【旧版】「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」※全話掲載完了 作:ぷるっと企画@園島義船
戦艦が亀裂から地上に出てくる。
アンシュラオンも女王蜘蛛を倒し、まもなく地上にやってくるだろう。
こうして大空洞での戦いは終わるわけだが、今回のことがどんな意味を持つのか、彼らにはまだわかっていない。
その証拠に、一部始終を空から見ていた者がいることに気づいていなかった。
〈やっぱり蜘蛛ごときじゃ彼らを止められなかったみたいだね。所詮は過去に取り残された異物だもの。仕方ないね〉
人の形をした真っ黒な『影』がいた。
最深部にあった巨大ジュエルに付与されていた大地の術式を解除する際、術式の核の前で出会い、アンシュラオンに管理を丸投げした者。
サリータに記憶の欠片を見られ、回収するついでに魔人因子を刺激した者。
いきなり出現したため、その正体についてはまったくの謎。何の説明もないが、そもそも出会ったばかりの者の正体などすぐにわかるわけがない。
しかし、アンシュラオンが警戒していた通り、この影は普通の存在ではなかった。
〈魔人因子だけならばいいけど、【真理】にまで接触してしまったんだね。まいったな…〉
影は少しだけ困っていた。
ここでの出来事はあらゆるイレギュラー、想定外の中で起きたことだからだ。
原因の一つは、サナ。
〈イレギュラーはいつだって起こるものだけど、真理はまずいよ。それにしても、あの女の子は何なんだろう? ただの【欠けた者】ならば『ウロボロスの環』の底辺に山ほどいるけどね。『再生』の際にミスがあったのか、あるいは意図的に作られた? さすがにそれはないと思いたいけど、やりかねないなぁ。三千年前に前例があるからね〉
影は、サナが出会った黒い意思を『真理』と呼んだ。
互いに正体不明の存在であるが、影にとって真理は厄介な代物のように聞こえる。怖れてはいないが制御できない危ないもの、といった認識だろうか。
〈あの子については保留かな。【黒狼】が肩入れしたところで、たかがあの程度だ。特段対処する必要もないだろう〉
影にとってみれば、サナが魔人因子を少し操れるからといって微々たるもの。グァルタには最凶最悪でも、より大きな存在からすれば瑣末な問題だ。
『黒狼の眷属』が若干ながら援助していることは気になるものの、管轄が違うので関与することではない。
ただ、アンシュラオンに関しては予定通りだ。
出会う瞬間までは意識しなかったが、それは自分が影だから。彼という存在のことは『本体』が熟知している。
〈あれがアンシュラオン、『願い』から生まれた存在か。接触するなら教えておいてほしかったものだけど、それも使い走りのつらいところだね。彼は良い。とても良いね。好きになっちゃいそうだ。彼はきっと楽しいことをしてくれるに違いない。これからに期待だね。おっと、そろそろ本体に戻らないと〉
影の周辺の空間が歪むと、生み出された穴の中にすっと溶け込む。
その中は、まさに無限の刻が流れる世界。
上には現在、下には過去、左には未来、右には仮定。天は無窮で、地は永遠。
上がって下って、曲がって沈んで、また上昇する。
すでに起きた事象と、今後起こるであろうあらゆる可能性が入り混じった『記憶の黄昏』が、地平線に浮かぶ太陽の如く煌いていく。
人の記憶。魔獣の記憶。物の記憶。大地の記憶。星の記憶。
あらゆる記憶が世界を構築し、さきほど死んだ女王蜘蛛の泡沫もその一つとして吸収されていく。
影は無限の可能性を感覚で理解しながら、大きな流れに乗って『本流』へと戻る。
そして『大河』を構成する一つの要素として、自身の体験と記憶を還元する。
影は一つではない。常時一定数の影が世界中から集まって情報と記憶を大河に還元しては、また分かれて旅立っていくことを繰り返す。
ただし、今回は重要な情報がもたらされたために、中央に大きな自我が生まれる。
自我は不規則な光の集合体であり、意識の煌きであり、記憶の瞬きである。
その輝きが求められるままの形となり、一つの個性として生まれ出でた。
「そうか。予定通りにアンシュラオンが来たんだね。ボクも会いたかったな。でも、影はボクでもあるから出会ったことと同じかな? ふふ、彼はボクを好きになってくれたかな? そうだといいな。だって、同じ記憶を持つ者同士。好きにならないわけがないよね」
そこには十代半ばの【女の子】がいた。
艶やかな黒い髪と黒い瞳を携えた美少女だが、若干の幼さを残しているので中学生くらいの印象を受ける。
着ているものは黒いローブ。ステレオタイプの中世の魔法使いをイメージしてもらうとわかりやすいだろうか。
ただ、それもまた意図的にやっていること。何もない場所に存在を生み出す時、必ず『観測者』が必要となるからだ。わかりやすさそのものが他者にとって認識を容易にする。
たとえば漫画を読んでいる時、読んだ地点で登場している人物や場所は確定していても、まだ読み進めていないところの状況はわからない。仮にそこに新しい登場人物や場所がすでに作者によって描かれていても、読んでいない人間にとっては存在しないと同じである。
観測されないものは存在しえない。そこに存在すること自体ができない。
よくミステリーやSF作品で『シュレーディンガーの猫』について取り上げられるが、この影の場合もそれに似ている。
影の集合体を『視る』者がいてこそ、影は影として存在しうるという、謎々のような不思議な存在がこの少女なのである。
だが、れっきとした生命体、意思ある存在なのだ。
「グレドガンガシフ〈絶対不死の岩城〉、いるかい?」
「はっ、御身の傍に」
少女の影から、二十メートルはあろうかという巨大な『六本腕の異形』が出現した。
異形の姿は、いくつもの岩を重ねたようにゴツゴツしており、腕が生えていなければまさに『岩城』と呼ぶに相応しい剛健ないでたちだ。
彼もまた名によって
「少し世界を見て回ろうと思う。付き合ってもらえるかな」
「御意。御心のままに」
「どこがいいかな。まずは西大陸からぐるっと回ろうか」
少女が意識を向けるだけで空間の一部が歪曲。移動用のワームホールを生み出す。
そこに飛び込むと、一気に世界が変化。やや薄暗い場所に出た。
眼下には星が見え、稲妻のように大気が発光しているのがわかる。それらすべてが生命活動であることは、物理的な視野しか持たない地上の人間には理解できないだろう。
数多の精霊たちの活動が星の運行を助け、その中には強大な自然現象を操る『神々』もいた。『自然神』あるいは『高級自然霊』と呼ばれる者たちであり、日本神話で語られる八百万の神々に近い存在である。
さらにもっと細かく見ていけば、そこにはいくつもの世界と階層が存在し、それぞれの進化レベルに応じた生命たちが暮らしていた。
いわゆる『霊界』と呼ばれるものだが、この星では『愛の
「女神マリスの輝き。霊的太陽の光は今日も健在だ。特に問題はないようだね。では、次に女神マグリアーナの世界を覗こうか」
そう言いながら下降し、星の大気圏に突入。
「ホルスエンジュ〈大深空の赤翼〉、おいで」
少女が影から新たな存在を召還。
小さな蛇の集合体に翼が生えた巨大な異形が出現し、少女とグレドガンガシフを乗せて、ゆっくりと大気を滑走する。
そのまま西大陸の上空に到着。
高高度から覗く大陸の景色はとても美しいが、中身は地獄絵図のようなもの。西大陸では文化や技術が発展するが、いつも争いが絶えない。
人間の憎しみと怒りが常に怒号とともに響き渡り、互いに殺し合い、奪い合っている。それを地獄と言わずに何と呼ぶのだろうか。
少女は、そんな人間たちに無機質な視線を向ける。哀れみのような侮蔑のような、それでいて愛くるしい複雑な感情が含まれていた。
「グレドガンガシフ、人とは不思議なものだと思わないか。愛し合えるのにもかかわらず、いつも争ってばかりだ。あまりに無計画で非効率的で不道徳。ボクはなぜ絶対神が『人という霊』を生み出したのか、いまだに理解できない。道理はわかるけどね」
「人とは可能性の塊。御身も人だと理解しております」
「たしかにボクも人だ。人でなければキミたちを支配することはできないからね。それもまた神が決めたこと。母神の御意思だ。でも、それも皮肉じゃないか。もうここに母はいない。そんなルールに縛られる必要はないのかもしれないね」
「矮小な身では理解することも困難です。お許しください」
「いや、君に知識を求めているわけじゃない。いいんだ。ただの独り言さ。でも、こういうときは『追放者』のような弾けた連中がいたほうが面白いことを言ってくれそうだね」
「ご冗談を。あのような不良どもを御身に近づけるわけにはまいりません」
「わかっているよ。あーあ、お役所仕事もつまらないものだ」
「この大陸はどうされるおつもりですか?」
「特にボクたちが関わる必要はなさそうだ。ただ、北の国が大きくなるとは予想しているよ。世界を牛耳るほどの大国家になるだろうね」
「かつてもそのようなことがございました。しかし、すぐに潰れたと記憶しております」
「そりゃキミたちの時間の概念は彼らとは違うからね。千年なんて一瞬だと思えてしまえるほうが、人間からすれば異端だよ。地上とボクたちの世界は時間の流れも違う。彼らからすれば長い時間なんだ」
「そのようなものですか。難しいものです」
「ただ、警戒は怠らないようにしよう。技術レベルはまだ低いけど、バン・ブック〈写されざる者〉は扱い方によっては危険だ。また変に力を付けられと厄介だからね」
「御意」
「次は少し遠いから跳ぶよ」
一通り西大陸を見回ると、今度は海を越えて『世界の果て』にまで跳ぶ。
ガンプドルフが見せてくれた地図、その外側には『世界の果て』と呼ばれる謎の亀裂が存在しているといわれているが、それは実在した。
水平線の向こうまで広がる巨大な亀裂に、海水が吸い込まれる異様な光景が広がっている。
少女は亀裂の状態を確認。
「ボクから視ると問題ないように思えるけど、キミはどうかな?」
「問題ございません。呑まれた者も内部の海流にしっかりと転移しているようです」
「ここもね、さっさと解放したほうがいいとは思うんだけどね。いつまでも区切っていたら窮屈じゃないかな? 星は丸いんだよ? 繋がっていないとおかしいじゃないか」
「【外界】は、人間の手に負えるものではないかと。それこそ彼らにとっての地獄でありましょう。我らが引き続き管理するほうが安全と存じます」
「まだ時期が早いか。こっちも人材不足だから人の力が使えれば楽なんだけどね。まあ、それを決めるのはボクじゃない。女神の判断を待とう」
少女はさして興味もなさそうに立ち去ると、今度は南大陸を巡る。
南大陸の大半は島が多いだけで、ほぼ未開の土地といった様相だ。東大陸と大差はない発展状況である。
だが、こんな場所にも優れた文明が生まれたことがあった。
その中心部は、小さな島国。
「『約束の地』か。懐かしいね。あの時はボクも、ようやく本物の人類の進化が訪れるのかと期待したものさ」
「反乱鎮圧のことですか?」
「ボクらにとってはね。でも、彼らからすれば『聖戦』だったんだよ。物事は視点を変えれば、その数だけの事実が存在する。それでも真実は一つなんだけどね。おっと、『監視者』のお出ましだ」
少女が島の上空を飛ぶ巨大な竜を視認する。
天空竜、天竜とも呼ばれる『天災級魔獣』で、世界の六つのエリアを見回っている六体の『監視者』のうちの一体である。
「やぁ、お勤めご苦労様」
「………」
少女の言葉に反応することもなく、天竜ジグラルエルは去っていった。
彼の身体は透き通っているので、まるで大気に溶け込むように遠ざかり、消えていく。
「ふふ、相変わらず無愛想な子だよね」
「常々思っていますが、あれは危険ではないのですか? 稀にメイガス〈代行者〉との衝突も確認されておりますし、制御が利かなくなれば我らも手に負えません」
「さぁね。ボクの管理下にあるわけじゃないし、何かあっても関係ないさ。ボクにしてみれば天竜より、ここのほうが怖いけどね。また聖戦はこりごりだ。キミだって嫌だろう?」
「御意。強硬派の中には潰したほうがよいという声もあります」
「勘違いしちゃいけない。ボクたちの役割は【人類の進化】を促すことだ。とりあえず『真理』や『VALS』と接触しなければいいさ。やろうと思ってもできないだろうけどね。封印は…うん、大丈夫そうだね。じゃあ、次に行こう」
少女はそれ以外の大陸も軽く見回りながら、最後に東大陸西部にやってくる。
この西部は、北から南まで広大な荒野が広がる場所である。
その中で少女が特にお気に入りなのは、北部西方。
火怨山からグラス・ギースを含み、さらに東部まで含んだ大きな一帯である。他のどこよりも荒廃し、人が暮らすにはとても厳しい場所であった。
だからこそ耕し甲斐がある。
「なかなかいいじゃないか。種子も芽吹きつつある。東も南もそんなに悪くない。グレドガンガシフ、キミには『産声』が聴こえるかい?」
「産声ですか?」
「そうだよ。いずれここに【巨大な国家】が生まれる予定なんだ。その流れが着実に生まれつつあるってことさ」
「人間の世界のことはよくわかりません。また潰れるものに価値があるのでしょうか」
「そろそろキミも『夢』を見ることを覚えないといけないね。ボクたちだってこの世界の一部なんだから。『お客さん気分』でいたら取り残されてしまうよ」
「申し訳ありません。尽力いたしましょう」
「キミは良くも悪くも真面目だね。そんなところも嫌いじゃないけどさ。さて、今日はとても大事な用があるんだ。さっそく向かおう」
少女がアンシュラオンが蜘蛛と戦った大空洞をさらに超え、西方の中心地に向かう。
普通の人間は空を飛べないため、西方の詳細な地形はまったくわからないが、少女が真上から俯瞰すると見事な『超巨大結界』が形成されていた。
さまざまな異常気象も同様に何者も立ち入らせないためのもの。結界を構成する大切な要素の一つだ。
「今日、ここの『呪詛結界』の一つが消えたんだ。作った時のことを覚えているかい?」
「メイガス総動員で、六百五十五個の核を使って生み出したと記憶しております。なかなかに苦労しました」
「長くて古いものだから、五個や十個くらいの欠損はドット欠けのようなものだ。さしたる問題じゃない。でも、いい機会だ。そろそろ本格的に結界を解除しようかなと思っているのさ。女神からも許可は出ているよ」
「慎重な女神にしては珍しいことです。その一つがそれほど重要だったのでしょうか?」
「それが人の手によって成されたことが重要なんだ。そして、『災厄の魔人』の手によって成されたことがもっとも大切だ。まあ、お膳立てしたのはボクでもあるんだけどね」
「………」
「ふふ、気に障ったかな? キミの立派な身体もまだ治っていないからね。やはり魔人の力は怖いものさ」
「いまだ理解しかねます。それこそ、あのような存在が必要なのでしょうか」
「人の無限の可能性を破壊に向けると、ああいうこともできるということさ。温厚なボクたちには理解しにくいけどね。それもまた可能性の一つだってことだね。さて、キミを連れてきたのは『煉獄への道』を作ってもらうためなんだ。お願いできるかな。ボクが開いてもいいけど目立つからね」
「御意」
グレドガンガシフの六本の腕、それぞれに植えられたジュエルが輝き、空中を掴んだ。
景色に変わりはなく、風も普通に吹いている。魔獣たちが飛び回っている姿も確認できる。一見すれば何も起きてはいないように思えた。
がしかし、その深奥では凄まじい術式の演算処理が行われている。
現在のアンシュラオンでは感知すらできないほどの超巨大結界の『管理者用コード』が発動し、煉獄への道が開かれようとしているのだ。
作業は完了。
一人分だけ入れる通路が完成する。
「完了しました」
「ご苦労様。キミはここで待っててね。大丈夫だと思うけど、もし入ろうとする者がいたら排除していいよ」
「御身の思うがままに」
少女が中に入ると、グレドガンガシフが入り口を塞ぐように立つ。
誰もここには来ないだろうが、もし来たとしても彼によってあらゆる障害が排除されるだろう。彼の『絶対不死』を打ち砕くことが出来る者は、この世で数えるほどしかいないのだから。
その彼にちょっとした不幸があったとすれば、少し前に『災厄の魔人』と出会ってしまったことだけだ。
今でも岩の身体には大きな傷跡が残っており、防御には絶対の自負があったがゆえに、あの時の屈辱は忘れていない。
だからこそ闘争に満ちた世界を憂う。
(災厄の魔人。【ジ・オウン〈大我の中の自我〉】のお気に入りのようだが、ただの悪鬼にしか思えぬ。それもまた我の浅慮ゆえなのかもしれぬが…人の世はあまりに混沌としている。哀れなほどにな)
ジ・オウン〈大我の中の自我〉。
それこそ少女を観測する際に使う記号ではあるが、名前であって名前ではない。
そうとしか言いようがないから、そう呼ぶしかないのである。