※この作品はR-18です。

優しさを失った雑魚   作:トラウトサーモン

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 ここから最終章です。話を畳みにかかります。


第19話

 8月25日。

 長かった夏休みも最終週に差し掛かるという日に、俺は校舎を訪れた。

 

「これを、理事長へ渡していただけますか」

「……まさか、お前にそんな意思があるとは思わなかった」

 

 蒸し暑い職員室。苦い顔をする茶柱に、書き上げた退学届を押し付ける。

 

「最初からそのつもりでした。意志は固いです」

 

 茶柱の態度を意に介さず、俺はそう断言した。

 それにしてもムシムシして気持ちが悪い。汗が顔に流れてくる。

 周りを見回すと、クーラーの温度を28度に設定してあるのが見えた。これが原因だ。

 官公庁ならともかく、この学校がそんなけち臭いことをしているとは思わなかった。資金は潤沢にあると思っていたが……もしや、前回の視察で何か言われたか?

 

「非常に残念だが、そういうことならやむを得ないだろう。確かに受け取った」

「ありがとうございます」

 

 意外とすんなり受け入れてくれて、拍子抜けだ。

 去る者は追わず、ということだろうか。まあ、本気で退学しようと思えばいくらでもやり方はあるし、止める意味もないからな。最悪、テストでわざと赤点を取ればいいだけの話である。

 

「ただ、正式に受理されるのは少し先の話となるだろう。実は今、理事長が停職になってしまっている。2学期から代理が来ることにはなっているが、処理が遅れてしまうのは確実な状況だ」

 

 ……ん? 理事長が停職?

 俺は首を傾げつつ、その説明を受け止めた。

 思い返せばそういうイベントは「あった」気もするけど、このタイミングではなかったような。そう、それこそ綾小路のホワイトルームが絡んでくる件だった記憶がある。

 とはいえ、俺という異物が存在する以上、いろいろな面で歪みが生じるのは当然だ。自分の行動が「本来の物語」にどう影響を与えるかなど、全て考えていては頭がパンクしてしまう。こういうものだ、と受け入れることも重要なのかもしれない。

 微妙な気分になったまま、職員室を後にした。

 

 この時、俺はまだ知らなかった。

 父の言っていた「面白いもの」を見る日が近いということを。

 ……あの人の逆鱗に触れることの恐ろしさを、理解できていなかったということを。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 夏休みもあと一日となった。

 俺と桔梗ちゃんは、クーラーの効いた涼しい部屋でイチャイチャしていた。

 

「あはは……こんな夏休みになるなんて、想像もしてなかった」

 

 桔梗ちゃんは自虐的に、下船後の生活を振り返った。

 そう思うのも無理もない。俺たちがやったことといえば、寝るか、遊ぶか、セックスするか。一応勉強だけはある程度こなしていたものの、ほとんど他者と関わることをせず、生活の全てを二人のみで完結してしまっていた。

 

「でも、めっちゃ幸せな毎日だったよ」

「そうだよね。本当に楽しかった」

 

 閉じた世界の心地よさ、気楽さを覚えてしまうと、通常の社会生活が億劫になってくる。

 

「無理だとわかってはいるが、一生こんな生活ができればいいなって思う」

 

 働くこともなく、自分のしたいことだけをする日々。桔梗ちゃんと二人、お互いに愛し合って過ごす生活。今の俺が理想とする生き方そのままの長期休暇であった。

 だが、こんなことが許されるのは学生である間だけだ。働かざる者食うべからずとはよく言ったもので、義務を果たさぬ者に与えられる権利などない。どれだけ学生生活をエンジョイしたとしても、最後には労働という名の地獄が待っている。

 

 ……今日でいったん終わりか。できれば、もうちょっとだけ自堕落な空間に浸りたかった。

 そんなことを考えていると、インターホンが鳴った。

 

「あれ、誰だろ?」

 

 桔梗ちゃんが玄関へ向かい、訝しげに扉を開ける。

 俺たちの空間に割り込んでくる来訪者は、誰なのか……?

 

「えっ?」

 

 それと同時に、俺の端末が鳴った。何やら嫌な予感がしたので、急いでテーブルに置いていたそれを手に取って、ロックを解除した。

 確認すると一通のメールが来ている。

 

 『お願いだ あの子を助けてほしい』

 

 その一行のみ記載されている文面を見て、俺はため息をついた。

 差出人は、停職を食らったという話が流れているあの男。

 奴がこんなメールを送ろうと思ったこと自体が信じられない。恥ずかしくないのか?

 

 無視してやろう、とゴミ箱に送った時のことだった。

 

「……変な感じがする。ねえ、晴翔くん。今から坂柳さんの部屋に行かない?」

 

 戻ってきた桔梗ちゃんがそう言った。大好きな彼女の言葉にNOというわけもなく、俺はしぶしぶ頷いた。いつまで経っても、うまく断ち切れない関係がめんどくさかった。

 

 

 

 その鍵はかかっていなかった。

 部屋の扉に桔梗ちゃんが手をかけると、ギィっと音を立てて開く。その瞬間、俺たちは酷い悪臭と鼻のむず痒さに襲われる。たまらず鼻をつまみ、なんとかその不快感から逃れる。

 玄関はまともに掃除していないのか、埃が目立っている。ドアの上部には蜘蛛の巣が見える。

 正直長居はしたくないと思いながらも、俺たちは靴を脱いで部屋の奥へ歩みを進めた。

 そこで見たものは……

 

「お前っ、何やってんだ!」

「……ああ」

 

 ドアノブにかけられたロープ。輪っかの中に首を通している者こそが、俺の元主人……坂柳有栖であった。ぐしゃぐしゃになった銀髪と、吹き出物だらけの顔が痛々しい。およそ同一人物とは思えないほどの、どうしようもない状態となっている。

 情を引くための演技ではないかという考えは、その目を見た瞬間に打ち砕かれた。こいつは、本気で死のうと思っている。学校ではなく、この世から退場しようとしている。

 

「坂柳さん、どうしてそこまで……」

「私のような人間のクズを、心配しているのですか?……櫛田さんはお優しいのですね」

 

 彼女は桔梗ちゃんの問いかけに、自分を卑下するような発言で返した。

 

「長い、永遠ともいえるほどの時間でした。その苦痛の中で考え抜いた上の結論です。私はこの世に存在すべきではありません。だって、不良品なのですから……」

 

 ふふっと小さく笑う姿には、もはやかつての面影はない。

 ただ死んでいくだけの、可哀想な子供。そう思わせられるほどの悲惨さである。

 ……ここまでの状態となっても、まだ何もしないのか?

 

 この女に、これ以上の罰を与える必要はあるのか?

 

 そう、俺は自分自身に問いかける。けれども答えは出ない。

 桔梗ちゃんの顔を見る。彼女こそ俺のパートナーであり、全てである。この子の意思に反することはしないし、できない。他人の命がかかっていたとしても、その気持ちが揺らぐことはない。

 だが……このまま見捨てることが人として正しいのか、俺は自信が持てないでいた。

 

「……はあ」

 

 迷いに迷う俺を見て、桔梗ちゃんは諦めたように笑った。ひざを曲げて、首にくくられているロープを解く。元主人は驚いた顔で、桔梗ちゃんの目を見つめている。

 

「坂柳さん、私に教えてほしい。どうすれば、あなたの自殺を回避できるの?望みは何?」

「それは……」

「もしかして、私から晴翔くんを奪うこと?」

「いえ、そんなことは」

「あははっ、さすがにそれはないよね。だったらそのまま死ねって感じだけど……」

 

 目を閉じて、諭すように話す桔梗ちゃん。この状況、この場面でも堂々と自分の主張を貫いている。マジでかっこいいと、惚れ直してしまった。大好きだ。

 

「あなたから彼を奪うことなど、そもそも不可能です。それに、私が生き長らえたところで何も生まれません。一人では何もできない『偽りの天才』に存在価値などあるのでしょうか?」

「……じゃあ、これならどう?」

 

 話しながら元主人の腕を強引に掴んで、立ち上がらせた。彼女はふらふらとしながら、桔梗ちゃんの身体にしがみついている。

 

「あんたは今日から私のペット。あんたが私に尽くす代わりに、晴翔くんを貸してやる」

「……そんな」

「ああ、性的なのはダメだけどね。私たちが愛し合うところを、部屋の隅っこで目に焼き付けていればいい。それが、あんたに対する罰となる。死ぬことに逃げるなんて、私は許したくないから」

 

 来なさいよと言いながら、桔梗ちゃんは手を引いていく。そのまま3人で部屋の外に出ると、なんだか心がすっきりしたような気がした。

 あくまでも俺のことを第一に考えた結論に、感動して動けない。本当に、桔梗ちゃんと出会えてよかったと思う。

 

「……ありがとうございます。こんな私ですが、一生櫛田さんに従うと誓います」

「言っとくけど、助けたとは思ってない。私は、晴翔くんの望まない結末を回避したいだけ。あんたが死ぬことはどうでもいいけど、その行為によってこの人の心が傷つくのは嫌なの」

「わかっています。それでも、私は感謝しています。櫛田さんにとっては違うとしても、私からすればその想いは……温かく優しいものです」

「あっそ。晴翔くんもそれでいい?」

 

 そう言って、二人は俺を見た。

 俺は少し考えた後、元主人に顔を向ける。

 

「悪いが、俺はお前を恋愛対象として見ることはできないし、あの過去を水に流したわけでもない。つっても、なんだかんだお前の動向が気になっていたことも事実。心情的には受け入れ難いが、桔梗ちゃんの優しさを尊重するよ」

「……はい、本当にごめんなさい」

「謝罪は聞き飽きたから、やめてくれ。まあ、これからよろしくな……()()()()()

 

 俺が話し終えた途端、彼女の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。

 

「やっと……やっと名前を呼んでくれた………」

 

 言われて思い出した。俺が彼女の名前……「有栖ちゃん」と最後に呼んだのは、いつのことだっただろうか。意識はしていなかったが、もしかしたら俺たちが決別した日まで遡るかもしれない。

 桔梗ちゃんはため息をつきながらも、足元がおぼつかない彼女をゆっくりと引っ張っていく。こうして見ると、なんだか姉妹みたいだ。

 

 俺たちの部屋に戻るまで、有栖ちゃんはずっと泣き続けていた。

 ……さて、今後どうなることやら。

 雲一つない空を見上げながら、急激に変化するであろう未来へ思いを馳せた。




 もっと胸糞悪い展開も考えていましたが、変更しました。
 終わりが近づいています。それ以降どうしようか、悩みどころです。
 個人的にはこちらの方が楽しいので、思いつきで投下できる場所として残しておこうかと考えています。
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