雨の降る夜、閑静な住宅街に建てられた一軒家の中に、男性の快活な声がこだました。
「くくっ、そうかい。あいつも結構手が早えなあ……まあよかったよ」
『それでは、先日いただいた封書はお渡ししておきます』
「頼む。お前もあんまり気張りすぎんなよ。じゃあな」
相手を気遣う言葉をかけてから、スマートフォンの画面をタップして電話を切った。この中肉中背の男の名は、高城裕人という。学校教育に政府側の人間として携わる彼は、自分の息子……晴翔の様子を確認させるため、視察と称して自らの部下を高度育成高等学校へと送り込んでいた。
「あんまり職権乱用すると、また戒告くらうよ?」
「いいじゃねえか。面白いんだから」
呆れた顔で声をかける女性は、その妻……高城彩子である。
彩子は裕人にとって、高校の同級生でもある。かつて学校のマドンナとして名を馳せた彼女は、歳を重ねてもなおその美しさを維持していた。
「晴翔に彼女ができたんだっけ?」
「そこまで聞いてたのかよ……そうだ、めっちゃ可愛い子らしいぞ」
「ふーん……見た目が可愛くても、中身が可愛くない子もいるけどね」
彩子が想起するのは、かつての息子の姿である。腹を痛めて産んだ子供が、身を削って一人の少女を支えている光景。それを見守り続けることは、親として非常に辛いものであった。
そして、その相手は感謝することもなく身勝手な理由で去っていった。はらわたが煮えくり返るような怒りは、晴翔が親元を離れた今に至っても収まっていなかった。
「……苦労させられた分、晴翔は大きな幸せを掴めるだろう。とはいえ、お前の気持ちは痛いほどよくわかる。かくいう俺も相当ムカついてるからな」
入学予定者のリストを強引に改竄させたのが二月。学校の理事長に「余計なことをするな」と圧力をかけたのは三月のことだ。多忙な業務を処理しつつ、裕人は持てる権力の全てを活用して己の目的を果たそうとしている。
「彩子は今までよくやったよ、本当にお疲れ様だ。これからはもう我慢しなくたっていい。俺も、今後はお前のことをもっと大事にするから」
不満そうな彩子を、裕人は優しく宥めた。
自分の味方である相手にはとことん優しいが、敵と見做した相手には一切の容赦をしない。それが、高城裕人という男の特徴であった。
「……ありがと。私は、あのクソガキが痛い目を見ればそれでいいよ」
「わ、わかってる。多分、それはもう達成されていると思うぞ」
たじたじとなった様子を見て、彩子は笑った。
常にトップを走り続けてきたエリートであっても、妻にはかなわないのだ。
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雨の降る夜、桔梗ちゃんは怒っていた。
「あー、ムカつく」
「よしよし、桔梗ちゃんは何も悪くないからな」
げんなりした顔で、持っているカバンをベッドの上に投げつけた。
今日は、クラスの女子たちとカラオケに行っていたようだ。そこで疲れとストレスをため込んできたらしい。手ぶらになった桔梗ちゃんは俺の隣に座り、一度大きなため息をついた。
嫌なら行かなければいい、というのは俺だから言えることである。桔梗ちゃんの立場を維持するためには、そういう誘いを断ってはならないのだ。
「どいつもこいつも、ごちゃごちゃ言いやがって。みんな死ねばいいのに」
「……恵ちゃんを引き入れても、そんなに変わらない?」
「変わってはいる。でも、女子の世界はそう単純じゃないの。今思うと、あいつが一人でヘイトを集めていたおかげで回ってた部分もあるかもしれない」
説明を聞いて、なるほどなと思った。
恵ちゃんがこちらの支配下に入ったことで、彼女が中心になっていたグループが崩れるのは当然のことである。しかし、この変化がクラスに与えた影響はそれだけではない。ある意味、Dクラスの女子は軽井沢恵という憎まれ役がいることで団結していたからだ。
クラスで最も嫌われている女子が、最も好かれている女子に取り込まれた。恵ちゃんを憎んでいた連中も桔梗ちゃんを叩くわけにはいかず、行き場を失った怒りだけが残ることになる。
「めんどくせえ状況だな」
「『なんで軽井沢なんかと仲良くしてるの?』って感じで遠回しに批判してくる奴もいれば、私に取り入ろうとしてくる奴もいる。ダルすぎて全員ぶっ殺したくなる」
桔梗ちゃんの疲れた表情は、俺に危機感を持たせるのには十分なものだった。
すぐにでも解消してやりたいが、この問題は集団全体の話であるから簡単ではない。
「まあ、どうにかできないか考えてみるよ。つっても、あと三ヶ月の話だけどな」
「……ああ、そっか。あんたは退学するつもりなんだった。最初は引き留めようかと思ってたけど、それもいいかもね。私はどこまでもついてくよ」
「そうしようぜ。何なら、退学する前日に知ってることを全部暴露してやればいい」
多くの人間から信用されている桔梗ちゃんは、クラスの状況を誰よりも理解している。
誰が誰を好きだとか、そういう話だけではない。桔梗ちゃんだけが知っている噂や、心の中では嫌っている相手、本人の知らないところで語られていた悪口など……クラス内の人間関係を破壊するには十分な情報を持っている。ならば、いなくなる直前に「置き土産」としてそれら全てを白日の下に晒すのも一興ではないだろうか?
「あはは、なかなか面白いこと言うね」
「その通り、面白いことだ」
こんな提案をしたのは、桔梗ちゃんの心理的負担を和らげるためだ。最後に全部壊す前提であれば、思い切った動きができるはず。心持ちが多少なりとも違ってくるだろう。
「……あんたって、本当に私以外のことはどうでもいいんだ。ちょっとびっくりかも」
「どうでもいいと言うのは語弊があるが、あながち間違いでもないな」
桔梗ちゃんが笑ってくれれば、俺はそれでいい。
たった一つの、シンプルでわかりやすい行動原理があるだけだ。
「でも、ありがとう。おかげで気持ちが軽くなった。最近助けられてばっかりでごめんね」
「それはお互い様だろ。俺も桔梗ちゃんに何度救われたか」
「そっかぁ。私たち、依存し合ってるんだ」
そう言って、ベッドの枕をぽんぽんと叩いた。そこに寝転ぶと、桔梗ちゃんは俺の腕を枕にして眠り始めた。相当疲れているのだろう。
(よく頑張ったね、お疲れさま)
すやすやと寝息を立てる彼女を見て、俺は優しい気持ちになった。やがてこちらにも睡魔がやってきて、密着したまま眠りについた。何とも言えない、幸せな気持ちだった。
……俺たちが起きた後に何をしたかなど、言うまでもないだろう。
翌日は早朝に目覚めたのにも関わらず、遅刻ギリギリの登校となった。この光景はすでに日常的なものとなりつつあるため、クラスの連中も諦めて何も言ってこなくなった。
それでも桔梗ちゃん的にはまだ恥ずかしいらしく、顔を真っ赤にしながら「もう朝にはしないから!」と言っていた。しかし、残念ながらその言葉を聞くのも三回目である。
この学校に入ってから、高城晴翔という人間は大きく変化した。桔梗ちゃんという至高のパートナーを得ることもできた。従って、ここに入学したこと自体は大正解だったといえる。
父の勧めがなければ、俺は彼女と出会うことができなかった。なんとも恐ろしいことだ。この点については、深く感謝しなければならないと思う。
……今度会ったとき、お礼しておこう。
お母さんの口が悪いのは、お父さんと二人きりだからです。
子供の前では本来の性格を出さないようにしています。
今まで不要と思って使っていなかった設定が好きに使えることもあり、こちらはとても書きやすいです。あっちも進めないと……とは思っているのですが。