梅雨が明けて、本格的な夏が到来したある日。
今日の授業を終えて、俺は帰り支度をしていた。放課後は買い物にでも行こうかと考えていたところ、桔梗ちゃんが両手を合わせながら駆け寄ってきた。
「あっ、晴翔くん。今日なんだけど……」
「……そういえば、女子会だっけ。行ってらっしゃい」
「そうなの。ごめんねっ、先に帰ってもらえる?」
大変だなあと思いながら、俺は頷いた。
前から聞いていたのに、つい忘れてしまっていた。桔梗ちゃんは、週に一度のペースでDクラスの「女子会」に呼ばれるようになったのだ。
親交を深めるというのは建前で、行われるのは女子たちによるグループ間の縄張り争い。人間関係に不和が生じている現状、そういう誘いを断るのは難しい。桔梗ちゃんとしても、ストレスの原因となるのは承知でしぶしぶ参加しているようだ。
「りょーかい。飯は?」
「うーん、多分食べてく流れになると思う」
「オッケー」
離れてしまうのは残念だが、わがままばかり言って嫌われるわけにもいかない。
さて、今日はどうしたものか……桔梗ちゃんの後ろ姿を見送りつつ考えていると、まだ教室に残っていた男子たちに絡まれた。
「高城、お前……」
「池、急にどうしたんだ?」
俺に話しかけてきたのは、池寛治だった。
「当然のように、櫛田ちゃんと同棲しているんだな」
「まあ、彼女だし」
「……衝撃的すぎて、逆に何とも思わない。羨ましいとかそういう次元を通り越してる」
言いたいことを言って、勝手に固まってしまった。こちらからすると今さらすぎる話だが、俺たちの同棲は池にとってショックが大きかったらしい。知らんがな。
「……やっぱり、テストの日のアレってキスマークだったのか?」
何やらごちゃごちゃ呟いている。俺はそれをスルーして、帰路についた。
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一人でとぼとぼ寮に戻ると、部屋の前で最悪なものが目に入ってきた。
「……お前、まだいたのか」
「あっ、あの……ごめんなさい」
元主人だった。最近顔を見せないから、諦めてくれたと思っていたのだが……残念だ。
「桔梗ちゃんにあれだけ言われて、まだ来るのかよ」
「……退学も検討しました。お父さまに泣きつくことも考えました」
過去形で、思い出すように語る。この口ぶりから察するに、いずれもできなかったのだろう。
こいつが、そこまでして学校にしがみつく意味がまったく理解できない。
かつての高慢な性格は見る影もない。それどころか、天才としての自信やプライドですら失われつつある状態だ。なのにどうして、頑なに退学を拒むのだろうか?
「お前……」
俺はそれを問おうとしたが、最後まで言葉を紡ぐことができなかった。
運動能力が極めて低い彼女の行動。普段の俺であれば、回避することは容易である。しかし、今回ばかりは躱せなかった。その動きが、あまりにも予想外すぎたからだ。
「んっ……」
唇が重なっていると自覚するまでに、数秒かかった。はっと自我を取り戻した俺は、すぐさま顔を遠ざけた。わけがわからず、本気で戸惑ってしまう。
「何してるんだよ、マジで……」
「……あなたのことが、好きでした。本当は、誰よりも一番好きでした。ですが、かつての私はその気持ちを自覚することができませんでした」
その告白は、全く嬉しいものではなかった。できれば聞きたくなかった。
思考がぐしゃぐしゃになる。心をかき乱される。
「あなたを失ってから、自分の抱いていた……目をそらし続けていた感情に気が付いたのです。もう、すべては手遅れでした。まさに愚か者、とてつもない無能であるといっていいでしょう」
懺悔するように、項垂れながら紡ぐ言葉。残酷なほど、真実味のあるものだった。
こいつが俺のことを好きだった。そんな想いは、あの十二年間で一度たりとも感じ取ることはできなかった。だが、雑としか思えない扱いも、実は彼女なりの愛情表現だったのかもしれない。
……それは、あちら側の勝手な解釈にすぎない。今さら真相を知ったところで、俺が変わることはない。召使いのように扱われたという事実が、過去の思い出として残り続けるのみである。
「言いたいことはそれだけか?……悪いが、もう帰ってくれ」
「あっ……」
そう言い残してから、俺は逃げるように部屋へと入り、素早く扉の鍵を閉めた。
桔梗ちゃんがいない状況では、あいつとこれ以上相対することができない。精神的なダメージが大きく、自分の心が蝕まれてしまう。
(頼むから、もうやめてくれ……)
あいつのことを考えたくないのに、俺の頭はそれを許してくれない。あいつの泣き晴らした顔と、許しを求める細い声がぐるぐると渦巻いて離れない。
唇を舌でなぞると、しょっぱい涙の味がした。
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夜までたった一人、何もせず過ごしていた。
早く桔梗ちゃんに帰ってきてほしい。あの子の顔が見たい。あの子と触れ合いたい。精神的に落ち着かない中、彼女に対する依存が心を埋め尽くしていく。
寂しい。たった数時間会えないだけでこんなにも孤独を感じるなんて、自分が弱くなってしまったとしか思えない。時刻はすでに八時を過ぎているが、飯を食う気にもならない。
鍵を開ける音がしたのは、俺が大きなため息をついた時だった。
「ただいま~」
桔梗ちゃんの声を聞いた途端に、気持ちのモヤモヤが吹き飛んだ。
俺は玄関まで小走りで向かい、その姿を確認すると同時に強く抱きしめた。
「……おかえり」
「ちょ、ちょっと……どうしたの。えっ、泣いてる?」
目を白黒させて、訳の分からない様子。そうなるのも当然だと思うが、自らの感情を制御することができなかった。頬を伝う涙が、地面にポタポタと流れ落ちる。
「疲れてるのにごめん。だけど、今はこうさせてほしい……寂しかったんだ」
溢れる想いを抑えられない。桔梗ちゃんも状況を理解したのか、俺の背中をさすって慰めてくれた。精神が静まっていく……やっぱり、俺の隣にはこの子がいないとダメだ。
もう離れたくない。何も思い出したくない。全てを忘れて、二人の世界に入りたい。
「……ああ、そっか。私、あなたに酷いことをしたんだ。自分の都合を優先して、後回しにされたら悲しいよね。逆の立場なら辛かっただろうって、何でわからなかったのかな。ごめんね」
桔梗ちゃんはそう言って、頭を撫でてくれた。それだけで、心が少しずつ解放されていく。
「そんなこと、ない。桔梗ちゃんは、自分を守るために行動しただけだ。何も悪くないよ」
優しすぎる彼女からの、謝罪の言葉。俺の弱さのせいで、大事な桔梗ちゃんにこんなことを言わせてしまっている。冷静になると、今度は強い罪悪感に襲われた。
謝らないといけない。普通に考えて、今の俺は最高にめんどくさい男だ。嫌われかねないのはこっちの方である。もしこの子に嫌われたら、俺は……生きていくことができない。
「一緒にいて欲しかったんだよね。自分のことを一番に考えて欲しかったんだよね。わかるよ、その気持ち……わかってたはずなのに。本当にごめんなさい」
「いや、謝るのは俺の方で」
「あなたより友達関係を優先するなんて、これから二度としないから。もう嫌な思いはさせない。無駄な自己保身もやめる。全部投げ捨てて、あなたに尽くすって約束する。だから……」
私を許して欲しい、と桔梗ちゃんは言う。今度は彼女の方が泣き始めてしまった。
(何やってるんだろう、俺)
過去のしがらみをきちんと断ち切れず、愛する女の子を泣かせている。勝手に追い込まれて、相手に迷惑をかけている。現状を客観視すればするほど、自分に対する嫌悪感が増してくる。
「大丈夫。もう大丈夫だから。俺は桔梗ちゃんのことを愛してる」
ほら、こうやって逃げる。
「ほんと?私のこと、怒ってない?」
「怒ってない。だから、お互いに泣くのはやめよう」
桔梗ちゃんの優しさを利用して、自分は悪くないかのように振舞う。この方が楽だから、こうすれば誰にも批判されないから。よくもまあ、ここまで汚くなれたものだと思う。
残念ながら、今日ばかりは自分を卑下せざるを得ない。本当に気持ち悪い。
……情けない。こんなイベントは、二度と起こしてはならない。
心が落ち着いてから、ベッドに腰かけた。桔梗ちゃんも安定した様子で隣に座っている。
コップに注いだ水を一口飲んだ後、俺は先ほど起こったことを話し始めた。あいつがストーカー行為をやめていなかったこと、俺のことが好きだったなどと言っていたこと……唐突にキスをされてしまったこと。何もかも洗いざらい話した。
「……うざ」
桔梗ちゃんはいら立ちを隠せない様子で、強引に俺の唇を奪った。後頭部を両手で押さえて、動けない状態のまま舌を絡ませてくる。唾液が垂れることも一切気にしていない。
「上書きしようと思って」
酸欠直前に解放された。そして息を切らせながら、独占欲全開な一言をぶつけてきた。
ここまで激しい愛情を示されたのは初めてなので、正直興奮してしまった。
「ごめん。浮気とかそういうつもりじゃ」
「わかってるよ。そもそも、全てはあんたを置いていった私が悪い。そんなふざけたこと、今後は誰にもさせない。晴翔くんは誰にも渡さない。奪おうとする奴は全員潰してやる」
優柔不断な自分を引っ張ってくれる女性として、非常に頼もしく感じる。彼女がいてくれれば、俺は強くいられる。ただの雑魚ではなく、櫛田桔梗の彼氏として存在を確立することができる。
「今までの自分は、今日で捨てる。もうあなた以外のことは考えない。ずっとずっと好きでいてもらうために……友達付き合いなんて、どうでもいい」
強い愛の言葉が俺を貫く。男として、これほどまで愛されて我慢できるはずがない。
ベッドに押し倒すと、彼女は嬉しそうに笑った。
「可愛いな、桔梗ちゃんは」
「ありがとう……そうそう、言い忘れてた」
少し顔を赤らめて、パンツの内側へと手を誘導させてきた。それに従っていくと、ふにふにと柔らかい女性器に触れる。そのまま薄い毛をかき分けて、秘部へ人差し指を入れると……
「……濡れてる」
すでに、いつ入れても大丈夫なぐらいの濡れ具合だった。
俺たちが付き合い始めて以降、生理の日を除いてほぼ毎日交わってきた。それも一日一回というわけではなく、経験回数はとっくに三桁へ突入している。そんな中でも、前戯をする前からびしょびしょになっているのは初めてのことだった。
「さっきの長いキス、ものすごく興奮したんだ」
桔梗ちゃんは、結構サディスティックなところがあるのかもしれない。
もう限界だった。俺は服を脱がせることすらせず、太く硬くなったそれを当てがう。すでに理性という名の防波堤は決壊した。あとはどこまでも落ちていくだけだ。
獣のように乱暴に、十分湿った膣へと挿入した。すると、ぬるぬるとした内部の触感が俺に快感を与え始める。どれだけ慣れても、抗うことはできない感覚だ。
「気持ちいいっ」
「ふふっ、よかった。好きなようにしていいよ?」
より強い快楽を得るため、一心不乱に腰を振っている。ここまで来ると、避妊がどうとか考えることはできない。出したい、出したいという欲求のままピストン運動を続けるのみである。
「はぁっ……このまま、いっていい?」
「いいよ、したいようにすれば……あんっ」
興奮がさらに増した。もう止まらない。ひたすらに出し入れを繰り返し、官能的な刺激を求め続ける。一分、二分……時間の感覚すらなくなってきた。
そして、最高の瞬間が訪れた。その絶頂は激しく、荒い波のように俺の肉体を襲ってきた。
「ああ……やっばい」
ともすれば廃人となってしまいそうなほど、強烈なものだった。
……自分の快楽のみを求めた、身勝手なセックスであった。痛かったかもしれないと、冷え始めた頭に申し訳なさが生じてくる。しかし、その思い込みは彼女の一言で打ち消された。
「きもちよかった……今までで一番よかったかも」
ぼーっとしている様子を見るに、この子も絶頂までいけたのだろう。しかも、それは結構強いものであったようだ。変に気を遣うより、荒々しく行った方が逆に良かったのだろうか?
引き抜いた瞬間、膣口から白濁液が流れ出る。ベッドに垂れないよう慌ててティッシュで拭き取ると、桔梗ちゃんはそれを見て笑い始めた。
「あははっ、出しすぎだよ。本気で赤ちゃん作るつもり?」
「いやー、おっそろしいな」
「もうすぐ生理だから、たぶん大丈夫だけどね。でも、言い方は悪いけど……あんたがそういうリスクを考えずに、頭悪いえっちをしてくれたのは嬉しかった。常に何か考えてるでしょ?」
言われてみればその通りだ。確かに、俺は考え事をしていることが多い。何も考えずに、その場を楽しむ……そんな状態になるのは、桔梗ちゃんとえっちしている時ぐらいかもしれない。
本当に、俺のことをよく見てくれてるんだなあと思った。
それから一緒にお風呂へ入って、いつものように二人で眠った。
今日の自分は、ダメだったかもしれない。でも、明日は明日の風が吹く。そうやって前を向いていけるのも、桔梗ちゃんがとびきり優しいからだ。
「ありがとう」
綺麗な寝顔を見て囁くのは、何度目かもわからないお礼の言葉だ。
失ってから気づくのでは、遅いのだ。いついかなる時も、彼女がそばにいてくれることに感謝しなければならない。これを当たり前だと思い込んだら最後、奈落の底へと転落していく。
そうやって元主人を反面教師とできるほどに、俺の精神は回復していた。