時間が勝負だ。
俺は1日使い切りの中で効果の強い高額催眠アイテムを購入し、魔理沙に吹き掛けた。
「アリスにいつも通りの様子で応対しろ。可能な限り時間を稼げ。怪しまれずに出来るなら帰ってもらえ。前言ったようにーーいや、取り敢えず『ちょっと着替えるからそこで待ってろ』と言え」
「ちょっと着替えるからそこで待ってろ!」
「はいはい、お菓子あるから早めにね」
「くそ、家入る気満々だな。じゃあ『応接室』に通せ。そことキッチンとトイレ以外には入れるなよ。気にする素振りがあれば、今特殊なキノコと虫を使って研究してるとか言え。何が何でも浴室と物置には入れるな。限界になれば、なんでもいいから叫んで寝室に押し込め。侵入者は戦闘が終わるまではダンジョンから出られない。お前もそこから本気でアリスと戦うんだ。……ボス部屋に入られたら終わりだ。やられても、言った通りそこにだけは入れるな」
「分かったぜ。箒はもう持っておいた方がいいか?」
「……いや、寝室の前に置いておけ。蟲を部屋に呼び戻せば、押し流されて予めダンジョン内に入る筈だ。入り口くらいに転がってるだろうし、それを回収しろ」
「りょーかい。出来るだけアリスに不意打ちできるようにしてやるから、しっかり決めてくれよ」
「魔理沙ー、まだー?」
「すぐ行くー!」
魔理沙への指示出しは終わった。
踵を返して、俺は部屋を出る。
そしてワームと余剰の蜘蛛を全てDPへと変換した。
そうして残った最終的な所持DPは、およそ12000DP。非常に多いが、今の俺には全く心強いとは思えない額だ。
本来の戦力編成のためには、この2倍は必要だったのだ。
だが、現実はこの通り。無いものは無い。今ある12000DPで、最大の戦力整備を行わないといけない。
とは言え、このような最悪の状況を想定しない訳がない。
毎日毎日、今来た場合の最善策を用意していた。それを実行する機会が、偶々今日訪れただけの話。可及的速やかに行動に移せばいいだけだ。
ダンジョン整備を始めよう。
時間が勝負だ。
◇
玄関でかなり待たされた後で、ようやく魔理沙は現れた。
いつもの白黒魔法服に、フワフワした金髪。
快活さの見える表情で、笑いながら扉を開けて謝ってくる。
「わるいわるい、ちょっと着替えどこにやったか分からなくなっちゃっててさ」
「……はぁ、さてはまた部屋が散らかってるんでしょう。」
呆れながら魔理沙の家の中に入り、漂ってきた悪臭に眉を顰めた。
「今度はどんな変なものを研究しているのかしら。臭いが服に染み着いちゃいそう」
「あ、あはは……、ちょっと特殊なキノコと虫を材料にしててな。ずっと居たから鼻が麻痺してたみたいだぜ、悪い悪い」
「まったくもう……、でもちゃんと洗濯はしてるのね、貴女にしては偉いわ」
「え?あ、ああ……そうか?」
「ええ。柔軟剤の香りがしてるわよ。洗い立てなの?」
「おお、ほんとだ」
魔理沙は自分の服をすんすんと嗅いで首を傾げている。
何で自分で洗濯しておいて疑問に思えるのか。自身が使っている洗剤の種類も把握していないのかと、私は更に呆れてしまう。
「……お菓子を持ってきたわ。傷みやすいものだし、取り敢えずこれ食べない?掃除はそのあとよ」
「そうだな。あんがとよ、アリス」
魔理沙は家の中に入っていき、そのままキッチンへ向かって歩いてーー直ぐに戻ってきた。そして玄関近くの扉を開け、そこに入るよう私へ促してくる。
「悪い、ほんとに今部屋が散らかってて、落ち着いて座れるのはこの部屋くらいなんだ。そこ座っててくれないか」
「別にいいけど……そんなに酷いなら、先に片付け手伝いましょうか?」
「いや、まだ使うもんも多いし仕方ないんだ。後で私がやるから気にしないでくれ。……じゃあ、折角だしお茶でも淹れてくるよ。また時間がかかるかもしれないけど、それでもいいか?」
「?ええ、分かったわ」
魔理沙にしては珍しく殊勝な態度で気配りをしてくる。それをどことなく妙に思いながらも、よっぽど忙しくしていたのだろうと納得した。
そしてそんな理由で彼女が客へ粗雑なもてなしをしないことに納得した事で、思わず失笑した。良い振る舞いくらい素直に喜びたいものだ。
人形を用いて軽く机や椅子を掃除していると、魔理沙がお茶を持ってきた。
確かに普段より長く時間がかかっていたが、鼻をくすぐる良い香りに、再度私は少し驚く。
確かこれは珍しく魔理沙が持っている良い茶葉の香りであり、私が好きなものの一つだ。
明日は雪でも降るのかーーそろそろ冬だからあながち間違いでもないーーと思って魔理沙を観察するが、彼女はご機嫌な様子でカップを机に置いているのが見えるだけだった。
忙しい中の久し振りの休憩に、彼女なりにテンションが上がっているのだろうか。
そう考えると微笑ましくなり、私は湧いていた僅かな疑念を消し去って椅子に座った。
人形に指示してキッチンに皿を取りに行かせ、お菓子の準備を始めることにする。
すると少し慌てたように魔理沙が顔をむけてきた。
「え、別に私がやるからいいんだぜ」
「これくらいそんな手間じゃないわよ。疲れてるみたいだし座ってなさい」
「だ、だけど」
「はい、お皿。ほら座って、楽しいティータイムよ」
魔理沙は少し呆けていたが、直ぐににやりと笑みを浮かべて椅子にドカリと座り直す。
私も苦笑しながら椅子に座り、食器を手に取った。
うん、美味しいお菓子だ。
お茶も美味しいし、久し振りにゆっくり味わうとしよう。
◇
それが、僅か20分程前の話。
どうして今、私は魔理沙と戦っているのだろう。
弾幕ごっこなどではない、本気の殺し合いをーー。
「ほらほらアリス、隙だらけだぜ!」
「……それで問題ないからよ」
横からやってくる魔理沙の星型の砲撃は、人形による自動防御で防がれる。
私が操る人形は、各種機能を備えてある。特に防御に特化させた個体などは、私の意識外からの攻撃に対しても自動的に防御してくれる程だ。
ーーそんなこと、魔理沙は知っている筈なのに。
「魔理沙、正気なの?」
「とーぜん!」
魔理沙へ反撃の弾幕を放つと、高い機動を活かして彼女はひらりと避ける。
そしてその後ろから、大量の蛾のような蟲の集団が援護するように私へ攻撃した。
ーー閃光と音。
視覚と聴覚を同時に潰すように放たれた攻撃は、常時展開している非物理対策の魔法結界にて阻まれる。しかしそれでも幾らかは貫通して、私はそれらの不快さに顔を顰めた。
常時展開している結界の内、弱い衝撃対策の物理結界を解除して、その分の魔力を非物理対策の結界に回した。これでこいつらの攻撃は殆ど防げるだろう。
「もうやめなさい、魔理沙。こんな虫がいたところで、あなたじゃーー」
「下がお留守だぞ」
「ーー!?」
咄嗟に人形を下への防御に回す。
遅れて衝撃が伝わってきてーー私は、自分の首を伝う冷ややかな汗に気付いた。
いつから居たのだろう。
そこいたのは、頭部だけで私の身長に匹敵するような、とてつもなく巨大なムカデであった。
その大きな顎を閉じて、回収が遅れた人形達が無残に砕かれる。それだけでこのムカデの図体が見せかけのものではないことが明白でありーー私は、より強い人形を呼び寄せた。
自動防御の人形で対処できるものとは違う。こいつは、この白い部屋において最も警戒しなくてはならない存在だ。
床を埋め尽くすようなバッタの大群の中心で、まるで蟲の王のように首をもたげるムカデに対し、私は人形を構える。
まるでどこかで聞いた神話のようだ。となるとこの私が主人公か、と少し苦笑する。
ムカデ、バッタ、蛾、その他諸々の大量の蟲。
そして、魔理沙。
これらが私の前に立ちはだかっていた。
これは異常だ。
決して幻想郷で普段から目にするようなものではないーー紛れもなく、『異変』である。
私1人でどうこうなる事態とは思えない。それは、この蟲だけが異常というわけではないからだ。
この空間そのものが、この床と壁全てが真っ白な巨大な空間が、魔理沙の家の寝室の扉から繋がっているという事が、何よりの異常なのだ。
誰かに伝えなくてはいけない。それこそーー
「ここから逃げようとしてるだろ、アリス」
「……それはそうでしょう。乙女なら、こんな大きな虫と戦いたいなんて思わないわ」
「誰かにここのことを伝えるか?それこそ、霊夢とかにな」
「………魔理沙、あなたおかしいわよ」
私は少し、ほんの少しだけ恐怖心が湧いていた。
虫にではない。
魔理沙の様子にだ。
今の魔理沙はおかしい。それなのに、いざ寝室の中に押し込まれるまで、私は違和感以上のものを感じ取れなかった。
それは魔理沙が充分に自然体を保っていたからであり、そして内にある悪意を巧妙に隠していたためだ。
「黒幕がいるわ。魔理沙、あなた操られているのよ」
「……はは。……なあアリス、戦いが終わるまで、もう私達はこの部屋から出られないんだ。やるしかないんだよ」
「魔理沙聞いて。知っている情報を話しなさい。でないとあなたはーー」
「ここで死ね、アリス」
戦闘が始まった。
◇
どれほど時間が過ぎたのだろうか。
私の体力は限界で、魔力も殆ど尽きていた。
ふらふらと力の入らない身体は、地面に広がるバッタの体液にすら足を取られそうになる有様だ。
しかし、私は勝利した。
空気の流れの変化に後ろを振り向くと、入ってきた扉が開いていた。
戦いが終わるまで出られないと魔理沙が言っていたのを思い出し、私はそういうことかとぼんやり得心する。
そして、周囲を見回した。
白い壁は、様々な体液で汚れている。
床には埋め尽くす程の蟲の死骸が溢れ、真ん中には巨大なムカデの残骸があった。
ーーこいつは一番私を手こずらせた。
ムカデは硬く、そして慎重で、時折隙を見て行う噛みつきの威力は一撃でも死に至るものだった。
常に警戒しないといけないのに、あまり手を出して来ない所為でこちらからも手を出せない。厚い装甲のせいで生半可な弾幕では削る事も出来ず、私は自身の魔法の殺傷性の低さに歯がみした。
魔理沙は、非常に巧かった。
光と音で妨害してくる蛾を巧みに使い、ヒットアンドアウェイを繰り返す。火力は自動防御の人形でも防げる程度ではあったが、それでも隙を見せると撃ち落とされることが見えていた。
カウンターを狙おうにも、蛾が邪魔で仕方がない。どうにも手を出せない存在として、ずっと頭にチラついていた。
他の蟲は大したことないが、どうやら悪さはしていたようだ。
一定の割合の蟲は電気を放てるようで、壁や床に広がる蟲の体液を通電させていた。壁が白いのは全て蜘蛛の糸のようなものが張り巡らされていたからのようで、もしぶつかったりすれば大きな隙を晒す事になっていたと思われる。
ただ、気付いてしまえば大した事はない。
暫く膠着状況が続いた後、僅かに魔理沙と蛾の連携が乱れたタイミングで、私はその他への防御を全て自動防御人形に任せ、全力でムカデへの攻撃を行った。
それによってムカデを撃破する事に成功したがーー事前に指示でも出されていたのだろうか、ずっと攻撃して来なかった全ての蟲が同時に私へ殺到した。
攻撃は自動防御人形で全て防ぎ、ムカデを気にしなくてよくなった分の人形で蟲達を一掃したがーーそこで魔理沙からのマスタースパークが直撃してしまう。
流石の火力というべきか、直ぐ側のムカデの身体までバラバラに砕け散っていく。
あまりにも手際の良すぎる連携に、やはり組織的な黒幕がいることを強く認識した。そしてその攻撃によって実際に私はーー全ての自動防御人形を消費してしまう。
そして、返す刀で人形による攻撃を行い、魔理沙を殆ど瀕死に追い込んだ。
そこからは詰将棋のようなものだった。
必死に逃げる魔理沙を人形で攻撃し、残る蟲は魔法で焼き払う。
思っていたよりも魔理沙の逃げが上手く、かなりの魔力を消費する羽目になったがーーそれで勝ちの目が崩れる訳もなく。
蟲を全て駆除した後に、魔理沙を撃墜した。
「……外に、出ましょう。お説教はそれからよ」
扉付近で倒れる魔理沙へ向けて、私は息を荒げながら声をかける。
倒れ臥す彼女からの返答はないが、箒を握りしめる手からは、意識はまだ残っている事が分かった。
続けて何か言おうかと思ったが、まだ意味が無さそうだと首を振った。とにかく彼女を捕まえて話を聞こうと、部屋の外へ向けて歩を進める。そして何となく辺りを眺めーー何か、違和感を覚えた。
「……?」
なんだ、何か変だ。
見回すが、白い壁と蟲の死体があるだけだ。
だが何か、違和感がある。
そう、まるで、元々無かった「何か」が増えているようなーー。
「あ」
そして、その正体に気がついた。
それは扉だ。
魔理沙がいる近くのものとは違う、また別の扉。
それは壁を覆い尽くす糸の向こうに存在しており、よく目を凝らしてようやく黒い染みのように認識出来る。
見るからに、隠されていた扉であった。
「………黒幕」
魔理沙を洗脳した黒幕。
それが、そこに居るんじゃないのか。
そう思うと、私は自然とその扉へ足を向けていた。
一歩一歩そこへ近づき、だんだんと私の心に怒りが浮かんできて、ついに明確な意志をもつ。
黒幕がいるなら、そいつは許さない。
私は扉へ向けて半ば駆け足で近付いてーー。
「たすけて」
か細い声が聞こえた。
魔理沙の声だった。
私は慌てて魔理沙の方を見る。
そこには、箒による推進力だけで地面を引き摺るように移動する、白黒の少女の姿があった。
魔理沙はズルズルと箒に引き摺られ、そして開かれっぱなしの扉に辿り着く。
そして私に顔を向けて、呟くように言った。
「助けて、アリス」
それは、彼女の本心に聞こえた。
今日会った魔理沙の姿が、先程戦った時の彼女の様子が。すべて全くの偽物であると感じられてしまうような、本物の魔理沙の表情であった。
その台詞から、そう信じたいだけなのだろうか。
どこか冷静な魔法使いとしての私が、そのような冷めた考えを出してくる。しかし寧ろ冷静な私こそが、その疑問に否定をしていた。
やはり、今までの魔理沙には僅かながらの違和感はあったのだ。
例えば、赤と黄色が並べば疑いもなくそれは黄色にしか見えないが、黄色同士を横に並べると僅かな違いに気付けるように。
それは魔理沙の本心だと、私の理性が告げていた。
魔理沙はそのまま部屋の外へ出ていった。
それは彼女の意思なのか。それとも箒が勝手にそちらへ向かったのか。
箒を彼女は手で掴んでいたし、あの行動は彼女の意思にも思える。しかしそもそも彼女は操られていたし、彼女の意思なら本心から「助けて」などと言うだろうか。
やはり、あれは魔理沙の意志による行動とは思えない。
そうであるならばーー。
私は、おそらく黒幕がいるであろう扉を見た。
今魔理沙を追えば、この黒幕は逃げてしまうのだろうか。
そのために魔理沙を部屋から出したのだろうか。
それなら、魔理沙はこれからどうなるのか。無事で済むはずがない。そうでなければ、私と魔理沙の両者に対する「脅し」として機能しない。
魔理沙は見捨てるべきだ。
私の中の魔法使いの部分が、そう告げていた。
だから私は謝った。
「ごめんなさい」
ごめんなさい。
これから、黒幕の被害を被る人達。
私は友達を見捨てられない。
私は閉じかけている扉へ向かって走り、すんでのところで身体を隙間にすり込ませた。
勢いでつんのめって床に手をつく。
慣れ親しんだ、魔理沙の家の床だった。
「魔理沙、待ちなさい……!」
私は声をふり絞りつつ、息を整えて身体を起こす。
そして魔理沙を追いかけようと顔を上げてーー。
目の前に黒幕がいた。
それは手に持った何かを私に向けて、霧吹きのようなものを顔にかけた。
背中から床に倒れ込んだ私の耳に、辛うじて一言だけ聞こえてくる。
「アリス撃破」