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テストの一週間前、教室で俺に声をかけてくる生徒がいた。
「高城くんは、確か成績が良かったよね。勉強会に参加してほしいと思っているんだけど」
平田洋介。イケメンとして女子たちの人気を集めている男子だが……そんなめんどくさい話、俺が引き受けるわけがないだろう。半年の付き合いにしかならない人間に対して、恩を売ったところで何にもならない。これはやる気以前の問題だから、諦めてもらうしかない。
「悪いが俺はパスさせてくれ。適任者は他にもっといると思うぞ」
俺はそう言い残すと、カバンを持って立ち上がった。注目を集めながら、教室を後にした。
この行動が、とんでもない結果を生むことになるとは……さすがに予測できなかった。
早足で学生寮へ戻ると、部屋の前にあいつがいた。
「お前さ、そろそろやめてくれないか?」
「す、すみません。私は、あなたがいなければ生きていけないのです。それなのに……許していただくためなら、どんなことでもします。殴られても、蹴られても文句は言いません。私の全てを捧げますから、どうか戻ってきてはもらえないでしょうか?」
「俺がいないとダメなんて、そんなわけねえだろ。現に、今ここで生きてるし」
「……」
言葉に詰まったのを見て、俺は元主人の身体を確認する。
四肢にはいくつもの擦り傷と青アザがあり、見るからに痛そうだ。銀色の髪はボサボサで、ほとんど手入れされていない。顔色が頗る悪く、メイクやスキンケアの類は一切行っていないこともわかった。全体的にかなり酷い状態である。
ギリギリ生き延びている。そう表現するのが、最も適切であると感じた。
「俺に何でもかんでもやらせてたから、ルーチンのやり方がわからないってところか。厳しいようだが、それはお前の怠慢だ。俺を切る選択をする前に、教えを請わなかったのが悪い」
「ち、違います。やり方がわからないとか、そういう意味では……」
イライラしてきたため、自然と語気が強くなる。この期に及んで、こいつは俺に負担をかけようとしている。まだ言うことを聞かせられると思い込んでいる。
俺の言葉でダメージを受けたのか、座り込んで涙を流し始めた。
「なんで泣くんだ……介護してくれと言うのなら、それに見合った対価を用意してくれよ。十二年も死ぬ気で頑張って、俺は何にも得られなかったんだ。もう、解放されてもいいだろうが……」
何の報酬もなく、主人を守るだけのロボットとしてこき使われてきた。俺は文句一つ言わず、黙って作業をこなしてきた。悪夢から逃れられる以外のメリットは、何一つなかった。
これだけ酷い扱いを受けてもなお、当時は高校に上がってからもサポートを続けてやろうと考えていた。あのころの俺にとっては、こいつが「守るべき人」であったからだ。
昔から、俺の能力の低さを嘲笑うような発言はあった。それでも、あの日までは……俺という存在自体を否定するような言葉はかけられなかった。だから厳しすぎる生活にも耐えられたし、自分から逃げ出すような真似はしなかったのだ。
全てを投げ捨てて、違う道を進むことを決めたのはこいつ自身だ。そのくせ今さら戻ってこいなんて、あまりにも虫の良い話だと思う。受け入れられるわけがないだろう。
「……ああ、それが当たり前ですよね。本当に、私は最低な人間です」
「悪いが、わかってくれ。無償の愛なんて言葉は、もはや俺たちの間では成立しない」
そう突き放すと、肩を落として帰っていった。
五月だというのに、吹き抜ける風を寒く感じた。
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翌日の放課後、教室でガラの悪い男に絡まれた。
その男の名は須藤健という。赤点退学の危機が迫っているこいつは、どうやら俺のことが気に入らないようだ。憤怒の表情を浮かべながら、肩を怒らせてこちらへ歩いてくる。
「てめえ、俺のこと馬鹿にしてるだろ」
やがて至近距離まで迫ると、ギロリとこちらの顔を睨みつけてきた。
また面倒なことになったと辟易した俺は、ため息をついてから言葉を発した。
「何だ、俺に勉強を教えてほしいのか?」
「そういうわけじゃねえ。てめえの態度が気に食わねえって言ってるんだ。俺たちに対する、ゴミを見るような視線……ちょっと勉強ができるからって、いい気になりやがって。あまり調子に乗るなよ?」
「……別に見下してはいない。単純な話、お前に興味がなかっただけだ。そういう意味では、そこの堀北と似たようなものだ。あっちには喧嘩を売らないのか?」
罵ったりするつもりはないが、こいつらに対する興味のなさは堀北以上かもしれない。
こいつが赤点になったとしても、心底どうでもいいとしか思えない。
「言わせておけば、この野郎!」
「うっぜえ……もう帰ってもいいか?最近ちょっと疲れてるんだ」
その瞬間、拳が飛んできた。俺は頭を少し動かして、それを避けた。
反射神経だけは人より優れている自覚がある。長年の介護生活で得られた、唯一の武器といってもいい。まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。
「チッ、クソが」
「おいおい危ねえな」
教室の空気が最悪なものとなる。うーん、やっぱり半年でも無理かもしれない。こいつらと仲良くするつもりはなかったが、普通の他人として生活するのも厳しそうだ。
どうしようかなあと思っているうちに、須藤へ加勢する連中が現れた。
「やっちまえ、須藤。あいつには前からムカついてたんだ」
「そうだそうだ、殴られなきゃわかんねーよ」
池とか山内とか言っただろうか。いつの間にか、俺はこいつらの恨みも買っていたらしい。教室がざわめき、周囲から奇異の目が集まってくる。
あー、クソめんどくさい。再び大きなため息をついて、ゆっくりと立ち上がった時だった。
一人の少女が、彼らの前に立ち塞がった。その光景に、クラスの生徒たちが驚愕する。
「やめてよ……」
「櫛田ちゃん、なんで」
「みんな、おかしいと思わないの?この人が何をしたって言うの?」
櫛田が俺を庇った。これは完全に予想外のことだった。
いつもとは違う……俺にとっては見慣れた雰囲気を纏う彼女を見て、雑音がぴたっと止んだ。
「どうしてそんな奴のこと……」
池の言葉は、ある意味共感できるものだった。いや、ここにいる全員が同じことを思っているかもしれない。なぜこいつが俺を守ろうとしているのか、理解できない。
「……この人は、私の大切な人なんだ。これだけじゃダメかな?」
「そんな、櫛田ちゃん……」
目に涙を浮かべながらも、櫛田は力強く池たちを睨みつけた。
ショックを受けた三人組が黙り込む。櫛田の懇願を無下にできる者など、どこにも存在しないだろう。しかし、この行動はこいつ自身もリスクを伴う。今まで作ってきたキャラクターを失うほどのものではないが、俺との関係を知らない人間からすれば極めて不自然な動きだ。
ここまで絶妙なバランスで立ち回ってきたのに、それを崩してまで俺を守ってくれた。
そんな櫛田のことが、これ以上ないほど愛おしい。もしかしたら、俺はこの子と出会うために生まれ変わったのかもしれない。胸の高鳴りが抑えきれなくなってきた。
「もう意味わかんねえ。帰る」
須藤は雑に荷物をまとめて、教室から出ていった。他の二人も居づらくなったのか、その後を追っていった。急に静まり返ったことで、各々が何とも言えない気まずさを感じる。
櫛田は黙ったまま、俺の手を引いて外へと連れ出した。
それは温かく、「優しさ」を感じるものだった。こいつは本当に……
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手をしっかりと繋いだまま、俺の部屋へと戻ってきた。
二人でベッドに腰掛けた直後、櫛田はがばっと抱きついてきた。
「馬鹿、ほんっとに馬鹿。わざわざ殴られるようなこと、しないでよ……」
「……悪い」
気持ちが落ち着かない様子。まさか嫌われてはいないだろうと思っていたが、ここまで好かれていたのは想定外のことであった。嬉しさと同時に、戸惑いを感じる。
「これでもう、私はあんたとの関係を隠しきれなくなった。どうするつもり?」
「ああ、どうしようか」
そう言って、お互いの指を絡ませながら、上目遣いで見つめてきた。
俺は真剣に考える。どうしたいのか、どうなりたいのか。この優しい少女と……
難しい問いに頭を悩ませている時、櫛田がぽつりと呟いた。
「友達が嫌なら、恋人でいい。なーんてね……うわっ」
その言葉は、俺のタガを外すのには十分なものであった。
初めて会った日と同様に、ベッドへ押し倒した。あの日と違うのは、俺が本気であることだ。
男としての本能、人間の三大欲求の一つ。今の櫛田には、俺の持つそれを刺激するのに余りある魅力があった。
ああ、そういえば親父は好き勝手していいと言っていたな。半年経過後は「必ず面倒を見てやる」とも語っていた。ならば、俺のやりたいように、俺の欲望を制限せずやらせてもらおう。
「……実際にするけど、いい?」
この質問は、我ながら意味がわからないと思う。しかし性欲による興奮で思考が狂い始めていたため、つい口からこぼれてしまったのだ。
「ふふっ、あんたって頭が良いのか悪いのかさっぱりわかんない」
「うるせえ」
「ばーか。でも……いいよ、
櫛田が話し終わると同時に、俺はその唇を塞いだ。
身体を優しく触り、手を下半身の方へ持っていく……
「悪いが、これ以上行ったらもう引き返せないぞ。俺も鬼じゃないから、今ならまだやめてやる。
「さっき答えたでしょ。女の子に何度も恥ずかしいことを聞くな。でも……」
彼女は横になったまま、服のボタンを外した。
俺は手を背中側に回して、ブラジャーのホックを外す。努めて優しく、ゆっくりと脱がせていくと……その綺麗な身体があらわになった。
「責任は取ってね。半年でサヨナラとか、絶対に許さないから」
桔梗ちゃんの問いかけを、俺は頷くことで肯定した。
この学校で友達を作らないことを決意したのは、四月のことだった。ここに来ても、まだその考え方に変化はない。しかしながら、俺はそれ以上の相手……恋人を手に入れようとしている。
思い返すと、とことん矛盾ばかりの人生を歩んできた。だが、それも悪くない。
俺は、自分の愚かさを楽しんでいた。