数は転校前の学校で学習済みなので、今日はこの教科書の第二章から。文字の式の項目だ。
と言っても難しいわけじゃないので、普通にふんふんと納得しながら読み進め、章の最期のページに載っていた例題を全て解き終えてから答えあわせをすると全問正解だった。
文字式に慣れさせるための単純な問題ばっかりだったので、そもそも間違えるような問題でもない。
ふーっと一呼吸して背伸びする。
黒板の上にある時計を見ると、もうすぐ1時限目が終わる時刻だった。
今から教科書を読み進めても中途半端になってしまう。
今日はここまでにしようと教科書をパタンと閉じる。
左隣の席に目を向けると、
花胡先生の頬はだらしなく緩んで、終始ニコニコしている。
……朝からやたら機嫌がいいんだよな、花胡先生。
昨日も大概だと思ったけど、花胡先生の今日のテンションは昨日より更に高い。
教えて貰っている天子ちゃんも若干引いてるよな?
左から右へ視線を変えると、
己紗は書いて覚えるタイプなのか。いやそれが基本なんだけどね。
──教室に生徒30数名を並べて、教師が黒板の前で教科書の内容を解説していく形式の授業はこの学校では行われない。
三学年分の授業を一つの教室で一人の先生が見るのだから物理的に無理だ。
生徒が各々教科書を読み進めて、分からない所は先生に質問し個別に指導して貰う形にならざるを得ない。
一種のマンツーマンだ。
生徒の資質次第では都会の学校より学習進度は早くて効率的かもしれない。
……いや、かもしれないじゃないな。スポーツの世界なんかだと少数の選手を優秀な指導者が指導するからそれと同じだ。きっとこの方が生徒は伸びる。
ということは学習面に限ればこの学校に転校してきた僕はラッキーだったのかな。
時計が9時35分になり、スピーカーから1時限目の終了を告げるチャイムが流れると、花胡先生が教壇に上がり振り向いて僕たちを見た。
同時にジャージに包まれた大きな胸がぶるるんと揺れる。
訂正。
学習面だけじゃない。あらゆる面で僕はついている。
「次は体育館に集合ね。今日はみんなでマット運動をするわよ」
◇◇◇◇◇◇
「体育館はどこも一緒だね」
この学校の体育館に初めて足を踏み入れたけど、いたって普通の体育館だった。
もしかしたら体育館って規格でもあるんだろうか?
ただ、バスケットコート2面分はあるこの体育館は在校生の人数に比べて明らかに広すぎると思う。
でも学校の体育館って地域の避難場所にも指定されてるだろうから、それを考慮すると大きすぎるということもないのか。
自分の疑問に自分で答えを出しながら、女子たちと僕で体育用具室からマットを運び出す。
体育館の中央にマットを並べるだけなのであっという間に準備が終わった。
ピッ!
花胡先生が咥えた笛を鋭く鳴らした。
「はい、みんなでペアを組んでストレッチを始めて。あっ! それだと一人余っちゃうから和くんは先生としましょうね」
「「「Booooooo!!」」」
女子全員が間髪入れず花胡先生に向けて一斉にブーイングをかます。
天子ちゃんまで親指を下に向けて抗議してる。
天子ちゃんのイメージが……。
──あ、じゃんけんが始まった。
なぜか花胡先生までじゃんけんに参加してる。
この場合って組み合わせどうなるんだ?
「「勝ったぁ!!」」
両手を上に突き上げて勝利の雄叫びを上げたのは3年の石原先輩たちだった。
江莉夏先輩と祐里佳先輩の二人だ。
同じ顔をした二人がハイタッチすると、中学生とは思えないような大きな4つのおっぱいがばるるんと揺れる。
……すっごいよな。
一枝先輩と捺那先輩が頭を抱えて悔しがってる。
まるで僕と柔軟運動するのがプラチナチケットのような扱いだ。
まあ、単に悪乗りでふざけてるだけだとは思うけど。
「あーあ、じゃあ仕方ないから江莉夏ちゃんと祐里佳ちゃんは和くんと組んでストレッチね。他は適当にペアを組んで。あ、しっかりストレッチしないと怪我するんだからね!」
花胡先生が投げやりなような丁寧なような妙な指導をしてる。
「「じゃあ和くん、よろしくね」」
「はい、江莉夏先輩に祐里佳先輩」
江莉夏先輩に祐里佳先輩の髪型は右のサイドテールと左のサイドテールだったけど、体育の授業の邪魔になるからか、ふわふわの髪を首の後ろで一まとめにしたシンプルなものに変えている。
おかげで同じ顔に同じ髪型、同じ体型の女の子が僕の前に二人並んでいる状態だ。
多分、一卵性双生児ってやつなんだろうけど、ここまでそっくりだと凄いよね。
とりあえず僕たちは体育館の中央で三人一組になって、これからストレッチだ。
だけど、どうやるんだろう?
「じゃあみんなペアになったみたいね。では前屈から始め!」
花胡先生が笛を吹いて指示を飛ばす。
じゃあオーソドックスに立ったまま前に身体を倒そうとして……
ピピー!!
突然すごい勢いで花胡先生が笛を吹き鳴らした。
「は?」
「和くん、それはダメよ!」
「え? 何が?」
「何がじゃありません。立位体前屈でストレッチするのは背中の靭帯を痛めるし、ヘルニアの原因になるのよ。だから絶対禁止!」
「えぇ!?」
そんなの知らないよ?
「いいから座ってやりなさい。先生も言葉が足りませんでした。長座体前屈です。江莉夏ちゃん、祐里佳ちゃん教えてあげてね」
「「はーい」」
◇◇◇◇◇◇
「はい、じゃあ和くん座って足を伸ばして〜」
「まずは開脚前屈と普通の前屈をやろうね」
江莉夏先輩に言われた通りに体育館の床に座ると、江莉夏先輩が僕の背中側に、祐里佳先輩が僕の伸ばした足の方に座り込んだ。
「せっかくだから和くんに解説しながらやりましょうか?」
「そうね」
江莉夏先輩のふわっとした前髪が僕の頭に触れて、左肩と脇腹に先輩の手が添えられた。
おわっ!?
脇腹がくすぐったくて、身体が反射的にビクンと震える。
「すいません江莉夏先輩、手がちょっとくすぐったいです」
「「えっ!?」」
僕が振り返りつつ江莉夏先輩の手から逃げようとすると、驚いた声を上げて江莉夏先輩と動きが止まった。目の前にいる祐里佳先輩もびっくりした顔をしている。
「あれ? どうかしました?」
僕なんか失敗した?
「和くん、なんで私が江莉夏だと分かったの?」
ああ、そうか。
確かに普通じゃ見分けがつかないもんな。
「そっくりですけど、でも少し違うじゃないですか?」
思ったままを言うと、祐里佳先輩の目が真ん丸になってしまった。僕の背後にいる江莉夏先輩ももしかしたら同じ顔をしているのかな?
でも実際ちょっと違うんだよな。気づいてないのかな?
「ほら、普段の顔なら確かに見分けつかないですけど、表情が動いた時、祐里佳先輩は目が凛々しくなるんですよ」
右手を伸ばし、祐里佳先輩の右目の少し下を指先で触れて指摘すると祐里佳先輩が目をパチクリさせた。
振り向いて、今度は江莉夏先輩の口元に触れる
「そして江莉夏先輩の場合は唇がすごく優しい感じに変わるんです」
「「…………」」
「いや、分かんないよ?」
「無理じゃない?」
聞き耳でも立てていたのか、近くでストレッチしていた
二人揃って右手をパタパタと振って否定するとか酷くない?
ここの女子って全員幼馴染なんだから分かると思うんだけど?
「いやいや分かりますよ? 何回やっても見分ける自信あります」
「えー、凄いね」
「男子だから分かるのかなぁ? 私には無理だわ」
「はいそこ。無駄口叩かないでストレッチやりなさーい」
「「「はーい」」」
いかんいかん。ストレッチやんなきゃ体育の時間がなくなる。
◇◇◇◇◇◇
「じゃあまずは開脚前屈からね」
あれ? 祐里佳先輩、さっきより笑顔が柔らかくなったような?
「よっと」
体育館の床の上で足を伸ばして座った状態から90度くらいに広げると、祐里佳先輩が手で僕の右足首を固定した。
「和くん。脚の開きがちょっと足りないよ? 痛くてももうちょっと広げようね」
「えっと……こう、ですか?」
右足首は祐里佳先輩に固定されてしまっているので左足の方をもっと広げようとすると、後ろの江莉夏先輩が僕の左足を掴んで止めてしまう。
「──っ?」
「ゆっくりと広げるのがコツなのよ。祐里佳、私が和くんの左足を止めておくから右足の方を拡げていって」
「りょうかーい」
祐里佳先輩が悪戯っぽく微笑んだ。
そして僕の右足首を掴んだまま、じりじりと右へ移動していく。
「あ、ちょっ!? 先輩待って!? ちょ、痛っ? イ、痛タタタ!?」
僕の股が少しずつ開く角度を広げていく度に内太ももの筋がビンッと張り詰めて、鋭い痛みがふくらはぎから太もも、お尻へと走り抜けていく。
僕の顔が苦痛に歪んでいるのに江莉夏先輩はむしろ楽しそうに、僕の内太ももを手で擦っている。
もしかして僕の足がどこまで広がるか限界を探ってる!?
厳しすぎる!
「イタっ、いたたた」
「祐里佳、そこで止まって」
江莉夏先輩の声で祐里佳先輩の手が止まる。
「和くん、このまま20秒我慢ね!」
「そんな!? あいたったた!」
「和くん、がんばれ~」
と言いながら僕のふくらはぎから太ももの裏を、手のひらを当てて触診する江莉夏先輩。
「はい、開放」
「ぷはぁ!!」
無理やり開かされていた左足が床を滑って右足に寄っていく。
同時に太ももとふくらはぎの鋭い痛みが消えて、ジンジンとする疼痛が残った。
「んー、和くん頑張ったねぇ。ちなみにあと二セットね?」
「うえぇ!?」
「運動が得意と言ってた割に和くんちょっと堅いよね?」
「カチカチだね。まあでもやっぱり男の子だね。ふくらはぎの筋肉が女の子とは違うし」
江莉夏先輩と祐里佳先輩が二人して僕の足を何故か揉み始めた。
先輩たちの4つの手のひらがジャージの生地の上から僕の足の付け根から先っぽまで揉むように撫でまわしていく。
「まだ痛む?」
ビリビリと痛みを発していた僕の太ももの裏を先輩たちが揉み続ける。
その部分の筋が伸ばされて痛かったので、先輩たちに揉まれると痛心地良い。
「うーん、やっぱり男の子だね。立派なモノ持ってる」
「2セット目始める前にもうちょっと揉んでおく?」
先輩たちが視線を僕の足の付け根に向けながら聞いてきた。
「……いえ、もう大……丈夫、です。2セット目行けます」
◇◇◇◇◇◇
ピピーッ!
「はい、みんなストレッチお疲れ様。では今日のマット運動だけど、倒立前転と後転倒立の練習をします。倒立の補助は和くんにお願いしていい?」
「え? はい、分かりました」
まずは花胡先生がお手本を見せてくれるらしい。
マットの周りにみんなが集まる。
僕は先生の横に立って、倒立のサポートだ。
「じゃあみんなよく見ててね。まずは肩の幅で手をマットについて倒立します」
先生の足がマットを蹴って僕の顔辺りに跳ねあがってきたので足首を掴む。
「倒立する時はマットについた手と手の間を見て、心もち背中を反らせると安定します」
ピシッと両足のつま先が揃って、さすが先生。見事なお手本だ。
「倒立から前転に移る時は、お臍を見ながら首の後ろをマットにつけることを意識して、こうくるっとスムーズに回って立ち上がります」
花胡先生が倒立から前転し、マットの上でピッと綺麗に立ち上がった。
「じゃあ、一年生から始めて。それで和くんが倒立前転する時の倒立補助は先生が……」
「「「はい、はい、はい!!」」」
──またか。
「あの、僕は倒立補助なしでできますので大丈夫です」
「「「Booooooo!!」」」
女子と先生から間髪入れず一斉にブーイングをかまされてしまった。
天子ちゃんなんか親指を下に向けている。
……なんなんだ、一体。
それに天子ちゃん、それは僕の心をかなり抉るから止めて欲しい。