小説の林堂 三次創作 小説「ソードアート・オンライン SAO ~黒を冠する戦士たち~ キミのために 作:イバ・ヨシアキ
イバ・ヨシアキです。
以前より是非に書きたかったハジメ×シノン編を書いておりまして……色々と長くなってしまい、気づけば前後編になってしまいました。
しかも後篇にぜひ書き加えたい部分ができてしまい、現在執筆しております。
とりあえず、前編です。
どうぞ。
過去の罪は無かった事にはできない。
消すことも、目を背けることもできはしない。
罪は生きていく事での自分が選択してしまった結果なのだから。
ずっとそこにあって、ずっと私と彼の生きていく中で必ず罪は存在し、それを受け入れていくしかない。
もし罪を否定すれば、罪は私をむしばみ弱くしていく。
ううん、私だけではない、彼も蝕んでく。
そして、周りの人達も。
いくら強く罪を否定しても、罪は私達の心を蝕ませ、壊そうとする。
いっそ壊れてしまえば、全てを終わらせることができると思っていたけど、そんなのは間違いでしかない。
私は、大好きな人に人殺しをさせてしまった。
私は今まで、自分が弱いせいで、強くなかったから、彼に人殺しをさせてしまったんだと思っていた。
でも、そのことを受け入れて、彼と一緒に生きる勇気を持つことが、その罪を受け入れる方法。独りじゃない。
私には彼がいて、その仲間達がいて、共に歩んでくれる。
それに奪うだけじゃなかった。
彼が命を奪った事で、救えた命があった事。
この世界に矛盾はある。
どうしようもない矛盾が。
その矛盾に向き合って生きていく事が、私達の世界の理なのだから。
今までの互いの楔になっていた過去と向き合い、仲間たちからの励ましと好意により、あの事件で奪うだけではなく、一つの命を救えたんだと、知ることができた。
あの強盗事件で被害にあった一人の女性の内には、一つの命が宿っていた。その娘さんとの出会いが、私と彼の内ある罪を許してくれた。
そう、私と彼は互いに自分自身を責め、互いに自分自身と距離を置き、お互いに触れる事を恐れていた。
私があの時に銃を持たなければと後悔し、彼もあの時にもっと力があればと後悔し、あの日の事件からずっと罪の重さの楔で身を重くしていた。
命を奪った事は許されない。
でも命を奪われるのを目の前にして、何もしない事はもっと許されることじゃない。
そう。
私達は結果として命を奪い、命を救った。
ただそれだけ。
無かった事にはできない。
受け入れて、先に進むこと、それが私と彼のこれからなんだ。
そう、私、朝田詩乃は彼、国本景一──ケイの事が好きだ。
物心ついた頃からケイは私の傍にいて、常に私の事を守ってくれていた大切な一歳年上の幼馴染。
彼の特徴を上げるなら、闇夜を拭う朝焼けのような色彩をした赤毛が第一印象にあり、小さい頃いつもあの髪に見惚れていた。
私の髪が短いのも、彼の髪みたく綺麗にはなれないと思い、肩までしか伸ばしていない。小さい頃は男の子のくせにとずるいと嫉妬していた頃もあったけど、私はケイのあの赤髪が好きで、今も時折ブラシで梳かしてあげるのが何気ない楽しみになっている。ケイは短くしようかと言った時、私は長いほうがいいと絶対に譲らず、あのままにしてくれている彼。
小さいころからずっと傍にいて、ずっとケイを見てきた私が持つ、他の印象は、顔立ちも同性の私が見ても綺麗と思えるほどの整った面持ちが挙げられる。
あの赤髪もあってか、時折街で女性に間違われることがあるらしい。
本人は背も高く、美形。
運動も勉強も誰よりも出来る絵にかいたような優等生。
それが私の大好きな国本景一である。
かく言う私は、優等生からほど遠い存在で、勉強もそこそこ、運動も普通、とくに目を引くような特出した才能なんてなく、まして彼見たく人の目を引くような特徴も無く、心を許せる友達も自分で作ることができない程、弱いくせに、その弱さを認めようとはせずに、すぐに強がり、その強がりも押し通すこともできないくせに、無理に強がって最後はケイに助けてもらう、地味でなんのとりえも無い、暗くて弱い駄目な娘。
それが私……朝田詩乃だ。
そんな劣等生の私が優等生な彼と小さい頃から一緒に入れたのは、彼の家族と交流があったおかげと、家も隣通しだったこともあったおかげでしかない。
ケイのお父さんとお母さんは警察官で、ケイもその血筋を引いているせいかすごく正義感が強くて、私が危ない時にはいつも助けてくれた。
近所のいけ好かない、いじめっ子に理不尽な要求を言われ、怒って言いかえし、逆上した相手に殴られそうになった時、すぐに駆け付けてくれたケイがいじめっ子と大喧嘩をし、ボロボロになりながらいじめっ子を追い払ってくれた。
また、些細な誤解から私の両親の事で心ない大人から理不尽な叱責を受けている時も、ケイは私をかばって代わりにその叱責を受けてくれた。
そう。
幼いころの私は、物心がつく以前にケイに甘えていたのだ。
無自覚に彼の負担になっていた事に気づかずに、私は彼の事が好きでしょうがなかった。
いつからかはもう思い出せないけど、私は昔からケイの事が好きで、好きで……大好きで仕方がなかった。
でも、彼の事を好きだと思えていた幼いころの私の感情は、まだ稚拙で幼児独特の単純なそれでいて純情の好きで、私がこの世に産まれる前に死んでしまった、お父さんみたく想っていたからこそ、あんなに素直に甘えれていただけで、それがどれだけ彼の負担になっていたんだろうと、今に思えば私は無知だったと思う。
それに私は、幼心の逸る気持ちと、どこかませた想いで……私は、
「……わたしねぇ、しょうらい、けいのおよめさんになるの。だからやくそくして」
「……わたしとけっこんするやくそくして……」
そう彼に向って、今の自分の過去とは思えないほど堂々と告白したのを今も覚えている。私は小指を出して、ケイに将来を約束させようとしていた。
まだその時の約束を覚えているのかケイに怖くて確認できていないけど、私にとって、一世一代の告白劇である。
すごく恥ずかしくも私の人生の中でその記憶はとても大切で、何ものにも代えがたい大切な記憶。
どこか恥ずかしくて顔を合わせるのもケイは優しく微笑みながら、
『おとなになったらだぞ』
頭を撫でてくれる暖かさに私は顔をほころばし、
『うん! やくそく! けいとけっこん!』
同じように明るく笑ってくれるケイの小指が私の小指を絡め合わせて、しっかりと強く私と指切りをしてくれた。
彼は覚えているのかな。
今に思えば本当に恥ずかしい思い出だけど、私にとっては何ものにも代えがたい、一番の大切な想い出である事に変わりはない。
私の隣にはいつもケイがいて、一緒にいられて、輝いていた毎日があった。
でも、私が小学二年生を迎え、ケイが小学三年生に上がった頃、彼の両親の都合で東京へ行ってしまう時、私の世界は、いとも簡単に輝きを失い暗く塗りつぶされてしまう。
言葉にできない喪失感を生まれて感じたのも、あれが最初。
あの頃の私は小学2年生に上がり、お母さんの事情を知り、祖父母と共にお母さんを守らなきゃいけないと強くならなきゃと、はやく大人になりたいと、片意地を張って強がっていた頃で、ケイが引越ししても別に寂しくないと強がり、泣くのを我慢して意地になって部屋に閉じ籠もって一人で泣いていた。
祖父母やお母さんに泣いているところを見せたくなかったし、何よりケイの前で絶対に泣きたくなんかなかった。
でも、ケイに隠し事はできなかった。
あれは布団に包まり、思いっきり枕に顔を埋め泣いていた時。
ベランダの窓をコンコンと叩く音が聞こえ、視線を向けてみればケイが立っていた。雪が降っているのに、なんで窓にいるの、危ないよと、私は驚いて、慌ててベランダを開け、なんでそこにいるのと尋ねる前に、何も言わずにケイは私を抱きしめてくれた。
ぎゅっと抱きしめてくれるケイの優しさに、強がることも堪えることもできなかった。
そのまま感情が爆発してしまい、いかないでよと、離れたくないよと、歳相応の我儘をしきにりに言い、ケイの前で泣きじゃくり、一晩中かけて慰めてもらった。
ひとしきりに泣き明かし、優しく頭を撫でてもらい、悲しみが惹いた後、たくさん甘えさせてくれた。
「……わたしケイと、はなれたくない。ワガママだってわかっているけど……はなれたくない」
『大丈夫だって。絶対、詩乃を一人にしないからさ』
「……ほんと?」
『ああ、離れていても、俺が大好きな詩乃の事を忘れるわけないだろ』
「……ぜったいだよ……わすれたら、わたし……」
『大丈夫……俺、絶対に忘れないから。それに約束したしな』
「……ケイ、おぼえているの?……」
『覚えているにきまっているだろ? 将来、詩乃と結婚するって……俺の夢なんだぞ!』
「……うん♪ ケイ……だいすき……」
『ああ、俺も詩乃が大好きだ』
ケイの胸の中で泣き続けたせいか、私はそのままケイの腕の中で眠り込んでしまい、いつしか夜が明け、彼と離れなければいけない日を迎えたとき、約束と勇気を貰った私は、翌日にしっかりとケイを見送る事が出来た。
そう、離れ離れになっても、私とケイは一つなんだと、胸に抱いたこの熱い想いを手にする事が出来た。
お母さんの事で私は強く、誰よりも強く、しっかりとした折れない意思を持たなきゃいけないって思っていた。でもその思いを強く持つにはあまりにも大きな事で、容易ではないと、どこか挫けそうになっていた。
でもケイが居てくれたおかげで、私は一歩前に進み、少しだけ大人になる事が出来た。
そう、私の歩んでいく人生の中でケイは大きな存在だった。
幼児から子ども、少女と歳を重ねていく中で、私の内にある想いは大きくなり、ケイの事を一人の男性と認識するようになり、恋心を抱くようになっていた。
幼いころにあった簡単な〝すき〟ではなく、女性としてケイを〝好き〟になった想い。でも、その思いに気づけずに私は、ケイの傍にいる事が当たり前のように思っていた。
私はいつか中学を卒業した後に、彼のいる東京の高校へと進学を考えるようになり、勉強を必死に頑張り、少しでも彼の傍にとの思いで毎日を過ごしていた。
お母さんのことも前向きに受け入れる事が出来き、順調な日々を過ごし、休みを利用して彼が東京から訪れる日が常に待ち遠しく、私の日常は輝いていた。
でも、あの事件。
あの事件のせいで、私とケイは……
私とお母さんを守る為にケイが初めて人を殺してしまい、私が彼を傷つけてしまった、あの事件のせいで、私だけではなく、彼の人生すら変えてしまった。
東京から遊びに来てくれたケイと私、お母さんたちと一緒に立ち寄った、いなかの郵便局で起きてしまった強盗事件。
それが私たちの人生を変えてしまった。
覚醒剤による重度の薬物中毒に陥ってしまった強盗が、古い中国製の拳銃を片手に、大した額も振り込まれていない、あんな小さな郵便局へ押し入るなんて。
局員の一人が撃たれ、私は怖くて仕方がなかったけど、ケイがいてくれたから恐怖に負けることはなかった。
でも、お母さんは違う。
完全にパニック状態に陥り、その母を見て激昂した強盗に銃口が向けられた時、私は無我夢中で犯人にしがみつき、銃を持つ手を噛みつき、銃を落とさせた。勢い余って暴れ倒れた強盗に向かって、私は無我夢中で拳銃を拾い、そのまま銃口を向け、強盗を脅し、黙らせようとした。
銃口を向ければ、強盗はもう何もしない筈。
でも私が子どもだったせいで、強盗は怯むどころか余計に激昂し、襲いかかってきてしまう。
相手は麻薬中毒者。
異常ともいえる悪意と敵意、殺意を向けて激昂する強盗に、私は怖くて、恐ろしくて、感情のままに引き金を引いた時、拳銃から撃ち放たれた弾丸は強盗を撃ち抜かずに、ケイの右肩を撃ち抜いてしまった。
え!
なんで、ケイが……
血。
血が出ている。
右肩から……
いやぁ。
いやああぁぁぁぁ!
飛び散った血飛沫が顔に掛かり、私は悲鳴を上げ、拳銃を落としてしまう。
ケイを撃ってしまった。殺してしまったと、私の頭の中はどうしていいかわからないほど、ぐちゃぐちゃになってしまい、目の前の事に集中できなくなってしまった。
その隙をついて強盗は私が落とした拳銃を拾おうと手を伸ばした瞬間。
右肩を撃たれていた筈のケイは、腕に激痛を感じた様子も無く、ただ冷たい殺意を強盗に向けていた。
拳銃に手を伸ばした強盗の手を踏み砕き、余りの痛みに床にのたうちまわる強盗に、ケイは拾い上げた拳銃を強盗へと向け、弾倉に残っていた残弾の全てを強盗へと撃ち込み、絶命させてしまった。
数発の銃声が響き、強盗の四肢が痙攣し、最後に引き攣った様な強張りをみせた後、力なく四肢は床に落ち、強盗は絶命した。
あっけなく死んでしまった、凶悪な人間の最後。
あんなに怖かったのに、あんなに暴れていたのに、子どものケイが、簡単に相手を殺してしまった。
私が奪ってしまった拳銃でケイが人を殺してしまった。
受け入れたくは無かった。
でも、ケイは人を殺してしまった。
わたしのせいで。
なんで、こんな事になったの?
朝は、あんなに幸せだったのに、こんなこと、こんなのってないよ。
お願い、朝に戻ってよ。
無かった事にしてよ。
こんなの悪い夢だよ。
必死に願ったけど、神様なんていない事は解っていた。でも、でも、どうにかしてほしいと、ただその思いだけしか私の内には無かった。
ケイが強盗を殺したのは紛れも無い現実で、局内に弾け飛んだ血肉の焼け焦げた硝煙と煙硝の臭いが立ち込め、私は意識を保つ事が出来なかった。そんな私を心配して、自分の怪我の事なんかかまわずに心配してくれたケイに、私は拒絶してしまった。
『こ、来ない……で……』
なんであんな事を言ってしまったの。
あの時の私は、ただ目の前の事をすべて否定して、逃げようとしていただけの卑怯者。
だから、周りからの罵倒も叱責も受け入れた。
学校の私の机に〝人殺し〟と飛び跳ねた血液を思わせる赤の絵の具で落書きされ、教師からは腫れもののように見られ、仲の良かった友達はみんな私から離れてしまった。
同級生の親、ううん、学校の保護者全員が私の事で、お母さんや祖父母たちに詰め寄られるなど悲しいことが沢山あった。
でも子どもの私にはどうしようのないことで、祖父母に迷惑をかけてしまう自分の存在が許せなくて、悔しくて仕方がなかったけど、別に人殺しと詰め寄られ、責められることは当然と受け入れるしかないと、自分に言い聞かせて我慢していた。
私があんな事をしなければ、ケイを人殺しにはさせなかったのだから。
ケイを人殺しにしてしまったのは、わたしのせいだ。
私、朝田詩乃が原因。
本来なら私が相手を殺していた筈なのに、彼が私の代わりに人殺しをしてしまった。
そう、私のせいなのだ。
それなのにケイは私に優しかった。
決して消せない傷を負わせ、罪を背負わせ、人を殺させてしまった私にケイはあまりにも優しかった。
でも、彼は変わってしまった。
喋り方も、存在も、遠くなってしまった。
傍に寄ってくれるけど、すぐに離れてしまうような不安な気持ちが、強くなってしまい、いつも傍にいた筈の、近くに感じられたケイが遠くになってしまったような気がして『仕方がなかった。
晴れない闇がまた私、ううん、ケイをも包み込んでしまい、私達に埋めようのない距離が生まれてしまった。
ケイの喋り方が変わり、自分を強くしようと『神霆流』を学び、自分を鍛え、強くなろうとしていた彼は強く、私は弱いままだった。
彼との距離が空いてしまい、ケイが余計に遠く感じてしまった。
でも彼は私の距離を気にせずに傍に来てくれるけど、また離れてしまうような、より遠くに行ってしまいそうな不安があった。
……このまま、ケイがいなくなってしまたら。
私も強くなればと、勇気を出せばよかったのに。
私は勇気を出すことはできなかった。
一握りの、ほんの少しの勇気を出せれば、すぐにケイの傍に戻る事が出来たのに、私はほんの少しの勇気を出す事が出来なかった意気地無しで、彼に心配をかけたくないと、嘘をついて彼の傍にいた。
いじめられ、蔑まれ、侮辱されても、ケイが逢いに来てくれたら、全てを忘れる事が出来た。
また遠く離れてもケイが来てくれると、甘えた心が私にあった。
……なんで、一緒に強くなろうと思わなかったの。
好きなのに。
こんなにもケイの事が好きだったのに。
私は逃げていた。
ケイの強さに縋るだけで何もしなかった私。
頼るだけで、自分から何かに立ち向かおうとしなかった私は、彼がいなくなってしまえば、ただ弱い人間でしかないのに。
ケイに甘えればいい。
でも、それが間違いだった。
私は考えていなかった。
もし彼がいなくなってしまえば、私はどうなってしまうのか、そんな事、考えれば解るのに、私はケイがいなくなる事をまるで考えようとはしなかった。
SAO事件。
ケイが、VRMMORPG《ソードアート・オンライン》に囚われてしまうまで、考えようとはしなかった。
夕暮れの速報に、私は気を失いそうになってしまう。
事件前の夜。
ケイがSAOを『神霆流』の仲間たちと一緒に遊ぶ事を教えてくれた。話題のゲームで遊べる話を聞いていた私は、うらやましいと、私もプレイしたいなと、ケイといつも通りたわいのない会話をしていたのに、それが最後の会話になってしまうなんてと、後悔していた。
事件を聴き、私は慌ててケイの元へ向かった。
嘘だと思いたかった。
すぐに目を覚まして、いつものように落ち着いた声音で、
「心配かけたな、詩乃」
って言ってほしかった。
でも、ナーブギアを被り病室に横たわるケイに、泣き崩れる彼の母さんと傍に寄り添っていたお父さんの姿を見て、私の大好きな彼は仮想世界に囚われてしまったと、揺るぎようのない現実に打ちのめされた。
伝えたかった言葉があったのに、何も言えなかった事への後悔。
もし明日、ううん今、ケイの被るナーブギアが彼の脳を焼き切ったら……私は、生きていけないと、自殺すら考えてしまった。
無論、彼をゲームに閉じ込めてしまったデスゲームの首謀者である茅場晶彦を絶対に殺してから、後を追おうと考えていたくらいに、私の内はケイの事で全てだった。
何度も夢の中で、私は彼がモンスターに殺される夢に見てしまう程、いつか来るかもしれない最後を覚悟し、日に日に不安を抱く中で、なんでちゃんと自分の胸の中にある、この想いをちゃんと言わなかったんだろうと、自分を責めた。
もし目覚めたら、ちゃんと言おう。
でも、もし死んでしまったら、死に追いやった茅場明彦を見つけ出して絶対に殺してやるんだと、そしてその後は……自殺しようと、そんな、絶対に彼が許してくれないような事を一人で勝手な人生の結末を考えていた。
あれだけ人を殺すことをおそれていたのに、私は茅場が憎くて憎くて仕方がなかった。
それにそんな事をケイは望まないのに、そんなことも解らない程、あの頃の私は自分だけのことで一杯だった。
彼の事を考えていると思っていても、所詮は自分の想いしかなかった。
そう、私はケイがいなければ何も出来ない、弱い人間。
そして本当に私は、ケイの事が好きだった事に気が付き、ちゃんと告白できていなかった事に後悔し、ケイの強さに縋り、傍にいたいと甘え、今一番大変な彼を頼りにしているだけの弱虫だった事に気がついた。
昔と何も変わっていない。
でも私は、どうすればいいか解らなかった。
ケイのいない世界を過ごしていく中でも、私の周りは変化していき、あれだけ騒がれていたSAO事件も騒がれなくなり、本当は無かったかもと、心のどこか現実から逃げている自分がいた。
でも、ナーブギアに囚われ、眠り続けるケイを見ればそれは紛れもない事実であると、否が応でも痛感してしまう。
これが事実だということを。
ネットの噂話やニュースでまた死亡者が出たと、信憑性を疑うような軽い記事を流すこともできず、時折、悪意しかない様な茅場と名乗る自称人間の悪辣極まりない書き込みや、SAOに囚われた全員が死亡、全滅したなど、見るだけで耐えられない情報が私の中に渦巻き、もしかしたらこれは本当なのかもと、不安にかられる事があった。
その不安を消したく、休みを利用してケイの入院している病院へと行き、傍にいることでどこか安堵しても、私の内の不安は拭えなかった。
現実はさらに流れていき、ケイを遠くに置いていってしまう。
私もどこか置いていかれたままで、埋めようのない喪失感しかないこの現実に嫌気がさしていたけど、もしケイが戻ってきたら、少しでも強くなった自分を見せたかったから、必死に私は自分が戦うべき現実で生き、一つの目標を持って頑張っていた。
中学を卒表し、高校生になり、東京の進学を決めていた事も、私なりの今できる事と思っていたけど、でも結局の理由は、ケイの傍にいたい、ただそれだけだった。
……結局、逃げる事しかできなかった。
彼の傍に居たい。
その想いだけが常に私の中にあり、どんなに辛い事があっても、彼の入院する病院へ行き、穏やかな寝顔を見て心を癒し、その寝顔にそっと触れながら痩せ細った胸や腕を、女性のように見えるほどの美貌を持つ彼の顔をそっと撫で、ケイの帰還の無事を祈った毎日。
手を握りしめ、私は彼に呼び掛ける。
「私は、ここにいるよ、ケイ」
「はやく、戻ってきて」
「私、待っているから」
「例えおばあちゃんになっても、ケイに傍にいるから」
辛い、余りにも辛い、この現実から逃げるように、私は眠るケイに縋り甘えながら、自分の現実から逃げていた。
東京に行きたいと願ったのも、結局は逃避でしかない。
いつかケイが目を覚ました時、私が迎えて上げるんだと、ちゃんとお帰りなさいと、言ってあげたいから傍にいたいと理由はあるけど、結局それはケイに甘えているだけの理由でしかない。
目覚めないケイになおも縋り、甘えている私は余りにも弱い。
……それが悔しくて。
……それが悲しくて。
……自分が嫌いだった。
私は毎日のようにケイに、ナーブギアに囚われている彼に、いつもすがりついていただけ。戻ってきてお帰りと迎えてあげたいと、それらしい事を言っていても、私は所詮、ケイに縋るだけの弱い娘。
何も変われないまま、高校へと進学が決まり、自分の事を知らない人間の中で、新しくやり直して、ちゃんと成長しようと思っていたけど、通ってしばらくしてから、私の過去を嫌なクラスメイト──遠藤に知られてしまう。
彼女はいわゆるところの不良で、取り巻きなどを引き連れては恐喝や退屈しのぎのいじめなどを平気でする最低の奴ら。
入学当初、私は沿道に優しく話しかけられ、初めて友達ができたと安堵してしまい、無警戒のままあいつを受け入れてしまい、手痛い目にあってしまった。
心の無い仕打ちには慣れていたから平気だったけど、銃を向けられる恐怖だけはどうしようもなかった。
ばんと、遠藤が銃を撃つ真似をするあまりにも幼稚な行為なのに、誰も死ぬ事も、傷つくこともないのに、怖くて仕方がない。
それをあいつはあざけ笑い、私を罵倒してくる。
……人殺し。
と。
そう。
私は彼に人殺しをさせてしまった。
だからその言葉は、否定しない。できない。
結局、実家にいた時と同じ状況になってしまったのも、全部私のせい。高校でも同じよう虐められるのも仕方がない、わたしが強くなれれば、全てを流していける筈。
でも、私は強くなれないでいた。
銃の写真を見ても平気にはなったけど、あの銃を見ると、たとえそれが何の害もない写真でも、私は耐えることができずにトラウマを起こしてしまう。
そのつど痛感してしまう。
私はケイがいないと何もできない、弱い人間だと、嫌というほどに痛感してしまう。
人殺しといわれる度に、私はケイに罪を背負わせてしまった事への罪悪感に苦しみ、その度に眠るケイの元へと逃げ込み、縋りつき、ただ泣いただけ。
弱くて、弱くて、どうしようもない、ケイのお荷物。
ケイを不幸にしてしまった、ううん、ケイの御両親にも迷惑をかけ、全てを狂わせてしまうだけの疫病神。
私が傍にいたせいで、全ての不幸を招いてしまったんだ。このままケイが目覚めてくれなきゃ私は、私は、壊れてしまいそうだった。
どれだけケイに依存していたのかと、痛感するほど私は、ケイに依存していたんだ。
でも、ケイが戻ってきてくれたあの日。
私は夢を見ているのかと思ったけど、外から流れる大気の冷たさに、降る雪の凍てつきに、これが夢じゃないと安堵する中で、爆発してしまいそうな感情でまず最初にしてしまったのは、抱きついてキスをするロマンチックなものじゃなくて、平手打ちをする可愛げのない行為だったけど。
……すごくうれしかった……
だけどケイはそれを当然のように受け入れてくれて、私を胸の中で泣かせてくれた。
子どもの頃に戻ったように、ケイは私を胸で思いっきり泣かせてくれた。
一瞬、本当に今の事が夢じゃないかと不安があったけど、ケイの暖かい温もりが現実なんだと、これは本当にケイなんだと、彼が帰ってきてくれた事に、私は沢山泣き腫らし、彼に甘えたあの日の事は、忘れることはできない。
そう、結局、私はケイに傍にいてほしかったんだ。
離れようと、決別しようと、自分から勝手に距離を置こうとしていたのに、私は結局、彼の傍から離れる事が出来なかった。
──ケイが好き。
これは私の本心。偽りもなく、正しい私の本当の心なんだ。
2年間。
これから失ってしまった筈の2年間を埋めていこうと、ちゃんとケイと向き合って行こうと決意していたのに、意気地のない私は、素直にケイの隣に立つことはできなかった。
ずっと寝ていた筈なのにケイは成長し、以前にも比べて強くなってしまった。弱々しく衰弱していた筈の身体はすぐに元に戻り、沢山の友達や仲間を得て、昔よりも確実にちゃんと成長していた。
それなのに私は弱くなってしまい、ケイの傍から離れなくなってしまう程に弱くなってしまい、私なんかが彼の傍にいてもいいのかなと、勇気がまるで出せない自分に戻っていた。
せっかく戻ってきてくれたのに。
何も変わっていない私を見られたくない。
余計に遠く、余計に離れてしまったように、ケイが遠くなってしまった。
あの頃と同じ関係に戻りたい。
それは私とケイが子どもの頃の関係。
まだ私と彼が小学生で、あの事件が起きる前まで一緒にいられたあの頃みたいな関係。子どものわたしはずっとケイを追いかけて、ずっと傍にいた、普通に甘えれた筈なのに、私はケイに甘える事が出来ない。
ううん、甘えちゃ駄目だと、私は素直になれないでいた。
どうすればいいんだろう。
高校でイジメを受け、教師や他の生徒から避けられている現実をケイに隠して、過去のトラウマからも逃げている私に、ケイの傍にいる資格なんかない。
……でも、どうしても傍に居たい。
そんな自分の内にあるワガママに私は、ケイの傍に居られる資格が欲しかった。弱い私にケイの傍にいる資格はない。
私が強くならないと、ケイの傍に居る資格は無いんだ。
少しでも強くなりたいと思っていた時、私は彼──新川恭二君に出会った。クラスの中で、あの噂のせいで浮いていた私に、新川君は普通に接してくれた。
彼も私と同じように心に傷を持ち、仲良くなった東京での初めての友達。
そんな彼に誘われるまま、私はガンゲイル・オンライン──(通称GGO)に参加し、仮想世界で彼女──シノンになった。
シノンは強い。
私とは違い、自らの意思で戦え、全てを受け入れ、逃げる事よしとはせずに、真正面から敵を見据え、敵に立ち向かえる存在。
そんな理想を無理やり手前勝手に持たせ、あの砂塵と硝煙、銃声と爆音が響く世界で戦い抜いていたけど、結局何一つ私は強く慣れないでいた。
シノンに縋り、ケイに縋り、そしてハジメに縋った私。
朝田詩乃は弱い。
一人では何もできない弱虫。
ケイに守られて、ケイを不幸にして、ケイを傷つけてしまうだけの疫病神。
過去を受け入れることもできずに、ただ逃げて、それでも強くなりたいと、ケイの傍に居る資格が欲しいと、叶わない願いを言い、望んでいる卑怯者。
それが朝田詩乃だ。
シノンとして戦っていても、所詮は私でしかない。
私はシノンであって、シノンではない。
それなのに本当に、私はケイを好きになってもいいのかな。BBO()の時も、私はハジメ──ケイに頼ってしまった。
死銃に向けられた拳銃──黒星・45を向けられ、私は何もできないでいた。トラウマが再発してしまい、呼吸を乱し、恐怖に震えながら、何もできないでいた。
呼吸もままならず、意識も朦朧とし、視野が眠気に襲われたように重くなり、私は何もできないでいた。
.何もできない。
反撃することも、食い下がることも、抵抗することもできない、弱い私。
思い描いていた、理想としていたシノンじゃなかった。
弱い、弱虫の朝田詩乃でしかなかったから、私は殺されるんだと、覚悟していた。でも、寸前のところでハジメが助けてくれた。
また。
私は助けられてしまった。
あの時はハジメと名前を変えていた彼の姿に、私はいつしかその姿にケイを重ねてしまっていた。
助けられた。
助けられてしまった。
何がスナイパーのシノンだ。ヘカートⅡを扱う狙撃手なんかじゃない、ただの弱虫の詩乃だ。.私は、これからもケイに付きまとい、ケイを不幸にしていくんだ。
もう、終わってしまいたいと、思い始めていた。
洞窟に逃れ、ハジメと隠れている中、私はもうすべてが終わってほしいと思い始めていた。
死銃に撃たれ、現実で死ぬのなら好都合だと思った。人を殺すきっかけを作ってしまい、それをケイに背負わせてしまった事や、これからも誰かを不幸にしていく恐怖に、私はもう、乗り越えようとは思えるほどの強さはなくなっていた。
終わりたい。
せめて、この世界でシノンとして消え去りたいと願っていた私を、
「巫山戯るな!」
ハジメは怒り、
「……生きるのに疲れた? 罪の償いに死ぬ? 巫山戯たことを抜かすな! それは今を必死に生きている人間や、生きたくても生きることのできなかった人間の侮辱だ!」
今思えば、それは当然のことだと思う。
でも、あの時の私は、逃げたくて、逃げたくて仕方がなかった。でも逃げても、どんなに見ないふりをしても、目を背けても、必ず罪は追いかけてくる。
いっそ死んでしまえば、もう、もう恐れることはない。
それなのに何で許してくれないの。
ほっといてよ。
もう怖くて仕方がないのに、死ぬのも、怯えながら生きるのも、好きな人の傍に立つこともできないのも、全部怖いの。
それなのにハジメは強すぎた。
すべてを受け入れ戦えられるあなたに何がわかるの、そんな感情のまま。
「……っ、それなら……私を、一生守ってよっ! ずっと、一生、永遠に、私を!」
叫んだ。
ハジメの圧倒的な強さに嫉妬し、存在を認めたくない苛立ちに、私は何でわかってくれないのと、勝手なことを感情のままに叫んでしまった。
矛盾していることは解っている。
誰にも守られない、誰にも屈しない、そんな強さがほしい。それを望んでいたのに、私は感情のままに、ハジメにすがってしまった。
感情のままに叫び、感情のままに泣き、縋り付いてしまった。
なんでケイじゃない人、ハジメに私は感情をぶつけてしまったんだろう。ううん、たぶん、本能的に私はハジメ──ケイとして見てしまっていたから、感情をぶつけてしまったんだろう。
そう、私は強くなりたかった。
ケイのように、ハジメのように、強くなって傍にいたかった。
でも、私は弱い。
怖くて仕方なくて、逃げだしたくて、結局、強くなることができない。
現実なんてそんなもの。
結局ゲームに逃げて、現実から事実からすべて逃げて、ケイからも逃げていた。シノンが強くなっても、私は強くなれない。
朝田詩乃は、国本恵一の傍にいる資格はない。
そんな事実が突きつけれれてしまったような、絶望が私を暗く沈めていく。
でも、
「……汚くなどない、綺麗な手だ」
ハジメが震える私の手を包んでくれるように握りしめ、
「故に私は握ってみせよう。そして、キミが想う人の代わり……そして、キミが想う人の代わり……とは言えないが、こうしてキミの傍にいよう」
強張ってしまった身体の緊張のすべてを緩めてくれるような温もりで私を包み、
「シノン、キミが前に進める時まで……キミの想い人の代わりに全力でキミを守ろう」
恐怖に凍えていた心を温めてくれるように、ハジメが抱きしめてくれる。その温もりに私は、昔、ケイに抱きしめてもらった時と同じ温もりを思い出す。
ケイが両親の仕事の都合で東京に転校する晩、一人で泣いていた私を抱きしめてくれたような温もりに、私は勇気をもらった。
だから一歩。
ほんの少しだけど、一歩だけ進めた。
ハジメ──ケイの傍にいるために、私は死銃に立ち向かうことができた。
過去を否定することじゃない。
過去に目を背けることじゃない。
過去を否定することなんて出来はしない、受け入れていくしかない。
そんなこと解っていたつもりだった。
でも、私はまるで解ってはいなかった。
ケイは罪を受け入れ、逃げない。
私は罪を受け入れずに、逃げていた。
ただそれだけだった。
死銃に襲われ、ケイと一緒に立ち向かい、現実世界に戻り、新川君に襲われそうになった時も、ケイが助けてくれた。
私の傍には彼がいてくれる。
そして私も傍にいる。
互いに傍にいる事。
私はずっと否定していた。あの日、郵便局での事件から私はずっと、ずっと一人で頑なに逃げていただけで、ちゃんと向き合ってはいなかった。
そう、私は傍にいることを許してもらう為に戦っていたんじゃない。
傍に居るための勇気を求めていたんだ。
その勇気をケイに貰った。
だからあの日、ケイが入院していた病院で私は告白することができた。
それなのに、この、私の胸の中にあるケイが欲しいって気持ちは、どうすればいいんだろう。
せっかく、ケイと恋人になれたのに。
今までずっと言葉にできない、募らせていた互いの想いを16歳となった私は、正面から告げ、感情のままにキスをし、大好きなケイと恋人になれた。
私は、ケイに愛される資格は無いと思っていたから、想いが通じ合った時、とても幸せだったのに、恋人になれてもいまだに不安が拭えないでいた。
もっとケイが欲しい。
欲望が肥大化し、その……つまり恋人として肌を重ねたい。
絶対な関係を持ちたいと、願っている自分がいて、彼と身体を混じらわせたいと欲情を抱いている私が居る。
詩乃とは違い、シノンとも違う、ケイを欲している私。
彼に私の初めてを捧げたい。
恋人として一夜を共にして、身も心も結ばれたいと思っている自分がいる。
……身も心も結ばれたい。
キスを始めてケイとした時。私の中で凍てついていた、ううん、自分勝手に凍てつかせていた想いが溶け、私はほんの少しだけ彼と向き合える勇気を持てた。
でもその中で私の中に一つの想いが生まれた。
ケイに抱いてもらいたい。
と、そんな邪まな想いが生まれていた。
抱いてほしい。
身体を求め合いたい。
それにもし、ケイが求めて来てくれた時。
私は、ケイに……してあげられるのかな?
私は、性的な行為の知識と経験がまるでない。
一応、そういう時には何をすればいいのかは知っているけど、知識は知っていても、もし、ケイと……その行為に及ぶとなれば、どうすればいいのかは解らない。
もし緊張して怖くて泣いてしまったら、ケイは私に失望するかもしれない。
泣き虫の詩乃。
ああ、どうすればいいんだろう。
もしケイが求めてきたら、私は、どうしてあげたらいいんだろう。
専門的な本や恋人同士の特集をあますことなく取り扱った雑誌、誰かが書いたウェブなどにある数多の情報などを見ても、どこもかしこも浮ついたことしか書いてなく、まるで役に立たない。
どうすればいいのかが私にはまるでわからない。
ケイとの初めてのキスも感情のままにしたけど、あのキスがケイの望むキスだったのか不安でしかたがない。
恋人を夢中にさせるキスの仕方や、恋人に嫌われてしまうキスの仕方など、そんな情報もあるくらいだから、気をつけてしないと、ケイに嫌われるかもしれない。
せっかく恋人になったのに、そんなことになるのなんて嫌。
そもそもキスをして恋人になって、同じ時間を過ごすようになったのに、私はケイと先に進めていない。
……正直言えば……怖いから、何もできないでいる……
新川君に襲われそうになった時、もしあのまま彼に殺される……ううん、もし、kらだの自由を奪われ、死ぬまでの間にレイプされていたらと、今、私は男性に恐怖を覚え始めている。
あの時の新川君は、私に対してどんな感情を抱いていたのかなんて、考えなくても解ってしまう。
もしあの時、ケイが間に合わなかったらと思うと、今も不安で仕方がない。
せっかくケイが助けてくれたのに、私は、どうしようもないほど、弱い人間なんだと、やっぱり強くなれていないじゃないと、自分に自信を持てないでいた。
違う。
それだけじゃない。
私は……ケイにいやらしいことをしてしまった。
彼のことを想いながら、自慰をしてしまった事がある。
あれは……そう、ケイがSAOに囚われて、初めて夏を迎えた頃。
私は、夏休みを利用して彼の実家に寝泊まりをして、毎日彼の入院している病院に通いながら身の回りの介助をしていた。
介助と言っても、本格的な介助は病院側がしてくれるから私にできることは限られている。私ができることは、夏の熱波に汗ばんだケイの身体を拭いてあげたり、お見舞いの花を変えたり、空調を調整したり、そんなありふれた身の回りの世話をしてあげる事ぐらいの事しかできなかったけど、毎日彼の傍にいる事ができる夏休みが嬉しくて仕方がなかった。
そんなある日。
ナーブギアに囚われ、瞼を閉じ、仮想世界に囚われてケイの寝顔を見て、私は綺麗な顔だなと、見惚れてしまった。
そのあまりの美麗さに、私は感触を知りたく顔を触り、瞼や頬、首筋や胸を触れ、夏の熱気にうっすらと汗ばむ彼の熱に、私は情欲に酔ってしまった。
そして、私はケイに欲情してしまい……横たわる彼の無防備な唇に、キスをしたいと、生まれて初めて欲情を抱いてしまう。
SAOに囚われて、今も仮想世界で死の恐怖に晒されている彼に、私はいったい何をしようとしているんだろう。
でも……ケイにキスをしたいと沸く情欲は抑えられず、堪えることのできない欲情のまま、私はケイに口付けてしまった。
あれが、私の初めてのキス。
ケイから奪ってしまった、私がしてしまった淫らな行為。
そっと彼の色の良い唇に触れるだけで、情欲はさらに刺激され、触れた唇の柔らかさを失いたくはないと、もっと触れていたい、彼とキスを続けたいと欲望がさらに沸いていき、私の理性を溶かしていく。
……ケイ……
唇に触れるだけのキスでは満足できずに、私は自分の舌をケイの口腔に入れ込もうとするも、それ以上はダメと、朦朧とした理性が働き、反射的に唇を離してしまう。
そして自分がケイに何をしてしまったのかを見て、拭えない程の自分の劣情の浅ましさを痛感してしまう。
ケイの唇が私の唾液に濡れ、無意識にケイの胸元に手を入れてしまったのか、乱れた着衣から見える彼の細い柔肌に刻まれた私の手の痕。
私はケイに……なんて事をしてしまったんだろうと、自分の理性のなさに罪悪感を抱き、私は、後悔してしまう。すぐに私は、唾液で汚れてしまった彼の唇を拭き、乱してしまった着衣を戻し、はやる動機を落ち着けた。
でも、興奮は収まらずに、ケイにさらなる欲情を湧かせていた。
……もっとキスをしたい……
……ケイの身体に触れたい……
ダメ。
こんなのダメ。
……こんなの卑怯だよ……一番やっちゃいけないことだよ……
私は、ケイにキスをしてしまった。
意識を仮想世界に囚われ、無防備の彼にキスをしてしまうなんて、私は卑怯だ。これ以上ケイの傍にいる事ができず、私は彼の病室から逃げるように立ち去り、彼のご両親に泊まらせてもらっている家に走って戻った。用意してもらった部屋に戻り、何かにおびえるように部屋の隅に私は塞ぎ込んでしまう。
……なんで……
……どうして……
……ケイに……
ずっと、悩んでしまう。
なんであんなことをしてしまったの。
卑怯だよ。
何もできない彼に、あんなことするなんて。
……したかった……
やめて。
……キスをしたかった……
違う。
……それ以上の事も……
やめてよ。
抑えようとも自分の欲情は決しておさまらず、止めることもできずに、私は何とか堪えようと抑えようと必死に自分の内にあるこの湧き出す欲情を堪えた。
こんなこと駄目。
ケイを汚すようなこと、絶対にしちゃダメ。
お願いだから、堪えてよ。
瞼を閉じて必死に抑えようとしても、浮かんでくるのはケイの寝顔と身体だけ。それがずっと私の脳裏に焼き付き、欲情を高めていく。
彼の身体を触りたい。
汗ばんだ彼の胸元に口付けをしたい。
情欲に熱が高まり、私はケイに触れていた左手で自分の唇に触れさせ、彼と口付けた時の感触を思い出し、口付けをした感触を思い出してしまう。
……ケイ……
じゅんと、私の膣が濡れだし、膣口が欲情を高め劣情の潤いに満ちていく。もしケイがキスをしてくれるならと、いやらしいことを想像し、私は人差し指と中指をケイの下に見立てて、自分の舌を愛撫し始めた。
……んん、んんん……
脳内で今私はケイと激しいディープ・キスをしているんだと想像し、彼がキスをしながら私に語ってくれる言葉を想像してしまう。
……詩乃、好きだ……
……もっと、キスをしたい……
「……私も……したいよ……」
私の左手が本当にケイの舌のように思えてきた。
指先で私は自分の舌を抓り、ケイの激しい口付けを想像し、自分の中の情欲を慰めるも、身体の熱は引いてはくれない。
私は溜まらず、無意識……ううん、本能のままに、ケイの汗を拭いたタオルを取り出し、タオルの匂いを吸いながら、左手で自分の膣を慰めてしまう。
初めて自慰をしてしまった。
しかも、彼の家で。
私は、ケイの汗がしみ込んでいたタオルの匂いを吸い、染み込んでた彼の汗の熱に酔いながら、膣を左手の指で何度もなぞり、この手は彼の手だと想像しながら、自慰にふけってしまった。
……詩乃、気持ち良いか?
「……気持ちいいよ。ケイ……」
さらに激しく指を動かし、ケイに愛撫されている事を想像しながら、私は乳房を右手で乳房を掴み、熱く固まってしまった先っぽを右手の親指と人差し指で撮みながら、彼が愛撫してくれていると妄想し、情欲を覚まそうとするも、さらに熱は上がっていく。
……感じているみたいだな……
「……やぁあ。ケイだめぇえ!」
私は、想像してしまう。
ケイの……男性器を。
見たことはなく、あの時病院で見とけばよかったと後悔するほどに、自慰に夢中になってしまった私は、彼の男性器を妄想する。
私だって一応の知識はある。
それに昨今、ちゃんとした性教育は小学校の高学年から始まり、中学の授業でもちゃんと道徳と倫理の授業として学ぶから、教科書で見たモノを想像し、ケイが私にもし……入れてくれる時、どんな言葉をささやいてくれるのかな。
……詩乃……いいか……
ケイなら、こう言うのかなと、私は……指を入れることは怖かったから、あくまでなぞるだけで、それ以上の事は出来なかったけど、ケイの……男性器が私の身体の中に入ったらと想像すると、すごく興奮してしまい、ケイのタオルを膣口にこすりつけ、激しく指でケイの男性器を想像しながら、挿入されていることを妄想しながら自慰に耽ってしまう。
ケイの男性器が私の膣を激しく攻め、乳房を激しく噛み上げ、ケイが私の全てを奪っていく事を妄想しながら、私は自慰に夢中になっていく。
彼にこうされたい。
ケイの固くなった男性器が膣を激しく叩き、後ろからお尻をわしづかみにされて、犬猫の交尾みたくケイに責められる姿を脳裏に浮かべ、
……詩乃、好きだ! 好きだ!
耳元でうなされるような彼の声が響き、私の身体に夢中になって攻めていくケイの息遣いを感じながら、ケイの欲望を受け入れたい。
ケイの男性器が私の子宮を攻め、背中にのしかかり、私を無理やりに攻めてほしい。
「あぁぁああん! ケイ! ケイ!」
妄想の中の私は、ケイに抱きかかえられたまま、乳房を掴まれ、後ろから激しく攻められ、彼の暮れる快感に酔いしれ、羞恥もなくに受け入れてしまっている。
「いいのぉ! ケイきもちい。きもちいのぉ!」
私が漏らしてしまう声にケイがさらに興奮し、私の膣を激しく虐めだす。
固くなった肉の杭に串刺しにされ、ケイの欲望のままに、私が責められている姿を想像し、私はさらにケイのタオルを膣にこすりつけ、乳房をギュッとつねる。
「あぁああん! だめぇえ! ケイ! ちぎれちゃうのぉ! そんなに強くしないでぇ!」
でもケイは止めずに、さらに強く私の乳房を握ってくる。私の乳房をあの大きな手で思いっきり握ってほしいと、妄想しながら、私は乳房を掴まれたまま、ケイに突かれていることを想像して膣を攻めた。
乳房の先、固くなってしまい、純潔してしまった乳首を思いっきり引っ張ってほしい。
ううん、違う。
噛んでほしい。
ケイの口で。
噛んだまま、膣を子宮を攻めてほしい。
激しく私の膣内をケイの全てで埋めてほしい。
ケイの膨張した男性器がさらに固くなり、私を激しく揺らしてほしい。
ケイに簡単に持ち上げられ、抵抗もできずに、彼の欲望に染まりたい。
「ケイ……ケイ……もっと……もっとぉお!」
私の声にケイがさらに激しく私を突き、私は泣いてしまう。ケイが私に夢中になってくれている。
私の虜にされているんだ。
違う、私がケイのモノにされている。
もう、私はケイのモノなんだ。
「いいのぉケイ! ケイ! もっと、激しく叩いてぇ! 私をいじめてぇ!」
私はタオルをさらに強くこすりつけ、膣口に食い込むような攻め方で膣を虐めていくと、タオル越しに何かが当たる感覚がわかってしまう。
そう、私の陰核がタオル越しでも解るくらいに膨張し、私は溜まらず、ケイに摘み上げられるのを想像し、
「だめぇえ! ケイ! そんなことしちゃ!」
……もう、出すぞ……
脳裏にそんな言葉が響く。
私の膣に出される。
ケイの精液が。
それを思い浮かべた時、私の快感は限界を迎えてしまい、
「んんぅんんん!」
身体を痙攣させながら私は潮を漏らしてしまい、ケイのタオルをびちゃびちゃに濡らしながら達してしまう。
息を身だし、全ての感覚が落ち着くまで、私はケイの精液が内に出されていることを想像してしまい、また絶頂に達してしまい、放尿みたく潮を漏らしてしまう。
ようやく呼吸が落ち着いたとき、ぐっしょりと濡れてしまったタオルを見て、自分がどうしようもないほどに、彼に欲情を抱いているんだと、理解し、初めての自慰の余韻に浸り、自分を落ち着けるしかなかった。
落ち着かなければ泣いてしまう。
大好きな彼で自慰をしてしまった自分の淫らさ。
今がとても大変な時期なのに、こんなことをして自分を慰めてしまうなんて、私は最低で、救いようがないと、うちしがれ泣いた。
そして何食わぬ顔で、またケイの居る病院へと行き、彼の身の回りの事を片付けながら家へと戻り、夜たまらずに自慰をしてしまう日々が続いてしまった。
実家に戻った後も、ケイの事を思い出す夜に、私は自慰をして自分を慰めている。時折今も。
そんな、いやらしい私が……ケイの事を好きになってもいいのかな?
どうしたらいいのかな?
自分から求めるなんて、絶対……変だよね。
いやらしい娘だって思われたくないし、それにケイがもし私のことを求めていなかったら。
ううん、そんなことはない。
だってケイとキスをしたんだから、彼だってきっと私のこと好きなはず……でも、ケイが私のことを好きになってくれた理由ってなんなんだろう。
もしかして、同情で私のことを……違う。
ああ、もう。なんでこんなことばっかり考えちゃうんだろう。
「……し……の……」
それにケイだって、今日退院したばっかりなんだから、無理をさせちゃだめだし、わたしってこんなにいやらしい娘だったのかな?
「しの……ちゃん……しのちゃん」
え?
あ。
心配してくれている明日奈の声に私は悶々とした思考を止め、
「落ちついた詩乃ちゃん?」
「あ、うん……おかげさまで」
明日奈の声にハッとして、私はぼんやりとしていたことに気づいてしまう。
あの親娘との出会いの後、ケイの知り合いがお店をしているダイシー・カフェで軽い談笑をしながら時間を過ごし、キリト──和人と、ケイはあの親子を見送りに駅へと向かっていた。エギルさんは野暮用でお店から離れ、私と明日奈は留守番として残っていた事を。
娘さんが送ってくれたケイと私の似顔絵の暖かさに感動し泣いていた私は、少し落ち着くまでと明日奈に傍にいてもらい、時間を過ごしていた。
彼女の名前は結城明日奈。
聴けば、あの大企業のレクト社の御令嬢らしい。
明日奈と一緒にいた里香と名乗ってくれた娘から聴いた情報によれば、京都の200年の歴史を持つ由緒正しい家柄の娘で、あのキリト──和人の恋人。
恋人か。
私がいま求めている、ケイとそう成りたいと思っている関係。
GGOの中でもすごく仲が良かったよね。
最初見たときは、女の子同士なのに仲が良すぎるから、アスナにはそっちの趣味があるのかと思っていたけど、キリトがレアなアバターのせいで男性なのに女性に見えると知ったとき、なんとなくわかった。
この二人は想いがちゃんと通じ合っているんだって。
キリトがアスナを見る時の目は、ケイの視線に似ていた。
やさしく見詰め、見守ってくれるあの優しい瞳。アスナはその瞳を独占し、温もりを独り占めできる特別な存在。
もしかしたら。
「……アスナは……その、聞いていい?」
「なあに? 私で応えられることなら何でもいいよ」
「……キリトと……」
うう、なんて言えばいいんだろう。
──性行為をした事があるの?
と、いざとなって単刀直入に聴こうとした自分があまりにも恥ずかしくて、なんて事を聴くんだろうと辟易してしまう自分がいた。
普通に考えたら解る筈なのに、今の私はどれだけ余裕が無いのだろう。
「どうしたの? 詩乃ちゃん?」
ハーブ・ティーを一口飲んで訊ねてくる明日奈。
「え、あの……えーと」
「?」
無邪気な視線が痛い。
澱みのまるでないヘイゼルのあの優しい瞳に見詰められ、親身に心配してくれている彼女に視線に耐えられずに、
「……その……明日奈は和人と……その……抱いてもらった事……あるの?」
「……?……」
「……だから和人と……その……」
すごく気まずい。
それに視線が痛い。
聞いてしまうこと自体が間違いと思える質問ではないかと思うくらいに、気まずい空気が流れる中。
「……な、なに……キイテルノカナ? ワタシ、ワカンナイヨ……」
うあ、すごく解りやすい。
アスナは誤魔化そうとしているけど、ごめん、すごく顔が真っ赤だよ。
耳まで。
カップをカタカタ揺らしてるし、ハーブーティーが全部零れているし、視線もどこか泳いでいるし、すごく動揺しているよ明日奈。
でも、よーく解った。
つまり明日奈は和人と経験していたんだ。
まあ、あれだけ……その……GGOでも現実でもあんなに人目もはばからずにイチャイチャしていたら、普通に解るよね。
この二人は特別なんだ。
互いに想いを遂げられ、傍にいる事が当たり前……ううん、当然と言っても良いほど、ごく普通に和人と一緒に接して、過ごす事が出来るんだ。
「とりあえず……明日奈、落ちついて」
「え、エ、ワタシ、オチツイテルヨ……ヤダナ……シノのん」
私の呼び方も変わってるほど、今の彼女にはまるで余裕が無かった。
全て紅茶が零れてしまったカップに気付いたのか、明日奈はカップを慌てて下ろし、テーブルに零れてしまったハーブ・ティーをおしぼりで拭き取るも、その挙動はやはりあわあわしていた。
持っているおしぼりでも全てを拭う事が出来ずに、私のおしぼりでテーブルを拭い、綺麗にしながら、
「とりあえず深呼吸しよう、ね」
「う、うん」
胸に手を当て、深く息を吸い、息を整える。
「落ちついた」
「……うん……」
照れているのかモジモジとしながら明日奈は、私の質問にどう答えようかと迷っていた。
その時。
偶然にも見えてしまった。
「……!」
モジモジとしていた時の仕草で栗色の髪を揺らしていた時に、右耳元と肩の真ん中辺りの首元の中間の部分に、確かにそれが見えてしまう。
……キスマーク。
アスナの白い肌にくっきりと残されたキリトの所有の痕に、私が言葉を失っていると、その視線を感じたのか彼女は、
「え! あ、あの、これは……」
あわあわと大慌てで右手で、その痣を隠そうとした時、袖がずれ、隠れていた右手の手首の何かに縛られていただろう痕も見えてしまう。
右手だけではなく、左手にも、その拘束された痕はあった。
つまり……アスナあなたは両手を縛られていたの!
それにその痕から見ても、昨日くらいの生々しさがあるんだけど、もしかしてキリトに縛られたの。
私はどう言えばいいか解らず、沈黙してしまう。
……キリト、あなたアスナになにをしているの?
一応、未経験の私だって性行為の中に相手を縛ってする行為があるのは知っているけど……まさか本当にするなんて。
そう言えばキリトって、なんかSっ気があるよね。
やっぱりネットで載っていたような事を、明日奈にしているの?
彼女を裸にして身体をきつく縛って、想うままに好きな人を自分の欲望に染めていく、好きな人に成すがままにされる行為……ケイもしたいのかな?
もしケイが望んだら、私もさせてあげなきゃいけないのかな。
……ケイに縛られる。
だめ!
ケイにそんなことされたら、私、絶対に拒めない。
やだ、何考えているのよ私は!
あまりの恥ずかしさを誤魔化すようにうつ向いている明日奈に、私はどう話しかけたらいいかわからず、とりあえずにアイスティーを飲みながら、彼女が落ち着くのを待っていると。
「……うん……経験……あるよ」
と、ぼそぼそとした明日奈からの返答があり、飲んでいるアイスティーを噴き出してしまいそうな咳き込みを必死に押さえながら、私は明日奈の思いがけない返答に驚いてしまう。
「……」
どうしよう。
なんかすごく明日奈の経験を聴くのが怖い気がする。
ううん、怖い。
たぶんあの和人の事だから、私の想像を絶するような事を明日奈にしているんだろう。
「……その……詩乃ちゃんは……なんで……知りたいの?」
「……」
それはケイとそうなったときの為に、心構えをしておきたいからと、一応理由はあるけど、だめ、恥ずかしくて言えない。
「……もしかして、景一さんの為?」
「!」
アスナの意外な鋭さに、私は完全に言葉を失ってしまい、赤面してしまう。
やっぱり経験者から見たらわかるのかな?
「詩乃ちゃん?」
「え? ええ? な、なに! あ、明日奈!」
あたふたとする私は、
「べ、べつに、そんなわけはないけど……でも、ケイとは……その……あの、あの」
「とりあえず落ちついて詩乃ちゃん」
逸る気持ちをなだめられ、
「水を飲んで落ち着こう。私も飲んで落ち着くから」
「う、うん」
私と明日奈。
お互いにコップを持ち、一口水を呑み込む。
とりあえず落ち着こう。
アスナがこくこくと水を飲み込み、私も同じように水をごくごくと飲みこんでいく。
一息つき、互いに何を言えばわからないまま一分間ほど時間を浮かしながら、言葉を詰まらせていると、
「……正直に言うとね……わたし……和人君に……抱いて……もらったよ……もう、何回も」
「そ、そうなんだ」
「……キスもしたし……その……色々なこともしてもらった……だから、詩乃ちゃんは何が聴きたいのかな? 私でよかったら、応えられる事なら……力になってあげたいし……詩乃ちゃんは、景一さんの事……好きなんだよね?」
勇気を振り振り絞った明日奈の精一杯の切りだしに、私は静かに、
「……うん……」
返事をしながらこくりと頷き、
「……私ずっと昔から、ケイの事が好きだった……幼馴染で家も隣通しだったから、いつも傍にいて、ケイの傍にいることが当然だって思っていたの。でも、あの事件のせいでケイに一生消えない傷を負わせて、罪も背負わせてしまって……私なんかが傍にいたら、彼を不幸にするだけなんだって思ったこともあったけど……ケイは私を遠ざけるどころか、いつも気にかけてくれて、私の事を心配してくれて、私もその優しさに甘えて、結局、ケイから離れる事なんてできなかった……」
明日奈は静かに聞いてくれていた。
真剣なまなざしで、一音一句聴き逃すことをしないように、しっかりと聴いてくれるその姿勢に私はどこか安堵し、
「ケイがSAOに囚われてしまった時、すごく後悔したの。ケイがいなくなってしまえば、私は弱くなってしまう、生きていけない程に、私は弱いんだって痛感したの。もしケイが死んでしまったら、私も死のうって自殺も考えながら、毎日を過ごしていた」
「……詩乃ちゃん……」
「東京に進学を決めたのだって、ケイの傍に逃げたかったから……ずっと私は逃げてばかりで、弱いままで、それなのにケイは囚われた2年間で、昔よりももっと強くなって戻ってきた」
ケイにすらいえなかった私の中の思いを、明日奈は一言一句静かに聞いてくれていた。不思議なことに私も自然に明日奈に告げることができた。
これが明日奈の魅力なのかな。
母性的と言えばいいのか、素直になれるやさしさに満ちていて、どんな事も告白できそうな暖かさに満ちている彼女。
和人が好きになったのもわかる気がする。
私にもこれくらいの心強さと魅力があったのなら、ケイに素直になれたはずなのに。
そのやさしさに甘えるように私は、
「ケイがやっと戻ってきてくれたのに、私は何も変わらないままで、いきなり遠くにケイが行ってしまったように思えてしまったの……そんなことないのに、ケイはずっと傍に、私の傍に寄ってくれるのに、私は弱いままで、私も強くならなきゃいけないって思ったの……せめて自分の中にある、過去と向き合えるようになりたい、銃のトラウマを克服したい、その思いでGGOを初めて、少しずつだけど、前に進めて……」
急に恥ずかしくなるも、私は精一杯の勇気を振り絞って、
「……二日前にケイにやっと想いを告げる事ができたの……キスも……したし……」
言ってしまった。
すごく恥ずかしいけど、
「よかった。景一さんと結ばれたんだね。おめでとう詩乃ちゃん」
素直に喜んでくれる明日奈の声に、私は嬉しく、
「ありがとう……でもね……その……」
私の内にある、
「……恋人になったら……やっぱり……その……抱かれたいって思うものなのかな?」
気持ちを告げた。
どこか落ち着かないのか、何を話せばいいのか解らずに私は、
「……明日奈とキリトは……やっぱりあのゲームの前から付き合っていたの?」
「ううん」
戸惑いで顔を染めていた明日奈は、
「わたし達の出逢いはあのゲーム。SAOの中だったの……それまで私はね、男性の人とお付き合いした事が無くて……それに男の人がすごく怖かったから、和人君と私は、最初の頃、あんまり仲は良くなかったの」
「ええぇぇぇ?」
驚く私に明日奈は困った顔をしてしまう。
だってあんなに仲がいいのに、仲が悪かったって、まるで想像できない。夏休みにみんなで奈良に行った時も、あんなの和人と仲が良かったのに、
「仲良くなかったの?」
「うん……ケンカもしたし、言い争ったこともあったし、決闘をしたこともあるよ」
決闘。
「か、和人と決闘したの? 明日奈が!」
どこか信じられなかった。
この二人が決闘をしたなんて。
「うん。あの頃の私はトップギルドの副団長をしていたの。はやく元の世界に戻りたいって、どこか焦った思いで、いつも攻略の手を考えていて……55層のフィールド・ボスを攻略する時も、NPCを囮にして、その隙にフィールド・ボスを倒す作戦を練ったの……」
ぎゅっと明日奈は手をきつく握り締め、その細い手で拳を固めた。
NPCを犠牲にする。
私もGGOをしている時、NPCを犠牲にしてModを仕留める作戦を練ったチームを見た事がある。
正直、そんな方法は安易に許されるような行為じゃない。
例えゲームでも、それはやってはいけない行為。
でも、あのデスゲームを安全に攻略するなら、その手は許されてしかるべきだと思う。
それにそれは仕方のない事。
まして自分の命が関わっているデス・ゲームなら、なおさら。
私だって自分の命が、ケイの命が関わっているのなら、間違いなくその方法を選択する。
明日奈がそんな非情な選択をした背景には、攻略に関わる人間を誰も死なせずに、生きて返す為に決断した行為だって解る。
「でも和人君達は反対して、黒衣衆のみんなだけでフィールド・ボスを倒しちゃった」
……和人。
あなたは本当に人間なの? ケイも、ケイだよ。そんな危ない事をするなんて。もし、あのゲームの中で死んだら、本当に死ぬのに。
でも、ケイならそうすると思う。
私なら、どうするんだろう?
「で、結果は? どうなったの?」
「……負けちゃった。あっさりとね」
まあ、勝てるわけないよね。
私だって和人と決闘なんてなれば、すぐに降参を選択してしまう。
GGOでしか見ていないけど、明日奈は相当な腕前だと思うけど、和人の戦い方は常人離れで段違いだし、なによりあの恐ろしいほどの殺気で向かわれてしまったら、まるで勝てる気がしない。
たとえ0距離からヘカートⅡの銃口を向けていても、あっさりと簡単によけられてしまうような気がする。
「……でも、和人君と決闘して負けたおかげで、自分を見詰め直すことができたの……」
「見詰め直す?」
「私、早くあの世界から抜け出たくて、早くクリアしたくて、必死になっていたの……あの世界が怖くて、どうしようもなかったから……」
その言葉に、明日奈は気持ちを暗くしていた。普通なら言葉を詰まらせてしまい、何も言えなくなるはずだけど明日奈は、
「私ね……あの世界に閉じ込められた時にすごく後悔していたの……」
私の為に語ってくれる。
「……現実世界の両親から見捨てられて……全てから置いていかれて、落ちぶれてしまう自分が怖くて……でも、何も出来ないまま絶対に負けたくなかったから、絶対、現実世界に帰ってやるんだって……必死に戦っていたら、いつのまにか攻略組の副団長になって、たくさんの人の命を預かる立場になっていたの」
明日奈が攻略組の副団長。
いまいち想像できないけど、GGOの中であれだけの強さを見せていた明日奈の腕前なら、一つのチームをひっぱていくだけの力量は余裕だと思うけど、
「私の責任でプレイヤーを死なせてしまう恐怖があったわ。団員だけじゃない、他の攻略組やギルドの人たち、誰一人も死なせたくなかったから、必死に誰も犠牲を出さないように色々な作戦や方法を考えていたの……でも時折、少しの犠牲は止む負えないって思う自分がいて、それを受け入れようとしていた……けれど、すごく怖くて仕方が無かった……」
デスゲームの中でその地位に就くのは容易ではない事ぐらい、参加していない私にだって解る。
現にあのVRの世界での死は現実とは変わりない衝撃がある。まして本当に死ぬとなれば、普通ならそんな立場に立ちたくはない。
そんな人の生き死ににかかわる重大な決断を明日奈に背負わせる。
彼女なら嫌とは言わずに、その責務を果たそうとする。
「みんな私の事を攻略の鬼とか呼んでいたけど、本当のことを言えば辛かったの」
辛くて当然だよと、言いそうになるも私は言葉を飲んでしまう。
そんな事を言うのは、所詮同情でしかないから。
明日奈は言葉を途切れさせずに、
「いつも自分にかかる重責に押しつぶされそうだった……」
どこか辛そうでも、頑張ってくれる彼女の優しさに私は嬉しかった。掛け値なく心を許せる友達を今まで持つことができなかった私にとって、明日奈の優しさは慈愛に満ちていた。
話すことも勇気がいる自分の心内を語ってくれる彼女の声を私は何も言えなくなってしまう。
「もっと強くなりたい、みんなの期待応えたいって、思う自分がいて……不安だった」
うつむいていた視線を上げて、
「でも和人君は、そんな私の不安を拭ってしまう程の強さと、どんな恐怖にも立ち向かえる勇気と、全てを受け入れる覚悟を持っていたの。私は結局怖いままで、何も出来ないで、周りからつけ入れされない為に強がっていただけで……それだからかな。彼に嫉妬していたの」
「嫉妬?」
明日奈はどこか恥ずかしそうに、
「うん、私ね、最初和人君を見て、なんであんなにも強いのに、攻略ギルドに入らずに、のんびりしているんだろう。なんで焦っていなんだろう。どうして一人で、あんな強い敵に立ち迎えるんだろう、あんなに背中を預けられる仲間がついてくれるんだろうって、私、キリト君の事に嫉妬していたの……だからかな。キリト君と決闘して、彼の余裕を認めたくなかったから……挑んだの」
その気持ち、すごく解るよ。
私もケイ──ハジメのことに嫉妬してしまっていたから、ハジメに負けたくない。絶対に勝ちたいって、思っていたから。
「でも負けてから、悔しいよりも、何かすがすがしい気持ちがあって、和人君の事をいつも考えるようになって……気づいたらいつも彼のことを考えて探している自分がいたの」
明日奈はどこか幸せそうに笑顔で、
「それが恋だって気づけなかった。なんでこんなにモヤモヤして気が急くんだろうって、不思議で仕方がなくて、和人君の事をずっと探していて、ずっと考えている自分の気持ちがよくわからなかった……そんなある日にね、和人君がお昼寝をしていたの。今日はいい天気だからお昼寝をするんだって言って、のんびりしていた。私は、早くこんな世界から出ていきたい、戻りたいって思っていたから、そんな和人君にあきれて、怒ったの。そしたら〝アンタも寝たらどうだ? 酷い顔しているぞ。お前も寝ていったらどうだ?〟って、私が寝ていないことを簡単に見透かされちゃったの」
眠ることができない。
私も、あの事件の夢を時折見ることがある。
もう慣れてしまったけど、最初の頃は寝るのが怖くて、どうしようもなく、身体を壊してしまった事がある。
明日奈も同じように、悪夢に耐えていたんだ。
「私ね、和人君にそう言われるまでずっと、SAOの中で寝ることができなかった。いつも夢を見ると、決まって現実世界の夢で……すごく怖い夢だったから……寝るのを止めて、ずっと寝ないで夜を過ごしていたの。でも、時折どうしても眠りたいって衝動に駆られて、ベットに横になった事もあるけど、決まってみたくない夢を見てしまう、そんな毎日が続いて……辛かったな……」
「……誰にも、相談できなかったの?」
尋ねてみると。
「……出来なかったよ。あの時の私は片意地が強くて、逆に弱音を吐く人を叱っていたの。それに私が弱音を吐いたら、血盟騎士団の信頼が下がってしまう、攻略に影響してしまう。しっかりしなきゃって、その思いだけしかなかったから……でもね。そんな強がりは和人君には見抜かれちゃっていて、彼にお昼寝に誘われて、彼の寝顔を見ていたら、横になってみようって、想いを抱くことができたの」
その時のことを思い出したのか、明日奈はとても幸せそうな顔をして、
「とても柔らかくて寝心地のいい草のベットだった。お日様の匂いがして、すぐに寝ることができたの。でもそれよりも安心して眠れたのは、和人君が傍で守ってくれていたおかげだったの……」
和人のことを想っているせいなのか、すごく声が熱い。
「それからかな……和人君の事が好きだって気づいて、彼の傍に居たい気持ちが日増しに強くなっていって、色々な理由をつけて、和人君の傍に居たかった……」
頬を赤めながら明日奈は、
「一緒に狩りをしたり、ご飯を食べに行ったりして、彼と一日を過ごすことがすごく大切な、かけがいのない、私の強さになっていって」
誇らしく、
「和人君のおかげで悪夢を見ることもなくなったし、焦燥感も無くなって、心の中に余裕が持てるようになった……和人君の傍にいたい。ずっといたいって、そう考えるようになって、毎日和人君の事を考えるようになったの。でも、デスゲームの中だったから、いつ和人君が死んでしまうかも、私自身が死んでしまうかもしれない、そんな恐怖がいつもあった。いままでよりも絶対に死にたくない。和人君と一緒に生きていたい、何があっても彼を守りたいって、ただその思いだけがゲームの攻略よりも大切なことになったの……でも、ある日、和人君がラフィン・コフィンの生き残りに襲われてしまった……私のせいで」
ぎゅっと両手を絡み合わせながら握りしめたまま、
「血盟騎士団のメンバーの中に……そいつは素性を隠して潜んでいたの。名前はクラディール。かつて私の護衛をしていた団員の一人だった……」
明日奈の声が重くなる。
そいつと言い放つ、明日奈の声には不快感が込められていた。明日奈が臆面もなくに敵意を向ける、その相手のことを話すのがよほど辛いのか、声が途切れてしまう。
私は無理をしないでと話を終えさせようとした時、
「あの頃……ゲーム内でPK(プレイヤーキル)が多発していて、女性プレイヤーを狙ったレッド・プレイヤーもいて、そういった輩から身を守るために血盟騎士団の方針で、私には最低二人の護衛が付けられていた中に、そいつはいたの……」
でも明日奈は止めようとはせずに、
「私はそいつの悪意に気づけないで毎日を過ごしていて……ある日、和人君と一緒に迷宮探索に行こうとしていたときに、そいつは私の家の前に張り込んでいて、執拗に私の後を追いかけてきたの……」
震えをこらえながら語る明日奈の声に、私は不安を覚えてしまう。
現に私も、新川君の事があったから。
「正直、怖かった……副団長の肩書があっても、私は男の人が苦手だったから、強がって逃げる事しかできなかった……」
その時のことを思い出してしまったのか、明日奈は震えを堪えていた。
でもその震えも、
「和人君と待ち合わせしている場所まで追いかけてきて、私を無理やり血盟騎士団の本部に連れて行こうとしていたの。腕をつかまれて、怖くて抵抗できなくて、震えてしまいそうなとき、和人君がそいつの手を振りほどいてくれて、助けてくれた……」
止まってしまうほどに、明日奈にとって和人は大切な存在なんだ。そして和人も、明日奈の事を大切な存在として受け入れているんだ。
「……でも、私……それからずっと和人君に甘えるようになってしまったの。私の為に、フロアボスと闘ったり、血盟騎士団の団長と決闘したり、沢山危ない目に合わせてしまった……そして、和人君が殺されそうになってしまったの……」
殺されそうになってしまった?
和人が。
「私の脱退を条件に参加していた血盟騎士団の戦闘訓練に乗じて、クラディールが小休止の食料の中に麻痺毒を仕込んでいたの。奴は三人を殺した後、和人君を……殺そうとしていた」
明日奈の声に怒りが込められている。
静かな怒りを込めた後、
「私……和人君の事が心配でしょうがなかったから……追跡していたの……いきなりパーティーメンバーの反応が消えて、和人君のステータスに麻痺の表示がされていて、頭の中が真っ白になってしまって、彼のもとに早くいかなきゃって、その思いで必死に走ったの。そしたら、クラディールが、あいつが、和人君を殺そうとしていた……」
ギュッと手を握り締めながら、
「許せなかった。すごく……そいつが和人君を殺そうとしていたことが! だから、私、そいつを殺してやろうと、剣を抜いて、そいつを追い詰めたの……でも、殺せなかった……」
泣いていた。
ポロポロと涙を流し泣いている明日奈は、
「あんなわざとらし命乞いをしているのに、私は……怖くて仕方がなかったの……人を殺すことが……そのせいで、奴の逆襲にあってしまって……殺されそうになってしまって……でも、和人君が助けてくれたの……」
「……和人が……殺したの?」
あの世界で死ねば、間違いなく現実世界で人は死ぬ。
SAO事件の被害者のニュースを毎日追うように見ていた私には、それがどう言うことかがわかってしまう。
そう、それはつまり、あの世界でプレイヤーがほかのプレイヤーを殺してしまえば、現実世界で死ぬ。
つまり、人殺し。
和人が明日奈を守るために人を殺した。
ケイと同じように。
私の頭の中が混乱してしまう。聞くべきではなかった事なのに、私はなんてことを聞いてしまったんだろう。
聞くべきじゃなかった。
なんて軽率だったんだろう。
反射的に明日奈に謝ろうとした時、
「うん……私のせいで、和人君が人を殺してしまった……私、どうしたらいいかわからなくて……私のせいで和人君に罪を背をわせてしまった事実を認めたくなかった。でも、これは事実なんだ、私のせいで和人君は人を殺してしまった。悲しくて仕方がなかった。私が、もっと強かったら、彼を殺人者にさせなかったのに……これ以上彼の傍にいたら、もう駄目だって思って……いなくなろうとしたの……でも、和人君は私の事を掴まえてくれた……そして……」
涙を拭い、
「……キスをしてもらったの……」
視線を強くして明日奈は、
「……すごく熱いキスだった……和人君は、自分の命は私のものだって言ってくれた……私も嬉しくて、私の命も和人君のものだって告げれたの……そして、和人君のすべてを教えてもらって、受け入れて……抱いてもらったの……」
何も隠すことなく、明日奈は誇らしく、語ってくれた。
やはり特別なんだ。
二人は本当に愛し合っているんだ。誰も入り込む余地なんてないほどに、二人の想いは強いんだ。
罪を受け入れて、互いに生き合える仲。
私にそんな覚悟があるのかな。
ケイの罪を受け入れる覚悟。口で言っているだけかもしれないと、不安が沸いてしまう。
違う、そんなことない。
あるわけない。
私は、ケイの事を絶対に……でも、昔、私は……ケイを恐れてしまったよね。
明日奈みたいに、自分のせいでって思っていたのは建前で、今は本心からだと、ただそう思っているだけで、本当は、心のどこかで自分は関係ないって思っているのかもしれない。
私は、素直に明日奈がうらやましいと思った。
彼女はどんなことがあっても、和人の事を愛せる強さを持っている。和人の全てを受け入れて、その身の全てを……命すらも捧げているんだ。
私にできるのかな。
不安が私の胸を苦しめてくる。
そんな私の不安を察してくれたのか、
「詩乃ちゃん……やっぱり、怖いんだね……」
「……怖い?」
「うん……もしかして詩乃ちゃん、景一さんに愛される資格があるのかなって、考えていない?」
「……」
「私もね、和人君に抱いてもらう前、すごく怖かったの……私なんかが本当に和人君に愛される資格があるのかなって……私なんかでいいのかなって……でも、和人君は私の事を求めてくれていたから、私も和人君に抱いてほしかったから……自然と一歩前に踏み出せて、次を踏み出せなかったときに、和人君が一歩動いてくれて、近づくことができて、抱いてもらえたの……」
一歩、踏み出す。
私は今まで立ち止まっていた。ケイを傷つけてしまい、殺人者にしてしまった事や、ケイの傍に逃げ、現実から目を背けようとして毎日を生きてきた。
ケイに頼らずに強くなりたい。
そう思っていたけど、私は強くなることができないでいたけど、ケイ──ハジメのおかげで、私は強くなることができた。
それが一歩なら。
でも、もう一歩だけ動く勇気が持てない。
なんで明日奈はこんなにも強いんだろう。
明日奈は本当に強いと思う。
そして和人も。
二人は対等なんだ。
互いに求め合うことができる関係なんだ。
どうしたらそうなれるのかな。
私は知りたくて、
「……その後は、どうなったの?」
「その後はね……和人君に結婚を申し込まれて……」
「け、結婚?」
「うん。SAOの中では結婚することができるから、私、すごくうれしかった……戦いから離れて、Modの居ない、22層の湖畔の傍にあるログハウスに二人で暮らしたの。本当に、本当に幸せで、生まれて初めて、毎日が楽しいって思えたの……でも……」
明日奈の表情に暗闇が彩る。
「……私、和人君と暮らしていく中で思っちゃったの……このまま和人君とここで一緒に暮らせたのなら……どんなに幸せなのかって……もう現実に戻りたくないって……思ちゃったの」
罪を悔やむような声音のまま明日奈は、
「現実に戻るのなら、また戦わなきゃいけなくなってしまう……でも、もし和人君が死んでしまったら……怖くて仕方がなかった……」
でも、それは仕方がないと思う。
私でも、明日奈と同じ立場になれば絶対にケイを戦わせたくないと思うから。
「でもね……それは逃げていると同じだって気づいて……和人君が私に捧げてくれた命を独占するんじゃなくて、私も和人君に命をささげたのなら、一緒にどこまでもついていこうって決めて、どんなことがあっても一緒に戦うんだって決めたの。だから、私は和人君と結婚した後も、一緒に戦うことができた。最後の一瞬まで、私は絶対に和人君の傍にいたかったから」
「明日奈……」
どうして。
どうしてこんなに強いの。
私なら、泣いてでもケイを引き留めてしまうかもしれない。醜く、恥知らずにケイに行かないでって言って、彼を引き留めてしまう筈。
一緒に戦うなんて……私には無理。せっかく想いが通じ合った人間と一緒にいられるのに、わざわざ死にかもしれない危険な攻略を続けるなんて……私にはできない。
「……どうして、どうして明日奈は強いの。教えて。どうしたらそんなに強くいられるの」
知りたかった。
明日奈が和人の前にいられる強さが、その強さが私の求めている、ケイの傍にいるための強さのように思えたから。
ううん、強さそのものだ。
でも、
「強くなんてないよ……だって……私のせいで……」
明日奈は否定し、
「……和人君を死なせてしまった……」
死なせてしまったと、言葉にする彼女。
その表情は重く、辛さに満ちていた。
「……攻略が77層まで進んだ時にね。デスゲームの首謀者である茅場明彦の正体が、私の所属していた血盟騎士団の団長──ヒースクリフだって和人君が見破ったの。そして和人君や黒衣衆のみんなが取り囲んだけど、団長はゲームマスターの権限を使って、みんなを動けなくして、和人君に一騎打ちを挑んできて……和人君はその決闘を受けたわ。ゲームクリアをかけて戦ってくれた……」
途切れそうな声を懸命にして、
「怖かった……すごく怖かった。もし和人君が負けたら……怖くて仕方がなくて、私も戦いたい、動いてって、必死に願った……でも動くことができなかった……悔しくて、悔しくて、和人君を助けたい、その思いだけしか抱けなかった……」
よほどその時のことが悔しいのか明日奈は辛そうにしながらも、
「団長の剣が和人君をとらえたとき、守りたい。動かなきゃいけないって思ったの……その時、何故か身体が動いて、和人君の前に身を出して、団長の剣を防ごうと思ったけど……和人君は、勝手なことをした私を守るために……剣に貫かれて……団長と相打ちになってしまって……」
懸命にしゃべる明日奈の声を私は静かに聞き、
「和人君が砕けてしまって……私、信じられなかった。でも、本当にいなくなってしまったんだ。死んでしまったんだって、冷たい喪失感がジワジワ、胸に広がっていって……すごく悲しくて仕方がなかった……すぐに自殺しようと思ったよ……でも、死ぬことができないまま、現実世界に戻ってしまって、すごくつらかった……誰に聞いても和人君の事を知ることができなくて、本当に和人君は死んでしまったんだって思うようになってしまって……夢の中ですら、和人君が死んでしまう夢ばかりしか見れなかった……」
「彼の居ない現実の世界なんて戻りたくない。一緒にいたあの世界に帰りたい。そう願っている自分がいて、戻りたくなんてなかった、帰りたくなんてなかったって後悔した。あの世界で暮らしていれば、和人君と一緒にいられたのに。ずっと、一緒にいられたのに。そんな自分勝手な思いばかりが募ってしまって、心配してくれていた両親の前で、私、取り乱して、花瓶を割って、今度こそ本当に自殺しようとしたの……」
自殺。
解るような気がする。
私だって、ケイがもし死んでしまったら、生きていたくないって思っていたから。
「でも、雫さんや奏さんに止めてもらえなかったら、私、和人君の事を裏切ってしまうところだった……」
裏切る。
その言葉に、私は胸に何かが刺さるような思いがあった。
解っている。
好きな人を追って死ぬことは間違っていると。
でも、耐えられないよ。
もしケイが死んでしまえば、私耐える事なんてできない。
でも明日奈は信じたんだ。
和人が生きているって、その言葉を。
信じられる強さがあったんだ。
「でも、和人君は生きていた。雫さんに言われたわ。こんなことをして彼が喜ぶのって、そのあと私必死になって体調を整えて、和人君の居る病院に連れて行ってもらって、和人君に会えたの。ナーブギアは動いたままで、目覚めることのないまま、ずっと眠りについていて……でも、絶対に戻ってきてくれるって信じて、それからもリハビリや静養に努めて、身体を直したの……」
あの時の事は知っている。
ケイも必死になって私の為にリハビリを頑張ってくれて、本来ならまだ入院しているはずだったのに、無理をして会いに来てくれた。
私はケイにあえて幸せを感じていた時に、明日奈は苦しんでいたんだ。
目覚めない和人をいつもどんなふうに待っていたんだろう。
一日がすごく長く、一分が一時間……ううん、一日でも足りない。一年のように思えてしまうし、十年、百年のような重さがあった。
そんな時間を明日奈も過ごしたんだ。
「……辛いよね……」
私は無意識にそう呟いてしまう。
でも、明日奈に軽はずみな同情をする気はない。
本心から共感して、そう言えるから。
「うん、すごく、すごく辛かった……和人君の死んだ夢を毎晩見て目が覚めて、不安な気持ちをどうにかしたくて、いつも和人君のいる病院に行って、彼が今日にも起きてくれる。おはようって言ってあげたかった……でも、本当は違うの……」
違う?
「……もしかしたら今日にも和人君が死ぬんじゃないかって、不安もあったから……いつも確認しにいっていたの……」
私と同じことをしていたんだ。
今日にも明日にも目覚めてくれるかもしれない。
でも、もしかしたら、死んでしまうのかもしれない。
希望と不安を毎日の中で過ごして、もしかしたらと不安がいくつもよぎり一日を過ごしていかなくてはいけない毎日。
それを明日奈も、私と同じように過ごしていたんだ。
「そんな毎日を過ごしていく中で……ある日、エギルさんから和人君がALOに囚われている情報を知ったの……すごく痛々しかった……剣がいっぱい刺さって、身体もボロボロにされて、吊るされて……私、どうしても彼を助けたくて、彼の囚われている世界に行きたくてナーブギアを被ったの」
ナーブギアを。
それがどういうことか、アミュスフィアを被る方法もあるはずなのに、またナーブギアを被るなんて。
自分を捕らえていたあの忌まわしい機械を被ろうなんて、私には絶対できないよ。
「戻れなくてもいい、和人君を助けたい、その想いしかなかったから……途中で和人君が私の代わりにあの世界に囚われてしまった事に気づいて、私の婚約者だった男……須藤に苦しめられていることを知ったとき、私、早く彼を助けたい、早く和人君の元に行きたい、自分勝手なその想いしかなかった」
「自分勝手じゃない!」
私は声を上げて、
「私だって……もし明日奈と同じ立場だったら……同じことをできるかどうかなんてわからないけど……何かしたいって……衝動的に動いてしまう……勝手なことをしてしまう……そんなのしょうがないじゃない。そんなの……」
「詩乃ちゃん……ありがとう……でもね、私、あの時心がすごく乾いていて……その渇きをいやしたくて……自分勝手になってしまっていて、須藤を許すことができなくなってしまって、世界樹のグランドクエストに挑んで、絶対に和人君の元に行ってやるんだ。絶対に助けてみせるって、意気込んでいたけど、あっさり殺されてしまった……死んだとき、和人君もこんな気持ちで死んでしまったんだって……後悔して、こんなことをしても和人君は喜んでくれないのに……彼の気持ちを裏切るようなことをしてしまったって、すごく後悔して……もう、彼に会えないのかな……このまま消えてしまうのかなって、思ったときに、黒衣衆のみんなに助けてもらった……」
「ケイたちに?」
「うん……嬉しかった……一人じゃない……私には一緒に戦える仲間がいて、一緒に助けてくれる仲間がいる……それもすべて和人君が持ってきてくれたものなんだって、絶対に和人君とみんなと一緒に終わらせるんだって……みんなから勇気をもらって、グランドクエストを攻略して、世界樹の檻に囚われた和人君を助けることができて……須藤を倒して……そして、やっと現実世界で和人君に出会えたの……」
嬉しそうに明日奈は微笑み、
「和人君がALOから解放されて……病院から退院して、奈良に旅行して、一緒の学校に通うようになって……すごく幸せで、いつも平和で、本当に幸せで……嬉しかった……毎日、彼が食べてくれるお弁当を作ったり、一緒に授業を受けたり、一緒に出掛けたり、ALOで一緒にも遊べるし、本当に幸せだよ」
幸せそうに語ってくれる。
「……でもね、しばらくしてから、怖くて仕方がないことがあったの……私は2年間、ずっとSAOの中に囚われていたでしょ、病院のベットに寝かされたままだったから、もしかして……須郷に何かされたんじゃないかって、もしかしてレイプされていたらって不安があったの……」
考えたくもない恐怖だ。
私もアミュスフィアを被っているときに、死銃の標的になっていたから。
もしかしたら新川君に何かされていたのかもしれない。
そんなことになってしまったら、ケイに合わせる顔がないよ。
「もし和人君以外の人に身体を汚されていたら……どうしようって怖くて……怖くて仕方がなかった……」
私も、もし、ケイ以外の人に身体を汚されてしまったら。
「でもそんな不安を和人君に知られたくなくて必死に隠していたけど、あっさり見透かされちゃって、内にある想いを打ち明けてしまって……その後、和人君に抱いてもらったの……私を和人君のモノにしてほしかったから……私も、和人君を自分のモノにしたかったから……」
自分のモノ。
相手を、自分が想う相手を自分だけのモノにしたい。
それは誰もが想う願い。
私がケイに抱いているこの想いも、明日奈みたいな純粋な思いなのかな。
……もしかして、ただの独占欲。
私は、本当にケイの事が好きなのかな。
……明日奈が和人を想うように、私はケイの事を愛してるの?
もし、私が明日奈と同じ立場になったら、明日奈みたいに和人を愛せるように、ケイを愛せるの。
そんなことはないって、振り切りたいのに、振り切れない。途中であきらめてしまうかもしれないって、不安がある。
でも一番の不安は……
……ケイは、SAOの世界で人を殺したのかもしれない。
そんな、不安が私の中に渦巻いている。
新川君のお兄さんがSAOに囚われていた時、赤目のザザと呼ばれるラフィン・コフィンのメンバーだった。
ケイと因縁があり、あの中での戦いを見る限り、相当に深い何かがあったはずだ。
そしてあのGGOに居た和人がPohと呼んだあいつも、SAOの帰還者。
あの戦いの中で私が素直に感じ取れたのは、ゲームではない、本当の殺し合いをしていた事。私は今まで誰かと殺し合いをしたことはない。
あくまでもゲーム。
実際に人は死なない。
だからこそ引き金を引き、相手を撃てていた。でも、ケイ──ハジメの戦い方は、殺気に満ち、気を失いそうな、あの殺気の渦巻く中で、ハジメはあいつと戦えていた。
和人も同じように、殺気を満ちらせながらPohと殺し合いをしていた。明日奈はあの時、動じることもなく、和人に加勢をし、Pohを追い詰めたのに、私はいったい何ができたんだろう。
もし。
もし、ケイがSAOの中で人を殺していたのなら。
そんな不安が私の胸の中に渦巻いている。
もし、ケイがあの世界で人を殺していたのなら、私はどうすればいいの?
受け止める勇気はある。
でも、それを知るのがすごく怖い。
それにケイが話してくれるの?
もし、話してくれなかった。
「……明日奈……」
私は縋るように、
「教えてほしいことがあるの……」
尋ねてみた。
「……ケイは、もしかして……SAOの中で……」
言えない。
怖くて、言葉が紡げない。
……人を殺した罪に今も苦しんでいるの……
言えない。
聞くことができない。
知らないといけないケイの事実を、どうしても知りたかった。
GGOの中でハジメから告げられた──
「……現実世界で1番大切な人を守るために殺して、SAOで仲間や謂れのない人々を守る為に、20人近い殺人者達を殺した……キミは自分の手を汚いというが、私の手はそれ以上に穢れている……」
その告白に、私はどう乗り越えたのかを知りたかった。
でも、
「……私は乗り越えてなどいない。時には夢に出て、苦しむこともある。それでも、奪ってしまった命を背負って、生きていかなければならない。それが命を奪った者として、生きている者としての責任だから……奪った命のことを、考えていけるように……」
ケイは、まだ苦しんでいる。
私が泣いて強さを求めていた傍ら、彼も同じように苦しんでいた。
ケイのように強くなりたい、ケイのようになりたいと、ただひたすらにそのことだけを想い生きてきたのに、私はケイのその心の中の傷を知る事もしなかった。
その苦しみを知りたかった。今までケイが抑えて、隠してきた悲しみを知りたかった。
だから、SAOの事を知ろうと明日奈に尋ねた。
でも、それを彼女に聞いてもいいのと、言葉が途絶えてしまう。
「それは私の口からは言えない……」
私の途絶えた言葉に、明日奈が応えてくれた。
「……景一さんが、自分でちゃんと詩乃ちゃんに告白すると思うから……」
強い視線を向けて明日奈は、
「その時……詩乃ちゃんはどうするの?」
どうする?
その問いかけに、私は言葉を詰まらせることなく、
「受け入れる……ケイの事、愛しているから……一緒に、歩んでいく。どんなことがあっても、私、ケイの傍にいたいから……」
そう、たとえケイが人を殺していても、私はケイの事が好きなんだ。ケイが私を守るために人を殺してしまったのなら、それは私の罪だから。
もしケイが教えてくれないのかもと不安があったから、明日奈に逃げようとしていた。もし彼がその秘密を抱えたまま生きていく事に、私は恐れていた。
ケイがまた私に気づかい、私のことを想って、何も言えないままで一人で苦しんでほしくはない。
彼が、自分の口で、言葉で、ちゃんと言えるようになれるまで、私はケイの傍を離れない。
そう決めたんだから。
「だったら……大丈夫だよ。詩乃ちゃん、きっと景一さんから教えてくれる。その時を待っていてあげて」
「うん……ありがとう、明日奈……私の為に、相談に乗ってくれて……」
「友達なんだし、別にかまわないよ」
「友達?」
飾り気のない純粋な明日奈の言葉に、私は素直にうれしかった。
思えば、なんで私は明日奈に相談することができたのかな?
お母さんみたいな雰囲気があるからなの。私のお母さんとは違うのに、お母さんと思えるこの雰囲気は何なんだろう。
優しい雰囲気に満ちて、とても女性らしい可愛らしさがあって、それでいてすごく強くて、辛いことも受け止めて、和人と一緒に戦える存在。
私とは全然違う。
明日奈みたく、ほんの少しの魅力があったら良かったのにな。そうしたらもっと早くに、ケイと一緒にいる事が出来たのに。
和人の傷を受け止めて、和人の罪を一緒に背負う覚悟がある。
ケイには秘密がある。
その秘密を私は知らない。
もしケイと結ばれる日を迎える時、私はケイの秘密を知ることになる。
でもその時、私はケイの事を、また恐れてしまうんじゃないのかと、不安が拭えていない。あの世界──アインクラッドで、ケイが何をしていたのか?
それを知るとき、私はちゃんと恐れずに彼を受け止めることができるのかな?
明日奈は和人の事を受け入れたんだよね。
それは明日奈だからできた事。
私、朝田詩乃にそんなことができるのかな。
ちゃんと言えると宣言したのに、心のどこかで私は恐れている。
ケイの秘密を知る事に。
……でも、逃げない。
ケイの事を受け止めるって誓ったんだから。
それに、せっかく相談に乗ってくれた友達の事、裏切りたくはないから。
「明日奈……ありがとう……」
嬉しくて、少し涙を流す私。
友達を得るって、こういうことなんだって、とても嬉しかった。今まで、あの事件の事で私の周りは、誰も傍に寄ろうとはしなかった。
寄っても、それは私の隙を狙って悪意を向けてくるあいつらくらいしかいなかった。
でも、本当の友達ってこんなんも温かいんだ。
「……その、これからも……友達で……いてくれるかな?」
「これからじゃないよ。詩乃ちゃんとはずっと、奈良に一緒に行った時から友達だよ」
「……ありが……とう……明日奈……」
彼女の手を握り締めて、私は泣いてしまう。
こんなにも素直に泣くことができるなんてと、私は嬉しかった。
少し落ち着くまで泣かせてほしかったから、私は明日奈の手を握り締めたまま、臆面もなく涙を流し続けた。
精一杯に涙を流し、泣いて、心を落ち着けていく。
明日奈の手に伝わってくる、彼女の勇気を分けてもらうように、私はさらに彼女の手を握り締めた。
明日奈も同じように、私の手を握り締めてくれる。
これが友達なんだ。
私を受け入れてくれる明日奈の優しさがとてもうれしい。この優しさは和人が独占しているものかもしれないけど、今は少しだけ、私に使わせてね。
ありがとう明日奈。
本当に、ありがとう。
今まで堪えていた涙をたくさん流して、私は嬉しかった。
心を許し合える友達を得ることができた事。
過去を乗り越えられた事。
そして、ケイと想いを通じ合わせた事。
最初は一人ですべてを受け入れようと足掻いていた。
強くなろうと、どんな辛いことも受け止められるようになろうと、私は一人で、誰にもすがろうとはしなかった。
誰も私なんか受け入れてくれるわけない。
そう思っていたから。
でも、そのつらい全てを受け入れるのには、あまりにも力が足りなくて、弱くて、強がって、挫けそうになって、諦めてしまって、でも、ケイが助けてくれて、彼の仲間たちも助けてくれて、一人でどうしようもなかった私の闇を払ってくれた。
そして、ケイの仲間たちは、私の事を受け入れてくれた。
みんなと一緒に歩ませてくれる仲間に私を入れてくれた。
……ありがとう……
ひとしきりに泣いて、涙を流して、明日奈の確かな温もりを感じながら、私はようやくに落ち着くことができた。
「ごめん……明日奈……ありがとう……泣かしてくれて」
コップに残っていたわずかな水を飲みほし、喉を潤して声を整える。
「ううん、私も力になれて嬉しいよ」
明日奈の落ち着いた声音に、私は落ち着きを取り戻すことができた。
そして本当に思う。
明日奈は強いと。
私にはない強さを持ち、その強さを持っていると思っていたけど、明日奈は素直に自分の弱さを受け入れ、認めて、和人と一緒に強くなっているんだ。
和人にも強さと弱さがある。
その強さと弱さを明日奈は受け入れ、和人も明日奈自身の強さと弱さを受け入れているんだ。
ケイにも強さと弱さが存在している。
でも、私はケイの強さしか知らない。
彼の隠した弱さを知ろうとしたことはない。いつも私はケイの事を強いと思い、自分が弱いと思い込んでいた。
でも、ケイにも弱さがある。
その弱さを知らなければ私は、彼と歩んでいく資格を持つことができない。
明日奈が和人の傍にいるように、私もケイの傍にいられるように、がんばらなきゃ。
眼鏡を外し、感情のままに流した涙で濡れていた顔をハンカチで拭い、そう決意しながら心を落ち着けていると──
「ただいま、二人とも」
「詩乃、またせたな」
チリンと鈴の音が鳴りドアが開き、和人とケイが戻ってくる。
「おかえり、和人くん」
微笑む明日奈の笑顔に続くように私も、
「お帰り、ケイ」
二人を出迎えると、二人の後ろから、
「店番ありがとうな二人とも」
と、アンドリューさんが手荷物を抱えながら戻ってきた。
「お帰りなさいアンドリューさん。和人君と一緒だったんですか?」
「ちょうど近くで和人達と会ってな。店番の礼だ。何か好きなものを言ってくれ、俺のおごりだ」
「サンキューな」
「馳走になる」
和人とケイがアンドリューさんに礼を言い、明日奈も私も、
「ありがとうアンドリューさん」
「御馳走になります」
同じように礼を言い、アンドリューさんのお礼を素直に受け取った。
奥さんが作った手作りのシフォンケーキとハーブティを御馳走してもらった。
あの高級なお店で食べたケーキよりも断然おいしくて、一生忘れられない最高の味だった。想いがこもった家庭的な手作りの暖かさもそうだけど、一緒に戦えた仲間と笑いあいながら食べれたからこそ、得ることのできる味だと思った。
後篇に続く。
後篇・更新予定日 12月初旬予定
いかがでしたか?
まず最初に謝らせていただきます。
ハジメさんごめんなさい。
シノンさんごめんなさい。
後篇の方では、しっかりと甘くさせていただきますので……。
今回のハジメ×シノン編は、まずシノンさんの過去の語りから入っております。
また本郷さんのGGO~剣客の魔弾~ 最終弾 守れたもの の後日談となっております。
シノンさんの恋愛感情を最初に書き出し、過去からの想いと積み重ねてきたハジメさんの想いの深さを前面に出せたでしょうか?
色々と悩む部分がりますが、皆様のご意見をお持ちしております。
では、前篇ありがとうございました。
後篇に向けて頑張ります。
そして最後に。
本郷さん、ありがとうございました。
後篇に向かって頑張ります。