「そうですか……秋月さんが……」
次の日、明石さんに昨日の事を話すと落ち着いた様子で聞いていた。
「彼女と話す機会はあまりありませんでしたがとても良い人だったので非常に残念に感じます。遺書はありましたか?」
「ありました。涼月さんと僕にこれ以上、迷惑をかけれないという内容でした」
遺書に書いてあったのは、これ以上、誰にも迷惑をかけたくない。ただ、それだけの理由。
前々からそんな事を呟いてはいたけどもこんな形になるとは思いもしなかった。
「秋月さん……らしいですね」
明石さんの瞳から涙が流れた。
何もかも僕のせいだ。もし、僕が早く気づいていればこんな事にはならなかったのかもしれない。いっそのこと秋月さんとの出会いなんてなかったら……
話を聞いたら、涼月さんはどんな顔をするのだろうか?
後悔ばかりが浮かぶ。
「すみません。降りていいですか?」
気づくとそう口にしていた。
「それは、辞めたいという意味で受け取ってもいいですか?」
明石さんが真面目な顔になった。
「はい…もう沢山なんです」
もう関わりたくない。
関わったばかりに異常性癖に目覚める事になり、片思いの相手が虐められ、涼月さんとの唯一の接点も失う事になった。
今度は涼月さん自身を殺してしまうかもしれない。
もう何もかもが嫌だ。
臆病者と罵られるかもしれない。だけど逃げたかった。
「分かりました。逃げたいのであれば止めはしません。今までお疲れ様でした」
僕の不安とは裏腹に明石さんはニッコリとして言った。
罵られるかもしれないと思っていただけに意外だった。
「明石さんも今までありがとうございました……」
僕は、彼女に頭を下げた。
――――――――――――――――――――
お昼頃に霞さんが来た。
「入るわよ。涼月さんの居場所が分かったわ」
体がビクリとした。
「流石ですね。ここだと第三者が混じりそうなので詳しくは工廠の奥で聞きましょうか」
「待ってください!」
「真琴君、どうしましたか? 君は降りたはずですよね?」
明石さんが冷たい声で言った。
彼女の冷たい瞳が痛い。
「それは……」
「降りたのであれば真琴君には不要な話です。関わらないで下さい。何か変な事を起こされても迷惑ですから」
言葉の一つ一つが胸に刺さる。要するに降りると決めたら部外者らしく黙って見てろ という意味なのだろう。だけど……
「一体何の話してるのよ?」
霞さんが怪訝な顔をした。
「後で話しますよ。逃げてばかりの臆病者には関係の無い話です。霞さん、行きますよ」
明石さんは僕を尻目に霞さんを連れて工廠の奥へと消えた。
――――――――――――――――――――
あっという間に夕方になった。
業務が終わった僕は工廠の中でキジクマを撫でている。彼は相変わらず元気が無い。目ヤニや鼻水が出ていて熱もあるみたいだ。
「断定はできませんが多分、猫風邪ですね」
明石さんが僕に声をかけた。昼の件もあり、仕事中あまり声をかけれていなかった上に突然だったからビックリした。
「明石さん……」
「動物病院に連れていきますね」
明石さんがキジトラの入っていた段ボールを抱えた。
「えっ、いいんですか?」
「昼にちょっと言い過ぎたのでそのお詫びです。お金も全部、明石が持ちますよ」
「ありがとうございます」
彼女にお礼を言って工廠を後にした。
――――――――――――――――――――
工廠を出て鎮守府から出ようとしたら出口に霞さんが立っていた。誰かを待っているのだろうか?
昼に明石さんから僕が逃げていたことを知らされているだろうし、話をしたくない。
「ねぇ、ちょっといい?」
黙って出来るだけ速足で鎮守府を後にしようとしたけど声をかけられた。
一瞬、無視して逃げようとする考えが頭の中を過ったがそれをする勇気は無かった。
「何ですか……?」
「夕飯食べた?」
「いえ……まだです」
「奢るからちょっと付き合いなさい」
「えっ、でも…」
「いいから!」
嫌な予感しかしないけど僕に拒否権は、無かった。
腕を引かれて無理矢理、鎮守府近くの個室付きの飲食店に引きずり込まれた。
「えっと……何か……話したい事でもあるんですか……?」
注文をしてから、自分でも分かるぐらいの震える声で聞いた。
「明石から話を聞いたわ」
やっぱりだ。僕は、下を向いた。
「下を向いてないで私の目を見なさい」
向けるわけがない。
「嫌なら髪をつかんで無理矢理上向せるわよ」
霞さんの苛立つ声に慌てて顔を上げた。
「逃げるのね」
「はい……」
「本当にそれでいいと思ってるの?」
「はい……」
「本当は、涼月さんを助けたいんじゃないの?」
「思っていますよ……だけど……」
「だけど何?」
言葉に詰まった。
これ以上、誰かを失うのが怖いから なんて弱気なことは、この人の前では言えない。言ったら臆病な僕を罵るような言葉が大量に飛んでくるだろう。
「涼月さんが関わるなって言ったから…」
「違うわね。涼月さんに関わるなって言われてからは秋月さんの世話をしてたわ。秋月さんに関わるという事は、間接的にとはいえ涼月さんに関わる事になる これぐらいの事わかってるでしょ?」
「そうですけど……」
「本当はこれ以上、誰かを失うのが怖いだけなんじゃないの?」
バレた。
僕は、何も答えずに下を向いた。
僕の態度を肯定と受け取ったのか霞さんがため息をついた。
「全く……損な性格してるわね。ドがつく程のお人好し、正義感は強いけど小動物みたいに臆病で,何か悪いことがあるとまず自分を責める。貴方、幸せに生きれてないでしょ? 」
「しょうがないじゃないですか……僕だって臆病な自分が嫌ですよ。困ってる人を助けて何が悪いんですか? 」
気づくと涙が流れていた。
「男が泣くんじゃないわよ! いい? 貴方は考えすぎなの。あなたが世話をしようがしまいが秋月さんは死んでいたわ。涼月さんも一緒。あのクズに気に入られた時点で遅かれ早かれああなることは決まってた。アンタが気にすることじゃないのよ」
「違います! 何もかも僕が悪いんです! 僕にもっと勇気や力があれば何とかなったんです」
「落ち着きなさい! 確かに貴方は無力だわ。だけどやれることはやっている。誇っていいことなのよ」
「そんなの誰でもできることです!」
「できないわよ! 普通の人なら関わりたくないって投げ出して終わりよ! 証拠集めも秋月さんの介護も貴方だからこそ出来たことなの」
「興奮していたんですよ。僕が異状性癖ただから……秋月さんを助けたのだって涼月さんと繋がりを持ちたかっただけです!」
「性癖の事は明石から聞いたわ。それを貴方自身が負い目を感じている事もね。初めは私も引いたけど苦痛にも感じていることを知ってからはまぁ……我慢できるようになったわ」
霞さんが少し苦いような顔をした。
「とにかく! 貴方は立派なの。もっと自分に自信を持ちなさい。涼月さんを助けたいのは本心なんでしょ?」
「助けれるなら助けたいですよ!」
机を強くたたいた。
「言っとくけどこのままだと貴方、絶対に後悔するわよ」
「後悔ってなんなんですか!」
「涼月さんが死ぬって事よ」
心臓がドクンとした。
「えっ……」
「涼月さんは独房に入れられているわ。警備の奴を買収して話を聞いてみたけどひどい物よ。食事は二日に一度、最低限の物。性のはけ口にされて暴力は日常茶飯事。多分だけど貴方が最後に見た時よりも酷いことになってるわよ……あー、話してるだけで本当にムカつく!」
霞さんが腹立ちげに叫んだ。
「何でそこまで行って助けないんですか?」
「私が下手に動くと鎮守府の皆を巻き添えにするからよ。いい? 私は確かに皆に比べればクズに対して一定の優位を持っている。だけどそれは、その気になればいつでも殺せるって脅しているだけなの。本当に殺したりしたら皆、巻き添えで死ぬことになるわ。いわばナイフをお互いの首にあてているのと同じ。どちらかが下手に手を出したらその時点で終わりなの」
霞さんがここで一息置いた。
「だけど貴方なら違う。貴方なら涼月さんを直接助けに行ける。今この状況で動けのは貴方だけなの!」
「明石さんは……」
「あの性悪女があてになると思う? 明石はただ貴方に指示を出していただけよ。自分から動く気はないけど、いざという時にクズと交渉する道具が欲しいだけ。涼月さんを助けるためなんてのはただの建前だわ! 終いには逃げようとした貴方をそのまま切り捨てた。最低よ!」
明石さんがいないのを良いことに言いたい放題言っているように見えたけど、否定できなかった。
確かに明石さんは、僕に指示を出していただけだ。明石さん個人の理由で僕を利用しようとしていただけだとしても不思議な話ではない。
だけど……僕にできるのだろうか?
「でも僕に助けるなんて……」
「できる出来ないじゃなくてやるやらないの問題なの! 何もやらずに確実に後悔するのと1パーセントでも可能性のある道を選んで失敗して後悔するのどっちがいいと思う? そこまで自分の身が大切なの? 悪いけど監視員を探している時間なんて無いわよ」
「分かりました……やります!」
その場の雰囲気に流されただけかもしれない。だけど、僕は、意を決してそう口にした。
「深夜1時に警備がいなくなる。クズもその時間には寝てるわ。その隙にこれで入りなさい」
「なんで鍵を……」
「クズの机の中にあったものを型取りしたの。鎮守府の裏口の鍵は開けておく。そこから侵入して。悪いけど深夜遠征を入れられたから私はこれ以上は協力出来ないわ」
無言で鍵を受け取った。
鍵の冷たい金属質の質感が手から伝わった。僕に本当にできるのだろうか? 振り払ったはずの不安な気持ちが再発した。
「大丈夫、貴方ならできるわ」
そんな僕を見かねた霞さんが声をかけてくれた。
「ありがとうございます……」
彼女に感謝の言葉を伝えた。
――――――――――――――――――――
手が震える。
初冬けど凍えるのには十分な寒さだ。上4枚下2枚の厚着をしてきて良かったと思う。それでも少し寒いけど……
腕時計が1時を指した。
時間だ。鎮守府の裏口の入口ゲートに手をかけた。
霞さんの言う通りだ。鍵はかかっていなかった。小さな悲鳴のような金属の軋む音が嫌だった。
夜の鎮守府は静まっていて音1つしない。
足音を殺して目的地の独房へと向かった。
独房は何かしらの重大な罰を受ける事になった艦娘が送られる場所だ。完全な監禁状態に置かれ、何もかもが制限される。
鎮守府によっては使われることは滅多になく、僕も場所を案内だけはされたが中に入ったことは無い。
警備員はいなかった。
入り口に霞さんから貰った鍵を差し込む。鉄門はなんの抵抗も無しに開いた。
今ならまだ戻れる。
自分の中の何かがそう囁いた。だけど涼月さんを助けなければいけない僕以外に助けれる人がいない。
考えるのは時間の無駄だ。僕は意を決して独房の中に入った。
小型の懐中電灯をつけて中を進む。扉を1つ潜り2つくぐった所で鉄格子だらけの刑務所のような空間にたどり着いた。
1つの薄暗い電灯が辺りを照らしている。
ここのどこかに涼月さんがいる。直感がそう言った。
手前の部屋を見た。中は埃が積もっていて蜘蛛が巣を作っている。壁の黒い染みや黒ずんだ便器で不潔な事が一目で分かった。
吐き気がする。
こんな所に1秒なりとも長くいたくない。
1つ見て2つ見て3つ目でうつ伏せになっている彼女を見つけた。
彼女は、冬だというのに裸で放置されていた。
相変わらず全身は、青痣や火傷の跡だらけだったけど最後に見た時よりも増えていたし、涼月さん自身もやせ細っていた。特に火傷の跡が酷く背中の中心に蜂の巣のようにつけられている。
顔は、右側の頬が赤く腫れあがっていて猿ぐつわを嵌められていた。
「涼月さ……」
思わず声が出そうになったが堪えた。
今声を出しても何もいいことは無い。むしろ、近くに誰かがいたらバレるかもしれない。
鉄格子に手をかけた。鍵がかかっている。探すと少し離れた場所に纏めて置かれているのが見えた。
比較的、新しそうなのを鍵穴に差し込むと開いた。
鉄格子が開く音に反応したのか涼月さんの体がビクッとした。
「僕です」
小さくもはっきりした声で言った。
僕の方を振り向いた涼月さんの目に驚愕の色が走るのが分かった。何か言いたげにモゴモゴとしている。
彼女の口から猿ぐつわを外した。
「なんでここに……?」
涼月さんが弱弱しい声を出した。
「助けに来ました」
「関わるなって言ったじゃないですか!」
涼月さんが弱弱しくもしっかりとした声で言った。
「でも、放っておけません」
「馬鹿……真琴君が私に構う必要ありません! 君まで巻き込まれたらどうするんですか! ? 今ならまだ間に合います。すぐに逃げてください」
もし、巻き込まれたら…… この一言が涼月さんの本心から来たものだと気づいた。
あの時、関わるなと言われたのも同様の理由だろう。本当にいい人だ。なんで、この人がこんな目にあわなければならないのだろうか。
「僕は、大丈夫です」
「何が大丈夫なんですか! それに、私が逃げたりしたら姉さんが……」
「秋月さんは大丈夫です。安全な場所に移動してもらっています」
嘘とばれないようにできるだけ真面目な顔で言った。
彼女を助けるには信じてもらうしかない。
自殺したことは後で話せばいい。涼月さんは、僕を恨むかもしれないけど恨まれてもいいと思った。今は、この場を切り抜けることが先決だ。
「本当……ですか?」
「はい」
「良かった……」
信じてくれた……と思う。涼月さんはホッとした表情を見せた。
「立てますか?」
「はい……」
立ち上がった彼女に上着を1枚脱いで被せた。
「すみません、ありがとうございます」
涼月さんの手を引いて独房の出口へと向かった。
大丈夫、後は逃げるだけ。そう自分に言い聞かせながらドアノブに手をかけた。ガチャりと音はしたがドアは開かなかった。
「えっ?」
力をかけてもガチャリと音がするだけ。
「なんだ、変な虫が動き回っているのかと思ったら整備兵のガキか」
突然、独房の中に放送が入った。この鎮守府の提督の声だ。
背筋が凍り付いた。
「鍵は電子ロックが掛けられてるから空かないぞ。セキュリティ体制を見直したかいがあったな。明日から覚悟しとけ」
プツリと放送が切れる音がした。
全身の力が抜けて膝を着いた。
最悪だ。救出に失敗しただけではなく閉じ込められた。
当然ながら打つ手はない。
「ごめんなさい、私のせいで真琴君まで……」
横から涼月さんの泣き声がした。
「いえ……大丈夫です。悪いのは無計画な自分ですから……」
そう答えるのがせめてもの強がりだった。
――――――――――――――――――――
長い夜が始まった。
涼月さんは、僕の隣に座っている。
極寒の薄暗い空間で、話もせずにただ時間だけが過ぎていく。
「真琴君……秋月姉さんはどこにいるんですか? 」
どれぐらい時間が経ったのか分からない。涼月さんが僕に声をかけた。
「聞きたい……ですか? 」
おぼろげな意識の中で言葉を返した。
「はい。正直に答えて下さい」
涼月さんの方を向くと真面目な顔をしていた。
念のため聞いたけど涼月さんがそれを望むのであればそうするべきだと思う。
もう、何もかもがどうでもよかった。
「秋月さんは……死にました」
「えっ?」
涼月さんに驚愕の顔が浮かんだ。
「昨日、自殺したんです……遺書には誰にも迷惑をかけたくないって……」
「そっか……姉さんは知ってたんだ……アハハ……」
「涼月さん……?」
「ハハハハ」
突然、涼月さんが馬鹿笑いを始めた。まるで壊れたスピーカーのようだった。
「大丈夫……ですか?」
「真琴君、まだ気づかないんですか? 私は君が思う程良い人間じゃないんですよ。アハハ……いい加減気付いて下さいよ騙されてるって……アハハ」
わけがわからない。僕は馬鹿笑いする彼女を見つめる事しか出来なかった。