翌日、俺と桔梗ちゃんは一緒に登校した。
昨日のことがあったからか、それに対する周囲の反応は思ったより薄かった。
教室に入って数分後、須藤が登校してきた。教室の雰囲気がピリピリとし始める。須藤は俺の姿を見るなり、昨日と同じようにずんずんと近寄ってきた。同じことが起きるのではないかと、生徒たちがざわめく。桔梗ちゃんが心配そうに見つめてくる。
そして、その男は俺の目の前に立ち止まり……深々と頭を下げた。
「高城、昨日は悪かった。櫛田のおかげで目が覚めたぜ。退学への焦りと、自分の成績が上がらないイライラ……それを抑えられず、何も悪いことをしていないお前に当たったんだ」
「お、おう」
「俺は……どうしようもねえクズだ。何なら、一発殴ってくれ!」
謝られるとは思わなかったし、謝ってもらう必要もなかった。結果的にそのおかげで桔梗ちゃんと結ばれたし、今さらこいつを恨んだりするようなことはない。
「別に、もう気にしてないからいい。お前を殴る気はない」
「すまねえな。それで、改めて頼みがある……俺に勉強を教えてくれないか?」
須藤はそう言うと両手を合わせて、より深いお辞儀をした。
突然の行動に周りの生徒たちも驚いて、さらに視線が集中する。
(ええー……)
まさかそんな展開になるとは思わなかったので、戸惑ってしまった。正直めんどくさいのだが、この空気で断るのはなかなか難しいものがある。
しーんと静まった教室。その中にいる生徒全員が、俺の次の言葉を待っている。
俺は一度目を瞑って、思考に入る。
「……うーん、桔梗ちゃんも一緒でいいなら」
「えっ、私!?」
俺が出した答えに、桔梗ちゃんが驚いた。
愛する彼女と会えなくなるのは避けたい。とはいえ、部屋にいたとしても勉強することに変わりはない。二人離れない前提なら、受け入れられると思った。
「へへっ、やっぱお前そういうことかよ」
須藤は納得したように頷いて、穏やかな笑みを浮かべた。
「それなら、そういうことで」
「ありがとよ、助かるぜ。俺はまだ……この学校でバスケがしてえんだ。こんなところで退学になるわけにはいかねえ。何より、そんな終わり方はダセェからな」
この男から強い意志を感じる。昨日とは全然違う、吹っ切れたような態度だ。
改めて、桔梗ちゃんの涙がどれだけ強いものであったのかを理解した。
「須藤、勝手にいい話みたいに終わらせるなよ。お前がやる気になったのはわかるが、こいつと櫛田ちゃんの疑惑が解けたわけじゃないぞ」
話が終わったと思ったら、池が首を突っ込んできた。マジでうぜえなこいつ、疑惑とか言いやがって……それで桔梗ちゃんが嫌な思いをしたらどうしてくれるのか。あー、死ねばいいのに。
心の中で毒づきながら、俺は席に戻ろうとした。しかし腕を強く掴まれていたので、動くことができなかった。
「疑惑も何も……この人は、私の彼氏だよっ!」
桔梗ちゃんは俺の手を取って、大きな声でそう宣言した。一瞬静かになった直後、教室全体にえーっという声が響き渡った。これはさすがに恥ずかしい……
ここでカミングアウトしてしまうのは、想定外のことであった。俺はてっきりグレーのままにしておくのかと思っていたのだが、どういう意図があるのだろうか?
へたり込む池を尻目に、営業スマイルの桔梗ちゃんと目を見合わせた。
放課後。俺たちは約束通り勉強会に参加してやった。
俺は勉強よりもむしろ、桔梗ちゃんの変化が気になって仕方がなかった。
「桔梗ちゃん、消しゴム貸してくれない?」
「えっ、やだ」
「……」
「あはは、うそうそ。ちょっと揶揄ってみただけ。はいっ」
こうやって意地悪をしてきたり、割とナチュラルに接してくれる。
いつものように他人の悪口を言ったりすることはないので、演技をやめたというわけではないのかもしれない。しかし、明らかに今までの態度とは異なるものだ。
「あっ、須藤くん。その問題はね……」
そして、俺だけがそういう扱いになっている。他の生徒に対しては今までと何ら変わることなく、当たり障りのないように優しく接している。
意外にも周囲はその状況を受け入れて、特に騒ぎ立てられるようなことはなかった。
「……やっぱ、違うんだな」
桔梗ちゃんの後ろ姿を見て、山内が呟いた。態度が違うことにはみんな気づいているようだ。
二人の特別な関係、恋人だけに見せる変わった一面。そう解釈してくれただろうか?
そして、そんな俺たちを黙って見つめている人間がいる。綾小路と堀北である。
人を見極める、値踏みするような視線はなかなか不快なものだ。俺は二人の方を向き、抗議の意味を込めてじっと見つめ返した。ぎょっとした堀北と、無表情の綾小路。
(桔梗ちゃんを、面倒なことに巻き込んでくれるなよ?)
俺の意思が伝わったかどうかは、今のところわからなかった。
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夕方過ぎ、俺たちは部屋へと戻った。
ここ最近はポイントが厳しいので、自炊をする機会も増えた。しかし今日は疲れていたため、二人ともコンビニ飯で済ませてしまった。次の休日は頑張ってみよう。
「桔梗ちゃん、俺らの関係は隠さなくてもよかったのか?」
「……誰かを特別扱いしたりとか、あんな風に恋人関係を公表するなんて、以前の私なら絶対にしなかっただろうね」
ふと日中のことを問いかけると、彼女は複雑そうに口をとがらせた。
この様子から、かなり悩んだ上での結論だったのだと察した。
「でも、クラスの一番である以前に、晴翔くんの一番でありたいから。それに……」
「それに?」
そこで言葉に詰まった。顔を赤くして、恥ずかしそうにしている。もじもじと足を動かす姿は、普段見られないものだ。こういう仕草一つとっても絵になるからすごい。
しばらく言うかどうか悩んだ後、意を決してこちらを向いた。
「あんたと二人でデートもできないなんて、耐えられるわけないでしょ」
……あまりにも可愛い理由に、俺は我慢できず抱きしめてしまった。
本当に大好きだ。これはもう、いろいろとダメだ。好きすぎて辛い。
このままずっと離れたくない。俺という人間は、かなりの依存体質であると自覚した。
「一生お前のそばにいたい。真剣にそう思う」
「もう……私はどこにも行かないから、大丈夫だよ」
しばらくの間、ベッドの上で制服のまま抱き合っていた。
桔梗ちゃんからの誘いもあり、今日も一緒に風呂へ入ることになった。
また裸を見ることになる。性的な興奮は避けられないが、彼女も疲れているはずだ。体力を浪費する行為は慎むべきだろう……最初はそう思っていた。
「……で、なんでこうなるのよ」
「こればっかりは仕方がない」
その綺麗な身体を見て、主に下半身が臨戦態勢に入ってしまう。
無理だって。この状況で反応しないわけがない。勃起という現象は、どんなに強い精神力を持っていても防げない。これはどうしようもないことなのだ。
「……する?」
「今日はいい。俺はともかく、桔梗ちゃんは人気者だから色んな意味で疲れてるだろ」
「まあ、疲れてないわけじゃないけど」
「明日も学校だし、どうせ勉強会にも参加させられる。一度ゆっくり休んだほうがいいよ」
俺は衝動をぐっと堪えて、どうにか耐えた。性欲に負けて、毎日性行為に付き合わせるというのはよろしくない。それを負担に感じて、愛想を尽かされてしまえば一巻の終わりだからな。
我慢すれば済むこと。そう強く思うことで、なんとか雑念を振り払った。
「ねえ」
それにしても可愛いなあ。顔も身体も性格も……
「ねえってば。考えてないで話を聞け」
「わっ、ごめんごめん」
頬をぱちぱちと叩かれて、意識が現実に戻ってきた。これは申し訳ない。変に考え込む、俺の悪い癖が出てしまった。桔梗ちゃんはむっとして、至近距離に顔を近づけてきた。
「そういう『優しさ』はいらない。あんた、どうせ自分が我慢すれば済むとか思ってたでしょ」
強い意思のこもった目で俺を睨んでくる。心を読んだかのような言葉に驚愕する。完全に図星であったため、何も言うことができなかった。少し落ち込んだ俺の顔を覗き込んでから、桔梗ちゃんは一つ大きなため息をついた。申し訳なさと情けなさで胸がいっぱいになる。
「はあ、やっぱりね。そんなことを思われるぐらいなら、性欲のままに身体を求められるほうがよっぽどマシかも。そもそも、私が今日はしたくないって勝手な思い込みだよね?」
「……ごめん」
相変わらず、言い方は結構きつい。しかし、こうやって思ったことをそのまま言ってくれるのは俺が理想とする関係だった。着飾らない、素のままの桔梗ちゃんが俺は好きなんだ……
……やっと気づいた。怒っている理由もわかった。やっぱ、俺って馬鹿な男だ。
はっと目を見開いた俺を見て、クスッと軽く笑った。
「言いたいこと、理解してくれた?」
「素の俺を曝け出せ。そういうことだろ?」
素顔を見せてほしいと言った人間が、自分の本心を隠すとはどういうことか。知らぬ間に、俺は仮面をつけていた。気遣いという大義名分のもと、どこか彼女に対して遠慮していたのだ。
「正解。わかったのなら、今後はその通りにしてね」
「でも……」
「うざい。私がそうしろって言ってんだから従って。男のくせに女々しいんだよ、気持ち悪い」
煮え切らない俺をばっさりと切り捨てた。どうやら彼女は本気であるようだ。強い言葉ではあるが、俺を想ってくれているからこその発言だとわかった。
良かれと思ってしたことでも、不快感を覚えてしまう場合がある。自分の考えの浅さを突きつけられた。傷つくというよりも、言ってくれたことをとてもありがたく感じた。
「わかった、ありがとう」
「……別に、お礼を言われるようなことはしてない。私たちは恋人なんだから、遠慮するなって伝えたかった。それで嫌いになんてならないから、絶対に」
険のあった表情が緩み、優しい笑顔になった。つられて俺も笑うと、桔梗ちゃんは猫のように顔を擦り付けてきた。この二面性もすごく好きだったりする。
「桔梗ちゃんは優しいなあ」
「優しくなんてないよ。今の私にそんな感想を持ってくれるのは、晴翔くんぐらいのものだと思う……優しいのはどっちだか」
「そうかな?」
俺の感性が独特なのだろうか?
「変なひと。でも、大好き……のぼせちゃうし、もう上がろっか」
話に夢中で気づかなかったが、頭がくらくらし始めている。すでにのぼせ気味だ。
性欲も一時的におさまった。俺は桔梗ちゃんに続いて、浴室を出た。
風呂上がり。水分補給をした後、髪をドライヤーで乾かす。
「ほんと、上手だよね。私はこれに一番びっくりしたかも」
乾かしているのは俺の髪ではない。桔梗ちゃんの髪だ。
元主人との思い出。かつて、これが一日最後の仕事だったこともある。今思えば嫌なことばかりだったが、この作業はそこまで面倒だとは思わなかったな。
そして、今では桔梗ちゃんが喜んでくれている。あの頃あいつがどう思っていたのかは知らないが……この子に還元するためだったと思えば、当時の対応も許せるというものだ。
「……晴翔くんは、私のことを一番に考えてくれる。それはよーくわかってるから、心配しないでほしい。尽くしてくれるのは嬉しいけど、そんなに頑張らなくてもいい」
「大丈夫、これは全然負担とは思わないんだ。むしろ楽しい」
「それならいいんだけど……ありがと。無理はしないでね」
俺を労う言葉に、またも感動する。感謝されるって、こんなに気持ちいいことなのか。承認欲求が満たされることによる快感が脳内を駆け巡る。
もしかしたら、俺は誰かに自分の頑張りを認めてほしかったのかもしれない。
だからこんなに好きなんだ。きっと、桔梗ちゃんと俺は……
寝る前、俺たちは愛を確かめ合った。
昨日とは違う点が一つあった。桔梗ちゃんがその気になるのが早かったというか、最初から濡れていたというか……とにかく、前戯から挿入までの時間が短かった。
「……そっちが思っている以上に、私はあなたのことが大好きなんだよ」
事が終わってから、彼女はそう言った。
射精後の疲労感もあり、あまり深い意味を考えることはできなかったが……
(ああ、俺はこの子と結婚したい)
いつの間にか、心も身体も完全に溺れ切っていた。今の俺は、桔梗ちゃんの言うことならなんでも聞くだろう。彼女の望みが俺の望み……そう言っても過言ではない。
翌朝起きてから、お互いに抑えきれずもう一度やってしまったのは反省だ。
手をつなぎながら遅刻ギリギリで登校した俺たちを、Dクラスの面々は苦笑いで迎えた。
今引きこもっている子は、もう少し先に出てきます。テストは出ないと退学ですからね。
あっちよりもクラスに貢献しているのは皮肉なものです。