中間テストの結果が発表された。
俺の得点は、どの教科も概ね九割ほどであった。まともに頭が回転していなかった状況でこれは上出来だと思う。間違った問題についても、計算ミスやスペルミスなど注意力不足によるものが殆どだ。通常であれば満点に近い点数だったということで、俺はこの結果に満足していた。
桔梗ちゃんも平均点前後にまとめており、ほっと胸を撫でおろしていた。まあ、万が一赤点になったとしても何の問題もないのだが。俺が一緒に退学すればいいだけのことである。
さて、問題は須藤だ。
英語の得点が、赤点ラインまで二点届かなかった。よって彼は退学……とはいかず、綾小路と堀北がそれを防ぐべく俺に接触してきた。
「高城、須藤を救うためにポイントが必要になった」
「そうか」
「……すでにこちらの意図を理解しているようだな、流石だ。一点あたり10万らしい」
一点を10万ポイントで購入できるという。そして、この二人のポイントを合わせても20万には届かなかったようだ。今月の収入がゼロだった以上当然のことである。
つまり俺のポイントをよこせと言いたいのだろうが、根本的な問題がある。
「俺がポイントを足してやったところで、足りないぞ」
綾小路を手招きして、俺の端末に表示されたポイントを見せた。4万ちょっとだ。
「……何かアテはないか?」
あと2万もあれば足りる。もう一人に協力してもらえば、達成できる額だ。
最初に浮かんだのは、桔梗ちゃんの顔だった。しかし、あの子にお願いすることは俺の中では絶対にあり得ないことである。須藤如きを救うために、大事な彼女のポイントを奪うなど言語道断。それだけは、何があってもやらない。
その次に、昨日桔梗ちゃんと話した内容を思い出した。
『最近、軽井沢のことがめっちゃムカつくんだよね。たまにマウント取ってくるし』
『確かに、うぜえ奴だと思う。個人的には堀北よりも嫌いだ』
『……あんた、あいつが何やってるか知ってる?』
『知らない。周りに煙たがられてるのは知ってるけど』
『自分の服とかを買うために、大人しい生徒を選んでポイントをたかってるみたい』
思考に耽る俺を、綾小路と堀北はじっと見守っている。
軽井沢恵。あいつは確か……
「いいだろう、どうにかしてやる。ただこの貸しは高くつくぞ?」
「……策が思い浮かぶのか。やはり、お前は只者ではないな」
「煽てなくてもいい。時間がないから、今すぐ行動する」
二人はお互いに目配せしてから、動き出した俺の後を追った。
まったく、仲の良い二人だこと。
走って教室へと戻り、俺は赤のボールペンを手にした。
使っていないノートを無造作に破り、そこにとある文章を記入する。殴り書きだ。
「賭けに出たな」
「ああ、勝てる確率の高い賭けだ。そうは思わないか?」
「……確かに。オレとしても、違和感があったのは事実。完全な空振りにはならないだろう」
書き終えた俺は、玄関の方へと再び走る。
息を切らして軽井沢の靴箱を見ると、まだ外履きが入っていた。
心の中でガッツポーズをしてから、俺は手にしたノートの切れ端を靴に差し込んだ。
「あとは、時間通り来ることを祈るだけ。堀北はここまでで大丈夫だ」
「……恐ろしいことをするのね」
堀北はそう言って、去っていった。
「綾小路は、万が一のことを考えて見張りを頼む」
「わかった」
綾小路からの好感度を下げることを回避しつつ、桔梗ちゃんのストレッサーを排除できる。
仮に失敗したところで、俺は何も困らない。やってみる価値はあるだろう。
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俺が指定した場所は、特別棟と呼ばれる建物の一角。
桔梗ちゃんには先に帰って部屋で待っていてほしいと、すでに電話で伝えてある。「危ないことはしないでね」と言われたが、今からの作業は危ないことに入るのだろうか?
そんなことを考えているうちに、薄暗い階段からカツカツと足音が聞こえた。
「……あんた」
「おう、こうやって話すのは初めてだな」
さほど待つこともなく、時間通りに軽井沢はやってきた。
『お前の秘密を知っている。18時に一人で特別棟へ来い』
こう書かれた紙切れを握りしめて、暗い表情で俺の様子を観察している。
「秘密って何よ。こんなところに呼び出して、先生に言いつけてやる」
「お前が元いじめられっ子であると、俺が知っているとしても?」
その瞬間、軽井沢の身体がびくっと震えた。これは完全に心当たりがある人間の反応だ。あまりにもボロが出るのが早くて、少しがっかりしてしまった。
「そ、そんな根も葉もないことを」
「根も葉もないなら無視すればよかっただろ。そのメッセージを見て素直にここに来たということ自体が、何かしらの秘密を抱えていると証明している。逃げるつもりならもっと頭を使え」
桔梗ちゃんを待たせているし、長話をするつもりもない。
俺は全速力で距離を詰めて、軽井沢の鳩尾を思い切り殴りつけた。
「ぐえっ、ああ……」
「やっぱり、やられ慣れてるな」
殴られる直前に身体を丸めて、防御姿勢を取ろうとした。それはまるで、日常的に虐待を受けてきた子供のようだった。少なくとも、普通の女子高生の反応ではない。
「い、いやだ……今ならまだ許してあげるから、やめてっ!」
「ごめん、無理」
俺は男子トイレから拝借したバケツの水を、座り込んだ軽井沢の頭からぶっかけた。
ジャーっという大きな音とともに、跳ね返った水の冷たさを感じる。びしょびしょになった彼女はすでに涙を流しているが、ここで容赦する気は全くない。
だって、こいつは俺にとってどうでもいい人間だ……その上、桔梗ちゃんからも嫌われている。そんな奴に優しくする必要なんてない。俺の思い通りに動けばそれでいい。
「もう一杯いっとく?」
「いやだ、いやなの……お願いします、あたしをいじめないで」
「じゃあ服を脱げ」
脱げと言いながら、力づくで無理やり脱がせた。待っているのは時間の無駄だ。
素肌が露わとなり、脇腹に深く抉られたような傷跡が残っているのが確認できた。
すかさず俺は端末を取り出して、その場所を撮影した。
「やだ、やだよお……」
絶望しきった顔。うーん、あんまり面白くない。
こういう顔に興奮する人種もいるのだろうが、俺にはそこまで響かなかった。
「まずは、ポイントをたかられた連中にお前の過去を言いふらしてやろうか」
「やめてよ」
「あることないこと書いたプリントを、学校中にばらまいてやる」
「……やめて、ください」
あと一歩。もうちょっとで、こいつは使えるようになる。
「俺が動けば、お前の立場は失われる。そうなれば、恨みを持っていた相手はここぞとばかりにお前のことを攻撃し始める。その状況の恐ろしさは、お前が一番よくわかってるだろ?」
「いやだ、やめて。許してください。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
何かがフラッシュバックしたのか、謝罪の言葉が続く。おかしくなり始めているようだが、まだ足りない。桔梗ちゃんのために、もっと従順にしておかなければならない。
「よかったな、もう取り繕う必要はないぞ。中学時代の自分に逆戻りだ。お前はこれから、周りの奴らがストレスを解消するためのサンドバッグになるんだ」
とどめの一撃として、俺は軽井沢の身体を蹴り飛ばし、後頭部を右足で踏みつけた。ぐりぐりと押しつけるように、体重をかけていく。
「ところで、床がびしょ濡れになってるよな。お前の顔で拭いてくれない?」
「あ……」
今の俺は、良い「いじめっ子」になっているだろうか?
軽井沢の顔から表情が失われたのを見るに、どうやら落とせたようだ。
桔梗ちゃんは、俺という微妙な立場の人間の彼女となった。それをいいことに、こいつは上から目線……クラスの中心人物は自分であると言わんばかりの態度を取った。
あの子にとって不愉快な言動をする人間は、力づくで修正するかこの学校から退場してもらうしかないと思っていた。そのため、今日の綾小路の申し出はいろんな意味で都合がよかったのだ。
軽井沢恵。お前の失敗は、俺の恋人から嫌われたことだ。
少し間をおいてから、俺は軽井沢に手を差し伸べた。
「ここまでやっておいてなんだが、お前がいじめられない方法が一つだけある」
「……えっ?」
捨てられた子犬のような目は、それなりに可愛い。
「櫛田桔梗。知っての通り、俺の恋人だ。今後、お前はずっとあの子に従い続けるんだ」
「……そうすれば、いじめない?」
「勿論。俺は桔梗ちゃんのためだけに動いている。あの子が何一つ不満なく過ごせるようにすることが目標だ。それを手伝ってくれるというのなら、俺がお前を攻撃する理由なんかないし、いじめる方向に持っていく意味もない。ああ、過去の件も知らなかったことにしてやるよ」
これが俺の伝えたかった、正直な気持ちである。
突き詰めて言えば、桔梗ちゃんが嫌な思いをしなければそれでいい。軽井沢は根本的に勝気な性格をしているため、放っておくとエスカレートする可能性があった。
ここで天狗になった鼻を折った以上、継続していじめを行う意味もない。いじめはやる側も結構めんどくさいというのが俺の考え方だ。ほとんどの人間は、周りに合わせているだけだからな。
「櫛田さんの下にいれば、いじめから守ってくれる?」
「それは桔梗ちゃん次第だ。ただ、あの子の立ち回りはお前よりも何倍も上手だ。いじめの対象になるようなことは、まず起きないと思う」
そもそも、こいつがああいう不快な行動を取っていたのは、いじめの対象に選ばれないようにすることが目的である。それさえ叶えば、カースト最上位でなくとも良いはずだ。
「わ、わかった。あたしが、櫛田さんの子分になればいいんだよね」
頷いた軽井沢に、俺は持ってきていたタオルを投げ渡した。
はっと驚いた様子を見て、つい笑ってしまった。
「ふふっ、使いなよ。桔梗ちゃんの配下である限り、俺はお前の味方だから」
「……うん」
「だが、裏切ったときは……わかってるよな。本気でぶっ潰してやる」
「ひっ」
そういえば、何か忘れているような気がする……あっ。
危ない危ない。綾小路からの依頼を忘れていた。
「軽井沢、お前……それなりにポイントを持ってるだろ。須藤の退学を阻止するために必要になったから、俺に振り込め。2万もあれば足りる」
「なんであたしが、須藤なんかのために……」
「うるさい黙れ」
ごちゃごちゃうるさいので、もう一つのバケツの柄に手をかけると静かになった。
桔梗ちゃんの指示とかではないが、今回ばかりは仕方がない。綾小路を納得させておくことは、俺たちの平穏を維持する上で必要な作業だ。
「いやだ、ごめん。謝る。言うことを聞くからもうやめて。もう冷たいのいやなの……」
再び泣きそうになりながら、軽井沢は端末を出した。
ポイントを受け取って、もう一つの目的を達成した。
「よしよし、いい子だ」
「あっ……」
頬に触れると、目に光が戻った。うっかりフォローしてしまったが、まあいいだろう。逆らわなければ酷いことをされない。そういう考え方を植え付けておけば、こいつは今後も使える。
結構ヤバいことをしている自覚はあるが、特に悪いとも思っていない。
だって、どうせあと四か月ちょっとのことだ。十月が訪れると同時に、俺は桔梗ちゃんを連れてこの学校を去る。それ以降は、軽井沢も秘密を洩らされることなく元の生活に戻ることができる。
「せいぜい、桔梗ちゃんのために頑張ってくれ。それも案外楽しいかもしれないぞ?」
俺はそう言い残してから、二つのバケツを持って立ち去った。
その時軽井沢がどんな顔をしていたか、見ることはできなかった。
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外で待っていた綾小路に、すぐポイントを振り込んだ。
これで、合計20万を確保することができた。須藤の退学は回避できそうだ。
「須藤の奴。ここまで苦労させられた以上は、役に立ってもらわないと困る」
「オレもそう思う……高城、今回は本当に助かった。改めて礼を言う」
「あまり気にするな。お前も聞いていたとは思うが、こっちも別の目的があったんだ」
綾小路が突然立ち止まった。
「櫛田一人のために、己の持つもの全てを懸けるということ。その先でオレと衝突するとしても、お前の意志は変わらないのか?」
「変わらない」
無表情のままぶつけられた質問に、俺は即答した。
正直なところ、綾小路は怖すぎる相手だ。勝てる気がしない。だが、こいつが桔梗ちゃんの平穏を揺るがすというのであれば、対立も辞さない構えだ。それはあの子の彼氏として当たり前のことであり、何があっても譲れない部分である。
しかし、綾小路との直接対決を免れないほどの事態って……起きうるのだろうか?
「……櫛田が堀北を嫌っていることは知っているだろう。お前は、どうするつもりだ?」
「ああ、そういうことか」
次の言葉でそれを理解した。要は、堀北の退学を狙われると困るというわけだ。
考えてみる。桔梗ちゃんが退学を望むなら、確かにそういう方針になってしまうが……
「オレは、堀北鈴音を変えたいと思っている。あいつの退学に向けて攻撃を仕掛けるのは、その結果を見てからにしてほしい。それでも悪い方向には行かないはずだ」
「堀北を変える、か……」
「そうだ。どうしても納得がいかないのであれば、オレはお前を排除しなければならない」
どっちにしろ九月末で消える予定だけどな、とは言えなかった。
綾小路による圧力を受けて、俺は首を縦に振った。いや、振らされた。
殺意。明確な殺意とは、これほどまでに重く苦しいものなのか。
「わかった。堀北の退学については、俺がどうにか説得するよ。だが、確約はできないぞ?」
「それで十分だ。こちらとしても、櫛田に火を着けないよう最大限の努力はするつもりだ。こんなことでお前ほどの男を失うのは、あまりにも惜しい」
やけに高く評価されている。学力という点では、それなりに貢献できるだろうが……それとは別の意思を感じる。この男は、俺の何を見ているのだろうか?
綾小路と別れたころには、すでに夜八時を過ぎていた。
部屋へ帰った後、俺は桔梗ちゃんに今日起きたことの全てを話した。
「……危ないことするなって、言ったよね?」
「ご、ごめん」
「ねえ、私がどれだけ心配したと思ってるの?」
めちゃくちゃ怒られた。
その夜は何度も何度も求められて、ほとんど寝ることができなかった。
干からびるほどに交わり続けた俺は、こう思った。
(……綾小路より怖い!)
これからは、動く前に桔梗ちゃんへ相談しよう。そう強く決意したのだった。
これで第一章?が終わりです。
次は元主人の出番です。
キリがいいところまで来たので、一旦あっちの更新に戻るかもしれません。