中間テストが近づいてきたが、全く焦ることはなかった。
勉強だけはしっかりと行うこと。ここ最近の俺は、それを常に意識している。
その理由は至極単純で、勉強に関しては努力が報われないということはないからだ。何かを覚えたらより多くの問題を解けるようになり、当然成績も上がってくる。やればやっただけの成果が出るというのは、とても面白いものである。
中学時代は全く時間的余裕がなかったため、成績も伸び悩んでいたが……今はめきめきと学力が上がり、学問の楽しささえ感じられるようになった。
今回のテストでは、八割以上の得点は取れる自信がある。過去問の存在も知っているが、それを利用しなくとも俺が赤点になることはないだろう。
「そういえば、櫛田も成績優秀だよな」
「まあ、周りの馬鹿たちと比べたらね。私はあんたの方が上だと思うけど」
俺たちは部屋で一緒に勉強していた。毎日欠かさず会っているのだから、テストが近づけばこうなるのは必然である。
お互いに教え合ったりするこの時間は、まさに俺が欲しかった「普通の高校生活」であった。やはり楽しいものだと確認してから、俺は再びペンを取った。
ジュースが切れたので、買いに行こうと外へ出た。
扉を開けたその瞬間、会いたくない人間の姿が見えてしまった。
「あの」
「……ちっ」
つい舌打ちが出た。こいつはマジで、何なんだ?
「ごめんなさい、私が全て悪かったです」
「今さら謝る意味がわからない。縁切って、お互い前を向いていこうってことで終わった話だ。十二年の対価をそれで済ませてやることにしたのに……何の不満がある?」
責める気はないし、そもそも許す許さないの問題ではない。今後この女の面倒を見ることは、何があってもあり得ないのだ。
こいつと復縁したら、間違いなく奴隷生活に逆戻りだ。ヘルパー代が出るならまだしも、ブラック企業もびっくりなタダ働きときた。誰が好き好んでやるものか。
俺は今の生活……櫛田との日々を楽しみ始めている。ここから地獄のような毎日に戻るなんて、絶対にあってはならないことなのだ。
「あ……」
「返す言葉も無いってところか。まあ、お前の容姿なら手を差し伸べる人間もいるだろう。今のところうまくいってないようだが、さっさと次の召使いを見つけることだな」
俺はそう言い残して、コンビニへと向かった。彼女が後をつけてくることはなかった。
好きとか嫌いとか、そういうことでもない。とどのつまり、感性が変わったというのが全てである。あいつを介護するという行為に対して、価値を見出すことができなくなってしまったのだ。
もはや俺たちは相容れない存在となった。その点において、もう取り返しはつかない。ましてや、理不尽に扱われてきた相手の世話を焼くほど今の俺は優しくない。
……この学校の中で、かつての俺の代わりとなるような者が見つかれば、それ以降はつきまとってくることも無くなるだろう。
あと少しの辛抱と思い、あいつのストーカー行為を我慢することにした。
お菓子やジュースを買って部屋に戻ると、櫛田が笑いかけてきた。
「おかえり。買い物ありがとね」
「おう。何が好きかわかんなかったから、適当に買ってきたぞ」
それにしても、やっぱりこいつはめちゃくちゃ可愛いな。
元主人も可愛さだけはピカイチだと思っていたが、さっき見た時はそうでもなかった。相変わらず顔は人形のように整っていたけど、総合点では大幅に櫛田が上回る。
あいつ以外の女と絡む機会が少なかったし、今思うと補正が入っていたのかもしれない。男子校の学生からすると、どんな女子でもアイドルのように見える現象……みたいな?
「あ、そうそう。洗濯物溜まってたから、回しといたよ」
「……ありがとう」
櫛田は照れくさそうに、頬を搔きながらそう言った。
その言葉を受けて、俺はつい泣きそうになってしまった。あいつと長年一緒にいても全く見られなかった、俺に対する優しさ。お礼の言葉だけでも十分すぎるほど嬉しいのに、出会って一か月のこいつはちょっとした家事までこなしてくれたというのだ。純粋な善意に心から感動して、しばらく動けなかった。
櫛田と半年限りで別離することが、本気で惜しくなってきた。この一ヶ月の間に、彼女はただの話し相手を超えた存在になっていた。
……だからといって、学校に残るという選択肢はない。どうにか連れ出せないだろうか?
「あと、今日泊まっていってもいい?」
「……えっ、いいけど」
考え事の最中、いきなりの提案に驚いてそのまま了承してしまった。
俺の部屋に泊まる?
「でもベッドが一つしかないか。高城さえよかったら、隣で寝よっかな。一応セミダブルっぽいし、そんなにぶつかることもないでしょ」
「あ、うん。もちろん大丈夫だ」
どんどん話が進んでいく。この容姿でこの無防備さ。レイプしてやるとか言ったクズ男が心配するのもおかしいが……本当に大丈夫かよ?
結局、俺たちは二人仲良く同じベッドで眠った。櫛田の可愛さを意識していたこともあり、いろいろと抑えるのが大変だったのは内緒だ。
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数日後、俺は教室でとある噂を耳にした。
ここ最近、一人の女子生徒が学校に来ていないらしい。その生徒はあまりにも身体が弱く、クラスの人間が生活の手伝いを諦めた結果、登校することができなくなってしまったという。真偽の程は定かではないが、今週学校で一度も出くわさなかったことを考えると、信憑性は高そうだ。
まあどうでもいいかと思っていたところ、一人の男がDクラスの教室へとやってきた。
「高城晴翔くんは、どちらにいるだろうか?」
「ここだけど、お前は誰だ?」
「突然すまない。俺は、一年A組の葛城という者だ。今日は君に話があって来た」
葛城と名乗った生徒は軽いお辞儀をした後、俺が座る席の近くで立ち止まった。
前世の記憶を辿っても、どんな人間かまでは思い出せなかった。確か、Aクラスのリーダーとなる生徒だったような気がする。そんな奴が一体俺に何の用だろう?
「単刀直入に聞く。うちのクラスの坂柳という生徒と、どういう関係だ?」
「……かつて付き合いがあったけど、今では『ただの他人』だ。それがどうした?」
「そうか……坂柳は身体が弱い。俺たちも可能な限りフォローするようにしていたが、あれは想像以上だった。もちろん差別などは無いが、手を尽くしたところでどうしようもなかった」
ため息をつく葛城。大して仲が良いわけでもないだろうに、クラスメイトのことでここまで本気で悩めるこいつは結構すごいと思う。
「まあ、簡単ではないだろうね。慣れれば誰でもできると思うけど」
「俺にはそう思えなかったが……まあいい。そんな坂柳が、怪我をするたびに高城の名を譫言のように呟くから、どんな人間か知りたくなったんだ」
そういうことかと理解した。あいつの癖は、まだ抜けていないようだ。
普段は俺を煽ったり馬鹿にするようなことばかり言うくせに、怪我や病気で苦しくなった時はすぐに名前を呼んで、助けを求めてくる。縁を切ったとしても、十年以上続けた習慣はなかなか断ち切れないらしい。
「最近、あいつは登校しなくなったんだっけ?」
「知っていたのか……最低な考えだとはわかっているが、正直学校に来なくなってホッとしている自分がいる。女子がことあるごとに負傷していく光景は、痛々しくて見ていられないからだ」
「……お前は優しいんだな」
俺は感心した。やはり、この男は素晴らしい人格の持ち主だ。
その考え方は最低でもなんでもない。弱者を嘲るような人間も多数存在する中、なんとか助けてやりたいという気持ちを持っている。ここまで成熟した人間は、大人でもなかなかいないだろう。
おそらく葛城は、クラスメイトを迎え入れられない自分に責任を感じて、藁にもすがる思いで俺のところへやってきたのだ。他人を助けるために力を使えるこの男が、とてもカッコよく見えた。
「葛城の心意気はすごく立派だと思うが、残念ながら俺は力になってやれそうにない。こっちにもいろいろと事情があるんだ。申し訳ないけど、そこは理解してほしい」
「わかった。真摯に話を聞いてくれたこと、感謝する」
そう言って、葛城は去っていった。
良い奴であることは間違いないが、それとこれとは話が別だ。もう俺には関係ないこと。ここで助け船を出すのは、誰のためにもならない。
そもそも、あいつは周りに「助けてもらう」タイプの人間ではない。あの性格では、高いレベルの容姿を生かして男子を誑かすか、誰かの弱みを握るなどして「助けさせる」しか手段はない。
どちらにしろ、あいつにとってさほど難しいことではないはずだ。なぜ早くそうしないのか、俺にはよくわからなかった。
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櫛田が俺の部屋に泊まる。あの日以降、それが毎日続いている。
そろそろ本気で関係がバレるような気もするが、仮にそうなったところで俺に不都合はない。
「なんか、高城といると落ち着くんだよね」
真っ暗な部屋の中、ベッドで二人きり。櫛田の言葉に偽りはなく、本当にリラックスしている様子だ。本人がこんな感じである以上、俺が心配するのもおかしな話である。
櫛田自身が納得しているのなら、今後は特に意識する必要もないのかもしれない。
「俺は、お前がよければそれでいい」
「ありがと」
こいつと一緒に寝ると、あの夢を見ないで済むということを最近知った。魘されることもなく、朝までぐっすり眠ることができる。添い寝にこんな効果があるとは全く予想していなかったが、こうして毎日来てくれることは俺からしても非常にありがたい話であった。
ふいに、元主人の姿を思い出した。当時は睡眠不足すぎて、考えるような余裕もなかったが……何度かあいつと一緒に寝たこともあった。その際、俺はどんな夢を見たのだろうか?
そんな疑問が頭に浮かんだが、すぐに立ち消えた。
「すぅ……」
眠りについた櫛田の姿を見て、心臓の鼓動が速くなる。ノーメイクでこの破壊力か……
俺の腕を抱きしめつつ、寝息を立てている。こいつの可愛らしさにドキドキしてしまい、なかなか寝付けなくなる。これこそが、添い寝のたった一つの問題点である。
(気持ちよさそうに寝やがって)
そして、入学当初とは違う自分がいることに気づく。この少女を大切にしたい、もっともっとこいつの笑顔が見たい。そんな欲求と、もう一つの想い……
今世に生を受けてから、初めて自覚したその気持ち。
この感情が「恋」というものであることを、俺は前世の記憶として知っていた。
あちらで悪い夢を見ない理由は、常に有栖ちゃんと一緒に寝ているからです。
その例外が、無人島の試験でした。