【旧版】「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」※全話掲載完了 作:ぷるっと企画@園島義船
アンシュラオンが人差し指に意識を集中すると、黄色い色彩が集まっていく。
そこに指向性を与え―――放つ
発せられた『雷』が真っ直ぐに飛んでいき、的に命中。
木で出来た丸い的が焼け焦げ炭化すると同時に、背後にあった岩に十センチ幅の穴があいた。見事貫通である。
続いて掌を上に向け、三十センチ大の水玉を二つ練り上げる。
それを放出すると、二つの水玉は交差するように進んでいき、最後に挟み込むように的に命中。焼け焦げた的を破壊。
今度は間髪入れずに左手で風を集めて、圧縮して放つ。
放たれた風圧は的に当たり、すべてを粉々に破砕しながら吹き飛ばす。
最初に放ったものは『
グラス・ギースで手に入る術符の中では最高レベルのもので、よくお世話になっているものだ。
次に放ったのは因子レベル2で使える『水連球』。より威力を増した水玉を二つ生み出して同時に当てる術である。
最後のものも同じ因子レベル2の『風圧波』。圧縮した風を叩きつける攻撃術式であるが、たまに瓦礫撤去にも使われる便利な術だ。
このほかに火の術式も扱えるが、ここは大樹内なので控えておく。
(因子レベル2程度の術ならば、もう問題はないな。目を瞑っていても使えそうだ)
一般的な価値観では、因子レベル2の術式が扱えれば一人前の術者と認識されるので、現段階でもその域には達しているし、そもそも四つの属性を操れる段階で特別な存在といえる。
普通は当人の属性に関わるもの、一種類か二種類の属性しか操れないことを考えれば、こうして多様な術を扱える術士は極めて少ない。
これもデルタ・ブライト〈完全なる光〉の力である。すべての因子、すべての属性を操れる『可能性』を持っているのだ。
ただし、アンシュラオンの術士因子は5あるため、まだまだ序の口。初歩を身に付けただけにすぎない。
(戦気のほうが扱いに慣れているから、威力としては不満な点もあるが…術には術の良さがある。なにせこの水は【飲める】からな)
戦気を使って発した『水気』と、術式で生み出した『水玉』は何が違うのか。
その最大の違いは、後者が【自然物】である点だ。
法則に干渉して『自然現象』を引き起こすのが術式なので、実際に本物の水を生み出しているのである。
攻撃に使う術式に関しては特殊な加工を施すこともあるが、水玉といったものは大気中の水分を吸い出して作っているため、そのまま飲んでも問題はない。
そして、まず最初にアンシュラオンが『錬成』したのも、この水の術式である。
ちょうどこれから錬成の練習をするので、その過程を見てみよう。
まずは袋の中にある『
工業用に研磨された以外は、何も手が加えられていない普通の石だ。
試しに『鑑定』すると、こうなる。
―――――――――――――――――――――――
名前 :空ジュエル(E)
種類 :鉱物
希少度:E
評価 :E
概要 :研磨だけされた空のEランクジュエル媒体。
効果 :なし
【詳細】
耐久 :E/E
魔力 :E/E
伝導率:E/E
属性 :無
適合型:汎用
硬度 :E
備考 :錬成可能
―――――――――――――――――――――――
アンシュラオンの網膜に、空ジュエルのデータが映し出される。
鑑定の術式は因子レベル1でも可能であり、その有用性から真っ先に習得したものであった。
今までは鑑定屋に持ち込むか術符を使わねばならなかったが、いつでも物質の情報を見られるのはありがたいものである。
そして、これによってまた大きな変化が起きていた。
(術士の因子が目覚めたことで、オレの『情報公開』もレベルアップしたようだ。物質のデータも表示されるようになったのは便利だよな)
もともと『情報公開』は、物質のデータも参照できるものだったのだろう。それが封印の影響で完全に効果を発揮していなかったようだ。
鑑定を覚えたあと、エメラーダに言われて情報公開を使ったら、その上位である『完全鑑定』と同等の力が付与されていたのだ。
まだ上位の術者に本気で妨害されるとすべてを見通せないが、術士の能力を鍛えることで徐々に対抗できるようになるという。
その意味でも術の勉強をすることには価値があった。
話を錬成に戻すが、今見たものはギリギリ媒体として使える程度の安い空ジュエルでしかない。
これくらいならば工業用媒体として商会では簡単に手に入る。
だが、これからやることで価値は十倍以上に跳ね上がる。
アンシュラオンが空ジュエルを掴みながら、水の術式を展開。
ここで発動はさせない。あくまで式を展開させるだけだ。
わかりやすくいえば、方程式だけ作っておいて最後の「イコール」を付けずに残しておくようなものだろうか。
それをジュエルの表面に焼き付けるように刻むと、石の色が少しずつ水色に変化していった。
これで錬成終了。水のジュエルが完成する。
非常に簡単な工程に見えるものの、特殊な能力がなければできない専門作業である。
アンシュラオンも最初の数回は、手袋に似た専用の錬成補助具を使って感覚を覚えたものだ。(普通は何千回とやらねば習得はできないので、数回で覚えられるのが才能の差だろう)
また、刻む術式の種類によっても錬成までの時間はだいぶ変わっていくし、【プロテクト】をかけるかどうかでも違いが出る。
もし専用の術式コードを使えば、同じコードを持つ者しか見ることはできなくなり、何を刻んだかを隠蔽することが可能となるわけだ。
こうすることで販売業者は悪用を防ぐことができ、術士も技術漏洩を防ぐことができる。
術式は危険なので、こうした防犯対策を何重にも施さねばならない『ルール』があるのだ。これもダマスカスにある国際ジュエル協会が定めたものである。
ただし、そこらで売られている低レベル燃料ジュエルに関しては、読解コードが一般公開されており、その限りではない。
生活必需品にプロテクトをかけすぎると逆に使いにくい、というわけだ。
こうやって公開することで各地域にいる術士がメンテナンス可能となり、職にありつけるようになる。
術を絶えさせないためにも必要な措置であるし、定職に就ければ金にも困らず、術の悪用も防ぐことができるという観点からだろう。
アンシュラオンも今回は単なる水ジュエルの錬成なので、一般コードを使って術式を刻んでいる。
そして、錬成後のデータがこちら。
―――――――――――――――――――――――
名前 :水ジュエル(D)
種類 :ジュエル
希少度:D
評価 :D
概要 :水の術式が刻まれた燃料ジュエル。
効果 :なし
【詳細】
耐久 :E/E
魔力 :E/E
伝導率:E/E
属性 :水
適合型:汎用
硬度 :E
備考 :錬成強化可能
―――――――――――――――――――――――
さきほどはEランクの空ジュエルだったものが、一段階上昇してDランクに変化している。
水の術式を刻んだことで属性も『水』に変わっていることがわかるだろう。
ジュエルの評価は、鉱物の素材と込められた術式によって変化するらしい。
適合型が『汎用』のものは何にでも使える反面、どれも効果が平均的になるデメリットもあるので、まさに一般大衆向けといえるだろう。
しかしながら素材がこんな安物のジュエルであっても、アンシュラオンが手を加えればDになることが重要だ。
この一段階の上昇は、世間では極めて大きな差として扱われる。戦闘能力と同じで、EとDの間、DとCの間には天と地の開きがあるのだ。
そして、実際に錬成をやってみて、その難しさも知る。
(錬成は『情報術式』と『元素術式』の二つを扱えないとできない【複合術式】だ。錬金術師の数が少ない理由がわかるよ。術士自体が多くないから、さらに稀少で貴重なんだよな。エメラーダが隠れているのも狙われるからだ。こんな優れた技術を持っていたら当然だね)
術式には大きく分けて二種類の分野が存在する。
それが『情報術式』と『元素術式』である。
ファンタジー要素を入れてわかりやすくいえば、前者が人工的な魔法で、後者が精霊魔法のようなものだ。
情報術式は、『核剛金』や『原常環』のように物質の数値を変更追加して、強化・弱体させることができる。
城壁の防護結界も情報術式によって形成されているし、回復系の『若癒』の術符なども肉体の遺伝子データを参照して補修を行っている。
数値をいじるためか情報術式は数式で表されることが多く、アンシュラオンのような感覚重視の人間には若干ハードルが高い分野だ。(パミエルキは得意としている)
一方、属性を伴うものの大半は『元素術式』と呼ばれ、必ず精霊の力を借りていることが特徴となる。
最初に実演した『雷貫惇』や『水連球』などは、大量の原始精霊によって生み出されているわけだ。
そもそも元素自体はあらゆるものの構成要素になっているため、戦気術を含めたすべてが元素術式ではあるのだが、とりわけその傾向が強いものを区別して呼んでいる。
その元素術式の最大の長短は、【周囲の環境条件に左右されること】である。
プライリーラがなぜ荒野を選んだかといえば、そこが一番風の精霊の加護を得られる場所だったからにほかならない。
水の術式にしても、何もないところから生み出すわけではなく、違うところから元素を吸い出して水として具現化させている。
よって、あまりやりすぎると周囲が乾燥して、喉がカラカラになるデメリットもあるし、湿気が少なければ水が生まれない可能性もある。
アンシュラオンの場合は自ら命気を生み出せるため、そこから水分を吸い出すことも可能だが、今は普通の浄化されていない農業用水を媒体にしている。
海水を蒸発させて真水にするのと原理は変わらない。術式で水分だけを吸収することで綺麗な水が生まれる。
こういうことができるからこそ、類は友を呼ぶのごとく、自分の周りには水の精霊が集まるのだろう。
原始精霊自体には思考力がほぼないため、感覚や嗜好で集まる性質があり、それに適した素養を持っていれば善悪かかわらず力を借りることが可能だ。
そして元素術式の多くは『紋様』で表れることが多いため、色彩の世界との相性は抜群である。
この両者を駆使して『錬成』を行うわけだが、その真髄こそ【数字と紋様の合体】にある。
錬成したジュエルを術士因子で見ると、数式と紋様が綺麗に交差合体した『図形』が生まれているのがわかるだろう。
もし剣と魔法の世界が好きならば、魔方陣と呼び替えてもかまわない。
男女と同じく、情報術式と元素術式は二つで一つ。陰と陽の関係にあると思われる。
アンシュラオンもこれに気付いた瞬間、一気に術の理解が深まったものだ。
ちょっとした気付き、あるいはコツが技術の習熟には重要なのである。
こうして今では低レベルの錬成ならば、簡単に扱うことができるようになった。
(慣れてしまえば刻む作業はそう難しくはないよね。ほぼ単純作業だ。まあ、それが簡単にできないから術士には需要があるんだけど、技術があればボロい商売だ。錬金術とはよく言ったものだよ)
インターネットの接続設定も、業者に頼むと五千円や一万円といった料金を取られる場合があるが、自分でやれば当然無料である。
実際は簡単な作業ではあっても、知識と技術がない人にとっては未知の存在なのだ。
壊れるのが怖くてパソコンのカバーを開くのも嫌な人もいるだろう。だからこそ商売が成立する。
空のジュエル一つは、ランクに応じて数十円から数百円で買えるが、水の燃料ジュエルともなれば最低でも十倍以上の価値になる。
黙々と大量生産すれば、それだけで暮らしていける額が稼げるに違いない。
(今までは『破壊』でしか利益を生み出せなかった。魔獣を倒したりマフィアにちょっかいをかけたりとかね。でも、術があれば自力での商売も可能だな。こんなもん、やる気になればいくらでも作れるしね。まあ、術を学ぶために莫大な負債を背負ったから、これだけじゃ採算が取れないんだよな…)
その調子で数十個のジュエルの錬成が終了。
「よし、これで千個終わったな。エメラーダに言われた課題はクリア、と。…で、どうするかな、これ。こんなにあっても仕方ないけど、多すぎて売るにも売れないし…」
なぜこんなことをしているかといえば、エメラーダに千本ノックならぬ『千回錬成』を命じられたからだ。
空のジュエルの代金は、例の請求書に含まれているので良心的といえばそうなのだが、作り終えたあとのことは考えていなかったようだ。
その結果、目の前には膨大な数の水やら風やらのジュエルが存在する。
火は料理、風と雷はトロッコに使えるとしても、問題は水である。
普通に飲み水として使えばよいのだが、これ一つで軽く百リットル以上はあるので使い切れないし、それならば無料で命気水を作ればよく、あえて浪費するのはもったいない。
かといって、そのまま格安で売ってしまうと水の相場が大幅に下落する。グラス・ギースにおいて真水は貴重なのである。
では、高くして売ればよいと思われるかもしれないが、そうすればまた派閥争いに巻き込まれて面倒なことになる。
まだハングラスと交渉していない状況で、無駄な諍いは起こしたくないものだ。
(ジュエルは鉱物だから、磨耗しなければ長期保存は可能らしい。小さいし軽いからホロロさんたちが使うには悪くないけど、どうせまた増えるしな。備蓄以外で何か有効な活用方法はないものか……ん? あれはサリータか? そういえば隣で鍛錬していたな)
どうしようかと考えていたところ、廊下でサリータを発見。
彼女は隣の訓練場で戦気の鍛錬をしていたようだ。サナがここまでレベルアップしたので、そろそろ使えるようになってもらいたいのが本音だ。
それはともかくとして、サリータが歩いていくその後ろを、自分もそのままぼーっと付いていく。
理由はない。ただ頭の中で考え事をしていたので、身体が勝手に動いただけだ。
そしてサリータが、小部屋の前で止まった。
なんてことはない。ただの化粧室、トイレである。
この白樹の館は、基本的に男性向けには造られていない。女性が過ごしやすい環境を意識して、すべてが女性向けになっている。
トイレも同じく女性専用になっており、不足がないように十分配慮しているつもりだ。
(トイレ…か。人間である以上、トイレくらいはするよな。優れた武人ならば肉体操作で燃やせるから、最悪行かなくてもなんとかなるが、サリータなら行ってもいいよな。…トイレ。ふむ、トイレか。そういえば、彼女たちはどうやって用を足しているんだっけ? 最近はサナも自分でやらせることが多いから、久しく『手伝って』いないな)
がちゃっ
サリータが化粧室の扉を開き、中に入る。
バタン
扉を閉じる。
ここまではたいしたことではない。ごくごく当たり前のことだ。
だが、扉を閉じた部屋の中に『人影は二つ』あった。
そして、サリータがズボンを下げて用を足そうとした時―――
「―――えっ!?」
一緒にトイレに入ってきたアンシュラオンと―――目が合う
「………」
「………」
しばし無言で見つめ合う二人。
アンシュラオンも無言なので、沈黙が場を支配した。
「あの…」
「ああ、気にするな。ちょっと様子を見たいだけだ。それとも手伝ったほうがいいか?」
「て、手伝う…ですか!? そ、その…な、何を?」
「決まっているだろう。女性のトイレを手伝うのは男の役目だ。遠慮することはないぞ。サナにはいつもしていることだ。でも今回は独りの場合に、どんな感じでやっているのか見てみたいかな。よし、いつも通りにやってくれ! じー!」
「…は、はい」
(こ、これは何かの修行なのだろうか!? それとも、そういうプレイなのだろうか!? ううう、は、恥ずかしい)
サナにはいつもしていることでも、マフィアとの抗争が忙しくて他の女性への世話はあまりしていなかったため、まだそういった耐性がないようである。(耐性があるのも嫌だが)
サリータは訳がわからない様子であったが、主人かつ師の命令であれば従うしかない。
顔を赤らめながらも用を足す。
一方、その様子をじっと見つめるアンシュラオン。
自分は自分のトイレがあるため(あまり使っていないが)、こうして女性専用トイレを改めて見る機会がなかったことに気付く。
(トイレについては間取りだけ整えて、あとはホロロさんたちに任せていたが、方式としてはホテルと一緒か。小さいのをするときは、砕いた『吸水石』を使うのだったな)
「…ふぅ」
「終わりか?」
「は、はい。お、終わりました」
「大きいほうはしないのか?」
「えっ!?」
「ぜひ、そっちも見てみたい。出るか?」
「そそそっ…それは…っっ!! 師匠、さすがにそれは…!」
「べつに汚いものじゃないだろう。人間の生理現象だ。大丈夫。オレは気にしないぞ。ちゃんと尻も拭いてやるから安心しろ」
「うううううっ―――!! うわーーーーーーんっ!! それだけはご勘弁をぉおおおおおお!」
ダダダダダダッ バタンッ!
さすがに限界に達したのか、サリータは逃げるように出ていってしまった。
戦いになれば根性を見せる彼女も、トイレのお世話には耐えきれなかったようだ。
つるっ ドスンッ
しかも慌てて出ていったため、バランスを崩して廊下でひっくり返った音も響いた。
「ん? 何をそんなに恥ずかしがっているんだ? まあいいや、あとでホロロさんにでも見せてもらおうかな」
アンシュラオンにとって女性の世話は極めて一般的なことであり、性的な趣向は一切ないことを銘記しておこう。単純に姉にそう仕込まれているだけだ。
ということで、大きいほうはホロロに見せてもらうことにした。
彼女に関してはホテルでお世話をしたこともあるので、まったく動じることなく快諾してくれた。
主人の願いならば、トイレの大きいほうも躊躇せずに見せる。これぞメイドの鑑である。
そのおかげでいろいろと課題が見えてくる。
(トイレ―――か! そうか、トイレか!! そうだ、トイレだ!!!)
この瞬間、何かを閃いてしまった。
そして、これがのちに大きな話題となることを、この段階では知る由もなかった。
その後、全員を集めてアンシュラオンはこう宣言。
「【トイレ】だ! オレは【トイレ】を作るぞ!!」
その言葉の意味を理解できず、誰もが首を傾げる。
いきなり興奮した様子で「トイレ! トイレ!」と叫ばれたら、誰だって困惑するに違いない。当然の反応だ。
ここで本来なら女性陣から質問が飛び出るはずだが、情熱に溢れたアンシュラオンから逆に質問が飛んでくる。
「セノア、君はトイレについて不満はないのか!?」
「ふ、不満ですか?」
「そうだ! 不自由な点はないか? あるなら遠慮なく言ってごらん」
「ええと…特にはありません。むしろ快適ではないかと…。これほど充実したトイレは見たことがなかったですし…」
「なるほど。たしかにうちは高級ホテルと同じ造りをしている。この都市の中でも上等だといえるだろうな。では、野外ではどうしている?」
「え!? そ、それは……」
「恥ずかしがることはない。大切なことなんだ。ちゃんと教えてくれ!!」
「う、うう…そ、その……つ、つちを……」
「なんだい? もっとはっきり!!」
「つ、土を掘って……うううう……そ、そこに…」
「用を足したあとは? 何で拭く?」
「す、砂が……多いと………」
「綺麗な砂が無いときは? 水か? 葉っぱか? 布か? 紙か? 何で拭いているんだ!! どれも無いときは!?」
「あうううう!!」
告発します! セクハラです!!
まだ十二歳のセノアにトイレ事情について迫る様は、セクハラ、変質者という言葉しか思い浮かばない。
だがアンシュラオンは、至って真面目に訊いているのだから困ったものだ。
その溢れんばかりのトイレへの情熱は、誰にも止められない!
「トイレは毎日使うものだ。であれば、便利で清潔であったほうがいい! そう思ったきっかけはいくつかあるが、一番は『臭い』だな。これはうちの話ではなく、都市全体での話だ。君たちは感じないか? ホロロさんはどう思う? 生まれた時からこの都市に住んでいるんだよね」
「上級街はまだ清潔ですが、下級街が近くなると臭いが気になることもございます。その主な悪臭の発生源がトイレなのは間違いありません」
「だろうね。オレが知った限りでは、下級街あたりでは満足にトイレの掃除もされていないし、回収業者の出入りも少ないようだ。そんな状況では衛生面でも影響が出てくるはずだ。今まで疫病が流行ったことはなかったの?」
「たまに不衛生な地域で流行り病が出ることはありましたが、ある程度すると自然に治まっていました。その時になると『水』が支給されたような気がいたします。今にして思えば、あれは何かしらの薬だったのかもしれません」
「水…か。領主が出すわけがないから、おそらくは疫病が蔓延しないようにマングラスが手を打つんだろうね。都市の発展規模のわりに病気が少ない理由がそれかな? といっても、やつらが動く範囲は都市内部に限っている。移民街のほうはどうだろう?」
「そちらの情報はほとんど入ってきませんが、疫病が発生する危険性はありそうですね。悪質な回収業者だと、第三城壁内部に糞尿を捨てることもあります」
「そりゃ環境が良いわけがないよね。疫病うんたらは本来、領主が気にする問題なんだけど…ともあれ都市のトイレ事情が劣悪な以上、街中での臭いの問題が発生する。一応は自分が暮らしている都市だからな。臭いのは御免こうむる。そのためにトイレを開発しようと思っているのさ」
「商売として、でしょうか?」
「どうせやるなら金になるほうがいいよね。いきなり作るのがトイレなのもどうかと思うけど、幸いにも練習で作ったジュエルがたくさん余っている。その使い道になれば一石二鳥だ。まずは自分たち用に作ってみて、上手くいったら販売もしてみたいかな」
「素晴らしいアイデアです。今まで手が付けられていない分野ですし、競合相手も少ないですね」
「トイレはどの派閥? 雑貨だからハングラス?」
「吸水玉や砂はそうかもしれませんが、女性向けのトイレ用品はラングラスのリレア商会が担当しているようです」
「ああ、あそこか。じゃあ、大丈夫そうかな。ソブカにも手を出すなと言ってあるしね」
ラングラス一派の女組長である、ストレアが管理している商会である。
下克上でソブカに粛清されたラングラスの幹部連中であるが、彼女に関してだけは手を出さないように事前に通達しておいたのだ。
当然、女性を第一に考えるアンシュラオンの意向があるからだ。
彼女自身ソブカに逆らうことはなかったため、現在はおとなしく通常営業を続けているそうだ。
むしろ投資が増えて商品が充実しているとも聞く。何かトイレ製作に必要なものがあれば、そこで手に入るに違いない。
汚物の回収業者に関しては、土地関連ということで領主のディングラスになっているが、実質はハローワークに丸投げしているという。
自分がやりたくない汚いものだけ民営化するのはさすが領主だが、それだけ派閥を気にしないで踏み込める業種でもある。
「セノアは? それでいいかな?」
「ええと…今よりもトイレが綺麗になるってことですよね? はい、良いと思います」
「最初の商品がトイレであることに抵抗はない?」
「はい。困っている人も多そうです。私も旅をしていた頃は大変でしたし…安全で清潔な場所が増えるのは、女性にとっても助かります」
「じゃあサナたちも、そういうことでいいかな?」
「…こくり」
ホロロとセノアの意見に、サナたちも頷いている。(小百合は出勤中)
基本サナやホロロは自分の意見に逆らわないので、ここでは『普通の少女』であるセノアの意見が重要となる。
ここ最近、彼女の意見を聞いていることには、そうした意味があるわけだ。より一般大衆の意見に近いからである。
(とりあえず試作品を開発してみるか。本当にできるかどうかわからないしね。ええと、地球のトイレってどんな仕組みだったかな? 封印解除のおかげで頭がすっきりしたから、前のことをよく思い出せるようになったんだよね)
トイレを最初から自作するつもりはない。
こちらには元日本人という強みがある。
日本は「ものづくり」の国。「ザ・日本製」こそ至高であるから、そこから知識と技術を拝借すればよいのだ。
こうしてアンシュラオンは、錬成修練の過程で生み出したジュエルを使い、さまざまな道具の開発に入った。
最初に作ったのは、ドライヤー。
高級ホテルには風を出す道具もあるが、温風を出すものはなかったので試しに作ってみたのだ。
機構は簡単。弱めの火のジュエルで温度を上げた風を噴出するだけだ。
最初は調整を誤って火が出てしまったものの、出力を下げ、さらにジュエル周りを魔獣の金属素材で覆うことで事故を防ぐことにした。
出力調整はトロッコでの経験が生き、そこまで大きな失敗はなく完成に至る。
実際に使ってみてもらった感想は上々。髪の毛がふんわりすると好評であった。
開発を続けること、さらに数日。
努力が実り、ようやくトイレの試作品が完成することになった。
「ついに出来たぞ! 名前は『流してうっふん』だ!」
うっふんには、複数の意味がある。
「鬱憤を流してもらう」、「うっ、ふん!」、「ウッフン」等、トイレとして相応しいものを選んでみた。
が、数秒後に冷静になる。
「…いや、さすがに変か。最近熱中しすぎて、ちょっと頭が変になっているのかもしれないな。たまに変な名前で売り出される商品があるけど、あれってがんばりすぎておかしくなった結果なんだろうな」
ごくごくたまに「よくこの名前でOKが出たな」という商品名を見かけることがある。
普通だったら確実にボツになるであろう名前を、してやったりの顔で堂々と売り出す人々には尊敬の念を感じてやまない。
自分も危うく同じ道を歩むところだったので、今後も気をつけていこう。
「おーい、出来たぞー! ちょっと来てくれー!」
サリータたちを館の外に呼び寄せると、誰もが興味津々といった様子でやってきた。
「見ろ、新しいトイレだ!! なんと美しい曲線美! 惚れ惚れする! トイレメーカーの気持ちがわかったよ! トイレは芸術品だ!」
自分が真剣になって作ったものは、どれも愛らしいものだ。
それがトイレでも愛情は何ら変わらない。
「これがトイレ…ですか?」
「すごい大きいですね…」
サリータとセノアの目の前には、縦横五メートルはありそうな大きな箱状の物体があった。
この街にあるトイレとはまったく趣が違うので、一目見ただけでは用途がわからないのは当然だろう。
「おっと、オレとしたことが興奮していて中を見せるのを忘れていたな。すまんすまん。商品として売り出すことも想定しているから、持ち運びができる箱型にしてみたんだ。まあ、それ以外にも理由はあるけど、まずは中を見てくれ」
箱に設置されているステップを上り、中央やや上にある扉を開ける。
その中は、ゆったりとした広いスペースがあり、後部に便器が設置されていた。
「これは座るタイプなのですね」
「そこに気付くとは、さすがホロロさん! 丸パクリ…じゃなくて、偉大なる先人の叡智を借りて、これが最適だと判断したんだ」
ホロロが最初に気付いた点は、便器の形状だ。
グラス・ギースの便器は、砂や水で拭くことを考慮して『和式』に近い形状をしている。昔よくあった「汲み取り式便所」に近いだろうか。
下に溜める性質上、砂があるとはいえ、やはり臭いの元になってしまう。
一方のこちらは、現代日本でもよく見かける『洋式』かつ『水洗式』のものだ。
便座は男性でも使いやすいように少し前を空けたタイプであるが、男性は男性で公衆トイレのように専用の小便器を作りたいとも考えている。
「細かく説明する前に、まず使ってもらおうかな。初めて入った人の反応も見たいしね。みんな、尿意や便意は感じているな?」
アンシュラオンの問いに全員が頷く。
トイレのテストなのだから、肝心のものが出ないと実験にならない。
女性陣には事前に排出用に調整した命気水を飲ませ、尿意や便意を我慢してもらっている。
そのため若干顔に赤みが差している者もいるが、そっちの分野に興奮するほど変態ではないので省略しよう(それなら最初から描写しなければよいのだが)
「じゃあ、セノア。入ってごらん」
「え? わ、私ですか?」
「どうせ全員に入ってもらうんだ。誰が最初に入っても同じだよ」
「…は、はい。わ、わかりました」
最初に選んだのは、これまた普通の少女であるセノア。
サナは予測不可能だし、ホロロは頭が良すぎるし、ラノアとサリータでは不器用すぎる。
やはり彼女をトップバッターにするのが最適だろう。
「き、緊張します」
「大丈夫だよ。中に説明用の張り紙もあるからね。仮にこれが普及した場合、みんな使うのは初めてなんだ。条件は一緒さ」
「そ、そうですよね。これはその…商品の実験なんですよね」
「うむうむ、そうだよ。みんなのためになるし、お金になるかもしれない。サンドシェーカーを補充する人は汚い人じゃないだろう? みんな仕事でやっているし、役立つためにがんばっているんだ。それと同じだよ」
「わ、わかりました! 私もがんばります!」
「よし、いい子だ! お一人様、ご案内!!」
セノアをトイレに投入して、バタンと扉を閉める。
あとは中に入った彼女次第だ。
(お仕事。これはお仕事なんだ。がんばらないと)
中に入ったセノアは、緊張気味に周囲を見回す。
五メートルという広さの空間は、改めて見ると相当ゆったりしていた。
今まで感じていた圧迫感はまるでない。
(あれ? この匂いは…? いい香りがする)
最初に感じたのは、強めの花の香り。
外から見たときは気付かなかったが、部屋の壁は花屋かと思えるほどの美しい花々で彩られていた。
そこから多様な香りがするので、不快な臭いはまったくしない。
石床もしっかりと研磨されており、つるりとした光沢の大理石に近い質感だ。
水洗いもしやすく、滑りにくい絶妙の加減に仕上げているところに職人の熱い想いを感じる。
(鏡もあるし、手を洗う場所もある。ホテルのお風呂みたい)
壁には洗面台が設置されており、化粧直しもできるスペースが確保されている。
良い香り、清潔な空間、手を洗える場所。
こうしたものが安心感を与え、女性に一歩を踏み出す勇気を与えるのだ。
「じゃ、じゃあ、とりあえず便器まで―――わっ!」
ピュララララーーー
便器に向かおうとした瞬間、今度は音楽が流れた。
フルートに似た音色のクラシック調の曲だ。
「っ!? だ、誰かいるの!?」
個室内で人に会うなどトラウマものであるが、もちろん誰もいない。
これはエメラーダが所有していた音楽ジュエルをコピーしたもので、人が入ったら流れるように設定したものだ。
術式もデータである以上、複製自体はそう難しいものではない。
ジュエルに刻まれた術式を解読し、丸写しして空のジュエルにコピーすればよいだけだ。
もちろん少しでもミスがあれば発動しないので、完璧に解読する必要がある。
この技術を身に付けると鍵開けや封印の解除、相手が使っている術式コードの解析ができるようになり、事前に危機を察知できるようになるらしい。
「だ、大丈夫…よね?」
しばらく曲が流れた頃、人がいないことを理解する。
トイレに入るだけで心臓がバクバクするとは、なんとも奇妙な体験だ。
「ええと、便器―――わっ!」
ウィーーンッ ガコン
セノアが便器に近づくと、今度は蓋が自動的に開いた。
音楽が鳴ったときのセンサー同様、これも術式を使ったものだが、停滞反応発動と違って術式ではこういうことが簡単にできるからありがたい。
ただし、それを便器に使った者はいなかったため、目の付け所はさすがといえる。
「す、座ればいいのよね?」
意を決して便器に座ってみる。
が、ここでも衝撃。
「きゃっ!! あ、温かい!?」
ホット便座(暖房便座)搭載!!
火のジュエルも使っており、トイレに人が入った瞬間には便座の加熱が始まる仕様なのだ!!!
この地域の平均気温は高いほうだが、夜にもなれば冷え込むものだ。
特に女性は身体を冷やしてはならない。当然の配慮である!!
(うううっ、今のショックで急にしたくなってきちゃったよ…。は、恥ずかしいけど、お仕事だから…)
セノアは下着を下ろし、用を終える。
ゴボゴボゴボッ ジャー
すると、自動的に水が流れていったではないか。
ちらっと便器の中を覗き見ると、もう出したものはなくなっていた。
健康状態の確認として見る習慣がある人も多いらしいが、見たくて見る人は少ないだろう。
よって、自動で流れる仕組みが導入されていた。
「…ふぅ、終わったらどうすれば―――ひゃぁああああ!!」
ウィーンッ ブシャーーッ
セノアの尻に、いきなりの水圧!!
「あっ! あああっ!! うううう―――はっ!」
シャーーシャーーーッ
水は十秒以上放たれ、尻の汚れを綺麗に洗い流す。
みなさんご存知、ウォシュレットである。
水圧はボタンで好きに調整できるが、それだけで尻周りを綺麗にするために、デフォルトではやや強めの設定にされている。
しかも前と後ろに当たるように前後に動くため、なんともいえない感覚が襲ってくる。
そのせいでセノアはしばらく動けなかった。あまりの恥ずかしさに顔が真っ赤になる。
「最後は…これで拭くのかしら? あっ、柔らかい」
それから最後に、絹のように柔らかい紙で拭いて仕上げる。
ウォシュレットで大部分は洗浄されるため、拭いた紙に汚れが付くことはなかった。(足りなければ何度でも水が出る)
便器の隣にある箱に使用済みの紙を入れると、そのまま流されていった。
こちらはサニタリーボックス(汚物入れ)も兼ねており、固形物の処理もできるようになっている高性能っぷりである。
「お、終わった……」
セノアは立ち上がり、ゆっくりと洗面台に向かう。
洗面台には手洗い用の水(蛇口)と石鹸があり、最後はハンドドライヤーで乾燥させる仕組みまで導入されていた。
それらを四苦八苦しながら、説明書き通りにこなしていく。
ここまでトイレに時間をかけたことはなかったが、そこに不快感は一切ない。
(なんだろう、この爽快感。嫌な臭いも全然しないし、満たされる感じがする。もっといたいと思うなんて…ここはトイレなんだから、おかしいよね)
これが下級街にある公衆トイレならば、衛生面や安全面を考えて即座に立ち去りたいと思うものだが、アンシュラオン製のトイレは幸福感に満ちていた。
広い空間も落ち着けるし、なぜか外に出たくなくなるのだ。
結局、セノアがトイレから出てきたのは、入ってから十五分以上経ってのことだった。
「お、終わり…ました」
「セノア、無事だったか!?」
「さ、サリータさん、わ、私……ううう」
「どうした!? そんなに顔を赤くして、いったい何があったんだ!?」
「うううう、わ、私、恥ずかしい! あんなに…あんなに…! でも、気持ちよくて…うう―――がくっ」
「セノアあぁあああああ!」
セノアが、もたれかかるように倒れこむ。
がしかし、その顔はどこか満足感と幸福感に満ちていた。
「し、師匠、あれは本当にトイレなのですか!? どうしてセノアはこんなふうに…」
「サリータ、お前も入ってみればいい」
「そ、それは…!」
「何を怖れる? 挑戦しない人間に未来はない。あそこに行けば人生が変わるぞ。お前も女性なんだ。幸せになってもいいんだぞ?」
「…ごくり」
サリータだけではなく、女性全員の視線がトイレに集まる。
これは普通のトイレではない。
アンシュラオンが女性を想い、女性のために全力で開発したものだ。
そこには―――【愛】がある!!
こうして全員が試すまでに、およそ二時間以上の時間を費やした。
で、実際の感想だが
ホロロいわく「アンシュラオン様に愛されているような幸せな時間」
セノアいわく「癖になりそうで怖いです」
ラノアいわく「なんか楽しかった」
サリータいわく「女に生まれてよかった」
サナいわく「…こくり」
とのことだ。
「素晴らしい!! 大成功じゃないか!!! うおおおおお!! やってやるぞおおおお! オレがトイレに革命を起こしてやる!! この都市から悪臭を消してやるからなぁあああああああ!!」
この男、ただ者ではない。トイレにかける情熱が違いすぎる。
そうです。僕が、僕こそがトイレを作った人間なんです!!!
僕はトイレを作りました!!!
今、新たな伝説が始まった。