「「「行儀見習い?」」」
「ええ、行儀見習いです」
「私は、作法に通じているつもりですが」
「ええ、ですが……ミノスの物と、ヴィクトリアの作法。決して同じではありませんよ?」
「ふむ……」
神妙な顔つきのCEO。彼女が我らに与えた司令は、それ自体は任務ではない。その前準備……次にロドスが身を投じる戦場にて、闘争を円滑に進めるための交渉。それに祭司たるこの身が選ばれたことは、まぁグッドチョイスと言えるだろう。呆気に取られた様子の他のメンバーも、そのフィルターを通してみれば納得できる。
「舞踏に長じた私は、主に夜会で。エイヤフィヤトラさんは、学術的な会合にて」
「が、頑張ります!」
「そして、ヴィクトリア出身のグラニさんが」
「任せて!」
「人懐っこさとコネを最大限に活かして情報収集と……」
「多分合ってるけど言い方ァ!」
人と人の繋がり……つまりはコネクション。その点天災の研究とは、国々を跨ぐ物であるので幼いながらも学者の彼女は問題ない。さらに現地で騎馬警察なる熟練の馬のお巡りさんであり、民衆に人気がある彼女ならまさに適役と言えるだろう。小さいながらも頼れるチームメイトたちに、一切の不満は存在しない。だが……足りない物は明らかである。
「ですが、些か不足に思えます。行儀など幾ら身に付けても、上流階級へ手が伸ばせるのですか?」
「既にホルンさんとバグパイプさんが、現地の大貴族と友誼を結んでいます。お三方は、そこで行儀見習いを。合格点が出次第、調整に臨んでもらいます」
「得心致しました。ではアーミヤさん、最後に」
「はい?」
懸念事項は一切ないと、太鼓判を押すCEOの微笑みが頼もしい。ならば否は無い……いいや、歓喜を以て臨むとしよう。ロドスの手は私が思うより長く、そして慢心も油断も存在しない。重責に腕に力が籠り、杖の先で鎖がじゃらりと音を立てる。興奮にはらはらと、頭に戴く花より花弁が散って地面に堕ちる。我が祭司としての信念を、彼女に伝えなければならない。
「闘争を。これが終わった暁には、ヴィクトリアに於ける最前線。そこに、この身を投じて頂きたいのです」
「あら、現状の任務に不満が?」
「デカい熊のぬいぐるみをシバき続けるのは、英雄の信徒たる行いでは無いのですっ……!」
「いつもゴールデングローとセットで、統合戦略行ってるもんねぇ」
「私はあんまり呼ばれませんけど、大変そうですよね」
鎖の先端が突き刺さるたびに、悶え苦しみ泣き叫ぶ子供のおもちゃ。いくら必要なことであろうと、物凄く精神にクるのだ。このままでは花も萎れてしまうだろうし、酒の量も増えた……信念持たぬ存在では、この餓えを満たすことが叶わない。やはり生身の人間との、熱い血潮の交わりが必要である。もう怪しい古城に行くのは嫌ッ……!
「さぁお二人とも! こうしては居られません、すぐに旅路に着くとしましょう! 希望の導火線を逃がしてはならないのです!」
「滅茶苦茶笑顔が輝いてる」
「よく見えませんけど、熱量が凄いです」
「やる気が有るようで何よりです、ではグラニさんにはこれを」
「ん……ああ、ゼメンホフかぁ。あそこ出身の同僚は、評判が良い人が多いから楽しみだね」
「おや? もしや、初めての場所ですか?」
手渡された地図を覗き込み、ちょっと不安になる発言をするヴィクトリアの地理に詳しいはずの彼女。だが見下ろすその顔には漲る自信……さすがである、何か秘策があるに違いない。
「辺境領だしね、管轄違うよあそこ。まぁあたしに任せて、ばっちりナビゲートするよ! 人に道を聞きながら!」
「わぁ、基本ですね!」
「……エイヤフィヤトラさんは、私が支える必要がありますね」
「お手数をお掛けします」
長い旅路になる……その確信を得た私は、ちょっと歩くのが苦手な彼女のサポートを申し出ることにした。同僚である以前に、手を貸さねば間違いなく迷える
◇◇◇◇◇
「やっと着いたね! ここだよ、ここ!」
「ひ、一回り成長した気がしますぅ……」
「良いことです、私の鍛練にもなりました」
「ふえぇ、罪悪感がうなぎ登りですぅ……」
何時もより高い位置で眺める景色は、ノスタルジィを感じる牧歌的風景。だが自分は正しくお荷物と化した状態で、謎の罪悪感を感じていた。でも私絶対悪くないよね……楽しげにしっぽをブンブンするクランタと、飄々と自分を担いで歩むフォルテ。長い旅路の間に実感した、混ぜるな危険。この二人を一緒にしてはいけないと、心の底から思い知らされる道のりであった。
「だいぶ遅れちゃったけど、しょうがないよね!」
「ええ、困っている方々を見捨てるなど出来ません」
「限度があると思います……何か敵襲まであったし」
何せこの二人、人が良すぎるしお誘いを断らなさすぎる。立ち寄る街で起こった様々な事件に積極的に首を突っ込み、解決まで導いて盛大に酒盛り。思い出と持たされたお土産が満載されたリヤカーを引く、グラニさんの手もちょっとぷるぷるしてる。挙げ句の果てには『おのれロドス! マンドラゴラ隊長を返せ!』などと叫ぶ、謎の見覚えがある集団の襲撃まで受けた。
「なかなか歯ごたえのある闘争でしたね」
「彼らもきっと分かってくれたよね!」
「分からせたの間違いでは?」
「さすがパラスの説法(隠語)は徳が高いね!」
「喜ばしいことです、やはり暴力。暴力は全てを解決します」
恐らく誤解だとは思うが、滅茶苦茶執拗に追い掛けられたのでパラスさんが滅茶苦茶執拗に殴打して追い払った。彼らは途中から半泣きになりつつも諦めないガッツを魅せたが、興奮した彼女が振るう鎖の先端が音速を突破してパァッン!! したのを見て退散した。ミステリアスな雰囲気と、たおやかな仕草。そして優しげな声にそぐわぬ、物理的威力の化身である。
「ミノスこわい」
「エイヤだって焼いてたじゃん」
「私に少々引火しましたね、まあ気にするほどではありませんが」
「うう、ピンチだと思ったんです!」
祭司らしいのは、その心の広さだけである……危険ですと言われ、投げ捨てられて前後不覚になり反射的にイラプションした自分にも非はある。焦げ臭い香り漂う彼女に鷹揚に許されれば、もはやこれ以上の文句は言えない。襲撃者と同行者全員に等しく最もダメージを与えたのが自分という事実にも、目を瞑る必要があるので口をつぐみ大人しく手足をぶらんぶらんさせる。
「では参りましょう……ごめんください、ロドスの方から来ました」
「パラスパラス、それ詐欺の手口」
「おや、ミノスではこれで歓迎されるのですが」
「わぁ、あたしの働き甲斐がありそうなお国柄だね。ヴィクトリアよりもいいかも……?」
呼び鈴を連打しつつ、消防設備点検を装い始める宗教関係者。彼女の布教手法に、職業意識を刺激されてツッコミを入れるお巡りさん。だが返答に、ミノスへの移住を検討し始めた……カオス。ドクターの名付けた自分の素質など紛い物であると思わせる、凄まじい混沌ぶりである。とても人様、それもお貴族様のお屋敷を訪れる態度ではないが大丈夫だろうか。
『……はい』
「やはり誠意は通じるのです」
『知り合いじゃなかったら門前払いしてたわ』
「おかしいな、関係性のランクがダウンしてるよ?」
インターホン越しに応答する声に、満足そうに頷き花びらを舞わせる祭司。だが彼女の充実とは裏腹に、同僚から知っている人まで格下げになった我らの立場に感づくお巡りさん。モニターに映る呆れた様子でかぶりを振る、金髪の狼さんの白い視線が痛い。これ以上の失点は、スピーディな任務失敗に繋がること間違いなしである。身分証の提示は求められないが、お利口さんな態度は要求されている。
「ほ、ホルンさん。エイヤフィヤトラですっ! 遅れてしまってごめんなさい!」
『初めから素直に謝っておきなさい? 対人関係の基本よ、基本。いいわ、お入りなさい』
「さすがはエイヤだね」
「素晴らしいコミュニケーションです、花丸をあげましょう」
「うう、何で私が謝らされたんだろう……」
非常に腑に落ちないが、まずは第一関門突破である。ぎぃぃ……と鳴り開いていく門に、そっと胸を撫で下ろす。よく手入れされた庭園の真ん中には、見覚えのある明るめの赤い髪。だがブンブンといつも通り元気の良い、視界の中でぼやけるシルエットが少々おかしい……? 良く見えないけど、なんか足りないような。
◇◇◇◇◇
「みんな、よく来たべ! こっからはうちが案内すっから着いて来て!」
「おや、バグパイプさん。角が片方……」
「ああ、似合ってるべ? 名誉ある傷だぁ」
「何と! 既に一戦交えたのですねッ!!」
「厳しい戦いだったべ♡」
「羨ましい……! 素晴らしい勲章です」
久しぶりに会った同僚マークⅡ。そのトレードマークの雄々しかった角の片方は、痛々しい断面を見せていた……だが彼女が浮かべるは、お日様のように満面の笑顔。さらにそれを見やる祭司の顔には、隠し切れぬ羨望が滲んでいる……角って大事な物じゃなかったっけ。でも自分には無い物なので、同じく角付きの彼女に聞いてみる。
「あたしには分かんないけどさ。角が折れるのって、そんなに誇らしいことなの?」
「そんなわけ無いじゃないですか……種族の誇りですよ? 家族以外には、触らせることだってしません」
「じゃあヴィーヴルとフォルテだけ?」
「生えている種族としては、共通の価値観のはず、何ですけど……」
「クランタが、背中に人を乗せないようなもんだよねぇ?」
このテラに暮らす自分たちは、大なり小なり己の種族の特徴に誇りを持って生きている。我らだって脚力と人の耳とは別にもう一対ある大きな耳。付け加えてしっぽの毛並みは、とても重要な物なのだ……でもそれはそれとして馬扱いされればまぁキレる。例外は幼児とのお馬さんごっこぐらいなもんであり、各々譲れぬ物があるはずなのだ。
「何を仰るのですか、確かに角とは神聖な物です。ですが、闘争の中で失えば別。燦然と輝く勲章となり、我らの生に彩りを添えるでしょう」
「んだんだ、この角の名残はうちの誇りだべ」
「その英雄譚を、じっくりと堪能せねばなりません。今宵はバグパイプさんを語り部として、おおいに飲み交わしましょう」
「パラスパラス、当初の目的忘れてない? まずは館のご主人への挨拶でしょ」
「おっと、そうでしたね……いけません、私としたことが」
「まぁいつも通りですけどね」
のんべぇ欲求丸出しで、先遣隊と肩を組み始める相変わらずの酒カス。控え目なエイヤすらも同意……いや、わりといい性格してるよねこの娘。旅の間にだいぶ遠慮が無くなり、アルカイックなスマイルを浮かべて手足をぶらんぶらんさせている。まぁいいことだ、仲良きことは美しきことかな。しかし、一つ気になることがある。
「ところでバグパイプ、そのお召し物は?」
「ん? メイド服だぁ。似合ってるべ?」
「そりゃ似合ってるけどね、ちょっとその……アレだよね」
「確かに、貞淑さには些か欠けると言わざるを得ません」
「スカートが短いです」
さすがに少々口ごもるが、頼れる同行者たちが代弁してくれた。ばっさり言い放ったエイヤの言う通り、裾がやたら短い。おにくが乗っかり魅惑の段差を形成しているニーソックスの、付け根すら魅せつけんとせんばかり。まぁ元々着込んでいた制服も大概だったが、頑丈なアレと違い薄くてひらひらしている分頼りない。風が吹いたら中身が見えてしまいそうで、こちらの方がはらはらする。
「おしとやかに歩けば問題ないべ、ほら。こんな感じだぁ」
「なんと……! これが行儀見習いの成果だと言うのですか!」
「いつもズンズン大股だったバグパイプさんが!?」
「たまにローアングルを狙われても、一切気にしてなかったのに!」
「うち、そんなことされてたんだべ?」
驚嘆する。背筋をピンと伸ばしているのはいつも通りだが、手を身体の前で組みしずしずと歩むその後ろ姿。幼い頃に街で見かけて憧れた、ヴィクトリアンメイドそのままである。まぁ自分は民を守る道を選んだが、それはそれとして憧憬は胸の内に残っている。あのガサツな彼女がこうなるとは、やはりドクターの選別眼は確かなようだ。
「それとは別に、何やらサイズアップしているような」
「ああ、そりゃあ簡単だぁ。美味しい物をたらふく頂いてるもんで」
「ヴィクトリアで美食? 妙だな……もしや三食朝食を?」
「グラニさんの自国の食への不信感が凄い」
「最高のシェフが居るから、心配しなくて大丈夫だべ」
「ツマミも期待して良いと? おお、なんという僥倖なのでしょう……!」
そして職務で鍛えたこの目は、彼女の変化を見逃さなかった……! 大きくエプロンを押し上げる巨峰は、その呆れた隆起の凄まじさをさらに増していた。おのれ、自分は背もおっぱいもちっちゃいというのに。でも母国で美味しい物を味わえるのは素晴らしい、ロドスの食事に慣れると帰国が名残惜しくなってしまうのだ。歓喜に祈りを捧げる祭司と同様、グッジョブと叫びたい気分である。
◇◇◇◇◇
「ようこそいらっしゃいました。アステル・ゼメンホフです」
「これはどうもご丁寧に、パラスと申します」
「エイヤフィヤトラです」
「グラニです……あの、もしかして。辺境伯ご本人ですか?」
「ええ、その通りですが?」
ソファに鷹揚に腰掛け、名乗りを上げる少年。それに対して恐る恐ると言った風情で、確認を取る小動物。年齢はともかく身長はだいたい似たような物だが、風格の違いを感じ取ったようだ。さもありなん、目の前の彼こそがこの館……いや、この領地の支配者。年に似合わぬ落ち着きは、さすがは生まれついて人の上に立つ者といった風情である。
「マジで……いやいや、雲の上が目の前にッ!?」
「うちらの時を思い出すなぁ、隊長も同じような反応してたべ」
「バグパイプみたいに、粗相をカマさないようにね」
「グラニさん、緊張する必要はありません。我らはただ、己の使命を果たすに過ぎません」
「その通り、よくわかっておいでで」
「恐縮です」
だがこちらとて、十二英雄殿にて祭司を務めた者。地元の公務員な彼女とは違い、怖気づいてなど居られない。そしてこのスタンスで正解だったのだろう、満足そうに頷く紅顔の美少年。これがビジネスであるということを、理解している証左である。実にイイ、そそる……成長した暁が楽しみな、素晴らしい英雄の卵に心が躍る。
「で、でも! だってさ! あたし、木っ端官憲だよ!? 下手なことしたら、一瞬で首になっちゃう!」
「バグパイプさんに素の口調を許すは大器の証。それに見なさい、ホルンさんの落ち着きを。彼は己の地位を笠に着るような人物では無いと、私たちに伝えてくれています」
「だってご主人様だもの、いちいち細かいこと言いやしないわよ」
「ご、ご主人様?」
「んだ、服装見てたらわかるべ?」
「よく務めてくれています、お二人は当家自慢のメイドですよ」
「完全に馴染んでますね……」
ますますもって素晴らしい、信頼関係の構築は盤石なようだ。彼の後ろに二人並んで楚々と控える様子は、英雄に仕える従者のように。しかして、気安く物を言えるのは理想の関係と言えるだろう。少々服飾のセンスが助平寄りであったので警戒していたが、これならば問題は無いだろう。まぁ二人とも実績ある軍人であるので、元より心配はしていなかった。
「では、仕事の話に入りましょう。まず、私たちの立場を確認したく」
「三人は、貴族の令嬢です。僕の元でメイドとしての修行を積み、社交界へのデビュタントを控えています」
「あたしたちがっ!?」
「なるほど、そういうバックグラウンドですね」
「あ、そういうこと……それで行儀見習いかぁ」
この身は既に予習は済ませているが、グラニは自国故に戸惑いを覚えたのだろう。ヴィクトリアの貴族社会において、大貴族の元での奉公はステータス。高貴なる者の元で修行を積み、笑顔と策謀渦巻く和やかな仮面を被った闘争へと身を投じるのだ。エイヤが言うように、それが自分たちに与えられる背景ということだ。
「でもあたし、見ての通りの粗忽者だよ? 大人なのに身体もちっちゃいし……まぁパラスほど、年はいってないけどさ」
「縊りますよ」
「ヒェッ。ごめんなさい」
「問題ありません、デビュタントの時期は人それぞれ。相手の痛いかどうかも分からぬ腹を無暗やたらと探るのは、顔面に拳を叩き込む覚悟をキメてからです」
「ヴィクトリア貴族って、もうちょっと上品な物だと思ってました」
「貴族に夢を見すぎでは? 笑顔を交わすのはテーブルの上だけであり、下では懐剣を握るのが習わしです」
やはり大国とは恐ろしい……腹芸上等のその文化は、純朴なるミノスの民には縁遠き物である。だがサルゴンよりはマシ(確信)であるので、自分にとっては全く問題なく受け入れられる。そして彼の幼いながらも頼もしい笑みは、非常に好感が持てる。己の立場に殉ずるという、基本にして困難を見事に乗りこなしている。
「具体的には、やはりメイドを?」
「ええ、もちろん。二人のように、僕に恥を掻かせることの無い模範的な従僕となって頂きます」
「三人ならすぐだべ」
「グラニ、良く考えなさい。貴女よりガサツなバグパイプでも、こんなにお利口さんになったのよ?」
「隊長、ちょっとそれは傷つくべ……」
「いきなりあの扉を蹴り破って突入するヤツが居なかった時点で、純然たる確定した事実でしょ?」
「ぴゅー」
やったらしい。口笛を吹いて誤魔化そうとする、彼女の茜の間から垂れ落ちる一筋の汗。
「うーん、あたし出来る気がしてきた。ありがとね、バグパイプ」
「嬉しくねぇけど、どういたしまして?」
「では指導はお二人が?」
「いえ、彼女たちとて未だ完璧ではありません。そしてメイドを一人前に仕立てるのは」
「執事長たる、この私の仕事と決まっておりますな」
「「「ッ!?」」」
一切の気配を感じなかった……! 幾らバグパイプとグラニの心温まる漫才に気を取られたといえど、ここまで存在感を消し影に徹するとは。慇懃な仕草で深々と腰を折る、老紳士のたたずまい……只者ではない。あのロドスの赤い死神でさえ、もう少し気配が有ると言うのに。立ち尽くしたままに声を発するまで存在を気取らせぬなど、地面に張り付き息をひそめるマンティコアよりも高等な技術である。
「もう、ディグさん。驚かしすぎだべ」
「私たちの時は、ちゃんと相手してくれたのにね」
「若様はご立派になられました……私が出しゃばる必要もありますまい」
「ディグに褒められると、ちょっと後が怖いんだよね」
「さすが大貴族、執事もすごいね……」
「熱源は感じてましたが、違和感はありませんでした」
その卓越した技量は、ただただ主を立てるために使われていた。余人ならば無駄遣いとも思うだろうが、この祭司の見解は違う。自らの立場に対する誇りと自覚が、気高き狼にそうさせているのだ……己を完璧に律するなど、未熟な自分にはとても成し得ぬこと……それに。この屋敷には、尊じて敬うべき存在が満ち溢れている。
「お名前を伺っても? 古き勇者よ」
「おや、そこまでへりくだる必要はありませんぞ? 執事長とメイドと言えど、同じ若様に仕える立場ですからな」
「いいえ、その歴戦の風格……さぞや戦場で名を馳せたことと思います」
「全ての栄光は、我が主の元へ。輝かしい勲章など、この身には余る物です」
「ですが、確かに刻まれています……もう一度問います、名を」
「ディガーナと申します。ディグと気安く呼んで頂ければ」
その身に纏う戦場の空気は、年を経ても決して薄れることを知らない。立ち位置も絶妙……我らが妙な気を起こせば、身を挺して主を庇える位置に控えている。けれどもその表情は、飄々としたまま。笑顔のままに、己が使命に殉じる気概に満ちた老雄に対して失礼な態度など取り得ない。
◇◇◇◇◇
「ではディガーナさんと。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます」
「やれやれ、強情ですな。ですが信念を感じます……よろしい。若様に共に仕える同僚として、この老骨を惜しみませんとも」
「あっという間に意気投合しちゃった……」
「何か通じる物が有ったのでしょうか」
おっと、これは嬉しい誤算。最もとっつきにくいと思っていた、酒と宴以外には用心深い祭司殿が見せた好感触。これは事を運びやすいというもの……しめしめと内心ほくそ笑み、次なる段取りに移る。
「ファーストインプレッションは上々ね、良い傾向だわ」
「ええ、僕も安心しました。最初のホルンたちのように、いきなり拷問を始めたらどうしようかと」
「指が痛むべ……」
「うーん、やっぱり軍隊のノリはわからないなぁ」
「グラニさん、他の軍人さんに失礼ですよ」
「私たちが特殊みたいに言うのは、やめて頂戴」
緊張に震えることもなく、リラックスした空気で進む会話。ご主人様によるイジりに乗っかるほどに、彼女たちが纏う空気は弛緩していた。あとエイヤ、わりとずけずけ言うわね? ちょっと印象変わっちゃったわ……まぁいい、このホルンの立案した作戦の進行に影響はない。まずはさらに、警戒心をユルませるっ……! 以心伝心の部下に目くばせを飛ばす。
「んじゃあ、歓迎のパーティーすっべ」
「こら、バグパイプ。まだ説明が途中よ?」
「いいじゃねぇべか、隊長はお堅いべ」
「そうですね、僕はまだちょっと酒は苦手ですが……親交を深めるにはいいですね」
「そうですねっ! その通りですっ! 演劇は有りますか、秘蔵の美酒などはっ!?」
「ほら、パラスがノッちゃったじゃない……しょうがないわね」
ロドスではお堅く頼れる隊長さんと名高い、自分が言い出すのはあまり良くない。親しみやすい彼女に言わせて、最高権力者のご主人様に同意させる。すると自分も、しぶしぶ承諾せざるを得ない状況が完成する……だが彼女の食いつき具合を見るに、ここまで慎重になる必要は無かったかも。まぁいいや、楽な分には良いことだし。
「お貴族様とのパーティー……ううっ、胃が」
「無礼講にしますから、気を使わずとも結構ですよ?」
「上役にそれを言われて、信用したら酷い目に遭う。あたし知ってる」
「私も知ってます……アーミヤさんこわい」
「魔王とご主人様を一緒にしないで欲しいべ」
無礼講。官憲であるグラニは言うに及ばず、あどけない彼女にまでトラウマを植え付けた言葉である。原因は鬼畜ウサギ……ドクターの焦げたフードを優しく撫でながら、『私が怖いですか?』と微笑む彼女。それに対するイフリータの返答は、何より雄弁だった。空気酔いから醒めて盛大にジョバりながら、ムリヤリ連行されても一切の抵抗を出来ず……そのままドクターにお詫びとして貢がれてしまったのだ。
『ごめんなさいっ! ごめんなさぁぁぁいっ! オレサマもうしないっ! もうしないからぁっ!』
『い、イフリータを許してくれっ! 私ならどうなってもいいっ!』
『あはは、許すわけないじゃないですか。もう出来ないようにしてあげます……こんな風に♡』
『どくたー♡ あーみや♡ えへへ、お帰りなさいだぴょん♡』
『わぁい、新しいせーよくしょりどーぶつ♡ 増えたくまー♡』
『ち、ちんぽっ♡ ドクターちんぽの分け前減っちゃうにゃんっ♡』
『大丈夫、幾らでももらえるにゃん♡ でもまずは、躾け……♡ あたしみたいに、寝バックブッ叩きでわからせてもらうにゃんっ♡』
『……えへっ♡ サリア、オレサマたちガキの数もはんぶんこにしような♡』
『飴みたいに言うのやめて?』
ドクターオナホふれあいガキ産み牧場……そう名付けられたそこで飼育されていた、白ウサギに元ブラコンくまさん。毛並みのよろしい金色猫に、ド底辺に堕ちたため全てを許せるようになったダブカス猫。彼女たちに取り囲まれたイフリータは、己が運命を悟り恩知らずな道連れオーダー。だが保護者はとっても頑張って、戦闘業務による地位向上に努めていたらしい……まぁ、かわいい部下が台無しにしちゃったけど。
「あれは悲しい事件だったわね」
「だからちょっと、無礼講って聞くと構えちゃいます」
「大丈夫よ、ご主人様の心の広さを見せつけてあげる……ねっ♡」
「うぐっ」
「まさかご主人様が、一度言ったことを引っ込めるわけがねぇべ」
「と、当然じゃないですか。どんな無礼でも見過ごしますとも」
「「いえーい!」」
永遠に詫びガキ出産を続ける義務を負う、イフガキオナホの誕生秘話である……まぁエイヤは末路までは知らないが、あの笑顔だけで漏らしそうになったそうだ。だが幣ゼメンホフのご主人様の寛容ぶりは、大海を超える凄まじさを魅せる。それを実演することを告げると、ちょっと嫌そうな顔もだぁいすき♡ ハイタッチをカマしながら、粗相の限りを尽くすことを誓う私たちであった。
◇◇◇◇◇
「さぁご主人様、リンゴだべ」
「うんうん、バグパイプ。気持ちは嬉しいんですが、僕は丸かじりはちょっと」
「大丈夫だべ、ちゃんとお口に入るサイズになっから」
「そうですか、ところで僕は何で縛り付けられてるんです?」
「ゲストがショーをお望みだからだべ」
「何で僕の頭に、それを乗っけるんです?」
「ゲストがショーをお望みだからだべ」
「……あの」
「ゲストがショーをお望みだからだべ」
「はい」
何やら恐ろしいことが始まろうとしている……! 断頭台で首を落とされる最後の王とは些か態勢は違うが、少年の瞳が映していたのは諦め……柱にぎっちぎちに縛り付けられ、貴族服が何というかミノムシ。せめてもの抵抗とばかりに開いた口も、壊れたテープレコーダーの如き平坦なリピートに封じられた。何、何が起きているの!?
「ま、まさかこれはッ!?」
「知っているんですかパラスさん!」
「ええ。古の勇者が酒の席で酔っ払い過ぎた際、ノリで披露したと言われる宴会芸です」
「何でミノスの奇習がヴィクトリアで!? 多分違うヤツだよそれっ!」
「いえいえ、見ていてくださいグラニさん……ほら」
「ぷはーっ! 良い酒だべ」
ガシャコン。排出音が軽やかに響く……チン、と落ちた薬莢とごくごくと喉を鳴らすバグパイプ。彼女が握るのは、ジョッキと重厚なる破城矛……その身体から立ち上るは蒸気。ヴィクトリアの武を象徴する、『力』の具現である。お貴族様のパーティー会場に持ち込んで良い代物じゃねーぞ、一体何してんだ。常在戦場とか、そういう話じゃないよねそれ。
「よぉし、バグパイプッ! 粗相を始めなさいッ!」
「了解ッ! 度胸を養うは苦難ッ!!」
「うおおおおっ!?」
「何と素晴らしい! 信頼感の成せる業ですっ!」
「いやおかしいっ! 粗相とかそういう次元じゃないっ!?」
ドガガガガン、と連続排出される薬莢と共に撃ち貫かれるどころか爆砕するリンゴ。この後スタッフが頂くのであろうが、アッシュブロンドが果汁でもうビッシャビシャ。無礼討ちされても一切の文句が言えぬ、あまりにも凄まじい乱行である。柱に刻まれる傷痕の数々は、彼の成長を記すどころかその高貴を命ごと台無しにする勢い。
「良いわよ、その調子ッ!」
「うおお、そして己が身を救うは……実力ッ!!」
「ぬがぁッ!!」
「折れた音がしましたよっ!?」
「頸椎無事かなっ!?」
最後に思いックソ振りかぶった矛先が貫いたのは、彼の紅顔が一瞬前まで存在していた場所……一切の容赦をハナから期待していなかったのか、ドガゴキンッ! と言う音と共に直角に勢い良く折れ曲がる細い首。一際深い傷跡は、彼が命を繋いだ証……いやいやクレイジー。いきなり公開処刑を魅せ付けられるとか、あまりにも想定出来なさ過ぎた。
「ぐぉッ……」
「お美事にございます、若様。無事生還を果たしましたな」
「ディディディディディグさんっ!? いいんですかアレッ!?」
「……? あの程度でくたばるようでは、戦場では生き延びれますまい」
「OH……王家の伝承ってマジだったんだ」
「臣下が王より生温い状況に身を置くなど、亡き大旦那様は許しませぬ」
がくりと脱力する主人に対してぱちぱちと手を叩く執事長は、この狂った状況をむしろ歓迎している。……いや確かに我らが王の種族も、後継者を千尋の谷に叩き落すって聞いたことがあるけどさ。あまりにも覚悟がキマリ過ぎている……死んだらどうするんだ、お家断絶だぞ。後継者が他にも居るのかもしれないけど、そういう問題なのかなこれ。
「と、いう訳で。安心していいわ? ここまではオッケーよ」
「むしろ何が駄目なんです……?」
「ゼメンホフに対する侮辱ですな、腰抜け呼ばわりされた場合は殺さざるを得ませぬ」
「これを見て、それ言えるヤツ居る?」
「ごきゅごきゅっ、ぷはぁっ……人は愚かな生き物だべ」
「うん、今見た」
「……す」
いい汗掻いたとばかりに破城矛を置き、ジョッキから水分を補給しつつ縛り付けていた縄を解いてるアホ。今まさに主人を殺害しようとした、お前とかは特にな。ちょっとは悪びれる素振りぐらい見せろ……ほら現場を目撃した聖職者だって、虐待を見逃せなかったのかグラスを落としてパリンしたじゃん。滅茶苦茶怒ってるよ、鬼振動してるもん。
「パラスパラス、言ってやってよ。おかしいって」
「素晴らしいッ!」
「「ッ!?」」
「十二英雄の伝説を超える、あまりにも深い信頼ッ! 互いに命を預ける覚悟が無くば、到底成し得ぬ偉業と言えましょうッ!」
「駄目だ、この人も頭がおかしいっ!」
「何を言うのです、エイヤフィヤトラさんっ! この勇者たちに対し、讃える以外の感想など持ち得ませんッ!」
コイツもイカれてた。興奮しきってワインをボトルごとラッパ飲みしつつの、スタンディングオーベーション。花びらが吹雪となるほどの勢いでバラ撒かれて、彼女の興奮を全力全開で示していた。そして出来上がった花道を全力疾走して、すぐさまパーティー会場を離脱。戻ってきた彼女の手には……ちょい待ち?
「お、落ち着いてよ。何で獲物を持ってきたのさっ!?」
「知れたこと。返礼の舞踏を見せねばなりません……ロドスの結束を示すのですっ! さぁグラニさんっ!」
「ほい、リンゴだべ」
「頑張ってください、グラニさんっ!」
「期待しておりますぞ」
「堪忍してぇぇぇぇぇぇっ!!」
じゃらりと鳴る鎖の音に、全力逃走をカマすあたし。ちゃっかり安全圏からエールを飛ばすもう一人の同僚に文句を言う余裕すら、自分には与えられていなかった。何でこうなるの、あたし何か悪いことした? 狙う対象も載せられぬままに頭頂部を掠める凶器から、感じるアツい信頼と真心の籠った殺意。覚えてろよ、酔いが醒めたら説教してやる……生き延びれたらっ!!