BBQから数日後。
俺は店の裏手のドアを開けると、いつものように従業員用通路を行く。手狭なロッカーでサクッと着替えると、まず向かうのは休憩スペースだ。
「おはようございます」
「おう、おはよう。早いな」
通路ですれ違った店長は、俺を見つけるなり軽く手を上げた。俺はそれに、ぺこりと会釈を返す。
店長の言う通り、また出勤時間まで三十分以上ある。しかし当然、早く来ただけではない。
「今日、昼飯まだだったもんで」
「ああ。廃棄のやつ冷蔵庫に入れといたぞ」
「ありがとうございます。助かります」
俺は店長に向けてもう一度頭を下げると、休憩所に入り冷蔵庫を開ける。
なるほど今日売れ残ったのは海苔弁と稲荷セットか。特に迷うことなく海苔弁を選ぶと、レンジに入れて温める。
コンビニ店員の特権。それは消費期限切れの弁当で食費を浮かせられることである。ついでにフードロスも削減できて一石二鳥。俺ってなんてサステナブルなんだろう⋯⋯。
そんなことを考えながら弁当を食べていると、不意に休憩室の扉が開いた。
「あ⋯⋯」
そこから顔を見せたのは、天音さくらだった。中々シフトが合わなかったから、BBQをした時以来だ。
「おはようございます。あの⋯⋯この前はすいませんでした」
そしていきなり謝られる。一瞬何のことだと思ったが、すぐに思い出した。
あの日酔っ払ったさくらは、一色と一緒にやたらと俺に絡んできていた。そのことを詫びているのだろうが、一色のせいで段々慣れてきているのが怖い。
「いや、別に気にすんなよ。酒の席でのことだしな」
俺はそう言うのだが、さくらの表情はまだ晴れない。
あははっ、すいませーん! とか言うキャラじゃなかったのか、さくらは。
「本当に怒ってないですか?」
さくらは俺の隣にあったパイプ椅子に座ると、くてんと首を倒した。下から覗き込んでくる目はクリッと大きいのに、なぜだか小動物のような印象を抱かせる。
「おう、全然⋯⋯」
「それなら、よかったです♪」
さくらはそう言うと、仮面を取り替えるみたいににっこり笑顔になる。常より甘い声音が
なんだこいつ⋯⋯。本当にこんなキャラじゃないだろ。このやり口は、まるで──。
「なんて、いろはちゃんの真似してみたんですけど、グッとキました?」
「キてましぇん」
思いっきり噛んでいた。
それにしても最近この二人、何なんだ⋯⋯。仲がいいのか悪いのかもよく分からんし。
「あ、何かこれ楽しいかも」
そんな俺の反応を見て、さくらは邪気のない笑みを浮かべながら立ち上がった。休憩室を出る瞬間、振り返る。
「今日もよろしくお願いしますね、先輩っ」
そう言ってさくらは、通路の奥へと消えて行った。
残された俺は未だ呆気にとられたままだ。
「⋯⋯おう」
受け取る者のいない言葉は、宙に消える。
ガシガシと乱暴に頭をかくと、俺もまた立ち上がるのだった。
* * *
バイトが終わって、店を出た瞬間のことだった。
ポケットの中でぶるりと携帯が震え、ジーンズ越しに通知を知らせるライトがピカッと光る。
『今からここに来てください』
画面を開くと、メッセージアプリはそんな文字列と地図を表示していた。送り主は当然の如く、一色いろはである。
『まだ飯食ってないんだけど』
『晩ご飯ならちゃんと作ってあげますから、早く』
いつものように、何とも強引である。しかしペコペコの腹で食べる一色の手料理という交換条件は、魅力的なことに間違いはない。
地図アプリを開くと、指定された場所は河川敷のようだった。微妙に遠いし、もう暗くなり始めているのに何をしているんだか。ちょっと不用心にも感じてしまう。
『分かった』
それだけ返信すると、俺は携帯をロックしてポケットに突っ込んだ。
「せんぱーいっ。こっちこっち」
「あ、八幡やっと来たー」
指定された場所に来ると、俺に気付いた一色と寧々さんがこちらに向けて手を振る。
隣を見れば徹也さんがしゃがみこんで、何やら蝋燭に火をつけているようだった。これはつまり──。
「はい。じゃあ揃ったんで、花火を始めましょう!」
そういうことである。無理やり連れてこられた感のある徹也さんの背中が物悲しい。
「急に呼び出してきたと思ったら⋯⋯。もうちょっと先に言っといてくんない?」
「事前に言ったら面倒くさがるじゃないですか。それにバイトの終わる時間考えたらちょうどいいなーって」
一色の予想は正解である。
それにしても俺、一色にバイトのシフトのことまで話したっけ? やばい、夏なのに寒気がはしったぞ今。
何とか言ってやってくださいよ、と徹也さんの方を見るが、目が合うなり諦めた表情で首を振られてしまった。この人も苦労してるんだろうな、たぶん⋯⋯。
「はいはい。いいから始めるよーっ」
寧々さんの号令で、それぞれの手に花火が握られる。
一色が最初に火をつけて、蝋燭の火が消えたからまた花火でつけなおして、次に寧々さんが花火に火をつけて。
こんな風に花火をするのは、いったいいつぶりだろう。手元で爆ぜる花火を見ながら、不意にやってきた郷愁で胸を満たされる。
「先輩、先輩」
火花を散らし切った花火をバケツに突っ込んだところで、そう呼ばれる。近くにやってきた一色の手には、まだ火のつけられていない花火があった。
「ちょっと写真撮ってもらえません? スローシャッターモードで」
「スローシャッター? って、どうやるんだ?」
「教えますから、携帯かしてください」
一色は俺から携帯を受け取ると、カメラを起動してちょちょいと操作してから返してくる。
「いきますよー」
一色はそう言って花火に火をつけると、俺から距離を取って花火を振り回し出した。
シャッターボタンを押すといつもと違う音がして、画面の中に花火の軌跡が描かれていく。
「上手く撮れました?」
「⋯⋯ああ、まあ」
液晶の中で、手持ち花火が描いた軌跡。
赤色の光は、ハートマークを象っていた。一色さん、君さぁ⋯⋯。
「愛されてるね」
不意にそんな声が近くから聞こえて、飛び上がりそうになる。いつの間にやら徹也さんは隣に来ていて、ぼそりとそう言ったのだ。
「⋯⋯どうなんですかね」
すっとぼけた答えを口にしながら、寧々さんときゃいきゃいはしゃぎだした一色を見る。俺にぶちかましてきたことなんて知りませんとでもいうような態度に、思わず淡い溜め息をついた。
「比企谷くんはさ」
たっぷりと余白をとった後に、徹也さんは言う。
「いろはちゃんに、告白しないの?」
その質問は、完全に不意打ちだった。
つい最近も似たような質問を受けたが、その本質はまったく違う。そして俺の返す答えは、本質的に同じだ。
「⋯⋯しないですよ」
川べりに吹く風に飛ばされそうな声で、そう呟く。徹也さんは、俺を目を見て続ける。
「それは、どうして?」
真っ直ぐな質問に、思わず身じろぎしそうになる。すぐに言葉が出てこない。
一体どこから話せばいいのだろう。いや話したとて伝わるとも限らない。
たぶんこんな問題を抱えるのは、俺ぐらいなものだと思う。厄介で頑迷で、自分にしかどうしようもない、こんな問題は。
「俺にはそうする、資格がないからです」
ぴゅぅ、と風が吹き抜けて、蝋燭の火が消える。
一色と寧々さんが手にした花火が、二人の笑顔を照らしていた。
「難しいもんだね」
徹也さんはそう言うと、またしゃがみこんで蝋燭に火をつける。
耳に取り残されたその言葉への答えを、俺は黙って考えていた。
* * *
わたしの垂らした頼りない紙の先っぽで、小さな花が咲いていた。
「やっぱり最後は線香花火だよねぇ」
「ですねー」
わたしと寧々さんは、最後にと残しておいた線香花火を見てそう呟く。先輩たちも一緒にって誘ったけれど、「俺たちはいいや」と言って今は徹也さんと二人で川辺をぶらぶら歩いていた。
はしゃいでいた時間も、線香花火の出番となればかなり落ち着いてくる。パチパチと可愛らしく爆ぜる牡丹に目を落としながら、寧々さんはひっそりした声で言った。
「いろはちゃんはさ」
優しい声に、わたしは寧々さんの方を見る。声音の通りの柔らかい表情が、わたしを待っていた。
「この夏に、やり残したことはある?」
線香花火が松葉を跳ねさせる。わたしは「うーん」と少しだけ考え込む。
あると言ったら、もちろんある。だいぶ距離は詰められた思うけど、まだ先輩と付き合えてないし。
それでも海も行ったし、BBQもした。お泊りまでしたし、それに今日の花火。そう言えば花火大会とかお祭りには行ってないなと思ったけど、それは来年でいいか。
「あると言えばあるんですけど、それはわたし一人じゃどうにもならないことなので」
「そっかぁ」
深追いするつもりはないのか、そうやって言葉を抱きとめられただけで終わってしまう。
そんな様子の寧々さんを見ていると、ふとした疑問が湧いてきた。一体どうやって、寧々さんたちは付き合うようになったんだろう。
「ちょっと、突っ込んだこと聞いていいですか?」
「んー? いいよー」
軽いな、と思いながら、その言葉が嬉しい。すっと息を吸い込んで一瞬止めて、それから言う。
「寧々さんたちって、どうやって付き合うようになったんですか?」
「うふふ、よくぞ聞いてくれましたっ! てっちゃんから告白されたからです!」
得意げに言っている間に、線香花火の火玉が落ちた。気を取り直すように、寧々さんは新しい線香花火に火を付ける。
それにしても、ちょっと意外だ。寧々さんのキャラなら、好き好き付き合ってーって感じで、告白しかねない勢いがあるから。
「私の方から大好きオーラ出しまくってね。でも中々告白してくれないから、ちょっと距離を取るようにしたら、告白されてじゃあ付き合おうって感じ」
なるほど、こう見えてかなりしたたかだった。
見習うべきところはある⋯⋯と思うけど、距離を取るか。今の距離感に慣れすぎているから、わたしの方もダメージ受けそう。それにいざ告白してくれなかったらと考えると、ちょっと辛すぎる。
「けどさ」
火をつけたばかりの閃光花火がパチパチと音を立て始めると、寧々さんはそれを見ながら続ける。
「ちょっと怖かったんだよね。この作戦失敗したらどうしよーって」
まるでわたしの心の中を覗き込んだみたいな発言に、少し驚く。
その気持ちは、痛いほど分かった。本気になればなるほど、怖くて堪らないから。
「だから私の方は参考にしないで、いろはちゃんの方からもありだと思うよ」
寧々さんの提案に、わたしはすぐに言葉を返せない。
それが出来たら、一番よかったんだけど。
「なんて、無責任かな。ごめん」
「いえ、そんな⋯⋯」
わたしがふるふると頭を振ると、散り菊になっていた線香花火の火玉が落ちた。会話を隙間を縫うように、新しい線香花火に火をつける。
「でもちょっと思っちゃったんだ。何で告白しないんだろって」
その疑問は、とても自然なことだと思った。確かに周りからしたら、何でってなると思う。
だけど、わたしから告白はしない。
もしも先輩が本気でわたしを好きになってくれたら、きっと告白してくれるはずだから。
先輩の中が、他の
「わたしも、告白して欲しい方なので」
きっとこれは、わたしのこだわりだ。
欲張りなわがままだ。
それでもこれは、譲れない。
「だよねーっ」
朗らかな声がして、思わず吸い寄せられるように目が合う。
どちらともなく笑いだすと、また線香花火の火玉が落ちた。
花火の回でした。
夏の風物詩と欠かせないよなぁと思って書きましたが、結構物語の核となる事情も出てきてたりしてます。
感想・お気に入り・評価など頂けると作者が喜びのあまりリンボーダンスに失敗して十分ぐらい気絶します。
それでは、引き続きお楽しみ下さい!