窓の外を、桜色が飛び交っていた。
歩き慣れた廊下から見えたのは、そんな光景だ。
学内を満たす喧騒から逃げるように、俺は気持ち早足で歩いていた。
早いもので、この四月でもう大学二回生。大学生になって二度目の春だ。
だからこんな光景も、見慣れたものである。
「で、これから原宿行くんだけど、一緒にどう?」
廊下の角を曲がったところで、チャラついた男二人が新入生らしき女子に声をかけていた。出会いの季節となると、特にこんなシーンに出くわすことが多い。
しかし、俺にはまったく関係のないことだ。まあ頑張れよと気のない応援を心の中で告げると、俺はそのまま──。
「いえ、行きませんけど」
そのまま通り過ぎようとして、聞き慣れた声に思わず立ち止まる。
目に飛び込んで来たのは、記憶の中より少し長くなった亜麻色の髪。どこか落ち着いた印象を与える、ミディ丈のスカートと春色のカーディガン。
──果たしてそこにいたのは、高校時代の後輩である一色いろはだった。
「そんなこと言わずにさー、ちょっとだけでも」
どうしてここにと困惑する俺の目の前で、男はなおも食い下がっていた。
本当に意味が分からない。一色の本命の大学は、ここではなかったはずだ。
「だから行きませんって。わたし用事あるので」
しかし、目の前の彼女は本当に一色いろはなのだろうか?
目つきは男を睨みつけるように鋭く、声音は真冬の廊下みたいに底冷えしている。俺の知る一色なら「あー、楽しそうですね~。でも用事あるのでまた今度~」とか言ってスマートにかわすだろうに、今の印象は一体誰だってぐらいに違う。
「⋯⋯あ」
しかし見間違いでも何でもないと言うように、一色は俺と目が合うとそんな声を出した。
「もう、先輩こんなところにいたんですか。ほら、行きますよ」
「え、ちょ⋯⋯」
こっちは思わぬ再会に未だ事態が飲み込めていないというのに、一色は俺の手を取るとグイグイ引っ張って歩き出した。致し方なく、俺もそれについて行く。
「うひゃー、可愛いけど性格キツいな」
「あんな風に尻にしかれるのは、ちょっとなぁ⋯⋯」
背中でそんな声を聞きながら、さっきよりずっと早足に廊下を行く。学舎を出て男たちの姿が見えなくなっても、その手は離れない。
「なあ、もうここまで来たらいいだろ」
「⋯⋯ですね」
一色の手がぱっと離れると、手首をひやりとした春の風が撫でた。
そのまま何となしに、満開になった桜の下を歩いていく。聞きたいことが多すぎて、頭の整理が追いつかない。
「一色って、うちの大学志望だったっけ?」
「第二志望、でしたねぇ」
何でもないことのように、一色はさっきとは打って変わって穏やかな声で答える。
俺が知る一色の大学受験情報は、第一志望の大学に合格したというところまでだ。てっきりそちらに進学するものだと思っていたのだが。
「なら、なんで?」
「分かりませんか?」
俺の純粋な質問は、質問になって返ってきた。
回答可能時間をカウントダウンするみたいに、俺の視界を等間隔に桜の花びらが横切る。
「⋯⋯分からん」
「なら分からせてあげます」
そう言って一色は、ようやく笑った。
しかしそれはあざと可愛い小悪魔じみたものではなく、見たことのない種類のものだ。
「それじゃ、行きましょうか」
「は⋯⋯? 行くって、どこに」
今の俺は、ナンパを断る口実に使われて一緒にいるに過ぎない。
そんな風に言われたとて、行くあてなどないのだが。
「先輩の家ですけど?」
高校の後輩から大学の後輩になった彼女は、さも当然のようにそう言った。
* * *
俺の住むアパートの最寄り駅で電車を降りると、道すがらにスーパーに寄った。
一色が買い物を済ませた後、ずっしりと重い袋を両手に持ちながら家路を辿る。やがて見えてきたのは、築三十年を超すオンボロアパートだ。
「ここが先輩の家⋯⋯」
一色は俺の借りている部屋に入るなり、ちょっと失礼と言って家中を見て回った。
⋯⋯やましいもの、何もないよな? と少し心配になってしまったが、今やアダルトなコンテンツはデジタルが主流。ちなみにスマホの中身を調べられたら死ねる。
一色は洗面所から出て来ると、ふーっと安心したような笑みを浮かべていた。
「じゃあ、お台所借りますね」
「あ、はい⋯⋯」
何でも一色が飯を作ってくれるらしい⋯⋯のだが、その行為はちっとも俺の問いの答えになっていない気がした。
やがて届く、フライ返しがフライパンを叩く音と、ケチャップが熱せられる匂い。六畳一間の寝室兼リビングは、俺のものではない生活のリズムと匂いで満たされていた。
「お待たせでーす」
そんな声とともに運ばれてきたのは、いわゆるふわトロ系のオムライスだ。こういうチョイスは、俺の知っている一色だなぁと思う。
「おお、サンキュ」
一色が俺の左隣に座ったのを見届けると、小さく頂きますをして、まずは一口。
できたて熱々のオムライスの卵はほのかに甘く、ケチャップライスは程よい酸味で、見た目通りに美味な一品だ。
「うめぇ⋯⋯」
「ふふっ」
どこか
さっきから本当にこいつ、どうしたって言うんだろう。ナンパしてきた男たちには塩対応だし、俺には妙に甲斐がいしいし。
「なあ、何があったんだ?」
ここで聞かなければタイミングを失くしてしまう気がして、俺は
「ちょっと、いやだいぶ様子が変だぞ。さっきだって、あの手のヤツならさらっとかわせただろ」
一色はオムライスに目を落とすと、音もなくスプーンを差し入れた。俺の言葉がどこまで届いているのか、分からない。
「わたし、このままじゃ駄目だなって思ったんです」
そう言ってから一色は、あむっと黄金色を口に含んだ。その一口を嚥下した後に、続ける。
「待ってるつもりもなかったんですけど、中々気付いてもらえないし。八方美人な態度が踏み込んでくれない原因なのかなって」
「はぁ⋯⋯」
「だからもう的は、一つに絞ることにしたんです。うさぎさんは一兎しか追いかけません」
「へぇ⋯⋯」
⋯⋯なるほど? ちっとも分からなかった。
抽象的というか概念的というか、どうにも謎掛けじみていて伝わらない。
「だから、はい」
一色はそう言うと、またオムライスにスプーンを差し入れた。なぜか俺の皿の方に。そして持ち上げられた一口分のオムライスが、俺の口元に寄せられる。
「あーん、って言った方がいいですか?」
「いや、自分で⋯⋯むぐっ!」
問答無用とばかりにスプーンを押し付けられて、思わず口に含んでしまう。このスプーン、一色さんが使ってたやーつ⋯⋯。
「わたしが変わったのは、どうしてか分かりました?」
「いや、さっぱり⋯⋯」
「あ、ケチャップかけるの忘れてました」
一色は脈絡なくそう言うと、俺のオムライスの上にケチャップをかけだした。
ちゅちゅいと出てくる、絵の具のような赤。鮮やかな黄色の上に、朱色のハートマークが描かれていく──。
「これでも分かりませんか?」
「あの、一色さん⋯⋯?」
くすっと笑った顔は、ようやく見慣れた小悪魔めいたものになっていて。
「分かるまで続けますからね♪」
その声音は天使のように甘く軽やかで。
こういう時こそ、かの有名な台詞を借り受ける時であろうと思う。
いったい私、これからどうなっちゃうの~~っ!?
はじめまして。
あるいはまた会いましたね。作者の滝でございます。
この作品、元は短編で支部に投稿していたのですが、別の長編を書いている時に「やっぱいろはす可愛いよなぁ。いろはメインで書きたいなぁ」という思いからスタートとしたものです。
本作のいろははだいぶ吹っ切れてる感があるのでいろはらしさを出せるかどうかは甚だ疑問ですが、ラブでコメコメした話を書いていけたらなと思います。
感想・お気に入り・評価など頂けると作者が小躍りしながら喜びます。
それでは、引き続きお楽しみ下さい!