『やだ、別れたくない』
『ごめん、桔梗ちゃん。俺はやっぱり、この子のことが好きなんだ』
『なんでもする、嫌なところ全部直すから……私を捨てないで、お願い』
『残念だが、それは無理だ。じゃあ、バイバイ』
「いやだっ、やだよお……」
早朝、私はうなされて飛び起きた。妙に現実味のある、酷い悪夢だった。
隣を見ると、大切な彼が上半身裸で布団にくるまっていた。それを思い切り抱きしめることで、心の落ち着きを取り戻す。
今見た夢のようなことが現実に起こることは、あり得ない……そう言い切ってしまうには、あまりにもリアルすぎるものだった。
離れたくない。失いたくない。切ない思いが胸を締め付ける。
「大好きだよ……」
ありふれた言葉でしか、好きという感情を伝えられないもどかしさ。それだけでは、自分の愛の深さをわかってもらうことができない。できるのなら、私の頭の中を見せてあげたいぐらい。
「あのチビ、さっさと死ねばいいのに」
こんな夢を見ることになった原因……彼の幼少期を知る、あの小さな女が憎い。幼馴染という立場は、私がどれだけ頑張っても手に入れることができないものだからだ。
取り返されることだけは、絶対に阻止しなければならない。悪夢が正夢になってしまう。
だからこそ、昨日の自分を許せなかった。あれは最悪な判断だったと後悔している。
衝動的に、彼の唇にキスをした。これは私だけのものなのに、奴は奪ったという。
殺意すら芽生えるその行動はもちろん、彼を放置するような選択をした自分の無能さに腹が立って仕方がない。ああ、超ムカつく!
彼との関係においては、今まで多くの失敗をしてきた。長年培ってきたものが通用しない……本当の自分で向き合う「恋愛」に関して、私はまだ初心者にすぎなかった。
(気持ちよかったな……)
だけど、早々に初めてを捧げたことだけは大成功だったと思う。
嬉しいことに、彼は私の身体を気に入ってくれた。最近は彼の方から求めてくれることも増えて、ほぼ毎日のように愛してもらっている。
「んん……桔梗ちゃん、起きてたんだ」
「うん、おはよう」
起き上がった彼に笑いかけると、笑い返してくれた。
彼は私のことを、宝物のように扱ってくれる。どんなときも肯定してくれる。
性行為による肉体的な快感と、承認欲求が満たされることによる精神的な快感。気持ちいいことを全て教えてくれた男の子に、依存しないわけがない。
「ああ、今日も学校か……めんどくさいけど、準備するか」
「わかった。あと、昨日は本当にごめんね」
「全然気にしてないし、そもそも何も悪くない。桔梗ちゃんは優しすぎるんだよ……」
優しい。本来の性格を知ってもなお、私にそんなことを言ってくる人間は彼一人だと思う。世界中探しても見つからない、たった一人の存在。彼と比べたら、他の連中なんてゴミでしかない。
これからは、何が起きてもしがみついてやる。寄ってくる女は全員蹴落として、私のことだけを考え続けてもらおう。他人からの評価も、クラスでの立場も必要ない。
気持ちを新たにして、私は立ち上がった。
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「はい、あーんして」
「あーん」
昼休み。桔梗ちゃんと密着しながら、二人仲良く昼食を摂っていた。
朝はあまり時間がなかったため、昨日の夕飯の残りを詰めただけの弁当になってしまった。
それでも、彼女と一緒なら美味しく感じるから不思議なものだ。
「おいおい……さすがにそれは」
教室にいた池が顔を引き攣らせて、小さく呟く。
……ただ一つ問題点を挙げるとすれば、この場が衆人環視の中であるということだ。
男女問わず、Dクラスの生徒が俺たちの方をじろじろと見つめてくる。しかしそれを一切気にすることなく、桔梗ちゃんは平然と食事を続ける。
「あっ、ほっぺについてる」
ぱくっと、俺の頬についたご飯粒を直接食べてしまった。誰がどう見てもキスである。
女子たちの「えーっ」という声が教室内に響く。
いやいや桔梗さん、さすがに変わりすぎじゃありませんか?
昨日の件があっても、ここまで変化するとは思わなかった。
「櫛田さん」
そんな二人きりの昼休みに、割って入ってくる女子が一人いた。
こういう空気の読めないことをする人間はただ一人、堀北鈴音である。
「……何かな?」
桔梗ちゃんはイラっとした態度を隠すことなく、強い口調で返事をした。ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、周囲の野次馬たちは目をそらして食事に戻る。
「特に用があるわけではないわ。あまりの変わりように驚いただけ」
「そう。でも、堀北さんのことが嫌いなのは変わらないよ?」
衝撃的な発言に、教室が凍り付く。
桔梗ちゃんの本当の性格を、ほとんどの生徒は見たことがない。俺でさえ、そこは超えられない一線として隠し通すものだと思っていた。今までの自分を捨てるという決意の本気度が、恐ろしく高いものであったことを理解した。
堀北は特に言い返さなかった。何とも言えない、気まずい空気が漂い始める。
「き、桔梗ちゃん。あたしも一緒していいかな?」
堀北の横から、恵ちゃんがパンを持って顔を出してきた。
唐突だが、嫌な流れを断ち切るナイスプレーだ。よくやったと心の中で称賛した。
「……ふふっ。恵ちゃんなら、許してあげる。椅子取ってくるね」
桔梗ちゃんは穏やかに笑って、誰も座っていない椅子を一つだけ持ってきた。
明らかに堀北を差別するような行動に、再び周囲がざわめき始める。
好きな人間には優しく、嫌いな人間には冷たく。クラスの天使であったはずの彼女が、そういう「分別」をするようになったということ。これは、全体の人間関係に大きな影響を及ぼすだろう。
「気に入った人間だけと仲良くする。そういう方針にするのね」
「わかってるなら、話しかけないでもらえる?」
堀北はその言葉を受けた後、身を翻して去っていった。ようやく諦めたようだ。
「よかった……桔梗ちゃんと仲良くなれて」
ほっと胸をなでおろしているのは恵ちゃんだ。正直すぎる反応に吹き出してしまう。
桔梗ちゃんは、女子グループに対して大きな影響力を持っている。特にカーストの低い生徒からすると、自分が嫌われていないか気が気でないだろう。堀北のように切り捨てられたとき、待っているのは孤独な毎日……いつかいじめに発展するのではないかと、ビクビクする生活だ。
その点、すでに特別扱いされている恵ちゃんは、そこを心配する必要がない。少なくとも、俺たちが退学するまでの安全は保障されたと見て間違いない。
俺たち二人は、今まで以上に堂々とイチャつくことができる。
桔梗ちゃんの機嫌を損なわないことを、周りが意識するようになったからだ。これにより彼女のストレスも減るだろうし、良いこと尽くめである。
……本性を隠さないことが最適解だったとは、なかなか皮肉なものだ。
その日の帰り道。俺たちは腕を絡ませたりしながら、ゆっくりと歩いていた。
恋人関係を見せつけるように振る舞うのも、きっと俺を奪われないための防御策だろう。
……そうやって深読みしていくと、どんどん愛おしくなってしまう。
「学校にいるときも思ったけど……そこまでしなくたって、俺は離れないぞ?」
「わかってるよ。でも、どうしても心配になる。いつか誰かに取られるんじゃないかって」
肩に寄りかかってきた。首筋を軽く甘噛みされて、背筋がぞわっとする。
そんな俺の反応を、桔梗ちゃんは楽しんでいる。
「ずっと一緒にいるって決めた以上、何があってもあんたに執着し続けるから。覚悟してね?」
そう耳元で囁く声は、甘く優しいものだった。
……可愛いなあ、本当に。
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夜、部屋のチャイムが鳴った。
まさかまたあいつが来たのかと思い、ため息をついて立ち上がる。
居留守することも考えたが、待たれても迷惑だ。俺は苛立ちつつ扉を開けた。
「はぁ~、なんだよ」
「高城晴翔さんでしょうか?」
しかし現れたのは、まったく知らない人間だった。
……誰だこいつ。そう思ったが、とりあえず失礼すぎる応対を詫びなければならない。
到底、初対面の相手にしていい態度ではなかった。自分の思い込みを反省した。
「すみません。別の人と間違えてました」
その男は概ね四十代ぐらいで、良いガタイをしている。ぴしっとしたワイシャツを身にまとってはいるが、クールビズ期間中のためかネクタイは着けていない。
「そうでございましたか。私は上司……晴翔さんのお父様の指示で参りました。本来の業務からは外れますが、これをお渡しするように依頼されております。どうぞお受け取り下さい」
渡してきた封筒を手にして、俺は首をひねる。
確かにこれは、俺の父親の字だ。でも、なぜこのタイミングで?
「わかりました。ちょっと、中身だけ確認してもよろしいですか?」
もし何かリアクションを求めるようなものだった場合、この男に伝える方が効率的だ。そう思ったので、桔梗ちゃんが持ってきてくれたハサミで封筒の上部を切った。
中に入っているのは、一枚の手紙だった。それを取り出し、読んでいく。
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晴翔よ、元気か?
お前が言っていた半年まで、あと三か月となった。「面白いもの」が見られるのはもう少し先のことになるが、準備は進んでいる。楽しみにしていてくれ。
P.S.
お前の彼女ちゃん可愛いな。
今回の視察のついでに、データベースの生徒資料を拝借させてもらう。よろしく。
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ビリっと俺はそれを破いた。少しでも真剣に捉えたのがバカみたいな内容だった。
あの人は天才なのだが、たまにこういうことをする。いや、天才だからこそ頭のネジがぶっ飛んでるというか……とにかく、公務員とは思えないほど好き放題していることがわかった。
「ああ、父に一つ伝言をお願いします」
「わかりました、なんでしょう?」
この方はあの人の部下であるという。おそらく、大変な苦労をされているのだろう。息子として申し訳なく思うが、今から伝えるメッセージで溜飲を下げていただきたい。
「……『四十のおっさんが、女子高生のプロフィールを覗く。ものすごくキモい行為であると自覚しろ』。いたって真剣に俺が言っていたと、ぜひお伝えください」
「くくっ……あっはっは」
ツボにはまったのか、男性は腹を抱えて笑い始めた。
「ご苦労様です」
「いえいえ。やはりあなたは高城さんの子供なのだと、強く実感しました。ありがとうございました。また、いずれ会う機会もあるでしょう。それでは失礼いたします」
そう言って、手を挙げてから部屋を去っていった。
最後の最後に気になる発言があった。会う機会がある?
そもそも、何のための視察なのか。税金を使う以上、建前であろうと出張には何かしらの理由が必要だ。俺に手紙を渡す以外の、メインとなる目的があるはず……
(わっかんねー)
それ以上は考えても理解できなかったが、なんだか面白そうなことが起きる予感がした。
「だ、大丈夫だった……?」
桔梗ちゃんが俺を心配そうに見つめる。その顔が可愛すぎて、思わず抱きしめてしまった。
あの手紙はなかなかムカつくものであった。しかし、一つだけ同意できる内容もあった。
「……俺の彼女は、可愛い!」
「え、ええっ!?ありがと……」
いきなりの言葉に戸惑っているが、そこに関しては絶対の自信がある。
それを父に認められたことが嬉しくて、俺はしばらく笑っていた。
……この学校を辞めたら、真っ先に自慢しに行ってやる。待ってろよ?
こちらは少しずつオチが近づいてます。
楽しく書けているので、やや残念ですが……